炎天下、故障した車に閉じ込められた母親と4歳の息子。狂犬病となった体重約90キロのセントバーナードが2人を襲う…
自分の中で犬ホラーといえばこれ。
犬に襲われるパートは小説の後半と意外に滑り出しが遅め。
なかなかトラックが走り出さない「恐怖の報酬」のようでありますが、登場人物の日常が描かれる前半パートから濃厚でグイグイ引き込まれていきます。
原作小説と映画で結末が違っていて、本は非常に後味が悪いのですが、そこにある種の誠実さも感じて、胸に迫る作品でありました。
◇◇◇
専業主婦のドナは、夫の知らぬ間に近所の便利屋の男と浮気。
愚かで身勝手な女性ですが、こんな主人公であっても大いに感情移入させるキングの心理描写が巧み。
ニューヨークから田舎に引っ越してきて、幼い息子と2人きり。仕事も趣味もなく、田舎独特のコミュニティに所属するのも億劫で孤立。
「あなたは空しさというものがどういうものか知らないのよ」…浮気バレした夫に逆ギレするのどうなん(笑)と思いつつ、自分の人生がなくなってしまうように感じられる中年の恐怖感、なんか分かるかも…
夫は夫で仕事で重大な危機を迎えていて、家庭に流れる不穏な空気にも構っていられない位必死。
しんどいときにしんどいことが重なってしまうことってあるよね…
厳しい現実を生きる夫婦の姿には同情したくなり、読んでいるこちら側もジリジリと焦燥感に駆られていきます。
そして後半展開する地獄絵図。
冷静に状況を分析して行動を決めようとするドナですが、家族が旅行中で郵便配達が来ない、浮気男がミスリードになって捜索に遅れが出るなど、神が仕組んだのではと呪いたくなるような、不条理が連続。
理性的な人間が下した合理的判断が全て裏目に出る運の無さがひたすら恐ろしいです。
「こんなことになったのは自分が悪いことをしたせいかも」…自罰意識に苛まれるドナですが、ピッタリと車に張り付いて纏わり続けるクージョの不気味なこと…まるで逃れられない罪悪感の象徴のよう。
獣以上の意志があるような眼差しに〝責められているように感じてしまう〟ドナの心理描写が迫真。
いいときには何も思わないのに、都合の悪い時になって突然神様や運命を意識、因果関係を求めてしまうの、人間って身勝手だなあと思いますが、その心の弱さに共感してしまう自分がいます。
作中では4歳の息子・タッドも母親の機嫌がよくないときに、自らを責めるような気持ちになっていることが描かれていました。
またキャンバー一家の息子・ブレットも具合の悪そうだった飼い犬を置いて自分の楽しみを優先させたことに仄暗い気持ちを抱き、苦悩する姿をみせていました。
「両親という川の流れを読む術」に長けている子供2人が、大人の事情に気を配っている姿はとても切なくて哀しいのですが、子から親に注がれるある種の無償の愛…これもまたリアルで胸に迫ります。
罪悪感は人の心の弱さであると共に、誰かを愛する気持ち、誠実さの裏返しでもあるのではないかと思いました。
結局最後に息子のタッドは脱水症状で死亡、物語は衝撃的なバッドエンドを迎えます。
拒絶する人が一定数いることも頷ける後味の悪さですが、親の不和で犠牲になるのは子供、壊れて元に戻らないものもある…主人公が罪悪感を背負い続けることになったラストは、ある意味では誠実で納得のいく結末だと自分は思いました。
原作では〝犬のクージョ視点〟も時折挟まれていて、クージョにも罪悪感のような意識があり、「よりよい犬として愛されたい」願望があることが描かれていました。
(犬の心なんてヒトには計り知れないものなのに、物凄い説得力をもって迫ってくるクージョ視点の語りがまた読ませる)
無垢なるものの一途な愛が悲劇を一層際立たせています。
押し入れの中に化け物はいないかもしれないけど、度し難いと思えるような悲しいことや苦難がこの世には確かに存在している…とても哀しいお話ですが、同時に真実味を感じる物語でもありました。
83年に製作された映画版は原作と異なりハッピーエンド。
タッドが一命を取り止め、父親がそこに駆けつけてくるラストカットは家族の再生を予感させるエンディングになっていました。
原作の良さを殺していて賛否両論らしいのですが、90分でテンポよくまとめた思い切りのよい脚色。
映画自体の出来は決して悪いものではなく、低予算ながら迫力あるシチュエーションスリラー、アニマルホラーに仕上がっていると思いました。
強い日差しの中汗だくになって疲弊していく親子の姿は、子役の子供が本当に具合が悪そうでヒヤヒヤさせられます。
怯える子供に母親がイライラして怒鳴りつけてしまう場面など、不快なまでのリアルさで、主演のディー・ウォレスの演技も光っていました。
そして何より襲ってくるクージョ(クジョー)の迫力。
ジョーズのような怪物視点、車のどちら側に潜んでいるか分からない不気味な見せ方…初登場時、突然襲われて開いていた窓を手回しで閉めるところなど迫真の映像。
天井が揺らぎ、体当たりされて軋む車の心許なさなどにもドキドキさせられます。
所々模型を使って撮影していると思われますが、編集やモノの出来栄えがよく、どんどん汚れて我を失っていく犬の様子が実に鬼気迫っていました。
原作と比較して物足りなく思ってしまうのは、やはりキャンバー一家のエピソードが丸ごと割愛されているところ。
田舎のブルーカラーと都会のホワイトカラーの相容れなさなど、キングの描写が光るドラマパートだったので、90分のタイトな作品に仕上げるならカットは英断だったのかもしれませんが、残念は残念…
母親チャリティーの、息子には自分たちとは違う人生を歩んでほしいという真っ当な願い。(けれど束縛的で独善的でもある)
父親を俯瞰でみる知性を持ち合わせつつも、理屈を超えた深い愛情をみせるブレットの健気さ。
ジョー・キャンバーはろくでなしのDV野郎には違いないのですが、クージョが実は一人っ子の息子を喜ばせようと父親が迎え入れた犬だったということが分かるエピソードなどでは、他人にはおよそ計り知れない家族の絆が垣間見えて、静かに胸に迫ってきます。
またいかにも白人貧困層といった荒んだ暮らしをしているジョーの飲み友達・ゲイリーが、犬に襲われて猛然と立ち向かっていくところ…「ジョー一家の嫁と息子が旅行に行っててよかった」などと他人を慮る一面を覗かせるところでは、胸に熱いものが込み上げてきます。
映画版はそうしたエピソードがごっそり抜け落ちていて非常に残念ではあるのですが、キャストやロケーションが原作の雰囲気をしっかり捉えていて秀逸。(ジョー役の俳優さん、ロンゲスト・ヤードの看守役だった人で独特の雰囲気がマッチ)
狂犬病に侵されつつあるクージョがブレットに牙を剥こうとするも己の中にある愛を思い出して去っていく霧の中のシーンは、原作を上手く再現していていい場面になっていると思いました。
クージョかクジョーか、どっちがいいんだ!?と問われれば圧倒的傑作なのはクージョ。
シチュエーションスリラーの面白さだけでなく、2家族交えた罪と罰の心理描写が原作の醍醐味。
なかなかそれを映画に生かすのは難しいのかもしれませんが、「クジョー」も原作の雰囲気をよく捉えてコンパクトにまとめている良作だと思いました。
どちらにせよ犬好きには辛い話ではありますが…なぜだか引き込まれてしまう作品でした。