どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「暗闇にベルが鳴る」…「ハロウィン」「スクリーム」の原点、クリスマス真っ暗ホラー

子供の頃家に誰もいないときに掛かってくる電話ってドキッとして怖かったりして、電話には独特の不安感!?がありますね。

1974年にカナダで制作された低予算スラッシャー映画ですが、電話を小道具にした効果的なサスペンス、「ハロウィン」「スクリーム」など後続のホラーに大きな影響を与えたと言われる作品です。

オープニングは女子寮に忍び込む不審な人物……犯人の主観を映したカメラは今では珍しくないけど当時は画期的だったのでしょう、「ハロウィン」の冒頭にも確かに似ています。

寮内はクリスマスパーティーで賑わっていましたが、そこに掛かってくる不気味な電話。

卑猥で挑発的な言葉を繰り返す相手は1人なのか複数人なのか、男の声と女の声が混ざったような気味の悪い音声がとにかくよく出来ています。

皆の知らぬ間に寮生の1人・クレアがひっそりと殺されてしまいますが、屋根裏に隠された死体を誰も発見しないまま次々に殺人が続いていきます。

ビニール袋を被せられた最初の死体が時折映ってはジーーッと外みてるのが不気味、スプラッタ描写皆無なのに下手なホラーよりよっぽど怖いです。

その後も立て続けに鳴る不審な電話の相手をすることになるのが主人公・ジェス(オリヴィア・ハッセー)。

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ジェスは実は妊娠しており「子供を中絶したい」と彼氏のピーターに相談するも大反対にあってギクシャク…なんでクリスマスにこんな話すんねん、な真っ暗なドラマが同時展開。

電話の相手が支離滅裂な会話の中で「赤ちゃんを殺すな」などと言い出したのもあって、ジェスは恋人のピーターが犯人ではないかと疑いはじめます…

ボーイフレンドが殺人鬼なのか!?「スクリーム」の展開もこんな感じでしたね。
本作の彼氏役は「バニー・レークは行方不明」にも出ていたキア・デュリアで、整った顔のサイコパス役がぴったりというかナイスキャスティングです。

 

クレアが行方不明になったことで脅迫電話との関連を疑い警察も捜査に乗り出します。

ジョン・サクソン演じる警部補が「回線を特定するから会話を長引かせて!」って言うのもこういうサスペンスあるある。「発信元が分かりました」「しっかりしろ、そこは受信元だぞ」の遣り取りにはNooooーー!!

実は犯人は冒頭から一貫して家内に居り、ずっと中から電話かけてたって展開が秀逸です。

クライマックスに1人2階へ向かっていくオリヴィア・ハッセー、まさに「逃げられないのに2階行っちゃうホラーあるある」の先駆。

外からやってきた(ように見える)ピーターが彼女に近づいてきますが…

 

(以下ネタバレ)
ピーターと揉み合いになり彼を殺して何とか助かったジェス。気を失った彼女を警察が保護しますが、ラストに犯人と思しき人物が屋根裏にひっそり姿を隠していた…

結局ピーターは無罪だったのね、1人になったジェスはこれからトドメ刺されるのかも…とゲームのバッドエンドっぽい幕の閉じ方でエンドロールを迎えます…

犯人が誰だったのか丸投げのラストには賛否両論あるようですが、一貫して犯人をみせない演出が正体不明の殺人鬼の不条理さを際立たせており、個人的には評価したいエンディング。

近くにある最初の死体に誰一人気付かないところもクリスマスなのに皆無関心的な寂しさが極まってますし、子供たちが玄関先で聖歌を歌っている裏で寮生がメッタ刺しにされる…など作った人はクリスマスに恨みでもあんのかな??と疑う情け容赦のなさ(笑)。

寮生のメンバーが下ネタ言ったりする所々息抜きな場面も挟みつつ、警察の人が話通じない無能だったり、寮母のおばちゃんが誰いない所で皆から貰ったクリスマスプレゼントの悪口言ってたり…とどこか冷たーい感じも漂っていて、カナダの寒空と相まっていい感じに陰鬱ホラーしてます。

大仰な音楽は一切ない静かな映画でありながら、りりりりりっって鳴るダイアル式の古い電話の着信音が最近では味わえない独特の恐怖効果。電話口の犯人の声は「エクソシクト」の悪魔憑依リーガンにちょっと似てるかも。

「アグネス、俺たちのしたことは秘密だ」「ビリー、やめて!」…いかにも多重人格な雰囲気で会話していましたが、監督によると一応兄妹という設定を考えていたようです。

近親相姦で出来た赤ちゃんをどうするか話してたのか何なのか、細部は一切分かりませんが音声だけで「サイコ」感バツグンな不気味な犯人でした。

そういえば「スクリーム」の主人公の彼氏の名前はビリー・ルーミス。本作と「ハロウィン」(ルーミス医師)から半分ずつ取っていたのかも。

舞台がほぼ寮の建物に終始していて逃げ場のない密室感が生きているのもホラーのお手本といった感じ、後年まで語り継がれているのも納得の1本です。

 

