どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

超能力×青春「モブサイコ100」…何者でもないけど特別な人

「キャリー」を彷彿とさせる設定に心惹かれて読んだ漫画作品。
バトルありギャグありで思った以上に明るく、けれど底では人間がついつい悩んでしまうような心の状態が描かれており、どこか暗さも孕んでいてとても好きな作品でした。

主人公の影山茂夫(あだ名がモブ)は地味な中学2年生ですが、実は超能力を持っています。

感情をコントロールできず力が暴走してしまった過去があり自分を抑圧しがちな青春を送っていましたが、ある日「モテたい」という細やかな願いから肉体改造部に入部します。

世界はありのままの自分を受け入れてくれるほど甘くはない、何か変わらなきゃと主人公が奮起するところからストーリーが始まっていて、設定はあえてガバガバにしつつもキビしい現実の一面を描いているようなところが面白いと思いました。

モブが唐突に始めるのがなぜか筋トレ(主にランニング)。

でも身体動かすのってバカにできないよなー、そして他の部員と比較してではなく自分がどれだけ伸びたかに尺度を置いて継続していく主人公の姿になんだか自己啓発本でも読んでいるような気分になってきます(笑)。

同じく超能力を持った他校の少年と対峙したり、超能力で世界を支配しようとする組織との対決に巻き込まれたりとバトル回も日常回に混じって展開していきますが、主要なキャラクターは〝思春期のメンタルあるある〟を体現したかのよう。

自信のなさから他人を下げて自分を保とうとしたり、器用で何でも持っているように見える人が自分の持っていないものを求めていたり、親しみやすい登場人物が魅力的でした。

 

そんな中でもぶっちぎりで大人の心を抉ってくるのが霊幻師匠というキャラクターです。

霊幻師匠は霊能力が全くないのにモブの能力を利用して除霊を商売にしている詐欺師のような男です。

けれど価格は良心的で基本依頼には真摯に対応していてなぜか憎めません。

愛想笑いや空気を読むのが全くできない主人公と対照的に他人に合わせるのが上手くコミュ力抜群な師匠。

けれどそれらがある程度の努力に裏打ちされたものだと思わせる節もあり、大人になると自分を偽らなければならない場面がたくさんある…どこか切なさも感じてしまいます。

序盤では「余裕あるギャグキャラ」に映っていた霊幻ですが、中盤の【ホワイティー編】というエピソードでは一転してピンチに陥ります。

 

ふとしたことでモブと距離をとるようになった霊幻は誕生日にSNSを覗いたら誰からもメッセージが来てなかった…といったほんの些細なことが幾つか重なって深い孤独を感じるようになります。

周りは結婚してたり多くの友人に囲まれてるのに自分には何もない…それなりに取り組んできたはずの仕事も身内には(世間的には)全く評価されない…

子供の頃はもっと特別な何かになれると思っていた…大人になるってもっと凄いことだと思ってた…だけど現実は思った以上に普通で何もない…

アラサーのメンタルの危機というか、自分の人生の限界みたいなものがみえるのがこのお年頃のような気がします。

私生活で孤独を感じる人が他の場所で過度に評価を求めがちになるのもありそうなことで、自分も何者かにならなければ…と霊幻は急にシャカリキに仕事を始めます。

ワーカーホリック状態になった霊幻は思わぬことで足元を掬われてメディアリンチのようなものに遭ってしまいます。

その窮地を弟子のモブが助けにやって来ます。

世間一般では何者でもない凡人かもしれないけれどモブにとって師匠は特別な人間でした。

霊幻の言葉の全てを盲信しているわけではなく、いい加減で欠点も多々あるけれどその本質を理解して信頼してくれている弟子がたった1人霊幻にはいました。

 

多くの人に認められている人、大きな目標を持って生きているような人は凄いなあと思いますが、日常を生きていて誰かにとって大切で特別な存在になっていること、自分の本質を理解してくれている人間が僅かながらいること、それもそれだけで充分凄いことで得難い幸せではないだろうか…と思わせる結末が心に沁みます。

霊幻には超能力(特別な力を持っているモブ)への捨てきれない憧れがずっとあるのも分かって、優しさとほろ苦さが混じったような、余韻の残るエピソードでした。

 

超能力を持っているからといって1人の人間であることに変わりない。足が速い、勉強ができる、体臭が強いなどと一緒で超能力も単なる特徴に過ぎない。個性として受け入れて前向きに生きていくしかないんだ。

霊幻が半ば口から出まかせで幼い頃のモブに語った言葉ですが、実は自分に自信がない霊幻自身の心掛けのようなもので、この台詞がこの作品の価値観を代表しているように思われます。

自分の本質は変えられず持っているもので生きてくしかない。

自分の持っていないものを他人が持っていたりしてそれで持ちつ持たれつ案外物事はまわっていたりするものだ…という達観、諦観のようなものを作品から感じます。

作中一の人格者である肉改部の部長が全く勉強ができないというオマケ漫画をみると笑ってしまいますが、皆欠点もあれば何かしら美点もあるものだ…みたいな物の見方が誇大に表現されつつも、それが大らかでとても優しく感じられました。

