SF作家の巨匠・筒井康隆氏の作品は七瀬シリーズをはじめ、夢中になって読んだものが多い。
その中でも「銀齢の果て」は、2006年と比較的近年に執筆されたものだが、個人的に1番印象が強い作品だ。
「銀齢の果て」では、増大した老人人口を調整するために、政府が、老人相互処刑制度(シルバーバトル)なるものを施行し、70歳以上の老人に殺し合いをさせる、というトンデモないディストピアが描かれている。
もう設定だけで敬遠される方もおられるかもしれない。
しかしこの「銀齢の果て」には、同系ジャンルの「バトル・ロワイヤル」や「死のロングウォーク」のような悲壮感が意外なほどに少ない。
筒井氏独特のユーモアを残した作品でありながら、充分に社会的メッセージもある…という、なんとも不思議な作品になっていると思う。
シルバーバトルとは一体!?
この小説、未来の設定ではなく現代…むしろ令和の今となっては、”過去の平成”を舞台にしていると言っていい雰囲気だ。
破綻寸前の年金制度維持や若者の負担軽減のため、70歳以上の老人の数を減らしたい、と国は考えた。
政府が老人に直接手を下したり、安楽死させたりということは罪悪感が誰かに行くかもしれないと、「お年寄りたちだけで解決してもらう」(殺し合ってもらう)というのが、この法のキモらしい。
「バトル・ロワイヤル」では、3日間、孤島でサバイバルしていたと思うが、お年寄りにはそんな所で短期間で殺しあう体力はない。
期間は1ヶ月、自分たちの住んでいる街でバトルの区画が決められ、最後の1人になるまで戦う、というルールになっている。
お金持ちは免除になるといったような特例はないようだ。また逃亡やバトルに関係ない人に危害を加えることはNGになっている。
本当にひどい未来だが、この「銀齢の果て」に出てくる老人たちがなぜかとてもカッコいいのだ。
カッコいい老人たち
シルバーバトルに積極的に参加しない老人たちもたくさんいる。自死を選んだり、誰かに殺してもらったり…そういう優しい常識人は物語の脇役だ。
必死に生き残ろうとする老人たちの迫力は凄まじい。
彼らの武器は過去の人生そのものだ。元自衛官はライフルで、元薬剤師は薬で、元大学教授は知恵で、元鯨打ちは銛で、元女優は魅力で、元動物園丁は象で生き残りを目指す。
「銀齢の果て」筒井康隆・著 新潮文庫 あとがき穂村弘解説より一部抜粋
自分たちの積み上げてきたもので戦う…というのが本作の老人たちのカッコよさかもしれない。
主人公も含め、印象にのこった登場人物を何人か紹介してみたい。
宇谷九一郎…頭のいい策士
主人公で、和菓子屋のご隠居。頭のいい策士で、バトル開始前から事前に”助っ人”も用意していた。
バトル対象になる近所の老人たちのことを、「知力・財力・武力」がどのくらいかでサバイバル力を査定する計算高さと腹黒さ。同年代おばあさんにもモテる。
九一郎は彼らを愛していた。だからこそ彼らとの間に一定の距離を置いてきた。だから彼は家族からも愛されていた。
家族に慕われているというのもいい。女性はなるべく殺したくない…認知症の老人も殺したくない…と、独自の価値観も持っている。
津幡共仁…強敵・”白髪鬼”
元大学教授。発明家だったのかお金持ちで、体力もある強敵。”白髪鬼”とよばれ、バトルに積極的に参加する。
「わしにとっては生き残ることよりも、その、生き残りを賭けて戦うということが大事でな。さもなきゃせっかくのバトルも、ただの乱暴な殺し合いにしかならん。」
こういうバトルロワイヤルに嬉々として参加するキャラクターは「完全に狂っている人」が多いように思われるが、津幡は津幡の信念(独自の考え)があるところがイイ。
九一郎と違って女性も積極的に殺害し、「弱者のなかの弱者を優遇するのは間違い」と社会に怒りを露わにする場面もある。
主人公・九一郎とこの敵役・津幡の対決は西部劇っぽく、ハラハラさせられる。
乾志摩夫…元・小人プロレスラー
先天的な障害があり、低身長の元・小人プロレスラー。
バトルの最中、「身体障害者はバトル対象外」という新たなルールが施行されたのに、地下潜伏という策をとったために、ニュースを知らないまま過ごすという悲劇の人。
