どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「ワーロック」…ポンコツ魔法使いと逞しいヒロイン

同じタイトルで西部劇の名作があるようですが、こちらは89年公開のファンタジーホラーのワーロック

監督は「ガバリン」のスティーヴ・マイナー、脚本は「逃亡者」「アライバル」のデヴィッド・トゥーヒー、音楽はジェリー・ゴールドスミス…と意外に豪華な布陣となっています。

1691年ボストン。魔女ハンターのレッドファーンは悪名高い悪魔の手下・ワーロックをようやく捕まえましたが、サタンが時空の扉を開けて300年後の未来へ彼を逃してしまいます。

現代のLAに住むカサンドラの家に突然転送されたワーロック

サタンから「3つに分断された悪魔の聖典グリモワールを集めて世界を滅ぼせ」と命を受け現生で大暴れ。

そこに追って時の渦に飛び込んだレッドファーンもやって来ました…

 

場違いなイケメン2人が突然転送されてくる…ターミネーターを思わせるような冒頭。

ワーロックはかなり残忍な男で、カサンドラのルームメイト・チャスは会話中に指をいきなり切断されディープキスで舌を噛みちぎられ…と踏んだり蹴ったりな目にあいます。

サタンを降霊する媒介にされた霊媒師(デスレース2000のメアリー・ウォロノフ)は目ん玉をくり抜かれて死亡。

子供向けの内容かと思いきやグロ描写が唐突にちょいちょい挟まります。

「ガバリン」のようにリアルなグロさではなくオモチャっぽい感じで恐怖度は低いのですが…

 

ヒロインのカサンドラワーロックに〝老化の呪い〟をかけられてしまいます。1日で20年老けてしまう恐怖の呪い。

20歳→40歳→60歳…と変身していきますが、老けるのは顔だけで体型や姿勢はずっとキープ(笑)。

呪いを解くため仕方なくレッドファーンと行動を共にします。

 

真鍮製のワーロック探知機を担いで車で移動する2人。(かさばるしあんまり役に立たない)

「アイツは塩に弱いんだ」と言いながら鞭に塩を塗り込むレッドファーン。(絶対もっと他にいい武器あるだろ)

いざワーロックと対峙すると鞭攻撃は飛行能力によって避けられ、負傷した一般人を助けるため追跡をヒロインに全投げするレッドファーン。

「この祝福されたハンマーを使ってくれ」

カサンドラワーロックの通った足跡にハンマーで釘を打つと「グワァー」と絶叫するワーロック。(魔宮の伝説みたい)

貨物列車に乗り込んで逃げようとするワーロックを老カサンドラが必死で追いかけます。

↑列車も遅いしバーサンも遅いしでこのシーンめっちゃ笑う。

何とか自力で老化の呪いを解いたカサンドラでしたが、「絶対に君を傷つけさせないから案内役を頼む」とイケメンデビルハンターに乞われ、再び追跡に加わります。

 

2人は先回りして最後のグリモワールを確保することに成功しますが、そこにワーロックがやって来てカサンドラを引っ捕えます。

仕返しといわんばかりにカサンドラの足の裏に釘を打つワーロック

「彼女を殺されたくなければ残りのグリモワールを寄越せ」…と言われても世界滅亡がかかってるので隠れて中々外に出て行かないレッドファーン。

さっき「絶対に傷つけさせない」って言うてたやん。

 

結局ワーロックとレッドファーンはグリモワールを賭けてサシで勝負することに。

魔法使いなのになぜか渾身の肉弾戦(笑)、けれど結局ワーロックのエクトプラズマ光線でレッドファーンが倒れてしまいます。

しかし隙をみたカサンドラが塩水を吸った注射器をワーロックにぶっ刺す…!!(ヒロインが糖尿病だったのは巧妙な伏線)

「レイダース」のようなグロさでたちまち朽ちていくワーロック

世界は滅亡を免れましたが、ちょっといい感じになった2人は結ばれることなくレッドファーンは時の渦に乗って去っていきます。

夢から覚めたようなちょっぴり切ないエンディング。

そしてしっかり者のカサンドラグリモワールユタ州のボンネビル塩湖に埋めて「ターミネーター」のサラ・コナーの如く去っていくのでした。

 