 

前提として主人公は人との出会いに恵まれており、恵まれなかった世界線の自分ともいうべき敵が立ちはだかったりもします。(闇堕ちしたカラス神父のようなキャラでとても良い)

それに対する主人公の答えが「自分が恵まれていることにもっと感謝するしかない」なのも誠実に思いました。

 

「自分は人とは違う特別な人間だ」…という自意識は思春期あるあるだし、大人も拗らせるとこういう意識になるなる。

「理解されない孤独」を描いた悲哀なストーリーが超能力モノに多い中、能力に依らず少しずつ人間関係を築いて成長していく主人公の姿に力強さを感じる作品でした。

 

「指輪物語」/「ロード・オブ・ザ・リング」…ファラミアの改変の記憶

仕方がない、ファラミアは犠牲になったのだ…

自分がちょうど高校生の頃に公開され、70年代でいうところの「スターウォーズ」旧三部作のような興奮と熱気をリアルタイムで味わわせてくれた作品。

子供の頃に「ホビットの冒険」を読んでいたのもあって、映画公開の前に先に原作を読んでおきたいと思い「指輪物語」を読破。

原作ファンとはいえないまでも一応原作既読勢として鑑賞に臨みました。

1作目「旅の仲間」は文句のつけようなく素晴らしかったのですが(字幕は除く)、続く2作目「二つの塔」にはモヤモヤが残ってしまいました。

1作目地点でバッサリカットされたエピソードや原作からの人物改変はあったものの、2作目はオリジナル展開がより多く、中でもキャラクターの根本そのものがまるで異なっていたのがこのファラミアでした。

初見ではかなりショックを受けた憶えがあります。

映画ではボロミアの劣化版!?のような扱いだったファラミアですが、原作ではボロミアと正反対の気質を持った心穏やかな知性の人として描かれています。

多くを語れないフロドの状況を察しつつ少ない情報で旅の成り行きを推量してみせる。兄を心から愛するもその欠点も熟知しており、指輪の存在を知ってもそれを遠ざける。

戦の功績がひたすら求められるような時代においてこんな穏やかな性格をしてたらかなり生き辛かったのでは…とその心苦を想像させられるも、武人としての評価も決して低くはなく民からも認められている人格者。

めちゃくちゃカッコいいキャラで個人的にはアラゴルンより心惹かれた人物でした。

それが映画版では思慮深さゼロ、ゴクリとフロドの信頼関係を壊した戦犯のような扱い…とかなり雑な描かれ方で、「こんなのファラミアじゃねえ!」とモヤモヤが止まりませんでした。

 

しかしその後映画を複数回鑑賞するうち、映画という限られた尺でファラミアというキャラを描き切るのは難しかったのかも…と思いました。

「人間は心の弱い種族」と強調されている中で指輪を遠ざけられるファラミアの高潔さは異端に映ってしまうかも。

ただでさえ「フロドって1番何にもしてないよね」とか言われちゃう始末(笑)、原作ファラミアを短い時間で再現しようとすると指輪の存在が余計に軽いものだと誤解を与えてしまう…と制作陣が危惧したのかもしれません。

原作のフロドとファラミアの問答は映画にすると動きが全くなく、映画のヘルム峡谷の戦いは見応え抜群でしたし、活劇の方を優先して上手くまとめたといえるのかなあ…とも思いました。

 

そして続く3作目「王の帰還」が素晴らしく、3作観終えてからファラミアの改変を少しずつ許容できるようになりました。

王の帰還」にて予想を超えて驚かされたのはオスギリアス再出撃のシーン。

父の命令で理不尽な戦いに赴く兵士たちとピピンに歌を歌わせながら食事をとる執政…

このオトンの食べ方がなんだかゾンビ映画のようで(笑)、食(=生命)と死が強烈に対比されたような、どこかホラー映画のような恐ろしさを感じる個人的に突き刺さった名場面でした。

オリジナル要素を入れつつ原作と同じストーリー展開を短時間でみせる…という映像のパワーに圧倒されました。

映画「二つの塔」では小者にみえてしまったファラミアですが、このシーンの前後をみると父親に愛されなかった悲哀がしっかりと伝わってきて、映画ファラミアにもキャラクターの奥行きが与えられたように思えました。

 

さらにその後暫くたってから「二つの塔」エクステンデッド版を鑑賞。

ボロミアが登場する回想シーンが追加されており、こちらも思った以上によく出来ていました。

兄弟2人の仲の良い姿はファンにとってはサービスシーン。
「憧れの兄のようになれなかったコンプレックス、父に認められたかった想い」というファラミアの心情も描かれていて、原作とは全く別の人物像ではあるもののちゃんとドラマが感じられるシーンでした。(この場面だけは劇場公開時にも入っていて欲しかったです)