「ローズ・マダー」…傑作?迷作?キングのロマンス小説風サスペンス

高校卒業後に結婚、14年間夫の暴力に耐え続けてきたローズはある日突然家を飛び出した。
偶然駆け込んだDVシェルターにて心身ともに回復し幸せな日々を手に入れた彼女だったが、警察官の夫が追跡を開始する。
しかし逃亡先の街で出会った不思議な絵がローズに力を与え、絵の中で夫と対決することとなる…

95年出版のスティーヴン・キング長編ですが、サスペンスなのかホラーファンタジーなのかハッキリしない一見チープなストーリー。

知略ゼロで暴力一辺倒のDV夫が悪役としては大きく魅力に欠け、話もボンヤリしててかなり好みが分かれそうですが、所々ロマンス小説仕立てになっていたり遊び心に溢れていてなぜか好きな作品でした。

 

キングだし上巻の半分位はDVの描写が延々と続くんだろうなーと構えてたらめちゃくちゃテンポよく開始40ページ足らずで外に飛び出す主人公。

長いこと引き篭ってたからバス1本乗るのにもフラフラ…序盤のこの場面は物凄い臨場感で一気に引き込まれます。

その後DVシェルターに辿り着いてからは施設の援助を受けて自立、若くハンサムな男性と恋に落ち「声が良い」と褒められていきなりボイスアクターにスカウトされる…とまるでロマンス小説さながらのありえんてぃーな展開を辿っていきます。

そんな彼女が偶然骨董品屋で見つけた絵が「ローズマダー」という作品…決して高価な絵ではなく構図もタッチも稚拙ながらなぜか人を惹きつけるものがあるゴシック調の絵の中にトリップし、そこで暴力夫ノーマンを倒すローズ…

一見「虚構がヒロインに勇気と力を与えて悪を倒した!」的な浅い(けれど楽しい)ストーリーにみえる本作。

しかしこのふざけたような話の裏で「壮絶な暴力を受けた人の心の破壊と再生」のドラマがみっちりと描かれているようでした。

絵の中の女性・ローズマダーはもう1人のローズらしいことが示唆されつつ、暴力的で性に貪欲な人物であることが仄めかされていました。
ローズマダーは長い間抑圧されたローズの負の感情の化身ではないかと思われます。

最初にローズが絵の中にトリップしたのは、ローズが「自分を保護施設にまで導いてくれた善意の男性が自分の夫らしい男に惨殺された」という知らせを聞いた直後でした。

きっとローズの罪悪感は半端なく、それが過去の流産体験を思い出させ「助けられなかった赤ちゃんを助ける」夢をみたのではないでしょうか。
夢の世界ではノーマンに殺された黒人女性も赤ちゃんも皆無事です…しかし目覚めたあとにはローズの全身に痛みが走っていました。

「被虐待女性は自分に全て責任があると言い出して自分を殴ったりする」…というアンナとの会話が前の場面では繰り広げられており、このときローズは自傷行為に走っていたのではないでしょうか。

再びのトリップはノーマンがローズの新しい恋人を傷つけてピンチに陥ったとき…怒り爆発のローズはノーマンを絵の中に引きずり込み彼を倒します(殺します)。

ノーマンに勝利したあとローズは自分の過去を疎ましく思って絵を処分してしまいますが、その後激しい癇癪の嵐に襲われてしまいます…

自分が怒っていた対象がいなくなっても怒りの感情だけは残りつづけて、ふとしたきっかけでそれを他の場所や自分より弱い人にぶつけそうになってしまう…かつてのノーマンそっくりな暴言がヒロインの口からこぼれ出す様子は虐待の連鎖をみているようです。

現実はおとぎ話のようには行かず心の傷はそう簡単に癒えるものではない…これまで軽やかに進行していた虚構と物凄い落差でもって厳しい現実が突きつけられます。

ローズは絵の中の女性の忠告「あの木を忘れるな」という言葉を何度も思い起こし、癇癪の波と戦い続けます。
木とはローズの怒りのことを指しているようです。

ローズが嫌だった過去を忘れてしまおう、過去をなかったことにしようとするとなぜか暴力衝動は強まります。

こういう壮絶な体験をサバイバルした人の心の内は簡単に想像できませんが、無意識的に何かに憎悪や嫌悪を抱いてることって自分にもあって、負の感情に自覚的になることで冷静になれる…っていうのは何だか分かるような気がします。

ローズの抱え込んだ感情は莫大で、ノーマンの残した傷跡(巻き込まれて犠牲になった保護施設の親切な人たち)による罪悪感も並大抵のものではなかったでしょう。

最後の最後には年月を経て自分で自身の感情をコントロールできるようになったローズが現れホッとさせられます。

受けた心の傷が全く無くなることは今後もないのだろうけど、負の感情と共存しながら人生を歩む年老い始めた主人公の姿になんとも言えぬ寂寞感と解放感があり、小説「ミザリー」のラストのポールの姿と共通するものも感じました。

 


