どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「チャイルド・プレイ」と「GS美神」モガちゃん人形の回の思い出

自分はちょうど小さい頃(7歳〜10歳くらい)にチャッキーをビデオで観た世代なのだが、トラウマもんだった。
大人になって見返すと、「そんなに怖くないやん。」と冷静になり、「チャッキーの顔とか、ホントによく出来てんなあ。」とひたすら感心しながら観れたのだが、もう当時は怖くて、怖くてたまらなかった。夢に出てきて、チャッキーに追いかけられた。

結局1〜3までしか観てないという”チャッキーファン”では全くない上、ストーリー解説とか一切放り投げていますが、リメイク公開に便乗して、「子供の頃、こういう動く人形の話がとにかく怖かったんだよ!!」…という思い出話をしてみたい。

 


チャイルド・プレイ(1作目)


なんと、怖くて最後まで観れなかったんです!!今はホラー結構平気なのに…。
テレビ放送されたのを親が録画したのか、レンタルして借りてきたのか、テレビ画面で日本語吹替で観た記憶がある。
ほぼ1人で観ていたのだが、怖くて途中で、テレビを消してしまった。
チャッキーが、児童相談所みたいなところに預けられたアンディを追いかけに来るあたりまでは観てたから、全体の3分の2くらいは観れてたと思う。

人形に意志があって勝手に動く。その設定だけで怖かった。
あとはとにかくチャッキー人形が不気味だった。

 

大人になって見返してよく出来てるなあと思ったシーンはたくさんある。
・電池入ってないのに動いてたんかーい!!のシーン
・アンディが解離性人格障害ではないかと疑われているような描写

(子供の頃は観てもピンと来なかったけど、親は心配ですよね)
・チャッキーの目線で迫るようなカメラアングル

 

「自分の言ったことが全く大人に信じてもらえない。」というアンディの姿が可哀そうだったけれど、こういう物語のあるあるだなあ、と今は思う。

また冒頭の「殺人犯が儀式で人形に自分の魂をうつした」という描写がしっかりあるにもかかわらず、子供のときは、この設定に特に留意しないまま観てたなあ、と思う。

殺人鬼うんぬんより、人形のインパクトがひたすら強くて怖かった。

 


チャイルド・プレイ2

 

チャッキー怖いとさんざん主張していたが、親がビデオレンタルで借りてきて、家族で観た。

「自分、1最後までみてへんけど、続きみていいのか?」と問うた気がするが、「チャッキーは撃たれて死んで終わったんや。」と堂々のネタバレ説明を受けて、観賞にのぞんだ

冒頭、チャッキーが修理されるオープニングは記憶に残っている。
「なんで直すのよ〜」と思いつつ、綺麗に修理されていく様子に、ちょっと感心してしまった。


なんか脇役の人が、後ろからポリ袋みたいなのを被せられて窒息死!?する場面があったと思うのだが、自分はこのシーンがなぜか怖く、しばらくポリ袋をみただけで、嫌な気持ちになった。
ジョーズでプールが怖くなった…的な?)

しかし最後のオモチャ工場でのバトルは逆にあまり怖さを感じなかった。
チャッキーがドロドロになっても迫ってくるところは、もう怖い人形というより、ターミネーターみたいやなあ、と思って観た。

観る前は怖がっていたが、2を観てよかったと思う。自分の中で、チャッキーへの恐怖度が大幅に下降した。

ファンじゃないくせに…だが、チャッキー、2までは面白かったんじゃないかなあ、と思う。

 

チャイルド・プレイ3

 

親と一緒にレンタルビデオ屋に行き、「チャッキー新しいのあるやん」と借りて一緒に観た。記憶が薄く、多分あんまり面白くなかった。

2で溶けてたけど、どうやって復活したんだっけ?とストーリーが綺麗に抜け落ちている(笑)。
もう「滅びの山」の火口に投げ込むしかないな。

チャッキーって怖くないかも…と思えたのはこのつまらなかった3のおかげだと思う。
アンディがもう大きくなってしまって、軍隊に入っているという設定だったのは覚えている。アンディが子供の頃より強くなっていて、安心感をおぼえたし、それと共にチャッキーが間抜けにみえた。

