ヒッチコックのハリウッド進出第1作目で、ヒッチコック全作品中、アカデミー賞作品賞を唯一受賞している「レベッカ」。
両親のいない天涯孤独の身の「わたし」は、付添人という仕事に就き、貴夫人にこき使われていたが、大富豪の男性、マキシム・ド・ウインターに見染められ、結婚する。
映画は白黒の映像にて大邸宅が映し出されるのが何ともミステリアスで、ジョーン・フォンテインの儚げな美しさもぴったり…と、よく出来ているのですが、あとから原作を読むと本の方が面白いなあと思いました。
原作者のダフネ・デュ・モーリアは、他には「鳥」「赤い影」も映画化されていますが、ダークな作品が多い印象です。
最後まで決して名前が明かされることのない主人公の「わたし」…。
給仕してくれる人にさえ気軽にモノを頼めず、自分の悪口大会を脳内で想像してしまうようなネガティブ思考の女性で、人によっては読んでいてイライラするかもしれません。
でもあらゆるところに気を配る主人公だからこそ、些細なやりとりの裏に何が隠れているのか…と一緒に疑いだし、その緊張がヒリヒリするように伝わってくる…極上のミステリといっていい、語り口が本当に魅力的な小説です。
マンダレイに行ってからは、生活の勝手が全く分からない中、使用人たちから「前の奥さんのときはこうでした」などと言われてばかり…部屋やお庭も全部先妻レベッカの趣味で整えられたとのものだというから、その居心地の悪さ、想像しただけでいたたまれなくなります。
旦那が事前に色々教えてくれてるか、間に立ってくれるかしてくれればいいけど、そんなことは一切ない(笑)。
そしてレベッカは、社交的でもてなし上手だったというから、内向型人間として劣等感を抱く気持ち、すごくよく分かるー!!
親戚の集まりやらパーティー、お宅訪問とぎっしり予定があって、優雅な貴族の生活も大変そう…21歳の若さでこれまでの人生と全く違う生活習慣の人たちの中に入っていくのは物凄いプレッシャーでしょうね。
さらにはレベッカを崇拝していたという家政婦長、ダンヴァース夫人が登場。
「なんでオマエ如きがあの奥様の後釜なんだよ」という悪意ある仕打ちをビシバシ受ける。
落ち込んでても夫は無視、到底愛されてると思えない、結婚は失敗だった…と沈みこむ主人公。
しかしレベッカの乗っていたボートがある日突然発見され、驚愕の事実が明らかに…!
なんと夫・マキシムがレベッカを殺害して海に沈めたのだと告白。
原作では明らかな殺意で撃ち殺したことになっていますが、映画では、たまたまレベッカが倒れて頭を打ってしまった…という事故死みたいな感じに改変されています。
でも前の台詞で「私は怒りで我を忘れた。殴ったんだろう。」とローレンス・オリビエが言っているので、絶対殺してるとしか思えない…。都合よく記憶変えて嘘ついてるんだとしたらこの夫かなり怖いな。
しかし主人公はその非も受け入れて、夫を庇い、以前よりも逞ましい女性へと変わっていきます。
世の中には、自分自身で張り巡らした内気とか遠慮とかいう蜘蛛の巣を払いのけることができず、自分の不明と愚かさとから、真実をかくす大きくゆがんだ壁を自分の前に築き、そのために悩む人や、いまだに悩みつづけている人が、どんなに多いだろうと、わたしは思った。
わたしのしてきたことは、そのとおりだったのだ。
こういう繊細な内面に迫る文章が読んでいて本当に引き込まれる。
マキシムはレベッカを愛していなかった/わたしはレベッカに勝っていた…という事実を知って、自分のネガティブ妄想まちがってたわー、と一気に自信を持つのですが…同時に倫理観も全て捨てて自分を認めてくれた夫に執着してしまうのですね。
夫婦ってこんなもんなのかなあ…原作読むと主人公もなかなか恐ろしい女です。
夫のマキシムは、そもそも主人公との結婚自体、