このシーンを経ると「憧れだった兄の過ちをも認めて同じ轍を踏まずフロドたちを送り出す」という姿がもっとドラマチックに受け取れたのではないかと思いました。

それにしてもボロミアがカッコよすぎで優遇されすぎだろ、デネソールはメンヘラ親父にしかみえないだろ、とファラミアに限らずゴンドール陣営は原作とイメージが離れてはいますが…

 

◆アルウェンよりエオウィンがみたかった

映画「王の帰還」の戴冠式の場面にて、ファラミアはエオウィンと2人並んで立っていて仲睦まじげな様子でした。

映画から初めて観た人にとっては唐突な印象だったと思うのですが、これも原作を読むとしっかり描写があってとても好きなカップルでした。

・武人としての功績(男の強さ)が求められるような世界で文人としての才があったファラミア
・女性だけどめちゃくちゃ武人の才があったエオウィン

…と正反対の2人(自分の適性と周囲が求める役割にギャップがあると言う点では共通した苦悩を抱えていた2人)が結ばれるっていうのがいいなーと思いました。

 

エオウィンも原作とはイメージが少し異なっています。

映画ではヒロイックな印象でしたが、原作では自分の功名心を満たすために出撃し野心に取り憑かれていたような印象です。(蛇舌に相当メンタルやられたのでしょう)

そんな彼女がアラゴルンへの恋を「ただの憧れだった」と気づき、異なるタイプの男性の魅力に気付く…っていう展開がとてもよかったと思います。

 

DVDの特典映像でアラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンが「アラゴルンにはエオウィンへの愛情があったと思う」と語っていた記憶があるのですが、アラゴルン×エオウィンは絶対にない。(←どこのカップル厨だ)

映画はロマンス要素を強めたいがためアラゴルンを2人の女性が取り囲む形にしたのかなあと思いますが、アルウェンのシーンがいらない、裂け谷と戴冠式に出てくるだけでよかったよ、と思っていました。

代わりに他のキャラの出番を増やしてほしかった。

王の帰還」エクステンテッド版ではファラミアとエオウィンが出会うシーンが追加されてましたが、申し訳程度な上やはりファラミアのキャラが原作と別人なのでなくてもどっちでもいいかな…という印象。

映画は分かりやすさ・動的なシーンを入れての盛り上がりを優先してファラミアまわりは割を喰らってしまったのかな…と思う構成でした。

 

◆それでも映画は素晴らしかった

二つの塔」鑑賞後はしばらくモヤモヤが残ったものの3作通してみると「よくあの原作をここまでまとめて映像にしたなあ」と感心するばかりでした。

原作ファンをある程度納得させた上、原作未読の人にもとっつきやすくしてきちんと映画として面白い作品に仕上がっていたのは凄いことなんじゃないでしょうか。

 

聴いているとそれが正しいと思ってしまうような魅力的なサルマンの声…クリストファー・リーの美声にこんなだったのかーと納得させられたり、その身を隠してくれるというエルフのマントがまさしく石と化す様をみて鳥肌が立ちました。

「原作ファンが想像していたみたいものをみせてくれた」というシーンがたくさんあったのではないかと思います。

原作より味わいが増したキャラクターもいて、ボロミアの最期のシーンは原作以上に涙が止まらず、道中ピピンとメリーと仲良く剣の稽古をしている場面の溢れ出るお兄ちゃんオーラには「こんな人だったんだ」と原作からさらに上書きされたような印象になりました。

烽火が灯っていく雄大な景色、ガンダルフがミナス・ティリスを駆け上がっていくときの高揚感など、劇場映画でしか味わえない素晴らしい映像が何より圧巻でした。

 

Amazonで配信されている「力の指輪」は今のところ観る予定はないのですが(ホビットの映画もまだみていない)原作ものの映像化は改変すると一定数不満に思う人が出てくるのは致し方ないことではないかと思います。

けれど原作を変えてもなおそれを上回る魅力や「ここの部分はあえて変えてもこの部分を生かそうとした」という作り手の熱意のようなものが伝われば、作品を愛するファンも出てくるのではないかと思いました。

 

「エリミネーターズ」…驚きのポンコツサイボーグ

ジャケットから漂うネメシス臭。

知る人ぞ知る80年代B級カルト作だそうですが、この度初Blu-ray化。

何も考えたくないときに観るには最高の1本、好きな人間にはたまらない作品でした。

飛行機事故で瀕死の重傷を負ったジョンは機械を埋め込まれた改造人間・マンドロイドへと生まれ変わった。

しかしマンドロイドへと改変したのはタイムマシンを使い歴史を改変しようとする悪の科学者だった。

ジョンは科学研究所を脱出し仲間を集め悪の野望を打ち砕こうとするが…

 

身体の半分が人間、半分が機械の主人公ジョン。

四肢が付け替え可能なパーツとなっていて、冒頭ではなんとキャタピラーと合体し疾走。

右折するときには左側のキャタピラーがしっかり静止、階段をも下っていく見事な動き。

マンドロイドめちゃくちゃカッコええやん!!と思ったらこれがこの映画のクライマックス(笑)。

山道に入ると早々に戦車をポイ捨てするジョン。

研究所で唯一の味方だったタカダ博士の残したヒントを辿りニューヨークにいる女博士の下を訪れます。
(ニューヨークまでこんな目立つ姿で徒歩移動したんか??)