ワーロックが手から放つ光線をはじめ同年代の他の作品と比較しても特殊効果がショボめな本作。

でもこれもアニメみたいで今見ると案外楽しいかもしれません。

ワーロックが不自然すぎる動きと速さで飛行してくる画をみるだけで爆笑してしまいます。

2と3もあるらしいのにまともにソフト化されてないような…人気あるのかないのかどっちだよ。

クールなイケメンにみえた2人が右往左往してて、ポンコツにみえたヒロインのお姉さんが1番逞しい(笑)。

この年代らしいゆるっとした雰囲気も含めB級好きには突き刺さる楽しい作品でした。

 

「迷宮のレンブラント」…天才贋作画家が描いた本物の絵

97年制作、ジョン・バダムの最後の映画監督作。

レンブラントの贋作を手掛けた画家が事件に巻き込まれる…設定だけでワクワクさせられてとても面白かった記憶のある作品です。

天才的な贋作の技術を持つ画家ハリー・ドノヴァン(ジェイソン・パトリック)はある日3人の美術商から55万ドルでレンブラントの贋作を描いて欲しいと依頼を受けます。

レンブラントを描けるのはレンブラントだけだ」…はじめは依頼を断ったハリーでしたが、自分の個展がキャンセルになったことに苛立ち、仕事を引き受けることにします。

早速ヨーロッパに飛び徹底的にリサーチ、「まずは何の絵を描くか」…有名作はかえって足がつくので350年前に行方不明になった説がある未発見の〝盲目の男の肖像〟を描くことに決めます。

絵の素材は何で出来ているか…美術館に忍び込み同年代の作品の表面をこっそり削り化学解析、絵の具や筆に至るまで全てトレース、経年劣化まで完璧に再現してみせます。

↑現代に蘇るレンブラントの光と影…!!

いかにも気難しそうなアウトロータイプの主人公ですが、1人黙々と仕事をこなす職人技には絶句、この贋作制作パートは非常にワクワクさせられます。

 

いざ完成品を納品すると依頼主たちも絶賛、しかし「サインがない」とクレームを受けます。

レンブラントの作品の半分ほどにはサインがないそうで「分かりやすく価値を上げようと思って署名を入れるのは愚か者のすることだ」と一蹴するハリー。

しかし依頼主の1人からは「サインさえしなけりゃお前が描いたってことだもんな」などと嫌味を言われてしまいます。

子供の頃から絵の才能があったハリー、売れない画家だった父親(ロッド・スタイガー)に代わりお金を稼ぐことに必死でした。
そしてあらゆる技法をトレースするうち自分のスタイルの絵が描けなくなってしまいました。

「贋作はもうやめてお前自身の絵を描け」と父から叱咤激励されていましたが父子の気持ちはすれ違い気味だったのでした。

 

さて依頼主の美術商たちは絵画発見の偽装工作を首尾よく進め、ハリーの描いた偽絵を鑑定士たちに見せます。
「マジでレンブラントだ…!!」と見事に騙されていくお偉いさんたち(笑)。

しかしたった1人「これはレンブラントじゃない」と鑑定した女性が登場。彼女はハリーと一夜を共にした謎の美女マレーケ(イレーヌ・ジャコブ)でした。

1人位の異議では問題ないだろうと美術商たちは絵を公開オークションに掛けようとしますが、ハリーは「当初の約束と違う、そうするなら絵は自分で売る」と偽絵を持ち帰ろうとします。

しかしガメつい美術商の1人が仲間の1人を故意に射殺しハリーにその罪を着せて絵を取り戻そうとします。

ハリーは自分の描いた偽絵と唯一真贋を鑑定できたマレーケを連れて警察や追手から逃れます…

 

黒幕が誰がいるミステリ系のストーリーなのかな…と思ってみてると後半は一転して逃走劇に。

公開時に評論家の双葉さんが本作を高評価されていた記憶があるのですが、巻き込まれ型主人公&逃亡劇&男女の言い合いのやり取り…などヒッチコックっぽい作風でオールドファンにも受けがよかったのかもしれません。