いい時代もあった。コビトのプロレスをNHKが放送していたときもあったのだ。しかし身体障害者差別だというので、テレビ局は次々と放送をやめ、ついには興行すら行われなくなった。(略)そして今度は老人差別か。ひとりの人間が一生で二度の差別に直面することになった。なあに。どちらも生き残ってやるさ。
うーん、カッコいい。当事者が差別だと感じることと、社会が差別だと考えることに差がある…というのはイタいところを突いている気がする。
筒井氏の本では、「ロートレック荘事件」でも身障者に対する差別を描いていたが、こちらもなかなかの傑作だったなあ。
明原真一郎・真弓…仲のいい老夫婦
作中、1番悲しい死を迎えたように思う2人。貧しいけれど、とても仲のいい夫婦。
2人で刺しあって、自主的に最期を迎えようとするが、要領の悪さゆえに悲劇にみまわれる。
「おれたち、生きていて、何もいいことなかったよな。」
「ううん。いいこともあったわ。あんたが優しかったこと。」
こういうバトルに積極的でない人もドラマも丁寧に描かれていて、切なくなる。
反対に、卑怯で、ズルい、嫌な感じの老人もたくさん登場する。善人もいるけれど、善人ばかりではない。
しかしとても弱者に思えないようなガッツのあるお年寄りたちに、ものすごいエネルギーを感じ、本作においては、老人たちのことを”若い”とさえ思う。
筒井康隆氏は安楽死賛成らしい
中学生が殺し合う「バトル・ロワイヤル」からは、子供を虐げて大人の支配下におこうとする残虐性を感じた。
この作品を読んで自分が感じたのは、「高齢者に対し、たった1つの死に方をむりやり押しつける傲慢さ」みたいなものだと思う。
氏の発言は、「自分の死に方を自分で選びたい」という旨のように思う。
実際、自分が病気になったり、高齢になってみないと分からないことがたくさんあるだろう。「延命なんて嫌だ」と言っていた人が「どんな方法でも生きたい」と言うかもしれないし、「消極的な治療をのぞむ」という人が周囲の同意を得られなかったり…。本人の意思がもう汲み取れない状況に追いやられてから、家族が決断を迫られたり…。
(様々な整備が必要なのだろうが)選択肢が増えるのは、自分は、よいことのように思う。しかしそれはあくまでも「本人による自由意志」で、「生産性のない人を消去する」という観点になると、「銀齢の果て」が揶揄しているようなディストピアになると思う。
お年寄りへの愛と憎しみ
シルバーバトルの途中、バトル対象者の自分の親をなんとか助けてほしい…と懇願する家族がでてくる。これを拒否する医者との問答シーンもなかなか切ない。
愛し、愛され、楽に見送ることが出来たらどんなにいいことか。
年をとると、脳の機能そのものが低下して、イライラしやすくなったり、性格が変わったようになってしまうこともあるときく。自分も将来どうなるか、分かったものではない。
しかし、本当に我儘でどうしようもない人も存在していて、困っている家族もいるのだと思う。どれだけ家族に説得されても、免許を返納しないという高齢者のように。「銀齢の果て」では子供を盾にして自分が助かろうとするような老人も登場する。
「みんながお義父さんみたいな人ばかりだったら、ここまでご老人が嫌われて、邪魔にされることもなかったのに。」
ひとくくりにレッテルを貼られること、貼ってしまうことの危険さ。
また「弱者は愛される存在でなければならない。」「弱者がマイノリティでなくなると憎しみが強くなる。」…このあたりもこの作品の強烈なメッセージだなあ、と思う。
映像化できる作品ではないかもしれないが…
筒井氏は「実写化したら男性役なら自分は誰でも演じる」と発言しているようだ。
昭和の大物俳優を揃えたら、さぞかし迫力のある問題作が仕上がるに違いない…などと思ってしまう。
自分は邦画にまったく詳しくないが、往年の名優に詳しい人がキャスティングしたらすごいことになるんじゃないだろうか。
そういう自分は、九一郎は石坂浩二がいいかなあと思う。腹黒そうな知性派。助っ人の猿谷は千葉真一はどうだろうか。元女優は浅岡ルリ子。津幡は山崎努はどうかなあ。
津幡は筒井氏ご本人が演じても迫力がありそうだ。昔の名優さんがどんどん旅立たれているので、映像化するなら期限があるように思う。
なかなか強烈な作品だが、このテーマで、きっちり”面白い小説”として完成させているところに、筒井康隆の凄さを感じた。