平和な田舎町で発見された女性の全裸死体。
ベックは被害者宅の近くに「ロセアンナ」殺しの犯人、ベングドソンが住んでいることを知る。
前科者が犯人に違いないと上層部から強引な逮捕を迫られるベックだったが…
今年から月イチで読み続けてきた、スウェーデン至高の警察小説、刑事マルティン・ベックシリーズ。
ここへきて第1作目に出てきた犯人が再登場するという波乱の展開に、そう来るか…!!と唸らされました。
いつになく平和な田舎町が舞台で、殺人事件が起きてもどこか牧歌的な雰囲気。
ベックの案内役となる地元の警察官オーライさんが朴訥な人柄で大変魅力的なキャラクター。
女性絡みには疎いところがあるけど、それを指摘されても怒らず、穏やか。
付き合う相手は犬と決めた(笑)…お座りを全然せずにサンドイッチを奪う迷警察犬の姿にベックが爆笑するという珍しい姿も。
ベックと共にやって来たコルベリも町を気に入りますが、「いいと思っても都会暮らしに慣れてるとすぐに物足りなくなるし職がない」と吐露するのはリアルで正直に思われました。
そして…1作目「ロセアンナ」でアメリカ人女性を殺害したベングドソンが再び登場。
刑期を務めたあとこの町に越して来ており、被害者女性と面識があったことが明らかになります。
前科者がまたやってしまったのでは…疑いの目が向けられるも、あくまで公平に捜査しようとするベックと、容疑者の日常生活を守ろうとする心優しいオーライ。
それに対し、無理やり逮捕するように迫るベックの上司や、自宅を勝手に掘り出すマスコミの姿は極めて醜悪に映ります。
でもこのベングドソン、1作目のときはめっちゃ怖かった…
得体の知れないサイコパス味があって、特定の女性に異様な憎しみを向けてしまう人なのは確か。
前回の殺人に関しては刑期を務め終えていて、この人なりに社会復帰しようとしているのも事実なのですが…
危うさを抱えたある意味での社会的弱者。
こういう人を偏見なく公正に受け止めることができるか…口先だけの多様性ではない、とても重くて厳しいところに迫っていて、このシリーズ毎回なんともいえない強い反骨精神をみせてきます。
メディアや上からの圧で、現場の警察官が誰でもいいから早く逮捕すべきと焦燥に駆られるのが、とても怖い話だと思いました。
ベックは亡くなった被害者の交友関係を調査しはじめますが、離婚して独り身だった38歳の女性。
部屋をみても趣味を楽しんでいる様子もなく極めて退屈な暮らしぶりで、誰かいい人がいたのでは…と推測するベック。(こういう嗅覚が地味にすごい)
そんな中警官3人が死傷する事件が首都で起こり、相棒のコルベリがストックホルムに呼び戻されてしまいます。
不良青年たちに警官の1人が銃を向けて寄って行き、過度な暴力を振るったため、警戒した1人が発砲、銃撃戦へ。
殉職した警官は銃で撃たれたわけではなく、逃げようとしてたまたま蜂の巣に突っ込んで死んだ…というミラクルな死に様だったのですが、真相は伏せられて、署内は異様な復讐と恐怖の熱気に絡みとられていきます。
逃亡した不良青年の1人が指名手配されますが、そもそもこの青年は武器も持っておらず後方で見ていただけの人物。
さして恐ろしくもない相手をヘリだの特殊部隊だのを出動させて追いかける間抜け上司が、またもや滑稽に描かれていきます。
警官と市民、双方が武装してそれがどんどんエスカレートしていくやり切れなさみたいなものは前作から度々描写されていますが、本作はその真骨頂。
本シリーズを読むとスウェーデンがかなりの銃社会であることに驚かされます。
コルベリ・ラーソン・ルンの活躍で、大事になる前に青年を捕えて騒動を治めることに成功。
青年の盗んだ車が先の殺人事件の目撃情報にあった車種と一致していることに気付いたコルベリは車を鑑識にまわします。
すると殺害現場にあったものと同じ品物が検出され、車の所有主であった工場経営の男が犯人として逮捕されることに…
終盤に話が急展開するのは毎回このシリーズお馴染み!?
2つの事件がやや強引ながらも繋がって終幕となります。
妻子持ちだった真犯人の男。田舎町の女性とアパートを間借りしてこっそり不貞を楽しんでいましたが、裕福な実家を持つ妻に逆らえないので離婚はしたくない…しかし愛人には結婚を迫られて面倒くさくなって殺害。
よくありそうな殺害動機ですが近所にロセアンナ殺しの犯人がいたことを知って、セックス殺人と見せかけることでベングドソンに罪を被せようと画策。
弱者に罪を被せようとするところはクリスティの「ABC殺人事件」が思い出されて、かなり悪質な犯人だと思いました。
被害者だった女性もなかなか小狡い人間で、見栄っ張りの俗物。
同じく冷淡な妻を持った身だからなのか、船乗りの元亭主に好意を寄せるベックの気持ちが何となく察せられました。
そして…冒頭からフラグがビンビンに立っていましたが、コルベリがついに辞職。
凶暴化する組織に納得できず、このままでは心身を病んでしまうと警察をやめることに…
後書きを読むと、警官が殉職ではなく辞職で去るのがこの時代の刑事物としては異例で斬新だったそうで…
真面目でまともな人間からやめていくのブラック会社あるある。内省的な人が組織の矛盾に耐えられなくなる姿が何とも切ないです。
実際には誰も殺されていなかったというのに「警官殺し」を追う警察たち…今回も皮肉極まったタイトル。
メインキャラが誰か死ぬのかと思いきや、描かれているのは警察官の精神的な死で、実に渋い内容でありました。
過去エピソードとのリンクも多い回で、「ロセアンナ」のベングドソンだけでなく、2作目「煙に消えた男」の犯人だったグンナルソンも登場。
このエピソード、自分は大好きで、物凄い腹立つ男に身内を馬鹿にされてカッとなって殴ったら殺してた…という、ウィル・スミス平手打ち事件のような本当に何でもない事件。誰にでも起こり得そうで怖い話だと思いました。
かつての犯人が新たな人生を歩もうとしている姿と、失ったものは決して戻らない厳しい現実と…両方を描いていて胸に迫りました。
途中の逃亡青年のパートがやたら長く、銃撃事件パートはもう少しタイトにまとめていてくれてもよかったかも…
冗長に思われる部分もありつつ、都会と田舎町の2大ロケーションを行ったり来たりしながら、揺れ動く主人公たちの心情が伝わってくる、味わい深いエピソード。
ベックとコルベリが過去に逮捕した人たちに対して「借りのようなものを感じてしまう」と語っているのが印象的で、前科者であっても遺恨なく個人として向き合おうとする誠実さに驚かされました。
過去回に登場した人たちがたくさん出てきて、メインキャラクターの1人が満を辞して退場。
まるで最終回のようなエピソードでしたが、相棒を失ったベックがどうなるのか…第10巻の幕引きが気になりました。