後半の主人公の行動が短絡的すぎる気もしますが、ヒロインと惹かれあっていく過程がGOOD。

「いつまで親のせいにしてんのよ」「あなた友達いないし人を好きになったことがないんじゃない?」…主人公のメンタルをゴリゴリ削ってくる横っ面をひっぱたく系ヒロイン(笑)。

結局ハリーは警察に捕まり「お前がレンブラント描いたっていうなら再現してみろよ」と裁判所で絵を描くことになります。

公判直前に父親の死を知ったハリーは「このまま贋作画家でいいのか」と父の掛けてくれた言葉を思い出し筆を途中で置いてしまいます。

有罪は免れないと思った矢先、仲間割れした残り1人の美術商が証言を翻し真犯人が逮捕されてハリーは釈放されます。

結局絵は本物扱いのままプラド美術館へ…

 

事件が全て片付いた後ハリーは独自のスタイルで描いたマレーケの肖像画を持って彼女の下を訪れます。

絵に堂々と自分のサインを入れマレーケと抱き合うハリー。

なんて甘いエンディングなんだ!!(笑)

ベッタベタな感じもしますが、名もなき者だった主人公が自分のアイデンティティーを勝ち取る(原題はIncognito=匿名)、唯一本物を見極めた女性と結ばれるというとってもロマンチックなエンド。

彼女の方はこんな気難しい彼のどこが良かったん??と思わなくもないけど、絵を描く彼を見つめるヒロインの視線がアツい。

なんだかんだ言って絵を描くのが大好きだった主人公の本当の想いが彼女の目に映りそのハートを射止めたのでしょう。

 

サスペンス映画かと思ってみると終わりはロマンス映画!?

細かいところではツッコミどころもあるし、逃走劇パートはジョン・バダムの他の作品と比べるとイマイチ地味ではあります。

が、設定の面白さ、親子関係なども交え偽物と本物を巡った主人公の内面ドラマが上手く構成されており、見応え十分の1本でした。

 

「ゴーンガール」…臆病で繊細な原作小説のエイミーが好きだった

原作→映画の順で鑑賞。
映画も主演2人がハマり役で悪い出来ではなかったと思いますが、自分は原作小説の方が圧勝で面白かったです。

「夫と妻の独白が交互に進んでいく」というスタイルは映画も原作も同じですが、本ではフルで展開している「妻の日記パート」が抜群に面白い。

「損な役を押し付けられた可哀想な私」と言わんばかりのウジウジした感じ、漏れ出る自分大好きオーラ。

本音を奥深くにしまい込んだわざとらしさが鼻につくなあ…と思っていたらそれが一気に急転直下、上巻まるまる使った〝タメ〟が非常に長くすごい仕掛けだなあと驚かされました。

 

幼少期から両親の書く小説のモデルと比較されて育ったエイミーは、現実で自分が何かに失敗した直後に本の中のエイミーがその事柄を容易く達成している…など大きな重圧をかけられてきました。

親や周囲の期待に応えられないと否定されるという恐怖におびえ、誰もありのままの自分を愛してくれなかった…と内心では愛や承認に飢えています。

ニックの前には11人のボーイフレンドと付き合っていたそうですが、他者からの承認を得ることで欠けた心の埋め合わせをし、相手をポイ捨てにするようなぶつ切りの人生を送って来たのではないかと思いました。

友人でも恋人でも付き合って来た相手は意外に「パッとしない格下の人」も多く、そうやって常日頃自分が優位に立って支配できる存在を求めていたのか、心の奥では「演じるのがしんどい、リラックスして付き合える相手が欲しい」と願っていたのかもしれません。

しかし親しくなれば当然どんな人間にも欠点があるので完璧でないことは露呈してしまいます。

格下だと見下していた相手が「エイミーも欠点がある案外つまらない普通の人間だ」などと気付いた時、エイミーは激怒し、ときに相手に酷い制裁を加える形でその人間関係を終わらせてしまいます。

