1965年出版、フィリップ・K・ディックの代表作の1つと言われている長編。
LSD小説の古典と言われているそうですが、おじさん2人が絶望的な敵と死に物狂いで対決する…「ユービック」とこれはバトル漫画みたいな面白さがあってすごく好きな作品でした。
ディック特有の「現実が音を立てて崩れる恐怖」も極まっていて、改めて読むと「インセプション」はかなりこれに影響受けてそう。
◆ドラッグが必需品となった未来
グローバル化がすすみ国連が管理する未来…地球の環境は刻々と悪化し選抜された人々が別の惑星に送られ不毛の地を耕す任務を負っていました。
何の楽しみもない暗い土地ではドラッグが必需品となり、キャンDという幻覚剤が大流行。
服用するにはバービー人形セットのような模型が必要で、その人形に乗り移って「かつて良かった時代のアメリカ」にトリップする……ある程度組み立てられた架空世界へ逃避するというのが特徴です。
奇抜な設定でありますが、VR、セカンドライフ、スマホに支配された私たちの時代を先読みしたかのような世界観にも思えます。(コロナ自粛中にあつ森が流行ったようなもんかも)
常日頃から映画や漫画の虚構の世界を貪って生きているような人間にはある種の親しみを感じてしまうディストピアです。
キャンDの服用は「幻覚は幻想でしかない」と明確に区別出来るだけまだ良かったのですが、ある日10年間宇宙旅行に出かけていたパーマー・エルドリッチという実業家が新種のドラッグ・チューZを持って帰還します。
それは1回服用しただけで効果が何年も続くという強烈なシロモノで、一旦現実に戻っても繰り返し幻覚が現れ、しまいには何が現実なのか全く区別がつかなくなる地獄のドラッグでした。
トリップで長い時間を過ごしても現実世界で過ごした時間はゼロ。幻覚から醒めたと思ったらまだ幻覚が続いてる…??(この辺りインセプションと似てる)
エルドリッチを捕まえようとして逆にチューZを体内に入れられてしまった競合会社の社長レオは地獄のような幻覚を味わわされます。
◆主人公は利己的なおじさん2人
ディック作品の主人公は善良なヒーロータイプではなく生きることに必死なくたびれたおっさんみたいなのが多かったと思うのですが、この作品も競争世界をあくせく生きる「利己的なビジネスマン」が主人公です。
でもその人間臭さが作品の大きな魅力になっているように思います。
1人は銀河を牛耳る大企業の社長で密かにキャンDの販売網を敷いているレオ・ビュレロ。
そこそこヤバい代物を民衆に売ってるあたり善人からは程遠く、権力欲にまみれた尊大な男ではあるのですが、そんな奴がぐうの音も出ないほど叩きのめされ、「人類がマジでヤバい!!」と自分の持てるすべてをもって全力で対処しようとする姿が胸熱です。
もう1人の主人公はビュレロの部下で「超一流の予知能力者」バーニイ・メイヤスン。
超能力が出てくると急にファンタジックに思えますが、「流行を予測するコンサルタント」と設定付けされているのが妙にリアルなディックの世界。
高い能力を持ちながらも別れた妻のことが忘れられず未練タラタラな豆腐メンタル男で、「過去をやり直したい」ゆえドラッグに溺れゆく姿は弱いながらもその人間らしさに切なくなります。
決して固い友情で結ばれている2人ではなくドライな関係なのに途中レオを助けにいかなかったバーニイがくよくよするところ、あれだけ元妻に固執しながらいざ植民惑星に行くと速攻で新しく好きな女性見つけちゃうところなどそのヘタレっぷりにはニヤニヤさせられてしまいました。
◆ドラッグ→依存→神様
後半は混沌さが増していき話がややこしくなっていきます。
パーマー・エルドリッチの用意したチューZには実は持続性だけではない恐ろしい秘密が隠されていました。
チューZを服用した幻覚の世界ではパーマー・エルドリッチは自由に行動でき服用者を支配することができる…
元いたエルドリッチという人間は銀河を蠢く何かに寄生されてとうに消滅していることが示唆されていて、本体(肉体)を殺しても断続的に続く服用者の幻覚の中で延々と生き続けることができるという恐ろしい敵です。
しかし消費社会が限界を迎えている人間にとっては「幻覚でも無限の時間を過ごせる」(永遠の命を与えてくれる)チューZに魅力があるのも確かであって、そんな人間の前にタイミングよくあらわれた新しい神様がこんな奴だったのだと思うと何とも複雑な思いになります。
レオは植民惑星行きが決定していたバーニイをスパイとして潜り込ませチューZを特殊な毒薬とともに服用させたのち、副作用が起きたと訴え出て人々に普及する前に販売停止に持っていこうとプランを立てます。
…が、結局バーニイは結局毒薬だけは飲まず(訴訟裁判は大した打撃にならないと未来視したからみたいに言ってるけどホンマに大丈夫なんやろな?)、エルドリッチの浸食を受け続け、「レオがエルドリッチを殺す時間軸」にて結局身体を乗っ取られないままでいられたのか不明瞭なまま話が終わります。(読み返してもサッパリわからん)
少量しか摂取しなかったはずのレオの幻覚も強みを帯びているようでもしかしたら最初のときから幻覚がずっと続いているのかも…などと疑い出すとキリがない中、打ち切りの少年漫画のようにいきなり話が終わるというのが豪胆で強烈です。
しかしこれが何ともいえないカッコよさで、冒頭にあったメモ書きの真意がわかり、幻覚に取り囲まれてもなお打倒エルドリッチの強い決意を捨てないおっさんレオの姿には胸がじーんとなります。
この世界は何が本当で何が嘘か分からないような混沌とした場所だけれど目を凝らし考えを巡らせて生き続けなければならない…というディック作品のテーマを集約したような最後が感動的です。
読んでいるこちらもグラグラした気分になるフラッシュバックと登場人物の魅力と大きくエンタメに振り切ってるところと…ディックの宗教観の部分は全く理解できてないのですが、最終的には絶望的な中であがく人間讃歌みたいなのが強く残ってすごく好きな作品でした。
映画でみてみたいようにも思うけど、「インセプション」や「エルム街の悪夢」が似たようなところなのかも。