どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

30周年記念!!「セブン」4K版 IMAX上映に行ってきました

全米公開記念30周年を祝し4K修復でリバイバル

館数も上映回も限られていましたが、デヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」を週末IMAXで鑑賞してきました。

(※以下ネタバレで語っています)

この映画、自分はみる前に堂々とネタバレを喰らってしまった作品。

小学生の頃、家に帰ったら母親が映画を観てきたと話していて、「何の映画?」と訊いたらそれがこの「セブン」で…

映画雑誌の「スクリーン」で紹介されていたのをみて興味津々だったので、自分も観に行きたかったと激しく落胆。

「面白かったん?」「どんな映画やったん?」ときいたら「嫌いな映画だった」と(笑)。

「途中で犯人が自分から捕まりにくんねん。でもそれも全部犯人の作戦やってん。
殺された奥さんの首がブラピのところに届くんやけど、プラピが我慢できずに犯人を撃ってしまうんや。犯人がわざと自分を処刑するように仕向けてブラピは結局捕まって、それで犯人の計画が完成すんねん。」…尋ねた自分が悪かったけど、盛大にネタバレを喰らって撃沈。

さらに「あんたにはこんな映画見せられんわ、絶対に見ちゃダメ!!」と言われてしまい終了(笑)。

オーメン」も「戦慄の絆」もご飯時にみてたのになんで「セブン」はあかんねん!!と不満に思ったものの、大人になった今この〝あかん認定〟には納得。

しかしダメと言われると人間は余計に知りたくなってしまうもの…

ささやかな反抗心で!?二見文庫から出ているノベライズ版を図書館で発見、自分にとってはこの小説版が「セブン」の初鑑賞でありました。

内容は映画とほとんど差異がなく、雑誌に載ってた場面写真のイメージが流れてくるようでサクッと読みやすかった印象。

七つの大罪〟が記載されている本の折り返し部分を見ただけでワクワクした思い出があります(笑)。

今でこそ漫画やゲームで数多く取り上げられている題材ですが、当時は新鮮で「自分だったらどの罪で裁かれて殺されるかなあ」と考えていました。(昔は〝怠惰〟と思っていたけど、今だと犯人と同じ〝嫉妬”か”憤怒”かなあ…1つじゃ足りなくて八つ裂きにされそう)

でもそれぞれの罪は人間らしさの裏返しでもあるよなあと思ったりもして、キリスト教の知識がない自分にも心惹きつけられるものがあるテーマでした。

 

小説版は主にサマセット刑事視点で描かれていて、この本から読むと〝サマセット黒幕犯人説〟はとんでもない(笑)。

気難しいところもあるけれど、ミルズやトレイシーに向ける視線には温かみが感じられて人間味あるベテラン刑事。45歳でバツ2と映画のイメージよりやや若い。

犯人に共感し、無関心に怒りの声を上げた犯行を内心讃える気持ちも持っているところは実にスリリングですが、こうした厭世観サイコパスに理解を寄せる趣は90年代らしい独特の暗さ…今振り返るとこの年代の空気感をしみじみ感じます。

先にネタバレで知ってしまった「犯人の犯罪が完成する」のくだりには暗い気持ちが残って、丁度その頃ハマって読んでいたアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」とイメージが重なりました。

どういう経緯でこういう考えに至ったのか、同情すべき過去のある悪人なのか…「セブン」では犯人の出自が全く明かされないのが殊更不気味。

でもそこも含めて「ジョン・ドウは何者でもない誰か」(世を憂い他人を見下して裁いてみてしまう私たち全員)ということなんだろうなーと完成度の高さを感じました。

 

また些細な部分ですが、お話の中で何気に印象深かったのが〝図書館の貸出記録をFBIが把握してる〟というところ。変な本とかビデオを借りてたら何か事件があった時に疑われるかも…と下らないことを考えた記憶があります(笑)。

90年代は日本でも異様な殺人事件がメディアで大きく取り上げられ、ホラーやビデオが槍玉にあがることがあったからかもしれません。

映画はその後テレビ放映もしていたと思いますが、小説版ですっかりみた気になったのとみれなかった思いを拗らせてしまって!?度々スルー。

「ゾディアック」が公開されたときだったか不意に思い出してDVDかビデオで借りてみました。

そのときはケヴィン・スペイシーの犯人の不気味さにびっくり。

閉塞感まみれの都会の空気、クライマックスの鉄塔の景色など映像面だけでも凄い作品だなあ…と感心したものの、でもやっぱりネタバレなしでみれたら良かったかなーという思いが残りました。