女博士はかつて悪の科学者と一緒に開発をしていたらしく彼を止めに行くと言います。

博士のつくったR2-D2みたいなロボットもお供に加わりますが、ワープ機能搭載でこいつだけ有能すぎる…

 

そもそも舞台が現代なのか未来なのかサッパリ分からんまま話が進む本作。

冒頭から未来感バリバリなのは主人公だけ、敵兵はネルシャツ着たテキサスにいそうなおっちゃんという物凄いチグハグ感。

悪の要塞はメキシコの奥地にあるらしく、ここから川下りと密林散策というSF映画感ゼロな画がひたすら続きます。

 

そしてここから主人公がとんでもないポンコツっぷりを発揮。

義手から出る光線銃が全然当たらない…!

ワイヤで重いもの持ち上げてくれるのかと思いきや枝に引っかかる…!

ボートからうっかり転落して川底に沈み込むシーンではこちらも笑いで椅子から転げ落ちそうになりました。

でもこの出来ない子っぷりが段々可愛くみえてきます。

 

他にもキャラクターが登場しますが、悪のアジトまでの運び屋をやってくれるおっちゃんはハン・ソロっぽい雰囲気。

酷いこき使われっぷりですが、博士とサイボーグがそんなに上客にみえるのか謎すぎる(笑)。

さらにはヌンチャクを操る謎忍者も仲間に、タイムマシンで強制的に現代に連れてこられたというネアンデルタール人が登場したりともうめちゃくちゃ。

 

86年にチャールズ・バンドが製作した本作。

ときはビデオブーム真っ只中、年に何百本もの企画を抱えてB級映画を大量生産していた時代。

4人の監督で1本の映画を撮っていたこともあったそうで、撮りたい絵やアイデアがそれぞれあって好きなようにやるのが通常運転だったんでしょう。

「サイボーグと忍者が暴れるスターウォーズにインディジョーンズも混ぜてみるか…」

何もかも点と点で線になっていませんが、「楽しんでつくった」ことだけは伝わってきます(笑)。

 

ラストはさらに驚愕怒涛。

自らもサイボーグと化した悪の科学者が一方的に主人公を攻撃。

「ジョンに任せておきましょう」と放置する女科学者。そのわずか10秒後「死んだわ」…

仲間を救って息絶えるもそんなジョンを放置して走り去って行く仲間…薄情すぎる(笑)。

主人公が乗ってた飛行機の残骸から妻子と思われる写真が発見されてて、人間としての過去があったはずなのにそんな伏線関係ねえ!

ポンコツではあったけど不憫なサイボーグが妙に愛おしく思われる、実に楽しいB級映画でした。

 

ロバート・イングランドの「オペラ座の怪人」…君の前前前世から僕は君を探し始めたよ

子供の頃自分が初めてみた「オペラ座の怪人」がこれだったのですが…

めちゃくちゃグロくてびっくり、だけどストーリーはしっかりしてて時を超えるタイムスリップ展開が秀逸。

基本は原作(ミュージカル)に沿いつつそこにスラッシャー映画が投げ込まれた感じですが、執念といっていい怪人のヒロインへの愛が凄まじく変態に突き刺さる1本!?でした。

 

物語はなんと現代のニューヨークからスタート。

音大生のクリスティーヌはブロードウェイのオーディションで使うための古い楽譜を図書館で発掘しました。

作曲家のエリック・デスラーは殺人犯だったらしいという曰く付きの曲でしたが、クリスティーヌはそれを舞台で熱唱します。

審査員の目に留まるものの、同時に舞台裏から土嚢が落下し彼女を直撃。

「前にも似たようなことがあったかも…」瞬間クリスティーヌに前世の記憶がフラッシュバックし、舞台は100年前のロンドンにジャンプします。

現代から過去へ…ミュージカルの「オペラ座の怪人」も時をかける幕開けがドラマチックに構成されていますが、本作はあの導入を大胆にアレンジしていてよりファンタジックでロマンを感じさせます。

100年前も駆け出しのコーラスガールだったクリスティーヌ。

歌を指導してくれる謎の怪人を「音楽の天使」と崇めていましたが、実はその怪人は彼女の成功を阻む者を裏で手にかけていたのでした。

 

過去クリスティーヌに現代クリスティーヌの記憶が乗り移ったりはせず、この過去編から視点が怪人・エリックの方に移っていきます。

実は売れないピアニストだったエリック、ある日悪魔と契約し芸術家としての成功と不老不死の肉体を手に入れることとなりました。(この辺りは「ファウスト」というか「ファントム・オブ・パラダイス」が混ざった感じ)

