日米同時公開、今年の洋画の大作の1つ「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を週末観に行ってきました。

入場特典は終了、パンフは売り切れ、大きなスクリーンの箱が大方埋まっていて大盛況。
最近洋画に元気がないと思っていたので劇場が賑わっていて嬉しかったです。
原作は3年前に読んで最近パラパラと読み返し。
「ロッキーー!!」テレビでCMが掛かっているのを偶然みてロッキーがめちゃくちゃバッチリ映ってるのにびっくり(笑)。
でも映画の宣伝上多少のネタバレが発生してしまうのは致し方ないこと。
156分と結構な上映時間ですが、原作の分量を考えるとそれでも足りなさそう…
原作のあれがないこれがないと言って文句ばっかりいいそうだなーと思ってましたが、案の定そんな感じの感想に(笑)。
科学的説明が割愛されるのは仕方ないけど、いまいちエモーショナルに欠けるというかノリきれなかったのが残念。
何というか原作と比べてサバイバル感が足りず全体的に生ぬるかった!!
「火星の人」もヘイルメアリー原作も飄々と明るいようでいて〝何かひとつ間違えたら死!!〟という恐怖感、緊迫感をすごい感じてそこが自分の好きなポイントだったのだと思いますが、今作は優しいエンタメ映画に寄せられていて物足りなく感じてしまいました。
ライアン・ゴズリングのグレースが原作と違うキャラ像になっていて、別の味わいがある人物になっていたところは面白くてよかった。
動き回るロッキーが可愛かったり色々楽しいポイントはあったのですが、ここは原作そのままにして欲しかった!!というところが多々あって悔しく思ってしまう気持ちの方が大きかったです。
(※以下ネタバレありで語っています)
原作では記憶喪失の主人公が少しずつ記憶を取り戻しつつ、視点が現在過去を行き来きしていく構成がミステリ仕立て。
小説だとスムーズに読めたのが、映画になるとあっちこっち話が飛ぶのに散漫な印象を受けてしまいました。
子供たちの授業を交えながらテンポよく分かりやすく話が進んでいく序盤は感心だったのですが、ロッキーが登場してからはエモーショナルな場面が断ち切られて時間軸移動がかったるく感じられてしまったのが残念。
原作のグレースとライアン・ゴズリングのグレースのキャラ像にはかなり差異があって、映画版は愛すべきヘタレ主人公!?
原作グレースも「火星の人」(オデッセイ)のマークと比べるとやや隠キャ寄りではあるものの、好奇心は何物にも勝る!!という感じでワクワク感高めな主人公だったのが、映画版は臆病で慎重な人に…
異星人と遭遇したら攻撃されないかビビりまくるの分かるわーと、ある意味共感しやすいキャラ造形で、この辺りの改変は楽しみながら観ることができました。
船内にずっと1人きり、孤独とフラストレーションが溜まっていく主人公の心境がしっかりと伝わってくる前半の丁寧な描写もとてもよかったです。
年齢的にはもう少し若めのイメージでしたが、気弱な善人オーラに溢れたライアン・ゴズリングが思った以上に魅力的でした。
反対にしっくり来なかったのはストラットの方。
ザンドラ・ヒュラーはイメージぴったりでナイスキャスティングだと思ってましたが、原作の鋼鉄のようなイメージと違って人間味が増しまし。
カラオケのシーンは彼女の想いが乗った歌詞なのがなんとなく伝わってきましたが、原作の〝人間味全然なさそうでちょっとだけある〟というストラットが好きだったので、この女優さんには「落下の解剖学」のときのまんまで突き抜けていて欲しかったかも(笑)。
南極の氷を核爆発させたりアフリカ大陸をアストラファージ製造工場に変えるなど、何でもやります!!だってその位逼迫してるんですよ!!という背景が描かれていると、彼女の人間性がもっと掴みやすかったのかなーと、ストラットのエピソードが割愛されていたのが惜しく思われました。
原作だと各国の研究者もそれぞれキャラ立ちしていて面白かったですがその辺りはあっさりめに、代わりにガードマンのおっちゃんが序盤のバディキャラになっていたのは楽しかったです。
そして俄然盛り上がるロッキーとの邂逅シーンでは「未知との遭遇」の音楽が…声を選ぶ場面でメリル・ストリープが出てきたのにも笑いました。
映画のロッキー、総じて大変可愛らしかったのですが、2人の交流が原作と比べると熱量低めに感じられてしまったかも。
放射線被曝や相対性理論のくだりがカットされるのはともかく、「2人とも初めて会う異星人に興味津々、超エキサイティング異文化交流!!」みたいなテンションがなかったのが残念。ここは主人公が慎重キャラになっていたというのが大きいのかもしれません。
グレースが地球を紹介する場面が多めで、ロッキーの惑星・エリディアンの生態について語られる場面は少なめ。