見た目も好みで話も合って自分と違うのんびりしたタイプのニックと恋に落ちたエイミーでしたが(ニックに恋をしたのは嘘くさい日記の中でも本当だったんだろうと伝わってくる)、失業や親の介護など厳しい現実が2人を襲い、元々精神的に幼かったところのある2人にはとても耐えられる試練ではありませんでした。

「特別なエイミー」から「亭主に浮気された世間並の妻」へ…輝かしい自分の虚像に傷をつけ、また5年もの結婚生活を経てこの世で最も自分の欠点を知る存在となったニックは恐ろしい復讐計画の対象となってしまいました。

 

「偽の自分を演じる能力」は社会生活を営む上で重要なスキルではあって、誰しも多少はエイミーのように場面場面で自分を演じているものだと思うし、それは理性の賜物でもあると思います。

どこまでが本当の自分か…突き詰めて考えると自我は曖昧なもので、「こうあるべし」の圧が強くかかって自分がない人間になってしまうの、自分は分かるなあと思いました。

エイミーの悲しいところはその能力の高さと恵まれすぎた環境ゆえ、人生のステージで挫折らしい挫折を全く経験しないまま大人になってしまったことも大きいのではないかと思います。

多くの人間が学校生活や仕事などで何かしら失敗をして「理想どおりいかなかった自分」に出会って痛みと共にそれを受け止められるようになっていく…そうして自分の弱さを認められることで他者にも寛容的になっていく…

幼い頃からセレブのような扱いでチヤホヤされ、大人になっても親に経済的に依存してきた彼女にはそういう機会が全くなく、「特別な自分」という高いプライドと理想像だけが跳ね上がってしまったのではないかと思いました。

 

最終的にエイミーは夫を共演者を迎え入れ「架空のエイミーをも超えて大衆に好かれるヒロイン」を熱烈に演じようとします。

小説版はそんな彼女にニックが「君が気の毒だから君を大事にするよ」…と告げるところで幕が閉じていました。

「浮気された選ばれなかった女扱いされる位なら死んだ方がマシ」などと考えるエイミーのような人間にとって〝可哀想〟という言葉ほど腹立たしいものはないのではないでしょうか。

彼女の本質を理解する夫が負け犬の遠吠えで嫌味を言ったのか、それとも単に本音が漏れ出ただけなのか分かりませんが、けれど自分もエイミーが幸福な人間とは到底思えず、しかし優秀さゆえに今後もボロを出さずこの先も何かに追い立てられ続けるような、何の楽しみもない人生を送るんだろうなー…何とも虚しい気持ちが残るエンディングでした。

 

◆◆◆

小説版では夫婦の失業過程や地方衰退のどんずまり感も映画より深く描写されていて、NY育ちのエイミーが中西部へ行きそこである種のカルチャーショックを受ける…その格差や感覚の違いなども読み応えがあり暗澹たる気持ちにさせられました。

映画のエイミー役の女優さんはイメージぴったりで、間違いなく美人ではあるけれどシャーリーズ・セロンニコール・キッドマンのような鮮烈な美人ではない、輪郭のぼやけたような感じがとても良かったです。

ただサイコパスっぷりを過剰に強調して人間離れしたようなキャラクターになっているのが残念に思われました。

元カレを殺すシーンも小説版では殺人シーンをあえてすっ飛ばしていきなり帰宅してくるシーンに場面転換していてこれが非常に恐ろしかったのですが、妙にスプラッタに走った映画版は良くも悪くもB級風味というかブラックコメディ色が強まり過ぎたように思いました。

 

自己愛の強いメンヘラなのは間違いないけれど、生粋のサイコパスとかとはちょっと違うんじゃないかなー、小説版の方は「信頼できない語り手」を交えつつこうなってしまった背景や心の動きを推察させられるところに凄みがあった。

小説のエイミーはもっと弱くて人間らしい印象で引き込まれるキャラクターでした。

 