その代償として顔は崩れ落ち、彼自身は愛されることがないという呪いをかけられてしまいます。

糸と針で自分の肌を必死に修復する姿には悲壮感が漂っていて痛々しい…

愛と名声の両方が簡単に手に入ると思うなよ…人生の苦味と渋味がグロ映像とともに五感に訴えかけてきます。

唯一の生きがいは自分の楽曲を見事に表現してくれる美しいクリスティーヌ。舞台に立つ彼女を後方彼氏面でそっと見守ります。

 

舞台が成功を収めた夜、気持ちの昂った怪人は街の娼婦に声をかけて宿にしけこみます。

「クリスティーヌ…」
「??私の名前クリスティーヌじゃないんだけど」
「いいから今夜はお前がクリスティーヌになれ!」

…と言って娼婦を抱く怪人(笑)。

女だったら誰でもいいんかい!!って感じですが、クリスティーヌのことめっちゃ好きなんやな…と愛が伝わってくるような気もする…ムッツリスケベな怪人の複雑な男心が垣間見える名シーン!?です。

 

ところがクリスティーヌの側には若いイケメンが現れプロポーズ、そして怪人の残虐な犯行は警察に追われることとなり大ピンチ。困った怪人はクリスティーヌをオペラ座の地下深くにさらっていきます。

基本は原作と同じ展開を辿りつつ、セットや衣装もしっかりと作り込まれている本作。

クリスティーヌが雪の日に父親の墓参りをするシーン、仮面舞踏会のシーンなどはミュージカル版に寄せたのか迫力のある綺麗な画が撮れています。

オペラのシーンにも力が入っていて、現在と過去をつなぐ運命の1曲も効果的に使われています。

その一方グロ描写は情け容赦なく、修復する皮膚の材料をゲットするため犠牲者は皮を剥いで殺す…という「羊たちの沈黙」も真っ青な設定が登場。

カルロッタが生首スープと化す悪趣味な殺され方をしていたりかなりのハードモードです。

怪人の特殊メイクだけでもかなり観る人を選びそう…けどこれが「整形を繰り返して顔崩れてきた六本木ホスト」みたいなもう後戻りできない、なんとも言えない悲哀を感じさせるんですねー。

 

さて地下に攫われ怪人と対決したクリスティーヌは身体をぶつけて、それが冒頭の事故のシーンとオーバーラップして現代に戻っていきます。

倒れた彼女にオーディションの審査員たちが駆けつけてきますが…

↑あれ!?君の名は…

なんと怪人は好きな人が生まれ変わるのをずっと待ってたんですね…!!現代でもしっかり作曲家となって…ここまで来ると凄い執念!

クリスティーヌには過去の記憶は一切ないままで、作曲家の自宅であるスタジオにノコノコついて行ってしまいます。

しかし運命のあの曲をきいて記憶が一気に甦る…!!再び彼女に迫る怪人でしたが返り討ちにあって刺されてしまいます。100年越しでフラれる怪人(笑)。

こういうホラー映画のヴィランは「異様なしつこさ」が恐怖ポイントの1つかと思いますが、現代にまで追いかけてくるという展開が衝撃的でした。

繰り返す運命を暗示したようなどこか切ないエンディングも他作品にはない余韻が残ります。

怪人はまた100年待つのでしょうか…

 

海外版Blu-rayはフレディに便乗しまくりのジャケ写になってる本作(笑)。

物理法則を無視したような移動してきて嬉々として人を殺める姿には確かにフレディと重なるものがありますが、作品自体はもっとゴシックロマンの雰囲気。

シルエットはサム・ライミの「ダークマン」に似ているような気もします。

 

それにしてもこの怪人、喧嘩はめちゃくちゃ強いわ、裁縫得意だわ、金払いはいいわ…不老不死で年重ねても「最近の時代についていけん」なんて泣き言一つ漏らさずパソコン使ってしっかり作曲、将来性はトリプルAと言っていいでしょう。

ペラッペラのイケメンよりこっちの方がいいじゃない!?なんて思っちゃいますが、エゴの塊なので付き合ったら苦労すること間違いなし!

ヒロインが天真爛漫な少女から戦うホラーヒロインに変貌するのも非常に良かったですし、ねちっこい変態オーラ放ちつつどこか人間らしさを感じさせるロバート・イングランドの怪人が素晴らしかった。

自分がみた「オペラ座の怪人」の中ではこれが1番オモロかったです。

 