なのでラストも原作未読の人には分かりにくくなかったのかなーと思いました。
そしてロッキーがグレースを助けるため気圧差のある船内に突入し負傷する場面。
ロッキー死んだんじゃ…となって心揺さぶられまくる場面でしたが、映画版は描写があっさりめ。
生きているのか死んでいるのか分からないロッキーを発見したグレースが重たいロッキーを必死で運んでどうにかして助けようと行動する…
異星人同士の2人がそれぞれ自分の生存条件を捨てて相手を助けるところが胸熱だったのに、映画ではロッキーが既に自分で断熱ボール内に戻っていて拍子抜け。
ロッキーが自らの命を顧みずグレースを助けて、グレースも自ずとそれに応える…地球では自己犠牲精神にイマイチ同調できなかった主人公が躊躇いなく献身をみせる瞬間がドラマチック。
のちの助けに戻るシーンでもここでの主人公の変化が活きているのではないかと思われて、この場面はもっとエモーショナルに見せて欲しかったなーと思いました。
地球に帰れなくなる運命を受け入れ友を救う決意をするシーンは意外と悲壮感が少なくビートルズの曲に乗ってロッキーの船へ…ビートルズ掛かるんだろうなあ、ゲットバックかなあと思っていたら全然違った。
再会した後一気にエリディアンの惑星に場面転換するのは、もう細かい説明とかいいんだよ!!となっていて潔かったです(笑)。
個人的に好きだったミーバーガーのくだりはカット。
ロッキーの故郷の惑星にてエリディアンを救った英雄として手厚いもてなしを受けるグレース。
しかし人間の食べれる食糧がなくて四苦八苦、ロッキーたちに自分のクローン肉をつくってもらいそれを食べるというソイレント・グリーンも真っ青!?なミーバーガーが登場。
「火星の人」でも食料難に対応しようとする人間の姿が描かれていて、個人的にはこの辺りのブラックさが好きだったのですがカットされていて残念でした。
そして原作だと年月が経過し主人公が老いたことが示唆されていたものの、ライアン・ゴズリングの見た目が変わらず悲壮感が減。
地球の太陽が明るくなっていてようやく自分が成功したらしいことをうっすらと悟る…原作の厳しいまでの報われなさが好きでしたが、映画としては「犠牲にはちゃんと意味がありましたよ」と観客に分かりやすく伝えたかったんだろうなーと思いました。
さらにストラットが老いた姿で登場する場面が出てきて、ビートルズたちが地球に到着、無事に地球がこれから救われるであろうことが明確に提示されていました。
ここも個人的にはその後のストラットがどんな戦いをしていたのか、果たして生きていたのかどうか…一切姿を映さず想像させる方が余韻があってよかったかなあと思いましたが…
主人公を無理やり船に乗せるなどヤバい奴ではあるけれど、「この後自分は監獄行きかもしれない」と語っていて、彼女自身報われなさを抱えていたと思わせるところが好きだったけど、映画ではよりヒロイックなキャラに。
リドリー・スコットの「オデッセイ」もラストで主人公が地球に帰還するまでを映し切っていて、”おそらく帰れるんだろうけど帰れるかどうか不確定なのに仲間が迎えにきた”っていうのが感動的だったのになあ…と不満が残ったのですが、今回も似たような感触が残りました。
プライベートビーチに困難を乗り越えた唯一無二の親友、そして教師の仕事。帰らなくてもよかったのかな(笑)となる、映画はかなり爽やかな余韻に…
全体的に優しい統一感はあってエンドロールはなんだかんだスッキリ見送ることができました。
主人公の独白の多さ、科学的説明が醍醐味であるところなど、映画映えするようでいて意外とこの著者の原作は脚色が難しいのかな、と思いました。
以前読んだ「火星の人」は、「主人公の日記的一人称視点」になっていて、それがある種信頼できない語り手の要素を持っているところが好きだったのですが(本当はもっと泣き言恨み言を吐きたいが自分の遺書となって仲間がみる可能性があるので傷つくようなことは言わない&あえて軽口を叩くことで自分を鼓舞する)、映画ではやはりその辺りの表現が叶わず、結果悲壮感が少なめに感じられたのが物足りなかったところでした。
今回は「記憶喪失者の回想による時間軸移動」が煩わしく感じてノリきれなかったのが残念。
あと死の緊迫感も然り、1つ1つの行動で道が開けていく達成感みたいなものに乏しく、原作にあったサバイバル的要素が大きく欠如しているのがやはり物足りなかったかなーと思いました。
映画館ではエンドロール中も誰1人席を立たず、本編最中には笑い声やすすり泣きが聞こえてかなり盛り上がっていました。
テンポはよかったし、原作読んでない人にとっては分かりやすく楽しいバディものに振り切っていて見やすかったのかなと思います。
自分は触れる順番が悪かったのか、別物としてみれない鑑賞の仕方が損なのか、ハマれず惜しい気持ちが残ってしまいました。残念!!