どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「ハードカバー 黒衣の使者」…フィクションを愛する者の孤独

ホラー映画って、たまにこういう大当たりがあるから観るのをやめられない…!

「ハードカバー 黒衣の使者」は、「本を開くと物語の中の怪人があらわれて人を襲う…!」というファンタジックなホラー作品だ。

”架空の人物が次元を飛び越えて現実にやって来る”という点では、「カイロの紫のバラ」に似ているかもしれないし、同系統のジャンルの中では「エルム街の悪夢」に似ているのかもしれない。

 

 

加えてロマンチックなゴシックホラー色も強く、大好きな作品だ。古書店巡りや読書好きの方がおられたら、ビビッとくる作品なのではないかと思う。

 

 

入り混じる現実とフィクション

 主人公のヴァージニアは読書が好きな、古書店で働く女性。彼女がある日夢中になって古いホラー小説を読んでいると、やがて本の中の”怪人”が現実の彼女の目の前に現れるようになる。本の内容に沿うようにして起こる殺人事件…。作家の身元を調べると恐ろしい過去が明らかに…。果たしてこれは、現実なのか、幻想なのか?

 

「ハードカバー」が面白いのは、①本の中の世界②現実の世界…に加えて、③現実ともフィクションとも判別できないようなシーン…が明らかに別で用意されているところだろう。

 

序盤、ヴァージニアが怪人と邂逅するとき、現代人のはずの彼女までもが古風なドレスを身にまとって登場するのがとても不思議だ。

これが「フィクション世界に入れ込んだヴァージニアの妄想」なのか、「彼女を”アンナ”(怪人の愛する女優)と勘違いした怪人側の認知の歪み」なのか、どちらかハッキリしない。現実と虚構のあいまいさに心奪われてしまう。

 

また黒衣の怪人は、ヴァージニアの認知によって、その存在を変化させる”抽象的な敵”だ。

彼の出没シーンを振り返ってみると…

1回目:古書店にて…顔に傷がなく、マスクをつけていない

2回目:ヴァージニアの家…「アンナ」と勘違いして話しかけてくる。このときは顔が損傷している。

3回目:バス停の前…ヴァージニアが昨日、「怪人が赤毛女性の頭を剥ぐ場面を読んだので」”赤毛の頭皮”をつけている

…となっていて、”ヴァージニアが読み進めた分の設定”が生かされて現実に出没してくる…というのもまた面白い。

 

 

フィクションを愛する者の孤独

主人公・ヴァージニアは感受性豊かな女性で、物語に没頭する人物のようだ。家にボーイフレンドが遊びにきても、本の話をやめられず、ちょっと引かれてしまっている。

語るのがやめられないアツいオタク的な魂は、周りからみるとちょっとキモくみえるのかもしれない(笑)。

しかし「この作品の良さ、自分には分かる…!」というプライドみたいなものって、映画や文学を愛する人にとっては”あるある”ではないかと思う。

 

本作にて、実際にある古書店を借りたというお店の雰囲気もたまらなくいい。古本の臭いまでこちらに伝わってくるようだ。”前に所有者がいた本”との一期一会の出会いはロマンチックにも思える。

何だか、本の方も「読んでくれる人間を待っている」ような。「自分の存在を知ってくれる人間を待ちわびている」ような。

 怪人がヴァージニアを追いかけるのも、「読んでくれた(自分の良さを認めてくれた)」女性を求めるという、次元を超えたラブロマンスにもみえてしまうのが不思議だ。

 

 

結局「黒衣の怪人」の正体は何なのか?

怪人に襲われるようになったヴァージニアは「本を書いた人間」への調査に乗り出す。

しかし明らかになったのは、「著者・マルコム・ブランド自身に精神的な障害があり、現実とフィクションの区別がつかなくなっていた」…というさらなるホラー展開…。

 

ここでマルコムと”マルコムの描いた小説の登場人物”について、明らかになっている情報を少し整理してみたい。

小説家:マルコム・ブランド

「異常性と原罪」というゴシックホラー小説がツァイト出版にてヒットした謎の作家。もう1作執筆しようとするが、「登場人物が話しかけてくる」などの幻想に苦しんだという。

まわりから誇大妄想の分裂病といわれ、亡くなる1週間前は隔離病棟にいた。その後、バラバラ死体で発見され、まるで狂犬に噛まれたような死体だったが、本人が自分で自分を切り刻んだと言われている。

