どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「イアラ」…追悼楳図かずお先生/時空を超える男女の愛を描く哲学的傑作

5日のニュースで知りましたが、楳図かずお先生がお亡くなりになられたとのこと。

88歳とご高齢でしたが、一昨年には大美術展で新作もみせてくださっていて、まだまだお元気だとばかり思っていたので寂しいです。

 

高校生の頃ドラマがやっていた影響で読んだ「漂流教室」の衝撃…子供にも情け容赦ない残酷な世界に驚愕、飢えや病で狂う集団の姿に戦慄。真に迫る未来への危機感、時間を超える母子愛が壮大で圧倒されました。

1番好きだったのは「洗礼」で、どんでん返しに唖然、母と娘の複雑な心理に迫るスリラー。底知れぬ恐怖とともに深く切ない愛を感じて打ちのめされました。

美しく緻密な絵もさることながら、セカイ系の走りのような「わたしは真悟」、スタンドバトルを彷彿させる「神の左手悪魔の右手」の影亡者など、遥か先を行っていた想像力の凄さ。

作品に触れるたび、本当に偉大な作家さんだったのだと驚嘆させられます。

未読の作品もたくさんあるのですが、大分前に読んだきりだけれどこれまた凄い作品だったと記憶に残っている、「イアラ」を久々に読んでみました。

奈良時代から未来世界まで…日本史の世界を辿りながら、全7エピソードで構成された物語。

奈良時代…土麻呂は奴婢の娘・小菜女(サナメ)と恋に落ちますが、大仏建立の役に出されてしまいます。

土麻呂の後を追う小菜女でしたが、大仏建立師に心の美しさを讃えられ、大仏の魂となるよう、人柱として捧げられてしまいます。

熱銅を注がれる直前、土麻呂に向かって「イアラー!!」と謎の言葉を叫ぶ小菜女。

一体その言葉の意味は何なのか…土麻呂は不老不死の存在となって、長い時間を彷徨います。

各エピソードに土麻呂が狂言回し的役割で登場するものの、ドラマの主人公となるのは毎回女性。

各時代に小菜女に似た女性が現れては、土麻呂と出会いますが、「何かが違う」と土麻呂は女性たちを拒絶、すれ違っていきます。

 

2番目のエピソード〝しるし〟に登場するのは高麗人の女性。

体が不自由になった夫に尽くし蒙古襲来の危機を村の人たちに知らせたのに邪険にされてしまうのが悲しい…

極度の善良さに触れて逆にそれを疑ってしまう夫と、壊れた信頼関係をみてとって海に飛び込み故郷に帰ろうとする妻と…男女の心のすれ違いに何とも切ない余韻が残ります。

 

3番目のエピソード〝わび〟では、不器量な女性・ゆきが主人公に。

殿様と結婚して幸せを掴んだかと思いきや、全ては賭け事の対象として仕組まれたことだった…

過酷な運命に翻弄されつつも慎ましく一途に生きるゆきの姿が美しく胸を打ちます。

途中には千利休が登場、歴史の逸話が混ざりつつ、利休の精神と女性の生き様が重なっていく短編ながらもスケール感のあるストーリー。

見た目は違えど、第1話の小菜女の姿と大きく重なるゆきの姿。

実は小菜女は何度も生まれ変わって土麻呂と巡り合っていたのでは…それを土麻呂が自分の理想を神格化して拒絶しているだけなのでは…何とも壮大な男女のラブストーリーをみせられているような心地になっていきます。

 

続くエピソード〝かげろう〟では、小菜女の痕跡を感じた土麻呂が、旅の先を行く謎の女性を必死で追跡。

松尾芭蕉が偶然その旅路に加わることになります。

しかし追いかけた女性は自ら命を断ってしまい、本当に小菜女であったのか分からないままになってしまいます。

「女性は生い先短い遊女だった…誰かの探し人でいられること、誰かに夢を見てもらえることに生きがいを感じ、小菜女になりきろうと決心した偽者だったのだ…」と芭蕉が語りますが、それが真実なのか、土麻呂を絶望させないための作り話だったのか…霧に包まれたような余韻が残ります。

人は自分の中でつくった虚像を勝手に他人に見出して自分だけの世界を生きているだけなのかも…事実かはさておき夢物語が人の心の救いになればそれはそれで真実なのかも…そんな思いが巡って、こちらもしんみりと心に残るエピソード。

 

さらに続く後半のエピソードでは、楳図作品で度々見られる永遠のテーマ、老いに怯える女性の心理、環境破壊への警鐘などが描かれつつ、最終話では「地球最後の男」「猿の惑星」を彷彿させるSF世界が展開。

太陽が消滅する死の瞬間、人類滅亡を前にして、土麻呂はようやく呪縛から解放されます。

「再び会いましょう!!いつかどこかで!!…そういう意味だったのだ。」

ラストに明かされるイアラの意味。

もしかするとそれは男の手前勝手な解釈に過ぎないのかもしれませんが、なぜだか解放感に溢れるラスト。

全てが終わる瞬間にも、愛した女性と再び巡り合うことを願う姿がロマンチック。

土麻呂がイアラという言葉をいつまでも忘れられなかったのは、愛する女性と結ばれることが叶わなかった人生を無念に思う気持ち、目の前で死を見届けることしか出来なかった罪悪感ゆえだったのかもしれません。

ままならない人生の不幸に対する嘆き、逃れられない死への恐怖を感じさせつつ、最後に「また…」と願う姿に、強い生への肯定と深い愛を感じて、不思議なカタルシスのある結末でした。

 

死とは何なのか、死の瞬間は一体どんなものなのか…楳図先生の描く、常人が想像する死後の世界を遥か超えた世界観には、ただただ圧倒されるばかり。そして同時に童心に返るような心地にさせられます。

「ガキ使」の番組で落とし穴に落ちたり、100のことの質問企画での意外な回答に驚かされたり…バラエティ番組などでの朗らかな姿と描いている作品とが物凄いギャップでびっくりでしたが、本当に凄い人だった楳図かずお先生。

とてつもない恐怖と感動を有難うございました。