2と違って、チャッキーの死に様すら覚えていない。

いっそチャッキーがアンディの身体に無事乗り移って、逆にアンディがチャッキーの中に入ってしまって、良いお人形が悪い子供を追いかける入れ替わりものが観たかったな、なーんて、アホな妄想をしてしまう…。

 

 

自分は3を境に、チャッキーシリーズを観るのをやめてしまった。
4作目(チャッキーに嫁ができる話)の宣伝は目にしたが、特に観たいと思わなかった。
怖いから観たくなかった。でも怖いから傑作だった。怖くなくなったら駄作になって興味が失せた。…って自分勝手なヤツだな。

 

でも、やっぱりチャイルド・プレイの1作目が怖かったのは、子供対オモチャの、1対1の構図があったからだよなあ、と思う。

ひとがたの人形には、実は意志があるのでは??という子供ならではの空想。
話しかけたりして一緒に遊んでいるうちに、何か向こうにも気持ちが芽生えてたりして…なんてどこかで思ってたりして…。


こういうチャッキー的な妄想を、映画ではないのだけれど、的確に表現してくれたと思う作品が自分の中でもう1つある。

こちらも小学校低学年のときに出会った作品だが、GS(ゴーストスイーパー)美神という作品の、モガちゃん人形が出てくる回だ。

 


GS美神といえば、サンデーで連載されていた大人気漫画。色んな映画のパロディみたいなのがあって、物凄く面白くて、好きな作品だったのだが、自分が最初に出会ったのは、アニメ版だった。
確か日曜朝8時頃にオンエアしていたと思う。

3話目くらいだったか、「リカちゃん人形みたいなお人形(モガちゃん)が、捨てられた恨みをはらそうと襲いかかる」という回があって、これがなかなか自分には怖かったのだ。

 

モガちゃん人形の回はこんなストーリーだ。
悪霊退治などを請け負っているゴーストスイーパー・美神令子のところに、小さな女の子が依頼にやって来る。

「自分の大好きなお人形モガちゃんが幽霊にさらわれた」と。
拝金主義の美神さんだが、思うところがあって、珍しく利益にならない依頼を受ける。
女の子のモガちゃんを追いかけると、地下に大人数のモガちゃんがいて、その中には美神さんが昔遊んでいたモガちゃんがいて、皆のリーダーになっていた。

「私たちは捨てられた。今度は私たちが人間を操ってやる。」捨てられた人形たちはヒトに恨みを抱いていて、襲いかかってくる。
そんな中、依頼人の女の子の人形だけが、「私は大切にされている。」と人間サイドの味方をしてくれ、美神さんたちは危機を乗り越える。

 

原作では、たった20ページ位の、1話完結回、「呪いの人形帝国」というタイトルだ。

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椎名高志著・小学館出版「GS美神極楽大作戦!!」1巻より

たいていの女の子は着せ替え人形で遊びます。やがて大人になり、人形はどこかに消えてしまう。でも、不思議なことに、捨てた記憶のある人はあまりいません。

冒頭の言葉のセンスがいいなあ、と思う。

アニメでは、たくさんのモガちゃんが一斉にやって来るシーンが、なかなか迫力があって、怖かったのだ。(学校で、自分以外にも「怖い」と言っている子がいて、自分だけがビビリじゃなかったと、なんか安心した。)

 

自分にも、買ってもらったけれど、遊ばなくなってしまったお人形があった。

お気に入りのぬいぐるみがあったが、全く触れなくなってしまった。

そういう思い出がある。

 

そもそもお人形遊び系には、大人を抜きにした世界で、子供だけで孤独を紛らわすような、独特の寂しさみたいなのがあるようにも思う。

1人きりでいるときの、自分の友達…。
物だけど、ちょっと特別な物で、なにか宿っていそうな感覚。

だけど、それは限定的な期間だけの”友達”…。
チャッキーもモガちゃん人形も、「人形」というかたちの、マスコット的な怖さもあるけれど、子供時代の特別な想いみたいなものを汲んでいるからこその怖さがあるように思った。

 


新しい、チャッキーのリメイク作品はAI搭載なのだとネットで情報をみた。
色々アイデア考えるなあ〜と感心してしまう。

子供相手にエクスマキナな対決みせてくれるのか。

予告をみると、vsサイバーダイン社みたいになってないか?と思ってしまったけれど…。
長らく新作チャッキー未見の身だけど、レンタルリリースされたら観てみたいな、と思っている。