「ザ・センダー 〜恐怖の幻想人間」…悪夢を転送する哀しきテレパシスト

病院に運びこまれた自殺未遂の青年。彼は他人に自分の悪夢を転送してしまうテレパシストだった…

82年制作のイギリス製ホラー。

大人しめの作品ではありますが、テレパスの設定が上手くサイコサスペンスに生かされており、また幻覚の映像表現も独創的で印象に残る作品でした。

休日家族連れで賑わうビーチ。
突然現れた暗い顔の青年が大きな石を身体に抱えて入水していきます。

なんでこんな場所で自殺するのか、一心不乱の異常な様子。青年は一命を取り留め病院に運ばれます。

身元不明で記憶喪失を患っていた青年は「ジョン・ドウ♯83」と名付けられました。

ボスの院長は彼に電気ショック療法を施そうとしますが、担当の女医・ゲイルは献身的に青年を治療しようとします。

そんなゲイルの周りで奇妙な出来事が勃発。

家に空き巣が入った…と思ったら割られてたはずの窓が割れてない…医局の冷蔵庫が虫だらけになってる!!…と思ったらなってない…

なんと青年は悪夢を他人に転送し受信した人間はそれをリアルな幻覚として受け取ってしまう、特殊なテレパシストだったことが判明します。

 

同じく病院を舞台とした超能力ホラー「パトリック」と印象が重なる作品ですが、あちらの主人公が終始悪意で能力を使っていたのに対しこちらの主人公は力のコントロールが一切不能

けれどこれがなかなかに恐ろしくて普通に生活してたらいきなり悪夢が転送されてくる(=幻覚が始まる)。静的シーンから動的シーンへのジャンプが唐突で、大人しめの作品かと思いきや意外にドキドキさせられます。

青年が再び自殺を図ろうと考えていると女医のいたバスルームの鏡がいきなり割れて血が噴き出す…など心象とリンクした表現もユニーク。

特に出色なのは青年が電気ショック療法にかけられる瞬間、無意識のうちに病院中に破壊的な幻覚を転送する場面。

スローモーションで人がぶわーんと吹っ飛びまくり、さらに幻覚が切れた瞬間に逆再生で元に戻っていく…このシーンは力が入っていて凄いインパクトです。

病院は大パニックになるも女医のゲイルは幻覚が青年との唯一のコミュニケーション方法だとその中からヒントを拾って青年を救おうとします。

幻覚の中に現れた文字や数字を追うのはどこかホラーゲーム的な感じもしますね。

 

そんな中青年の母親が病院を訪れてきて「息子を返して欲しい」などと訴えてきます。

ところが警察の調査で青年の母親は5日前に亡くなっていたことが判明。

オカンも幻覚やったんかい!!(でもこれは初登場時から何となく気付いてしまう)

どうやら青年を苦しめていた元凶はこの母親のようです。

青年は赤ちゃんの頃から母親と意識の転送(相互受信)できたのだといいます。

異常に過保護な母親とずっと2人暮らし、ある日母親が青年と心中自殺しようとしたのを拒否して逃げてきた…らしいことが察せられます。

「サイコ」と「キャリー」が思い浮かぶような親子の歪んだ特別な絆。

唯一の依存先だった母親が亡くなり外界とコミュニケーションをとる術がまったくなく能力が大幅に増大した…と考えると腑に落ちるような感じもします。

幻覚のオカンは青年の母親への罪悪感なのでしょうか、お母さんと一緒に死ななきゃいけなかったのに…そんな想いがオカンの姿になって襲ってきます。

青年役の役者さんの演技が秀逸、また女医役の役者さんもジェームズ・キャメロン映画に出てきそうな強さ・母性を感じさせる女性で息子を守る母親対決のようにもみえてきます。

精神病院の雰囲気もリアルな感じがして、一見普通にみえるのにベトナム戦争PTSDを抱えた黒人の青年など、奇をてらったような描き方でなく真に迫ったものを感じる描写でした。

 

ラストはB級ホラーらしいベタな終わり方ですがゾクッとさせられます。

青年が退院に向かうまでが唐突でもう少し前後の描写があってもよかったのかな、母子エピソードにもう少し厚みがあればかなりの傑作になったのでは…と所々惜しく思われますが、幻覚テレパシストの設定とその見せ方がユニークで物哀しい雰囲気も好み。

地味ながら記憶に残る作品でした。

 

「メデューサ・タッチ 恐怖の魔力」…絶望した人間の裁き、70年代超能力ディザスタームービー

オーメン」「キャリー」が公開された翌々年の78年に制作された超能力ホラーですが…

殺人ミステリから始まってオカルトものへ、ラストはディザスタームービーへと化す脚本が見事。

現実の無差別殺人が頭をよぎったり、現代の閉塞感と重なるものを感じてしまう、エンタメ作品に留まらない重みのある作品でした。

不気味な絵画の並ぶ一室にて人気作家のモーラーリチャード・バートン)が何者かに殺害されます。

警察がそこに駆けつけますが、死体かと思われたモーラーはなぜか奇跡的に息を吹き返し人工呼吸器をつけられ一命を取り留めます。

医師曰く身体はほぼ死人だが脳波は活発だとのこと。

事件の担当になったフランス人刑事ブルネル(リノ・ヴァンチュラ)はモーラーの日記に記されていた精神科医ゾーンフェルド(リー・レミック)を訪ねます。

女医曰くモーラーは自らを「災いを招く人間」と思い込み被害妄想に取り憑かれていたとのこと。

しかし刑事がモーラーの過去を洗うと彼の身近な人間の多くが不審死を遂げていたのでした…

 

