70年制作、ウィリアム・フリードキン監督の初期の傑作と名高いようなので鑑賞してみました。
原作が有名な舞台らしく「12人の怒れる男」のような密室劇テイストで緊迫感たっぷり。
ゲイ映画というと好みが分かれそうですが、自己肯定感が低い人の苦悩のドラマにもなっていて思った以上に親しみやすい作品でした。
友人・ハロルドの誕生日を祝うため集まったゲイ8人。
そこに主催者・マイケルの大学生時代の友人・アランが突然アパートを訪ねてきます。
ストレートの男の思いがけぬ参加により次第に空気は張り詰めて参加者の化けの皮が剥がれていきますが…
職業も性格もバラバラなゲイ達、「幼い頃からゲイだと自覚があった」という人もいれば「結婚して子供もいるけどゲイだと気付いたのは最近」という人もいて各人各様。
後半では「本当に愛する人に電話をかけよう」ゲームが催されますが、過去に恋したノンケの男に未練タラタラだったり、浮気性な恋人をそれでも愛さずにいられなかったり…ドロドロの姿が露呈されていきます。
けれど最も痛々しいのは主人公マイケルの醜態。
旧友にゲイだとバレたくない、ゲイっぽいゲイだと思われたくない…そんな一心で仲間を汚いものを隠すように邪険にして必死で取り繕おうとします。
カトリック教徒でもあるマイケルは他メンバーより一層保守的な家庭に生まれ育ったのか、自分で自分を差別する気持ちが強い様子。
「自分がゲイだと気付いたのは大学卒業してから」と語るも「学生のときからゲイバーに来てたじゃん」と友人から指摘される、いいアパートに住んでいい洋服を着てるけど実は借金まみれ…と嘘だらけの主人公。
でも自分を認められない気持ちってゲイに限らず自己肯定感の低い人間あるある。
生まれつき変わらない性格・性質って誰しもあると思うんですが、それがどうにも受け入れられない、「本当はこうあるべき」という理想が捨てきれずそれに合致しない自分を責め続けてしまう…ゲイに限らずこういう葛藤ってあるよなーと共感できる主人公にも描かれており、ゲイの孤独を「マイノリティの特別なもの」にしていないドラマが秀逸です。
自分に自信がないため他人(仲間)を引きずり下ろすのに必死、「どうせお前も本音で生きてないだろ」とあんなゲームを始めてしまい結果大爆死してしまうことに…
クライマックス、マイケルは訪ねてきた友人アランに「お前も実はゲイだろ。大学の頃好きだった同級生に電話しろよ。」と焚き付けますが、アランが電話した先は妻でした。
でもアランが結局何を相談したくて突然やって来たのか理由は明かされないまま。
浮気しちゃって家庭の危機になってパニックになっちゃったのかなー、でもハンクに対する興味津々の視線とか意味深にみえてやっぱりゲイなのかなー…真相不明の「どちらともとれる」エンドでした。
ストロングなアメリカ男の風貌のアラン、泣きながら友人に電話した自分の行為を後から激しく悔いるなど弱さを見せられない人間で、ゲイにせよストレートにせよ、彼もまた苦悩を抱えているのかもしれません。
ほぼ密室劇と言っていい作品で主人公たちが社会から差別を受けている凄惨な描写があるわけではないのですが、ほんの一瞬登場するタクシーの運転手と配達員が彼らに向ける視線は射抜くような冷ややかなもの。オネエのゲイ・エモリーに対するアランの嫌悪感まるだしの態度も残酷です。
周りに適応するため場面場面で自分を偽ったり演じたりすることも大なり小なり多くの人がやってることだと思います。
けれど根幹の部分で自分を偽らないと差別されてしまう、幼い頃から家族の前でも自分を取り繕わなければならなかった…そんな険しい道を歩んできただろう主人公がメンタル崩壊しているのに説得力を感じてしまいました。
ラスト、こんだけやらかしちゃったらもう絶交で友達ゼロになるやろ…と思いきや恋人のドナルドがマイケルに寄り添います。
また辛辣なハロルドも退場前に「来年も集まりましょう」「また明日電話するわね」などと声をかけていました。
ゲイ8人の中でも異様な貫禄を放つハロルド、皮肉も自虐も凄まじく強烈な人物です。
マイケルにも1番キツい本音を突きつけますが、もしかするとユダヤ系の彼が1番マイケルの苦しみがよく分かっていて、「似たもの同士」だからこそああやって本音が吐けるのかもしれません。
マイケルがハロルドに送ったプレゼントは何だったのか、そこもハッキリ判明しないままでしたが何か特別なものだったようで2人には不思議な絆があるようにも見えました。
変われないまま苦悩し続ける主人公の姿は絶望的でありつつ、一方で同じ苦悩を抱える人間同士、同じ属性の人の共同体が持つ繋がりの強さみたいなのも感じました。
会話のテンポが半端なくジョーク1つにも元ネタや背景がありそうで着いていくのに必死…!誕生日に真夜中のカーボーイ(男娼)をプレゼントするってどーなんと思いましたが(笑)。
「本当のゲイの集まりを覗き見しているような感覚」の2時間でしたが、フリードキンの監督色というより元の舞台の力が大きいのかなと思いました。
所々に流れる洋楽も印象的で、オープニングに流れるのは「インディジョーンズ魔宮の伝説」でも使われていたコール・ポーターのAnything Goes。
「時代は変わった、何でもありだ」と朗らかに歌っているのが何とも皮肉で容赦ない…!!
評価が高いのも納得の1作でした。