・屋敷に1人きりでいるとレベッカを殺した罪を思い出すから代わりに新しい妻をおいて空気を変えたかった
・次の結婚相手はレベッカと180度違う大人しい自分の言うことを聞きそうな女を選ぶ
というエゴが透けてみえるようで、身勝手な冷たい男に思えます。
死体発見からレベッカの検死がはじまり、マキシムは無罪で逃げ切れるのか…とハラハラのサスペンスが続きますが、そこで浮かび上がるレベッカ像もまた戦慄もの。
余命わずかでどうせ死ぬなら旦那を激昂させてわざと自分を殺させる…「ゴーン・ガール」のエイミーみたいなやり手だなー、浮気しまくりで性格最悪だったみたいだけど、なんか旦那も残念っぽいので、ちょっとだけそのガッツを尊敬してしまうなー。
ショックなのは病気のことを何も知らされていなかったダンヴァース夫人。
映画だと悪魔の手先みたいでしたが、原作だとレベッカを思い出して泣きじゃくる場面があったりしてもっと人間臭い感じがします。
レベッカもダンヴァース夫人もその性格はさておき何でもこなす優秀な人だったみたいなので、特になんの技量もなくのほほんと生きてる上流層(マキシムのような男性)を「けっ、なんだよ!」と馬鹿にして気が合ったんじゃないでしょうか。
館に火をつけてしまうラストは同じで、ここは「あの2人がレベッカの亡き後幸せに暮らすのが許せない」という嫉妬の感情みたいなのかなあと思っていましたが…
原作を読むとこのダンヴァースさん、本当にレベッカのことが好きだったんだなあ、レベッカが小さいときから面倒をみてたというけど母性は全く感じない。崇拝というよりはむしろラブを想像してしまう。
自分が実はレベッカに打ち解けられてなかったことがショックで、元カレとか好きだった人のもの全部捨てたい感覚で火を放っちゃったのかしらね…なんて煩悩にまみれた見方かもですが、そんな風に思いました。
映画は何となく、レベッカ&ダンヴァース夫人が悪で、その闇を振り払った2人が館を失いつつも結ばれるというロマンス度高めなストーリーとして完結している印象。
対して原作は冒頭から「生き残った2人の現在の夫婦生活を描く」という構成になっており、下巻ラストを読んだ後、必ずまた最初に戻りたくなってしまいます。
生き残った2人は人目を避けて外国のホテルで静かに暮らしてるけど、旦那は覇気がなくもぬけの殻。
主人公は以前より図太くなったけど夫にだけ尽くす人生に明らかに退屈しているという様子。全く幸せにみえないのがまたなんとも…
「昨夜、わたしはまたマンダレイに行った夢をみた。」
穏やかな暮らしを手に入れてもあの邸宅のことを主人公は忘れられない…嫌な思い出の場所なのかと思いきやマンダレイに恋焦がれている…。
もし館が燃えなければ自信をつけた主人公が自分の「巣」として色々改造していたんでしょうがそれも叶わず…館の女主人になれなかったという点ではレベッカと彼女を愛したダンヴァースの勝利なのかも!?と妙な余韻がのこります。
映画は原作に比べると暗さ控えめな印象ですが、でも相当な分量の内容を130分に綺麗にまとめて、上品で飽きさせず面白い。
ヒッチコックはアカデミー賞について「プロデューサーのセルズニックに与えられた賞」と語ったそうで、確かにこれがヒッチコックの代表作、No.1とはならないなあと思うのですが…
ヴァン・ホッパー夫人をシニカルかつコミカルに描いているユーモア、主人公男性の独特の冷たさ、なんとなく主人公男性に性的不能を感じる点…など後年の代表作にも続くヒッチコックらしさは随所にあるのかなあと思いました。
それにしてもジョーン・フォンテインが美しいので、彼女を不美人扱いできるレベッカってどんな女性だったんだよ!!と思ってしまう。
レベッカは黒髪の美女だったらしく、ローレンス・オリビエつながりで、ヴィヴィアン・リーが頭に浮かんできました。
(本文抜粋部分は「レベッカ」新潮文庫 デュ・モーリア/大久保康雄訳より)