「未来惑星ザルドス」4Kデジタルリマスター版を観てきました

SFカルトとして名高い74年ジョン・ブアマン監督作が今秋4Kリマスターとなって全国順次公開。

この監督の作品は「脱出」「エクソシスト2」しか観ていなくて高尚なイメージがあったのですが、直球シンプルなストーリーで素直に楽しめました。

2293年、戦争と環境汚染により地球は荒廃。

人類はボルテックスと呼ばれる理想郷に住むエリートたちと、彼らに支配されるブルータルス(獣人)の2つに分かれていました。

エリートたちは獣人たちにザルドスという恐ろしい猿の顔の偶像を信仰させ食糧を貢がせていました。

しかしある日信仰に疑問を抱いた獣人部隊の隊長ゼッド(ショーン・コネリー)がエリートたちの楽園に潜入し大波乱が起きてしまいます…

 

不老不死を達成後、性を悪とし生殖行為もしなくなったエリートたちの社会。

チ○コのない世界に突如現れたショーン・コネリーに皆心奪われてしまいます(笑)。

赤パンツ一丁&ニーハイブーツという刺激的すぎる衣装がまた何とも堪りません。

エリートたちは不老不死ですが、皆の意にそぐわないものは「老化の刑」に処せられ強制的に数年、数十年分歳をとらされるなど不気味な描写も。

無気力な人間の溜まり場があったり、人々がクリスタルの指輪を通じて記憶や知識を分かち合っていたり…ネットなど色々時代を先読みしているようにも思えなくない、面白い世界観。

豊かさが飽和すると皆子供をつくらなくなってしまうのですね…

 

元々歪んだユートピアだったようですが、ショーン・コネリー乱入でますます人々は混乱、「やっぱり不老不死だとメンタルキツいから死にたいわー」という人が続出したり、ショーン・コネリーの魅力にノックダウンされて性を愉しもうとする女性が出てきたりします。

合理化だけを目指して何でも管理・規制しようとするとそこで失われるものはやっぱりあってそれが果たして幸福といえるのか…しかし獣人たちの世界は自由である代わりに暴に満ちていてそこで傷ついている人たちは確かに存在しています。

人間の本能か文明社会か…「脱出」も似たようなテーマだった気がしますが、自分は昔好きだった「花嫁はエイリアン」というおバカコメディを思い出してしまいました。

あの作品も宇宙人たちは生殖行為をやめて平等で平和な世界に住んでいる…しかしその代わり様々な楽しみや喜びを知らないままでいる…というストーリーでした。
 
70年代〜80年代の共産圏を意識したようなこの年代らしいSF、今の時代の閉塞感ともリンクするものがあって思った以上に入りやすいストーリーでした。

 

ラスト、野蛮でありながら知性も備えたバランス人間となったショーン・コネリーがエリート族の女性(シャーロット・ランプリング)と結ばれて子供を産み育てて死んでいく様を映して映画は終わります。

「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」…

どこの煉獄さんだよ!!…って感じですがそんなメッセージを感じさせるラスト。

人間の生には限りがあるけど次の世代に愛や想いを遺していくことが尊い…物悲しさもありつつホッとさせられるような、余韻が残るエンディングでした。

 

シュールな映像と独特の世界観でとっつきにくい印象でしたが、力の抜けたような場面もあって、勃起テストを真面目に受けているショーン・コネリーとまさかのウェディングドレス姿に笑ってしまいました。

そして何よりベートーヴェン交響曲と共に巨大な猿の岩が現れる冒頭がカッコよくてシビれます。

真剣さと狂気感が溢れててこの年代のSFはカッコいいなあ…!!