(以下ネタバレ)

ただ偶然に不幸が重なっていただけじゃないんだろうか、もし超能力で人を死に追いやっていたのだとしてもそれは故意じゃなく制御できないもので彼自身も被害者なのではないだろうか…

そんな想いでストーリーを見守りつつも、終盤モーラーがかなり凶悪な人間と化していたことが判明します。

自分が怒りを感じた相手を意図的に傷つけ、さらには無関係な人も平気で手にかけるまでになっていました。

 

モーラーの幼少期は決して幸福なものではありませんでした。

大病を患った際には看病係のメイドから地獄に堕ちると脅され、両親からは疎まれ下僕扱いされ、寄宿学校の教師からは陰湿なイジメを受けていました。

親や教師といった大人に子供は逆うことができず運の巡り合わせ次第で悲惨な目に遭ってしまう…厳しく辛い現実が描かれています。

しかし特別な力があったモーラーは彼らの死を願うとデスノートに名前を書くかの如く彼らを消し去ることが出来たのでした。

 

映画では結局モーラーがどの段階まで意図的だったのか、本人の発言も所々変わっていてハッキリとしません。

妻を殺したのはあの自白からして間違いなく意図的だったのでしょう。

けれど最初のメイドの死は力に無自覚なまま起きた事故のようなもので、寄宿学校で関係のない4人の生徒を巻き添えにしたのも不本意だったのかな、と思いました。

この映画で恐ろしいのはモーラーがしっかりと罪悪感を感じていたという点で、そしてその罪悪感を打ち消すためにモーラーは自己を正当化しはじめます。

愚かな人間を裁いて健全な社会をつくってやるんだ…モーラーの怒りはより大きな権力者、やがては社会そのものへと向かっていきます。

豊かさを求める人類(宇宙開発や原発)も敵視するようになりそれらを破壊するため無差別に人を殺めるようになっていきます。

怒りの感情は誰しも生きていれば当然あるもので、「不当な扱いを受けている」「これは間違っている」と声をあげることはとても重要なことでもあると思います。

対話や他者を介在させることで自分の状況を好転させていくのは容易なことではなくいつも報われるとも限りませんが、それらを一切放棄し人間社会を生きる上で超えてはならない一線をモーラーは確実に超えてしまいました。

現実の世界ではテロリストと呼ばれる存在でしょうか、物語では人間を超え最後には災害そのものと化してしまいます。

 

自らを神に重ねるモーラーでしたが誰よりも人間臭い奴でもあって、精神科医の女性の名前を何度もノートに書き彼女の下を何度も訪れていました。

「君にはまだ絶望していない」(なんて上から目線なんだ)…けれどSOSのサインは必死で出していました。

しかし女医が超常現象を信じなかったため誰かに理解してほしいという気持ちも消化されないまま、さらに孤立感を深めてしまう結果となってしまいました。

「災い(不幸)である自分」から抜け出せず「その自分を理解しない愚か者ども」を一層憎むようになってしまう…

自分の人生に希望が持てなくなったとき人は「世の中の全てが悪いのだ」と極端に悲観的な思想に走りがちになる…非常に説得力を感じる人物描写です。

また万能の力を得て全能感に浸り正しさを語って平然と他人を傷つけてしまうというのも今のネットなどで度々見られる光景のように思えます。

モーラーは誰しもなりうる、身近に感じられる人物像で、それだけに一層恐怖が感じられるキャラクターでした。

 

映画の冒頭はカラヴァッジョのメデューサによく似た絵を映して幕が開けていきました。

見たものを恐怖で硬直させ石に変える妖女…

モーラー演じるリチャード・バートンの目力も凄まじく思わず呑み込まれるような、深い哀しみと怒りを感じさせます。

メデューサには左側の血管から流れた血には人を殺す力が、右側の血管から流れた血には人を蘇生する力があったといわれているようです。

ノートに記されていた「Lの気配」という言葉は「レフトハンド」を指しているのでしょう。

この伏線が恐ろしいラストに繋がり戦慄しますが、巡り合わせ次第で人を癒すこともできたのではなどと思うと余計に悲しくなります。

 

刑事役のリノ・ヴァンチュラは温かみを感じさせる職業人でバートンと好対照、こういう職務に就く人たちの任の重さをひしひしと感じさせます。

終盤は最早パニックものと化しウェストミンスター寺院大崩壊の映像はミニチュアにはみえないクオリティで圧巻。

何かに追いたてられているような気分になる緊張感ある音楽も耳に残ります。

お願いだからたった一欠片、人の心が残っていてくれ…と祈るような気持ちになる映画のクライマックス…しかし最後の最後で圧倒的絶望に叩き落とされ、いつまでも余韻が残る作品でした。

 

