その夜地球が大流星群の中を通過し、誰もが世紀の景観を見上げた。
ところが翌朝流星を見たものは全員視力を失ってしまう。
混乱の中植物油採取のため栽培されていた植物・トリフィドが人を襲い始めた…!!
1951年に発表されたイギリスのSF作家、ジョン・ウィンダムの代表作。
2008年に「ブラインドネス」という映画が公開された際このトリフィドとよく似ていると話題になっていましたが、人類失明だけでも大パニックなのに怪物まで現れるってどんだけ鬼畜なのよ…とおったまげるようなプロットです。
しかし読んでみると、一瞬で変化した世界の中でどんな価値観を持って生きていくか…真面目に作り込まれたドラマになってて感情移入しやすい。「ブラインドネス」みたいにしんどくはない。
ダニー・ボイル監督の「28日後」はこの作品にインスパイアされて作られたそうですが、ロメロの「ゾンビ」3部作もかなり影響受けてそうです。
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主人公の男性・ウィリアムはたまたま流星観測の前日に目の手術を受けて入院していたため失明の難を逃れた幸運な人物。
起きると病院の部屋に独りぼっち、外に出ると変化の嵐に遭遇…この冒頭はたしかに「28日後」にそっくりです。
アメリカ映画だと銃持ったグループがヒャッハーと早々に略奪の嵐を繰り広げてそうですが、こちらはもっとジトッとしていて、「どうせすぐ混乱収まるだろうに物取ったりして後から怒られないかな」と不安に思う大人しめの主人公。
そして大半の人が「待ってればアメリカが助けに来てくれる」と何も行動を起こさない辺りなんとも言えないリアルさです。
生物学者である主人公は常日頃父親から「そんな職業は役に立たない」と馬鹿にされていましたが、世界で唯一のトリフィド専門家で昔刺されたおかげでトリフィド攻撃の免疫も持っている…と若干のチート設定。
そんな彼が美人女性と恋に落ちて新世界をサバイバル…という展開は最近の異世界転生モノに通じるものがあるかも(笑)。
「ゾンビ」のショッピングモール占拠しかりルールがなくなった世界を闊歩する開放感、終末モノの醍醐味も存分に味わわせてくれます。
一見意思がなさそうな歩行植物・トリフィドは実はコミュニケーションが可能で完全に統一された行動をとっている…本作は51年の小説ですが以降の時代の作品に多く見られる「vs共産主義の脅威」を表したような分かりやすい敵でもあります。
トリフィドから採れる油が貴重なので大量栽培していた…と目先の利に目を奪われた人類が足元を掬われるというところも実にSFらしいプロット。
主人公はやがて他の生き残りメンバーと合流し、4つの主張を唱えるグループのどれに所属するか選択を迫られていきますが…
この思索の旅みたいなところが非常に面白かったです。
1つ目のグループは合理主義路線。
救える人々には限りがあるとし、また子孫を残すことを重大な目的として一夫多妻制を敷く…
女性=子供を産む役割、生まれてくる子供も労働力だと割り切る辺りかなりディストピア感漂ってますが、そうでもしないと人間自体が絶滅しそうな現実もある…
「うちはこういうルールで行こうと思うから付いてきたい人は来てね」と事前に個人の同意を得ているところは良心的です。
主人公は「そんなに割り切れるもんじゃない」とこのグループに反抗心を抱きますが、「女性が安心して自分の子供を育てられる環境があるならそれでもいい」「貴方が盲目の女性をめとればそれだけ余分に人を助けられる」とこの提案に賛同するヒロイン。
予想の斜め上行くタフなヒロインが衝撃的でした。
2つ目のグループは理想主義路線。
「全人類を助けるべき」と視力のある主人公たちに膨大な量の労働をあてて人命最優先の活動を行う…しかし組織は間もなく崩壊。
けれどグループのリーダー・コッカーという男は「ごめん、無理やったわ」と正直に謝る。
その上で「何もやらないで最初から割り切った連中よりやってからこの結論に至った俺たちの方が人間らしくね!?」と開き直る…と彼も曲者ながら大変魅力あるキャラになってました。
3つ目のグループはこういう終末モノあるあるな宗教一直線の人たち。
人間大変な状況になったら信仰も救いになるのかも…というドラマは皆無で流れに身をまかせる何もしない人たちとして辛辣に描かれていました。
喧嘩別れしたのに「別にアイツらのためじゃないんだからね…!!」と言いながらこのグループを再興しに行くコッカーさん、マジツンデレ。
そして最後に登場するグループが1番リアルに思われる、力を掌握して封建的社会を作ろうとする人たちでした。
「28日後」に登場した軍人たちと重なる暴力で強制してくる胸糞連中。分かりやすい〝無能な悪役〟になっていますが…
〝やがてトリフィドの脅威が落ち着けば必ず人間同士の争いが復活する。こちらから仕掛けないと待っていてはやがて侵略者がやってくる…〟
…という考えがあるようで、まさにどうなっても戦争やめられない人類。けど本当に侵略者がきて数十年先、100年先のスパンでは彼らにも理があったと評価されてしまうのだろうか…ここは暗い後味が残りました。
この作品で強調されているのは、社会のルールや人の価値観は絶対的なものではなく、状況によって変わりうる相対的なものである…ということだと思います。
一夜にしてこれまでの常識の全てがひっくり返ったら…その恐ろしさをまざまざ感じさせつつ、自分の大切な人を守り、許容できるラインを探していく主人公が落ち着いていて魅力的でした。
だれもが生きるためだけに重労働しなきゃいけなくて、考えるための余暇のないところでは、知識は停滞して人々もそうなる。
考える仕事は、もっぱら生産には直接たずさわらない人々が担う必要があるーーその人々は、ほぼ全面的に他人の働きに頼って生きているように見えるが、じっさいは、長期の投資なんだ。
教師や医者やリーダーを持たなくちゃいけないし、その連中に助けてもらう代わりに、そいつらの生活を支えられるようにならなきゃいけない。
自給自足生活に追いやられていく主人公たちの姿は描き方こそ全く逆ですが「ゾンビ」のモール生活にあったような消費社会への警鐘も感じられました。
今の世界で当たり前に享受しているものは当たり前でない、崩れ得る可能性を持っているものだ…「生きること本来の厳しさ」をビシバシ感じさせるところが如何にも優秀な終末モノ。
ラスト絶望的な状況でも主人公たちが強く目標を持って生きていこうとする姿には希望が残り「ゾンビ」のヘリ脱出エンドと読後感が重なりました。
崩壊世界での価値観の対立ドラマは「死霊のえじき」なんかもそうだけど、「ウォーキング・デッド」など今日のゾンビものにまで引き継がれる典型。
マシスンやキングの先も行っているような世界観でもっと早くに読んでれば衝撃の作品だったと思われます。
重さもありつつヒロインとのロマンス、毒舌コッカーの前ではそれを上回りキレッキレになる主人公との掛け合い(笑)…など楽しんで読めるところも多く、バランスが良くてとても好きな1冊でした。