 

「ロードゲーム」…地味なおっさんvs地味な殺人鬼のロードスリラー

「激突!」を思わせる82年公開のオーストラリア製サスペンス。

監督は「サイコ2」「パトリック」のリチャード・フランクリンですが、この人はやっぱり才能アリ。

低予算ながら引き込まれる作品になっています。

ペットの狼犬・ボズウェルを相棒に長距離トラック運転手を続けるクイッド(ステイシー・キーチ)。

ある日精肉を運ぶ緊急の仕事を引き受けた彼はモーテルで緑色のバンに乗った男がヒッチハイク女性を連れ込むのを目撃。

翌朝その男が早朝ごみ収集を確認しているのを不審に思っていたところ、ラジオでバラバラ死体発見のニュースが飛び込んできて…

 

ヒッチコックリスペクトで知られるフランクリン監督、限定された状況での目撃&推測というシチュは「裏窓」によく似ています。

それにしても40代半ばのトラック運転手から溢れ出る圧倒的孤独のオーラ。

助手席の犬を相手に運転中ひたすら喋る、喋る…すれ違う車をみては人間観察を披露してあだ名をつける…1人が楽と言いつつ実は人恋しい、そんな寂しいおっさんの人物描写が秀逸で「なんか分かる」と突き刺さります。

 

ヒッチハイカーを乗せるのは会社のご法度らしいのですが、罠を用意して無理矢理乗りこんでくるおばちゃん。乗せてもらっといて態度デカすぎる(笑)。

ところがふとした勘違いで不審者だと疑われてしまう主人公。

殺人鬼を追っているはずが同じ足跡を辿っていて逆に疑われてしまう&もしかして主人公の妄想なのでは……というプロットは良いのですが、後半に進むにつれ尻すぼみに。

犯人とのサシの対決があっけなく、クライマックスに分かりやすい見せ場のカーチェイスシーンなどがあって欲しかったように思われます。

犯人が主人公に罪を着せようと意図的に行動していたのか、結局どんな殺人鬼だったのか不明。

「激突!」のように全てを見せないならそれはそれでアリだと思いますが、中途半端に姿は出てきたりでキャラクターがイマイチ立っていません。

 

それでも映画的におっと引き込まれる場面はチラホラあって、積荷の吊るし肉がなぜか増えていて冷凍庫の中を主人公が確認するシーンはドキドキ。

薄暗い中映し出される人肉にも豚肉にもみえるフォルムが不気味…!

冷たい町の人間の様子をカメラがぐるーっと回りながら映し出すシーンはデ・パルマっぽいですが、主人公の隔絶した状況がよく伝わってきます。

途中ではジェイミー・リー・カーティス演じるヒッチハイカーが旅の仲間に…若いのにおっさんとタメを張る逞しさで出番が少ないながら魅力的でした。

 

ラストは思わず吹き出してしまうザ・B級な終わり方。

「パトリック」もそうでしたが、最後にバーン!!と驚かせて終わりたいタイプなんでしょうか。

全体的にはゆったりした雰囲気ですがおっさんの人生を描いたロードムービー的な感じがしてそれも悪くない、地味だけど光る作品でした。

 

「ザ・リッパー」…殺しのドレス風!?フルチのエロス・スプラッター

ルチオ・フルチが「墓地裏の家」のあと82年に撮った猟奇サスペンス。

このジャンルが下り坂の時期に制作された作品だと思いますが、晩年の作品に比べると予算はあったのかNYの空撮などロケーションはしっかりしています。

「イノセント・ドール」のようなロマンポルノみたいな作品も撮っているフルチ、こちらも性描写がふんだんにあって驚かされます。

主人公が定まっておらずとっ散らかった印象ですが、エロとスプラッターがてんこ盛りで引き込まれて観てしまう作品でした。

NYのブルックリン橋の下で女性のバラバラ死体が発見。
その後もフェリー利用客の女性が車中でメッタ刺しにされる事件が発生。

老刑事・ウィリアムズは女性器を切りつける残忍な犯行は同一犯だと推測、ザ・リッパー(切り裂き魔)と名付けられた犯人を追いますが…

 

最初の犠牲者であるロードレーサーの女性、他所様の車にキズをつけてもどこ吹く風、怒られたのを逆恨みして落書きしに行くわと中々の性悪女(笑)。

どえらい目に遭いますが、メッタ刺しもさることながらドナルド・ダックのようなアヒルの口調で話しかけてくる犯人がとても不気味。

車の片側のドアが壁で塞がっていて追い詰められていく様子など〝いたぶり〟も際立ったオープニングです。

 