ローズを主人公としつつ、本作ではアンナという保護施設のリーダーの女性が印象的な人物として描かれていたように思います。

富豪の両親が設立した"女性のための組織〟を継いで運営し弱者への援助を惜しまない善意の人。

その一方ローズから「その態度はどこか傲慢で尊大」と評されており、TIME紙の表紙を飾る姿を密かに夢想し、施設の女性たちが自分の執務室のコピー機を使うことすら内心では厭わしく思っている…など意外に俗物な一面も覗かせます。

キング作品では度々地名や人名がリンクをみせることがありますが、このアンナが密かにポール・シェルダンの「ミザリー」シリーズを愉しみにしていることが明かされます。

同時に”嗜好品として楽しむのはいいけどあんなのはただの紙屑〟とバッサリ切り捨てるアンナ。

小説の世界では「この登場人物はこういう理由でこういう行動をとる」(過去に虐待された女性だから虐待女性を助けるなど)そんなセオリーがありがちだけど、実際にはそんな理由なんてなかったりするもんだよ、と言うんですね。

ミザリー」のアニーの断片的な過去のスクラップブックをみても、元からそういう人だったというだけなのか、そこに至るのに決定的な何かがあってどこかで引き返せたのかは考えても分からないところで、人間が簡単に推し測ることのできない善意や悪意がある…というアンナの考えには納得させられるものがあります。

一方主人公のローズも暴力を受けていた過去の生活の中で、ロマンス小説「ミザリー」を数少ない楽しみとしていたことが冒頭で明かされています。

ローズのような弱者にとっては善人が報われるような優しい虚構の世界が例えまやかしでも縋りつきたい世界だったのでしょう。

勧善懲悪な娯楽作品、因果応報の分かりやすい物語がくれるカタルシスって心が弱っているときや現実がしんどい人には紙屑以上の値打ちがあるというのにも納得させられます。

結局アンナはノーマンという「全く理不尽な暴力」に鉢合わせて殺されてしまい、そして嫌悪感しか湧かないような暴力男のノーマンにも実は父親から虐待を受けていた悲惨な過去があった…という皮肉な因果が明かされます。

ローズのような女性たちが救われてきたのは何の因果もなく善意をみせたアンナのような人がいたから…という確固たる事実をみせつつ、元を辿れば実は被害者でもあったノーマンのような人間の存在や、ロマンス小説を必要とするローズのような弱者の気持ちを理解できなかったアンナは処刑されてしまう…

なんともキビしいですが、このあたりがキングらしいというかホラーらしい、そんな感じもして面白いと思ったところでした。

 

全体に漂うチープさもあえて意図して作ったものなのでしょうが、個人的には「絵はローズの精神世界だった」ともっと分かりやすく話をまとめて欲しかったような気がします。

新しい彼氏も一緒に絵の世界に行く展開と、結局ノーマンが最後どうなったのか…??がスッキリせず、ローズがノーマンを殺したということに関してはもっと現実寄りの描写があってもよかったんじゃないかと思いました。

ロマンス小説からB級映画やって最後にシリアスドラマ持ってくる乱高下は凄まじく、なのにラストはしんみりさせる…傑作なのか名作なのかよく分からないけどなんか好きなキング。

ローズは絵の中の世界では全裸らしく、トム・クルーズと離婚した後のニコール・キッドマンを想像しながら読んだのですが(声が可愛い&よく脱いでくれる)、「ビッグアイズ」のときのエイミー・アダムスもいいですねー。

あまり人気がないから映像化されてないのでしょうが、そもそもボンヤリしすぎてて脚色が難しそうな作品ではあります。

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文庫版の血の滲みがついたゴシック風の表紙が雰囲気あってすごく好きでした。

 

「ミザリー」映画/原作…白熱の頭脳戦で男女愛憎劇

キングの最高傑作といえばきっとこれ、映画の方もキング映像化作品の中でトップクラスの出来栄えじゃないでしょうか。

自分が初めて「ミザリー」をみた頃、ちょうどテレビで陣内孝則雛形あきこに付き纏われるその名もズバリ「ストーカー」というドラマが放送されていたのですが、女性の方が男性を追いかけて追い詰めていく…そんなこともあるのか、とそれだけで新鮮で衝撃的でした。

ミザリー」を熱く語るアニーの目は澄み切ってキラキラしていて、生き生きしたオタクというかなんか可愛らしかったりもします。

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推しの死が受け入れられず激昂。好きなキャラが死んでから一回途中で読むのやめた漫画とかあるから気持ち分からなくもない…

モテモテ美人ヒロインに自己投影。だって現実しんどいんだもの、息抜きに夢みたっていいじゃない。

ミザリー復活をのぞんでポールが提出してきた第1稿は「ニセモノよ!」とバッサリ切り捨てるアニー。

(B級と割り切れる作品はさておき)裏打ちされたものが全くない状態で雑に話展開されると萎えるの分かる、そういう丁寧さの欠けた作品って作り手の真摯さが伝わって来ないんだよね…とめんどくさいオタクほどアニーに多少共感するところがあるのではないでしょうか(笑)。

決して作家自身を盲信する信者ではなく、良し悪しをきっちり判別できる目を持っている。且つ作家の創作行為自体にはリスペクトを持って応対したりしていて、狂ってるのにデキる編集者のような佇まいみせてくるのが何ともいえないギャップです。