 

ケラー博士(マルコムの1作目「異常性と原罪」に登場するキャラ)

著名な動物学者。自分の精子とジャッカルの卵子をかけあわせて、無断で女性に着床させ、新生命体を生み出そうとした。

しかし、代理母の女性は出産中に死亡。博士は、生まれた生き物(怪物犬・ジャッカルボーイ)を我が子として育てようとするが、狂暴で手に負えなくなる。やがて怪物犬は博士のもとから脱走するが、自分をつくった博士を憎み続けている…。

 

黒衣の怪人(マルコムの2作目”I、Madman”に登場するキャラ)

かつては医者だったが廃業している。アンナ・テンプラーという女優に夢中だが、彼女は彼を相手にせず、醜いからと嫌い続けた。怪人は、アンナの関心をひこうとしたのか自身に麻酔にかけ、耳や鼻や口を削いだ。(→そして、よりよいパーツをもつ人間を探し、切り刻んで、自分の顔に入れようとした??)

 ※この2作目のキャラ「黒衣の怪人」が、1作目のケラー博士と100%同一人物として(公式の続編として)描かれているのか自分には分かりませんでした…読解力不足かも…

 

マルコムはこれらの著作を、「ノンフィクション」「自分の告白」だといって、執筆したという。

主人公のヴァージニアも「フィクションに夢中な女性」だが、マルコムはその遥か上をいくタガの外れた存在だったことが分かる。「もしかして本当に彼はケラー博士だったのでは…」とも思ってしまう。

 何重にも重なる虚構がこの作品のミステリー度を高めていて、グイグイ惹かれてしまう。

 

 

異彩を放つ、怪物犬の存在

 「黒衣の怪人」だけでなく、ケラー博士が実験によって生み出したという”怪物犬”もヴァージニアの前に姿をあらわす。醜い、どこか悲しそうなクリーチャーだ。

怪物犬の登場シーンは特殊効果でつくられていて、技術的にみるとかなりしょぼいのだが、それでも作品の魅力を損なっていないと思う。

むしろショボさが逆に「虚構が現実に来た!」感を強めてくれているように思う。またこの怪物犬の存在のおかげで、黒衣の怪人(マルコム)が「自分の妄想に殺される」という最期を辿るようにもみえるので、作品全体をシメてくれたのではないかと個人的には思う。

 

 

この作品、観る人によって、本当に色んな解釈ができると思う。

「全部がヴァージニアの妄想で、殺人も本当は彼女がやっていた」という解釈もアリなのかもしれない。冒頭、現実と虚構を区別するキーアイテムかのように見えた黒縁メガネは中盤から全く消失していなかっただろうか。

 

でも、自分は個人的には、「フィクションの怪人がフィクションを愛するヴァージニアに惹かれてやって来た」というストーリーで観る方がロマンチックで好きだ。

「”自分の作品を愛してくれた”と喜んだ製作者が、作品を愛するものの前に姿をあらわす」…ってなかなかのファンサービスだなあ。

 

 「ハードカバー」は、2019年4月にBlu-rayが発売されたばかりだ。自分はかつて中古VHSが数百円で叩き売りされていたのを買って持っていたのだが、今回このBlu-rayを購入した。

I MADMAN

I MADMAN

 

↑ 注:上記は輸入盤です。ジャケットデザインだけは、輸入盤の方がカッコいいかもしれない。

 

特典も充実していたので、ほんの少しだけ裏話をこちらに…。

☆ヴァージニア役には映画会社はアンディ・マクダウェルを推したらしいが、制作陣が猛反発して、ジェニー・ライトに決まったらしい。やーめーてー。アブナイ。

☆本作の原題は、「I、Madman」という作品中に出てくるペーパーバックのタイトルになっているが、元々制作陣が決めていたタイトルは、「ハードカバー」の方だったらしい。「ハードカバーの方がよかったよ」といいつつ、「それじゃ検索上位にあがってこねえ」というもっともな納得(笑)。

 

変な邦題のホラーが多い中、日本語タイトルを「ハードカバー」に決めてくれたのは、GoodJob!!

 

久々にみても、素晴らしい傑作だったので、ソフト化に心から感謝したい貴重な1本だ。