警察目線で話が進んでいくのかと思いきや、次に視点は美しい人妻・ジェーンにバトンタッチ。

色欲に駆られた中年女性がセックスショーに足を運んで観客席で自慰したり、若い男に股を足でグリグリされて昇天したり…と一体何を見せられてるんだー!?なエロスなシーンが続きます(笑)。

しかも不貞中の音声をテープに録音して夫に聴かせているようで高度なNTRプレイ。

それでも飽きたらず怪しい劇場で出会った「三本指の男」とホテルで逢引するジェーン。

”欲求不満熟女×怪しい男”の組み合わせ、デ・パルマの「殺しのドレス」に似てる気がします。

行為後「三本指の男」が警察から追われている存在だと知って逃げ出そうとするも、その途中でジェーンは何者かに殺されてしまいます。

 

一方、街ではフェイという若い女性から「三本指の男に襲われた」という通報が警察に入っていました。

ところがこのフェイちゃん、常日頃から幻覚持ちだそう。警察に証言を疑われてしまい、恋人ピーターの家で静養することになります。

熟女から若い娘へ…「殺しのドレス」みたいに華麗に主人公がバトンタッチするわけではなく、視点があっちこっち飛ぶ上に幻覚描写まで出てきて話がめちゃくちゃとっ散らかってます(笑)。


フェイの証言と人妻の録音テープのおかげで警察は「三本指の男」の身元を特定しますが、彼は死体で発見。

その後も真犯人らしき人物による犯行が続き、ウィリアムズ刑事のお気に入りだった娼婦が電話生中継で惨殺されてしまいます。

剃刀で乳首を切られ、眼球を切り裂かれ…目玉がしっかり動きながら切断されるのがよく出来ていて、ここは神経を逆撫でされるようなシーン。

生中継で殺されるのは「ミッドナイト・クロス」のような何とも言えないやるせなさが漂います。

三本指の男は真犯人に被害者を斡旋していただけかもしれない、犯人はもっと知的な奴だ…と再び調査は白紙に戻りますが…

(以下ネタバレ)

 

犯人はフェイの恋人・ピーターでした。

実はピーターには余命いくばくもない難病の娘がいましたが、母親は外国に逃げ、父親の彼も一度見舞いに行っただけでほったらかし。

そんな彼にも罪悪感はあったのか「大人になることの叶わない娘が決して味わうことのできない性の悦びを貪っている女共が許せない…」と別人格(アヒルの人格)が誕生し、残忍な犯行を繰り返していたのでした。

 

ピーター大学生くらいにみえたけど娘おったん!?老刑事にいちいち挑戦状みたいなの突きつけてたのは何だったのよ!?とツッコミどころはたくさん。

けれどラストシーン、小さな娘ちゃんが「お父さんが電話に出ないよ…」って泣いてるのが哀しすぎる…子供はお父ちゃんが見舞いに来てくれるだけで嬉しかったのに…

 

妻を病で早くに亡くし、次女が事故で身体に障害を負ったフルチ。

昨年みたフルチのドキュメンタリーでの彼の人生のエピソードを思い出すと私生活での想いが反映されてるのかなーとか色々考えてしまいます。

とっ散らかってて伏線もヘッタクレもありませんが、倒錯した人間の心、誰もが狂気に向かってしまう恐ろしさ、病や死への純粋な恐怖…そういったものが真摯に描かれているのがフルチらしいところなのかな、と思いました。

 

メインテーマの曲はノリがよくカッコイイのですがラストシーンとはちょっとチグハグ。

そして包帯に巻かれた女の子をみるとなぜか「サンゲリア」が思い出されてしまいます。

タイプの違う綺麗な女優さんがたくさん登場、ねっとりしたエロスと執拗なスプラッター描写は見応えがあって退屈しない1本でした。

 

「影なき淫獣」…美女と絶景と足フェチと…先駆的ジャーロの名作

カルロ・ポンティ製作、セルジオ・マルチーノ監督による1973年公開のイタリア製ジャーロ

スラッシャー映画の先駆的存在と呼ばれ、タランティーノのお気に入り作品でもあるそう。

後半3分の1が爆上がりで面白かったです…!!