映画にも登場した”思い出のスクラップブック〟は小説の方ではより深く掘り下げられていて、シリアルキラー感はさらに強まっています。

生活のルールに異様に拘るところとか親に厳しく躾けられたのかなーとか、不審死を遂げた(殺した)父親に瓜二つの男性と結婚してたのはお父さんに愛されたかったからじゃないのかなーとか色々想像もさせてきます。

何かのファンでいられることって通常元気をもらえる、精神的に健康でいられる秘訣の1つのように思われますが、麻薬や宗教にハマるように孤独が「それしかない状態」にまで追いやると人間こんなになることもあるのかしら…

「私だけが特別なファン」ってリアルで誰の特別でもないことの裏返しで「愛されたい」っていう強烈な願いが認知を狂わせてしまうのかも…リアルなストーカー・悪質ファンの心を映したようなキャラ描写が恐いです。

何かにつけて「バカにしやがって」と怒ることが多く被害妄想甚だしいのですが、むしろ頭の回転はめちゃくちゃ早く看護師としての腕もかなりよさそうです。

そんな彼女の頭の良さを見抜いていく主人公・ポール…孤独なアニーの人生の中でこれほど彼女の本質を理解する人間はいなかったのではないでしょうか…

もちろんポールは殺されないように必死なだけなのですが、このポールが凡人が安易に想像するような作家像…唯我独尊で書きたいものを自由に書いてきたような人間では全くなく、生みの苦しみや世間の評価と自己評価の乖離に悩んできたような苦労人で謙虚で忍耐強い。

そんな彼がアニーを手なづけようとしてはアニーもさらにそれを機敏に読み取っていく…という2人の頭脳戦が、「敵対しつつもお互いを深く分かり合っている関係」でもあって、愛憎劇というかある種変則ロマンス小説にさえ思わせるところがめちゃくちゃ面白いです。

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ジョジョ4部の「山岸由花子は恋をする」はオチも含め「ミザリー」リスペクトが半端なく「こぼしたのあんたのせいよ!」のくだりも完全にトレース(笑)。

自分は映画→小説の順で手にとったのですが、小説の方では「タイプライターでポールが打ったミザリー原稿」が合間に挟まってきて、フィクションの中でさらにフィクションが繰り広げられいく構成も当時新鮮でした。

古い文庫版の方ではタイプの文字が欠けてるところは手書き文字で埋められている…など作りが細かく、こういうのは映画じゃ味わえない臨場感だなーとワクワクした憶えがあります。

ハーレクインを読んだことがないのでこのジャンルのことはよく分からないけど、めちゃくちゃ読ませてきて「アニーがどんな物語に夢中になったのか」すごくよく分かるし、第1稿がゴミだったのにも納得する(笑)。

映画は概ね原作に忠実ながらラストは原作と少し異なっていました。

映画では…
ポールが書き上げたミザリー新作を燃やす→助かったあと別ジャンルの本を出して文学界からも認められる…悲劇を糧に皮肉にも作家として一段高みに上がった…という展開。

一方原作のポールは書き上げたミザリー完成作を燃やす…と見せかけて表紙の1枚を除き下は他の紙に差し替え、ちゃっかり完成作を自分の手元に残していました。
そして助かった後「ミザリー」最新作はシリーズ最高の評価を受ける…

個人的には原作エンドの方が好きで、終盤ポールはただ単に助かるためだけじゃなくて自ら創作熱にかられて作品を完成させていたのでその血と汗の結晶は残った方がよかった…不本意な部分もあったとはいえ「ミザリーと完全に決別する」映画のラストはそれまでの作家の歩みを全否定していてしっくり来ません。

また原作ラストはポールが再び創作に乗り出すことによって悲劇を消化し精神の自由を勝ち取るというハッピーエンドにもなっていてドラマ的な深みを感じさせるのはこちらの方でした。

対して映画のエンディングはなんとなくデ・パルマの「キャリー」のラストと重なってしまい、衝撃度ではあちらに負けてしまう印象です。

でもこちらも「アニーはポールの心の中で永遠に生き続ける」というラストになっていてヤンデレヒロインとの究極のメリーバッドエンド、今みると綺麗にまとまってる気もしました。

映画は全体的に残酷描写が控えめで怖さでいったら小説の圧勝ですが、「メンタルアップダウンの大嵐」を見事に再現したキャシー・ベイツは超名演。
ジェームズ・カーンも小説家にしては繊細さが足りないかと思いきやハマリ役で、テンポ良く緩急つけてまとめられている映画版も傑作です。

怖いけれどオタクにはどこか親しみも感じさせる存在でアニーは魅力ある悪役でした。

 

「テナント/恐怖を借りた男」…ご近所トラブル系陰鬱サイコ・サスペンス

新居に引っ越しては粗品を持ってお隣さんにご挨拶にまわる…そんな時代じゃなくなって来たような気がする今日この頃…

ホラーなのか妄想系なのかハッキリしてませんが、ご近所トラブルを題材にしてるのが面白い76年公開のロマン・ポランスキー監督によるサスペンス。

パリの古びたアパートの一室を借りることになった主人公・トレルコフスキー。

前の住人は部屋から投身自殺といういわくつきの物件、大家のおじいちゃんも管理人のおばちゃんもめっちゃ感じ悪いのに、パリは住宅不足だそうで下手に出ては彼らの機嫌を伺う気弱な主人公。

