どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「ピアノ・レッスン」…三角関係で浮かび上がる女の心

TSUTAYAの名盤復刻コーナーから借り、最近初めて鑑賞。

勝手なイメージで、障害のある女性が主人公の純愛ラブストーリーだと思っていたら、全然違った…!

三角関係の恋愛&”男と女の理解しあえないドラマ”…と、好きな部類の作品だったので、少し感想を書いてみたい。

 

三角関係で浮かび上がる、女の本性

1850年代のスコットランド…主人公のエイダは”話すことができない女性”。

エイダは親に縁談を決められ、未開の地、ニュージーランドにやって来る。

現地では、夫のスチュアートがエイダを迎えたが、彼女の荷物の1つであるピアノは”重いから”と浜辺におきざりにしてしまう。

エイダにとって、ピアノは”言葉の代わり”のような大切なもの。浜辺に出かけては、演奏を続ける。

それを見た男・べインズは、ある日ピアノを買い取り、エイダにピアノのレッスンを乞う。

エイダに魅了されたべインズは、エイダが演奏している間、彼女に触れたいという。

その代わり鍵盤の数だけのレッスンが終わったら、ピアノを返すと…。

しかし、秘密のレッスンはやがて夫・スチュアートに知られてしまう…。

 

この作品を、単純な”不倫ドラマ”と観てしまうにはちょっと勿体ないように思う。

まったく異なるタイプの2人の男性を通して浮かび上がる、女性の本性を覗き見るような作品に思えた。

三角関係の恋愛模様がどんなものか…各人物ごとに振り返ってみたい。

 

べインズ(演:ハーヴェイ・カイテル

現地住民と同化し、どこか粗野な雰囲気のベインズ。

浜辺でピアノを演奏するエイダにビビッときてアタック! 3人の中で、1番純粋な恋愛をしている。

肉体的なつながりだけでなく、精神的なつながりも求めていて「好きになってほしい」と願っている姿が一途に映る。

ベインズも出身は英国なんだろうけど、住民たちと同じタトゥーをしているのが印象的だ。

なんというか「すべてを理解できなくても、相手に合わせることのできる懐の深さ」…包容力みたいなものを感じる。

「君のことで頭がいっぱいだ。」「いつも君のことを想って、食事ものどを通らず、眠れない。」…ストレートすぎるけど、人生で1回位いわれてみたいかも(笑)。

決してイケメンではない、おじさん体形のハーヴェイ・カイテルに逆にエロスを感じます。

 

スチュアート(演:サム・ニール

物語上、1番の被害者。新婚早々嫁に浮気されて、まったく嫁のことが分からんと錯乱…。

一見”いい人”にみえるけど、エイダを嫁にもらってもいいと手紙でよこしてきた返事がコレ…「神も口をきかぬ動物を愛す」…ってまったくエイダを対等の存在としてみていない。

家のかんぬきを外側にかけて、住民が自由に入ってこれるように…と自宅改造したけれど、べインズと違って、現地の人たちともまったく打ち解けられていない。

「相手が自分を好きになってくれる前提」でしかいられないので、なんかモテないという残念な人なのかもしれない。

そして、エイダが負傷して弱って意識朦朧としているときに、コトに及ぼうとする…。

「女性が自分より弱い存在でいてくれると安心」というスチュアートみたいなタイプ、結構多いのではないかと思う。でも悪い人ではない。

 

エイダ(演:ホリー・ハンター

「身体の機能的に発声できない女性」ではなく、「精神的な問題で話すことをやめた女性」という設定がまず面白い。

時代背景を考えても、「抑圧された女性」を象徴したキャラクター…となりそうだが、エイダにはそれ以上のものを感じる。

どこか気難しい、自分の世界を持った女性。実は自由奔放で、頑固な女性。

そういう女性が、必要以上に、他人とつながることを拒否している…。

エイダのような願望をもつ人間は一定数いそうだけど、それをそっくりそのまま実現してしまう意志の強さが凄い。

そんなエイダには不思議な”色気”があって、男性を惹きつけてしまう。

魅了されていたはずのべインズが、倫理観を理由に自分から離れようとした瞬間、手のひらを反すように態度を急変させるエイダ。

承認欲求などとはまた違う、「女として求められる悦び」。

「相手が自分に夢中」ってすごい優越感なんだろうな…それを手放したくない女のエゴ。悪女にもみえるエイダにこちらも魅了されてしまった。

この作品のホリー・ハンターが綺麗で驚く。もっと迫力や色気のある美人女優もいそうだけれど、現実味のある雰囲気のホリー・ハンターが魔性を発揮するところが、絶妙なバランスだと思った。

 

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©Piano 1994年のアカデミー賞、主演女優賞・助演女優賞脚本賞を受賞しています。

 

 

まるで天使!?アナ・パキンの演じる少女

この作品で1番不思議なのは、アナ・パキン演じるエイダの娘・フローラ。

エイダには、以前夫のような存在がいたらしいことも示唆されるけれど、まるで”母親”らしいところは皆無。

むしろフローラの方が、「話さない」エイダのコミュニケーションの代わりとなり、尽くしているようにすらみえる。

村の劇で天使の羽飾りをつけていたけれど、この世にいない、妖精のような存在にみえてくる。エイダの幼心や良心…少女の姿みたいだ。

フローラが、エイダから託された「ベインズへのラブレター」を、堂々と夫スチュアートのところに持っていく場面にハラハラ…。

でも、もし、フローラがしっかりとベインズに届けていたら、そこで物語が終わっていたような気もする。スチュアートを嫉妬・激高させてこそ、ラブが盛り上がった…!

これがもしエイダの潜在意識だったら、恐ろしい。

 

ピアノの象徴するものは何!?

本作の原題は、「Piano Lesson」ではなく、「Piano」。

フローラも、舞台のニュージーランド大自然も、幻想的にみえてくるような、美しい作品だけど、「Piano」が何か象徴的なものなのは明らか。

スチュアートが拒み、ベインズが大切に持ち帰ろうとしたもの…。

エイダの”内面”、エイダの”心”だと思って観ていたけれど、終盤のあの展開をみると、彼女そのものではなく、彼女の1部…”奔放で自由な部分”だけなのかな、と自分は思った。

ラスト、エイダはベインズと結ばれ、また海を越えて新たな町へ出発する。

ベインズとの出会いをきっかけに、社会との繋がりをもった”普通の人”になることを決意したエイダ。

一見幸せエンドですが、彼女の”妥協”でもあったのかな、と思う。

結婚相手に妥協したくないとか、そんな言葉があるけど、誰かと一緒になるって、そもそも妥協しないと成立しないことのような気がする。

エイダが捨て置いたものは、自分の根源的な望みだけれど、新しい人生を歩むには厄介なものと、決意して置き去りにしたのかな、と思った。

 

ラスト、発声の練習をしているというエイダが、おぼつかない足取りで外をさまよい歩こうとすると、ベインズの手が離さない…といわんばかりに彼女を摑まえる。

ベインズしっかり摑まえてないとマジでどっか行っちゃうそう(笑)。

 心の内で、”自由”に思いを馳せ続けるエイダ…案外単純なハッピーエンドにもみえない結末がいいな、と思った。

 

マイケル・ナイマン作曲のテーマ曲「楽しみを希う心」は、有名すぎてなんかきいたことあるなあ…と思っていたけれど、映画を観ると格別に良く思えた。

恋愛ドラマもさることながら、誰でも持ちうる女性の内面を丁寧に描いていることに魅了される1作だった。