イタリアの学生街で連続殺人が発生。警察は現場で発見されたスカーフの目撃情報を求めます。
亡くなる前の犠牲者を目撃していたダニエラは怪しい人物に付け狙われ、遊びも兼ねて友人らとともに田舎の別荘に向かいますが、密かに犯人が後を追っていました…

 

最初の犠牲者はカーセックスに興じていたカップル。性に奔放な若者が真っ先に殺されるのスラッシャーあるある。

女優さんが美人で殺人の幕開けとして華があるのも王道な感じがします。

次の犠牲者はビッチっぽい雰囲気のキャロル。

ヒッピーが集うフリーセックスの溜まり場から帰るところをメッタ刺し。

薄暗い沼地で泥水に顔を押し付けられて殺されるのがアルジェントっぽいいたぶり方。

さらにスカーフを売った露天商の男や現場付近にいた男も巻き込まれて殺されていきます。

男の死体はポイ捨てなのに女性の死体は手足をバラバラに切断する犯人、異常な執念を感じさせます。

本作の原題はTORSO(胴体)、犯人の過去と思しき「西洋人形の映像」が度々インサートされるのも印象的です。

 

そんな中別荘に出掛けた4人の女性たち。

富豪の姪ダニエラ、スタイル抜群の黒人女性ウルスラ、そのウルスラといい感じのカティア。

そしてもう1人がアメリカからやって来た女性ジェーン(「歓びの毒牙」のスージー・ケンドール)。

皆よりちょっと年上で落ち着いた雰囲気のジェーンですが、階段から転落して足を捻挫。

鎮痛剤を飲んで爆睡、翌朝目を覚ますと3人の仲間が惨殺されていた…!!(ここめっちゃ怖い)

死体をバラバラにするため戻ってくる犯人、存在を気付かれていないジェーンは声を押し殺して自分の痕跡を消しながら屋敷に隠れます。

しかしその後犯人が偶発的に部屋に鍵をかけてしまい隔絶した古屋敷に1人取り残されてしまいます。

ラスト30分はすごい緊迫感、ハンデを負ったヒロインの孤立奮闘に手に汗握ります。

ドア越しに細工を凝らし鍵を手に入れたと思った矢先、再び戻ってきた犯人と対面、その正体は…

(以下ネタバレ)

 

犯人は大学の美術講師・フランツでした。

子供の頃人形を拾おうとして崖から転落死した友人を目撃して以来性的不能に。

そのことを生徒のフローとキャロルに脅され2人を殺害、その後は目撃者と思しき人間を場当たり的に殺していったのでした。

回想シーンでも亡くなったお友達とそういう関係だったっぽいことが示唆されていたり、冒頭に出てきた絵画・聖セバスティアヌスはゲイのアイコンだったり…とおそらく同性愛者だったのかな…と察せられますが伏線みたいなのも皆無だしドラマが薄いのが残念。

思わせぶりなストーカー男についても丸投げ、姪の身体をジト目でみつめる叔父さんは何だったんだ!?と色々気になりましたが(笑)。

 

思わぬ犯人と対峙するジェーンでしたが、捻挫の治療の際に屋敷を訪れていた医者が異変を察知して助けにやって来ます。

飛び蹴りも交えての突然の格闘戦(笑)、犯人は崖下に落ちて破滅。

最後は生き残った2人がいい感じになって去っていくあっけらかんなハッピーエンド。カラッとしててこういうのもイタリアらしいですね。

 

殺人シーンはグロは控えめなもののカット割が細かく工夫されていて、ピアノの旋律がメインの音楽も緊迫感を高めてくれて耳に残ります。

タランティーノがこの作品を好きな理由、足を痛めたヒロインが悶えながら逃げ惑うの、足フェチの彼には堪らなかったのではないでしょうか。

学生街も別荘のある田舎町もどこやねん!!って位の絶景のオンパレード、美女の裸体もてんこ盛りでそれだけでも眼福。

サスペリア2」や「マッキラー」などと比べるとドラマ面は残念ですが、ジャーロをみた…!!という満足感が残る作品でした。