いざ住み始めると物音にうるさい隣近所とトラブル、意にそぐわない人間は住民投票で追放されるという嫌すぎる住環境。

音を立てないよう神経使って暮らす様子は「戦場のピアニスト」の主人公の潜伏生活と何だか重なります。

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空き巣にあって警察に行けば「ポーランド人か」と問われ身分証明書を求められる、向かいの部屋の人影がいつもこちらを向いておりまるで監視されているよう…

迫害や移民差別の中で生き抜いてきたポランスキー監督の個人的な体験が大きく反映されているのかも、世知辛い主人公の姿にこちらもキリキリ追い詰められているような気分になってきます。

アパートの面々は嫌ーな人間ばっかですが、毎回注文したものを持ってこないカフェの店員がかなり不気味!

なぜかアパートの前住民が口にしていたものばかりを持ってきます。

「いかなる瞬間に人はその人でなくなるのか」…やんわり強制されてるうちに自ずとそれに順応してしまうってなんか怖いですね…

前半はいかにもヤバいご近所さんに主人公が追い詰められてく系ホラーの様相ですが、後半一気にどんでん返し!?
主人公の方が被害妄想に取り憑かれ1人発狂していく様が描かれます。

周りの人たちは不親切で身勝手だったけど決して悪意があるわけではなかったんですね…
向こうにしてみれば特に意図はなかったのに勝手に悪くとられるってそれもまたホラー。

追放されたご近所さんも主人公が被害被らなかっただけで本当にうるさくて難ありだったのかも…皆我こそは被害者だと思っているところが胸糞です。

一見善良そうな主人公も明らかに気の合わない同僚を家に呼んでパーティーしたり「無理してる奴感」があったりもして、周りに溶け込もうと必死なだけの自分がない人間にみえなくもない…

かといって一貫して個を優先した思いやり皆無のご近所さんたちが良いのかといわれるとそうでもない…とまあ八方塞がりな陰鬱ドラマになっております。

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↑女装までし始める後半の展開は急すぎる気もしますが監督(=主演)は生き生きとしたご表情(笑)。

イライラする主人公かもしれませんが、小心者の自分はトレルコフスキーの方に感情移入しつつみてしまいました。

言いたいこと言わず我慢、内にストレス溜めてものの見方が歪んでくる…ってなんか分かるような気がします。

快適さを求めるなら人付き合いなんていらん、突き詰めたら究極1人きりになるしかない…ってめっちゃ極端ですが、出てくる人出てくる人があまりにもイヤーな感じなので人間不信な心の内にどっぷり浸かった気分になります。

助演陣も印象に残る顔の人が多く、自殺した前住人の友人・ステラを演じるのはイザベル・アジャーニ

なんでこんな美人が優しくしてくれるんだろう、あとから包丁持って追いかけてこないかなーとか思ってしまう(笑)。

何を考えてるのかさっぱり分からない不思議ちゃんでしたが、他人と適度に距離とりつつ決して無関心ではない、1番バランスのとれた人だったのかも。

彼女からみれば主人公が最も迷惑な人物となってしまいました。

管理人のおばちゃんは「ポセイドン・アドベンチャー」でめっちゃいい人だったシェリー・ウィンタース。意地悪が滲み出たような人相に別人かと疑いました。

ローズマリーの赤ちゃん」の方がはっきりホラーしてて緊張感もありますが、この作品はこの作品で物寂しーい感じがすごく残る1本でした。

 

「アデルの恋の物語」…壮絶、メンヘラストーカー女のイザベル・アジャーニ

♫愛されるよりもー愛したいマジでー

先日鑑賞した「アメリカの夜」が凄くよかったので年代の近しい後期のトリュフォー作品を探して観てみました。

イザベル・アジャーニが一方的に恋をするストーカー女を熱演。この方は狂気がかった役が本当にハマりますね…美しすぎて怖い!!

ヴィクトル・ユーゴーの次女アデルの日記を参考にしてつくられたドラマということで、どこまで忠実なのか詳細は分かりませんが一応史実をベースにつくられてるっぽいです。

南北戦争の真っ只中の1863年。アデルはかつて一度だけ愛し合ったイギリス人中尉ピンソンを追ってヨーロッパからはるばる彼の駐屯地・カナダまでやって来ます…

周囲に話す情報がてんでバラバラ、すぐバレる嘘を平気でつくあたりからしてヤバい人なのはお察し。

男と付き合ってた頃の描写が一切ないのが潔く、序盤は〝信頼できない語り手〟によるサイコサスペンスのようです。

親にも嘘ついては仕送りをせがむとんだ放蕩娘ですが「結婚話があったのに誑かされて捨てられた」っていうのは本当っぽくて、借金まみれ&女たらしのピンソンは碌な奴じゃなさそう…