「ワックスワーク」…vs全ての怪奇映画!!異次元バトルホラーの良作

中古のVHSの叩き売りで発掘、パッとしないスプラッターかと思ったら意外に面白かった1作。

「ラストアクションヒーロー」と「ナイトミュージアム」を足したような…??子供の心に戻してくれる、ファンタジーとコメディ色の強い楽しいホラームービーでした。

主人公ポールはお坊ちゃま大学生。
授業に平気で遅刻するわメイドに課題レポート書かせるわといい加減な野郎ですが、80年代ならではのゆるくてまったりな雰囲気に癒されます。

ガールフレンドのチャイナとは関係が進展せず破局寸前のポールでしたが、ある日チャイナやその友人らと共に近くにできた蝋人形館に出掛けることになります。

どこか不気味な館主(オーメンの写真家、デビッド・ワーナー)、案内役には小人と大男が登場。展示物は殺人シーンを描いた不気味なものばかり。

度々映画化されている「蝋人形の館」の題材ですが、本作ではなんと生身の人間が蝋人形を演じています。

ちょっと動いてるよ!!(笑)…っていう反則技ですが、ある意味正しい演出、コスパもよさそうな使い方。

そしてこの蝋人形館、各ブースに近づくとそのお話の中の世界(異次元)に転送されてしまう、まるでスタンド攻撃のような仕掛けが隠されていました。

狼人間の展示コーナーに入れば狼人間に襲われ、バンパイアの展示コーナーに入れば吸血鬼に迫られる…

抵抗虚しくその世界で殺されてしまうと、被害者役の蝋人形と化してしまいます。

登場人物たちが殺される場面がある種短編ホラーとなっていて非常に凝っており、怪奇映画をたくさん観たようなお得感。

↑バンパイアの館。セットも凝ってて豪華…!!ヒロインが謎のタルタルスターキを完食するところで笑ってしまいますが ^^

 

通常のホラーだと一旦館に入ったらずっとそこで追いかけっこしそうなものですが、主人公ポールともう1人のヒロイン・サラだけが無事に館を抜け出しストーリーが続行します。

ビッチのガールフレンドがヒロインかと思いきや、キスもしたことない幼馴染枠の女の子がメインヒロインだったんですね…!!意外な交代劇。

(2人ともかわいい)

 

ポールとサラは警察に駆け込み蝋人形館が怪しいと訴えます。

大抵のホラーだと警察は無能パターンが多いのになかなか有能な刑事さんでここも面白い。

しかしエジプトミイラの世界に取り込まれて殺されてしまいます。

続いて古い新聞を調べたポールとサラはあの謎の館主が昔ポールの祖父に仕えていた執事だったことを知ります。

真相を追って祖父の古い友人を訪ねるポール。

なんと蝋人形館のマスターは悪魔と契約した不老不死の魔術師で、かつてポールの祖父が収集していた歴史上の悪人18名の遺物を横取りしていました。

悪人たちの犠牲者(蝋人形)が全て揃うと奴らは現実に蘇り世界が滅ぶ……急に壮大なストーリーに(笑)。

「実はあいつを長年探してたんだ」…ぽっと出のおじいちゃんのスピードワゴン財団感がすごいです。

 

ポールとサラは再び蝋人形館に戻り、展示物を燃やそうとしますが逆に異次元に囚われてしまいます。

処女のサラはマルキ・ド・サドの世界に夢中になってしまい鞭を打たれて恍惚の表情を浮かべます…

肉食系の元ガールフレンドは吸血鬼の餌食に、真面目そうな彼女はSMの世界へ…なんかこういうのいいですねー。

ポールも異世界転送されるも「虚構は虚構」と看破すると攻撃は無効になり1人無双を繰り広げます。

↑「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の世界もかなり凝ってます

 

ところが蝋人形館は新たな犠牲者を得てついに悪しき者どもが現実に復活…!!

そこにスピードワゴンじいちゃんが大軍を引き連れて現れ、最後は大バトルに突入。

悪者たちが驚くほど弱くアメリカ軍なら10秒で制圧できそうで世界の危機感はゼロ、けれど破茶滅茶で楽しいクライマックスです。

ポールはなぜかサド侯爵とフェンシング対決。往年のクラシック映画のようなアクションで侯爵役の人フェンシングやたら上手い(笑)。

18人の悪役が切り裂きジャックもいればボディスナッチャーもいてお前は実在の人物じゃないやろ!…と統一感もゼロですが、ホラー映画の古典は抑えられていて特殊効果がたっぷり拝めます。

館主(デビッド・ワーナー)が見せ場なくあっさり退場するのが非常に勿体なく恐怖度は低いのですが、館が燃えて崩れ落ちるお約束なエンディングにはスッキリ。

オープニングはスウィングジャズで、エンドロールはノスタルジックなロックで締められるのもよい仕上がり。

現実と虚構が入り混じる、「ナイトミュージアム」や「キャビン」などの先を行ったようなところもあり、夢のあるホラーで好きな作品でした。