 

そんなこんなで今回は30年越しのリベンジ!?劇場では初鑑賞。

改めてみての新鮮さは正直そこまでなかったものの、オープニングとエンディングがハイセンス。これだけでも映画館でみた甲斐がありました。

そして初っ端のデブの死体のインパクトが大。

雑誌「スクリーン」にあった場面写真を真似して、部屋を真っ暗にして懐中電灯を照らしながら友達を「セブンごっこ」に巻き込んだ黒歴史が蘇りました(笑)。

知性的なベテラン刑事と血気盛んな若者刑事の組み合わせも今見るとあるあるですが、モーガン・フリーマンとプラピがやっぱりハマり役。

妻役のグウィネス・パルトローも出番が少ないのに大きな存在感。

たった1週間の出来事でスピード感あるストーリーの中、奥さんとの食事会エピソードを間に挟むことで2人の距離がしっかり縮まった感じがするの、凄いなあ上手いなあと感心でした。

 

そしてやっぱり犯人はすごい嫌な奴…!!

奥さんは七つの大罪に関係ないやん…と思うけど、〝嫉妬した自分の罪も含めて裁かれる〟と言われると理屈は通っていてぐうの音もでない…

絶対に自分が正しいと信じている曇りなき眼の不気味さ、言い返されるとムッとする表情の幼さなど、こういう人リアルにいそうという怖さでケヴィン・スペイシーが改めて見ても迫真の名演技。

大食の人は持病があってあんな体型だったのかもしれないし、色欲の人は選択肢がなくて売春して病気になっちゃったのかもしれないし…もうちょっと情とかないの!?と思ったけど、コイツの中では存在するだけで汚らわしい罪ってことなんですかね…

想いがしたためられた「デスノート」のジェバンニが一晩でやってくれましたみたいなノートは、大画面でみると文字びっしり具合が半端なく不気味さが際立っていました。

そして映らない箱の中身の恐ろしさ…サマセットがあの場でもうちょっと上手く立ち回れてたらなあ…と思わなくもないけど、彼自身あんな状況になって動揺しまくったんじゃないでしょうか…

犯人の大勝利にやはり苦々しい気持ちが残りました。

世の中を覆う厭世観や人を裁きたいという気持ち…今のネット時代にもあるあるすぎて陰鬱。

「幸せになる確信がないのに子供を産んでいいのか」というトレイシーとサマセットの問いも重苦しいことこの上ないです。

 

ノベライズ版も久々に読み返してみましたが、小説ではミルズのバックグラウンドがより深掘りされていて細やかな違いがありました。

学生時代からの友人とバディを組んでいたミルズは、ある日犯人を取り押さえようと現場に出向きますが、相手を撃つことを躊躇ったために仲間が銃弾を浴びてアパートから転落。相棒は一生半身不随の身に…

映画では「ヤク中が銃を乱射して同僚の警官が撃たれて死んでしまった」というエピソードになっていましたが、こうしたトラウマのためなのか改めてみると意外とミルズは慎重??

犯人の自宅を突き止めた際に姿を現したジョン・ドウが急に発砲してきて追いかけっこになるシーン…ミルズは無闇に撃ち返していなくて、激昂型のようでいて意外と小心なように思いました。

でもこういうところにミルズの人間らしさを感じて、ミルズいい奴だなーと今回改めて映画をみて思ったのですが、そんな彼がクライマックスに下す決断…

ここのプラピの表情は大画面でみれて大迫力でした。

 

ミルズが自ら志願して都会に出てきた動機…世の中を変えるヒーローになりたい、世のために何かを成したという充足感が欲しいという想いは、ある種犯人とも重なる人の望み。

それが独りよがりの正義になってしまうのは恐ろしいなあ…皆ギリギリ紙一重なものなのかも…なんとも言えない虚無感が後に残りました。

 

スタイリッシュで凄い完成度だけど、好きな映画かって聞かれると違うかも…(←結局オカンと同じ感想)

でも30年越しに映画館でみることが出来てとてもよかったです。

2週目の上映回でしたが、劇場はかなり混んでいて若い人がたくさん。

先日自分が「パピヨン」をみて〝70年代の映画は凄い!!〟となったように、今の世代には〝90年代の洋画凄い!!〟ってなるのかなあ…

時の流れを実感しつつ、劇場を後にして来ました。