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↑どうせしょーもない男なんやろな、と思ってたら滅多にみない端正な顔の美男子でビビる…面食いかよ。

絶望的に脈がないなら思い切りよくこっちから捨ててやればいいのになんて思うけど、「浮気してもいいから」と娼婦をプレゼントしてまで結婚を迫るアデル。

とにかく何か書いてないと落ち着かないので毎日手紙、ノートに文字びっしりー。

すんごい美人なのに男が逃げるのも分かるザ・重たすぎる女。

トリュフォーみるのはこれが2本目ですが、悲壮感ありありな話でも案外ところどころコメディしていて決して暗い作品になってないのが凄いバランスでした。

男の写真を祭壇みたいな場所に飾ってんのが可笑しかったり、どう見てもインチキな催眠術師に「彼の気持ちを操って」と頼み込むやり取りが完全にコントだったり…
まさにスピリチュアルに入れ込むメンヘラさん、現代にもこういう人いるよねーとどこか親しみの湧くような人物像です。

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女性が自由に恋愛結婚できなかった時代に海を越えて好きな人を追いかける…アデルさんカッケー…!!
…とは全く思えず、ピンソンが「愛ではなくエゴイズムだ」と言ってましたが、これぞ恋愛って言われるとちょっと違うんじゃないのかなー、一方的な愛でも自分で納得して相手を思って行動するのとは全く違って、相手も愛を返してくれるのが前提になっている…

一定の歳になれば自分と相手の認識が必ずしも一致しないことや期待通りに他人が反応するとは限らないと知るものかと思いますが、有名作家の娘という立場も相まってそういう人付き合いをする機会に全く出会えなかったのでしょうか…

人生で初めて自分の存在を肯定してくれた(と感じた)男性への執着を捨てに捨てきれなかっただけのようで、本音は愛するよりも愛されたい、恋に生きた幸福な女性にはとてもみえませんでした。

父親であるヴィクトル・ユーゴーの姿は一切映らず手紙の遣り取りのみ、けれどその大いなる影を感じさせるような演出になっており、結局親類も使いの者も迎えに来ずアデルは終始孤独です。

「お金あげるから帰って来なよ」としか言えないオトン、フランス中が死を悼むような偉人も子育て上手く行かんかったんやなーと透けて見える陰鬱家族ドラマに何とも言えない味わいがありました。

完全に後からネットでみただけの情報ですが、夫婦揃ってダブル不倫、愛人は多数、兄弟の恋人にも手を出した歴ありというワイルドな私生活だったらしいユーゴー

アデルの幼少期は親の愛を十分に感じられたものではなく、またアデル自身親の恋愛体質な面を受け継いでしまっていたのかもしれません。

劇中でも語られるお姉さんの死もトラウマになっていて、兄弟姉妹の中で生き残った罪悪感やプレッシャーみたいなのもあったのかも…色々想像するとやはり悲劇的な女性で辛いことがあった人ほどなにかに依存しがち、メンタル病んでるときに出会う異性ほど問題ありっていうのがすごい説得力です。

下宿先のおばあちゃんとバルバドスで助けてくれたおばちゃん2人がめちゃくちゃ親切でこういう人の優しさに触れても引き返せなかったのが切ない…

本屋の男性とは新たな恋が始まるかと思いきや、ユーゴーの娘に「レミゼ」プレゼントってそんなん要らんやろーって、この男もモテない奴やなーとこういう細かいところで笑わせてもらいました。

登場時から虚言癖のヤバい人感を存分に醸しつつ、どんどん壊れていくイザベル・アジャーニの演技が圧巻。

静かな映画のようで独特のユーモアもあり、1人の女性の生涯をしっかり見届けたような気持ちにさせてくれました。

 

「アメリカの夜」…トリュフォー全く知らなくてもすごく楽しめた

観る映画が偏ってる&敷居が高いイメージがあって全くみたことがなかったトリュフォー
アメリカの夜」はフランス映画苦手でもとっつきやすい作品だと聞いたことはあったのですが、先日鑑賞したルチオ・フルチ監督のドキュメンタリーにてフルチが言及していたこともあって今更ながら初鑑賞。

映画制作の舞台裏を描いた人間ドラマで「カメラを止めるな!」や「ザ・プレイヤー」の先駆といった体ですが、コメディーと言っていい口当たりでテンポもよくすごく楽しい作品でした。

映画制作といえば…監督が絶対的存在となり暴力的ともいえるエゴを振りかざし突き進む世界…そんな世界を想像してしまいますが、本作でトリュフォー本人が演じているフェラン監督はサラリーマンのような佇まい。

メンヘラな俳優陣に振り回されつつ宥めて鼓舞しては何とか演技してもらう、撮影終わりには良く働いてくれた裏方のスタッフにも感謝の一言を忘れない。

(あくまでトリュフォーがそういうタイプだったということなんでしょうが)ビックリするくらい気遣い屋、監督ってこんなに如才なさが求められるものなのか…と意外な人物像でした。

「希望に溢れて撮影をはじめるが無理難問が続出、やがて完成だけを願う」

頭の中に映像はあっても大人数を動かしながら限られた時間とお金でそれを実現する難しさ。

動物を使った撮影が難儀したり入念に準備してても思ったように行くもんじゃないのね…名作の裏話なんかでトラブルから思わぬ名シーンが生まれたなんてエピソードもききますが、それだけ一筋縄ではいかない世界なんだなーとバックヤードの四苦八苦に見入ってしまいます。

ベテラン女優セヴリーヌが台詞を覚えられず「テキトーに数字数えてるから後で音だけ吹き替えてくれ」と言うと「イタリアとは違うんだ」と返す監督(笑)。

その後NGのドツボにハマって泣き崩れていくのには何ともいたたまれず、年取るのってシンドイなー、身一つで立ってやってかなきゃならない役者さんは大変だなーって短いシーンに哀愁のドラマ感じました。

ハリウッドからやって来た主演女優ジュリー(ジャクリーン・ビセット)の透明感ある美しさにはうっとり。

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彼女もまた繊細な人間で同情心から共演者とベッドイン…ってどうなんだ!?と思ったけど映画作りには真摯で優しくて、トリュフォーの夢・理想なのかなと思いました。

「俳優は私生活も含め常に裁かれる存在」と会話していたアレキサンドルの恋人は男性。結婚の代わりに養子縁組を検討しているようで、同性愛であることが特段強調もされず空港で毎日恋人待ってる姿がロマンチックでした。

主演俳優・アルフォンスは恋愛依存&不安定すぎてドン引きでしたが、なんだかんだで演技やり始めたらちゃんとやる(笑)。

繊細で現実世界には馴染めないような人だからこそ凄い演技ができたりするのかも、俳優ってこんな奴らなんです!!監督の愛ある眼差しを終始見せつけられたようでした。

映画の中の映画という構造で「今見ているドラマもニセモノ」だと頭では理解させられつつも、まるでドキュメンタリーを覗き見しているような自然さが一貫して在るのが凄かったです。

観客がなんてことなく見る一場面に工夫が凝らされていると分かるハリボテのバルコニーなど見るとワクワクしてしまう。

フルチが先のドキュメンタリーでこの作品をあげたのも何となく分かる、B級でもどんな作品でも何とかして形にしようとした努力や誠実さは観る側に伝わるものがあったりするのかもと思いました。

モノづくりの最前線や映画制作の現場を経験した人ならのめり込む位共感できる作品なんでしょうが、でもそれがなくても期日までに限られた時間や予算でやる事やり終えなきゃいけないって割と多くの人が体験していることではないかと思います。

やってるときは四苦八苦な無我夢中の瞬間、やり終えたときの安堵感・達成感、共感しやすいドラマがあると思いました。

 

冒頭の撮影シーンは「ザ・プレイヤー」のオープニングとイメージが重なりました。

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あちらの作品は毒っ気に満ちてしましたが失われていくものへの寂寞感みたいなのは双方に漂っている気がしました。

「スタジオの時代は終わった。今後の映画にはスターも脚本もない。〝パメラ〟のような映画はもう出来ない。」

雨に唄えば」とか「サンセット大通り」とかクラシックなアメリカ映画をみても思うけど、昔の映画はスタジオに力があってその分の束縛もあっただろうけど制作陣全体がファミリーのような連帯感があったんだろうなあ、登場人物たちの不思議な絆にロマンを感じました。

走り出したらもう走り続けるしかない、人生いろんな人が出入りしては別れもある…まさに映画は人生!っていうとセンチメンタルですが、ラストは年を重ねていく中で体感的に感じるものが凝縮されているようでした。

セルフオマージュも多々含まれているらしく、知っていればより深く楽しめる要素がたくさんありそうですが、何も知らなくてもすごく楽しめる作品でした。

 

「フルチトークス」/「フルチ・フォー・フェイク」…ドキュメンタリーでみるフルチの表裏

フルチ監督作ではありませんが、没後25年に際しこちらもニューリリースされたタイトル。

両作品ともドキュメンタリーで「フルチトークス」の方は監督本人が自らを語る内容、「フルチ・フォー・フェイク」の方は親交のあった人たちによる証言を集めたものになっています。

それぞれ別の年・別の監督によって制作されたものですが2作続けて鑑賞。

 

◆フルチトーク

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監督が自らを語る作品といえば「デ・パルマ」が非常に面白かったのですが、あちらが過去作品の映像も交えつつ巧みに構成されていたのに対し、こちらはひたすらフルチがこっちを向いて喋り続けるという超低予算なつくり。

ビデオ撮影のためテープチェンジで話が中断してはあっちこっちに話題が飛びますが、お喋りで言いたい放題のフルチ、めっちゃオモロかったです。

フルチといえば…他作品のDVD特典映像などでみられる出演者インタビューでは、「怒鳴られた」「嫌がらせされた」「いつも不機嫌だった」など人間的にはかなり不評だったようです。

このインタビューでも親しい人について褒めたかと思えば貶めるようなこと言ったり、何も考えず思ったことを何でも口に出しちゃうタイプ…誤解されたり反感買う人だったのは容易に想像できました。

一方制作スタッフからは「一流だった」「念入りに準備する人で低予算でいかに撮るか心得ていた」など讃えるエピソードもあったフルチ。

映画に関しては古きヨーロッパ映画〜最近のアメリカ映画までしっかり網羅していて博識と言われるのにも納得。

偉大な映画人との思い出エピソードも語られフルチの生きた時代の凄さも感じました。

意外だったのは、自作に模倣が多いことやプロットが矛盾だらけなのを指摘されても怒らず本人も自覚していたところ。

「ホラーには遊び心が必要」、目の破壊についても本人の中では哲学があったようです(笑)。

自分の作品がB級だから劣るとは思っておらず、映画を芸術作品と娯楽作品に分けて名の知れたものだけを持ち上げる権威的志向に怒りを抱いているようでした。

イロモノ扱いで作品が真っ当に評価されずコンプレックスはずっとあったんでしょうね…いかにも気難しいひねくれお爺ちゃんって感じではあります。

けれど「あらゆる映画を愛する」フラットな姿勢と、低予算に不満もありつつ工夫しながら作品を完成させてきた職人の気骨みたいなものはこのインタビューからも伝わってきました。

俳優さんとのエピソードでは「マッキラー」のフロリンダ・ボルカンを「意気投合した」と絶賛。

低予算だからとかホラーだからとかいって見下して中途半端な態度で現場に臨む人には辛辣だったんじゃないかな、反対に仕事に全力投球してくれる人とは対等に接することもあったのかな…と色々勝手な想像ですが思いました。

アルジェントについては「あんなのと一緒にされたら困る」とボロクソでしたが(笑)、ライバル意識と仲間意識はあった様子。
(こんなに悪く言われても「肉の蝋人形」で手を組んだアルジェント寛大…!!)

1作ずつきちんと掘り下げてられてはいませんが、「マッキラー」「地獄の門」「墓地裏の家」など多作品の裏話が出てきてファンには嬉しい内容。

毒舌な上に意外に自虐的なフルチ、マシンガントークと言っていい喋りっぷりで面白かったです。

 

◆フルチ・フォー・フェイク

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先の「フルチトークス」を観るととても亡くなる前とは思えないくらい覇気があったフルチ。

しかしこちらの作品で彼の親しかった人たちが語る姿は全く違っていて「明るくお喋りにみえて孤独」という評価…思わず「さっきの何だったのよ…」と何とも切ない気持ちになってしまいます。

フルチ自身の闘病についても語られていますが、奥さんが若くして病気を苦に自殺していたこと、次女が落馬事故に遭って障害を負ったことは初めて知るエピソードだったのでびっくりでした。

「こういう人だったからこういう作品を作った」的なクリエイターの私生活を分析してみるのって断定的に捉えるのもどうかと難しいところ。

ただフルチが死や病気を身近に感じる環境にいたこと、罪悪感を背負いがちな複雑な境遇だったというのは確かで、「マッキラー」の子供の骨を抱く母親の後ろ暗い姿などこういうエピソードをきいてしまうと複雑です。

お喋りは虚勢で私生活は暗かった…人間本音と建前はあるもんだし負のエネルギーを映画制作で払拭してきた人だったのかな、でもクリエイターってそういう人も多いんじゃないかなと思いました。

登場するのはフルチの娘さん2人、フルチに詳しい映画雑誌社の人、長らく親交があった映画制作陣などなど。

自分の知っているところではミケーレ・ソアヴィとファビオ・フリッツィが出てました。

ファビオ・フリッツィの「ビヨンド」評、「まるで別世界にいるような感覚になる、自分もあの場所にいった感覚になる」…という絶賛コメントには1万いいねをしたくなります(笑)。

ドキュメンタリーの作りとしては「フルチの伝記ドラマで主人公を演じることになった俳優」がインタビュアーになって話が進められますがフルチに思い入れのなさそうな人でしっくり来ず、しんみりする私的エピソードと評論家の客観エピソードがごっちゃになったりしていてまとまりは悪く思われました。

娘さんは2人とも父親の仕事に対して理解が深かったようですが、包み隠さず話すところといいお姉さんの方がお父さんに似てそうで似た者同士上手くいかんかったんかな…とか複雑な家族関係を垣間見たようなラストでありました。

個人的には生フルチのトークスの方が見応えはあったけど、併せてみると表裏からフルチをみれたようで面白かったです。


◆◆◆
さて今回この2作を見終えて今年ニューリリースされたフルチ作品の観たかったものをコンプリートすることが出来ました。

元々マカロニホラーはもちろんフルチに詳しいわけでも全くなく「サンゲリア」と「ビヨンド」の2発屋みたいに思っていたのですが(爆)、改めてみると後期の作品にも見所はあるし、初期のジャーロには驚きの傑作があったりと深い監督だと思いました。

今回取り上げなかったマカロニウエスタンや未見のジャーロものも来年観れたらなーと思っています。

続けてみると監督の癖や嗜好が分かったり、「この俳優どっかでみたかも⁉」と濃い脇役の顔覚えてきたり繋がりが少しずつみえたりして楽しかったです。