どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「暗くなるまで待って」…中途視覚障害者の自立への厳しい道のり

盲目の女性が事件に巻き込まれ、襲撃者たちと対決する1967年公開の傑作サスペンス。

暗くなるまで待って [DVD]

暗くなるまで待って [DVD]

  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: DVD
 

主演のオードリー・ヘプバーンは、それまでの可憐なイメージを打ち破る迫真の演技でオスカーにもノミネート。終始地味な服装なのに、儚げかつ凛とした美しさが引き立っていてすごく綺麗!!

密売人が用意したヘロインを隠し込んだお人形がふとしたことから何の関係もない写真家のサムの下に…。血眼になって人形を探す犯罪グループが自宅に押しかけ、サムの不在中、盲目の妻・スージーが彼らと相対することになる…。

元々は舞台劇だったそうで、低予算映画&密室劇と言っていいつくりの本作。

前半は、目の見えない主人公の障害を利用して家宅捜索しようとする悪人衆を〝みえる観客〟がヤキモキしながら見守り、後半は追い詰められたスージーが〝条件を同じにして〟(=部屋を真っ暗にして)敵を迎え撃つというスリル満点の展開…!!

 

よく出来たサスペンスとして楽しめるのですが、改めて観ると、後天的に障害を負った主人公の心の葛藤、妻を弱者にしないために厳しく接した夫の想い…細やかなドラマにも魅せられる作品でした。

 


◆スージーの夫、サムは冷たいのか?

オードリーが演じるスージーは元々は健常者であったものの、事故で視力を失い、全盲になったようです。

杖を使いつつも自力で歩き、一見不自由なく日常生活を送っている彼女のことを、すごい!と、安易な健常者の上から目線かもしれませんが、尊敬と驚嘆の目でみてしまいます。

これだけ適応力があるのは、彼女が「中途視覚障害者」で、見えていたときのイメージで生活を再構築しやすかったということ、またスージー自身ろう学校では優等生であり元来努力家気質だったのではないか…と色々伺わせます。

 

そんな彼女の夫が写真家のサム。スージー曰く、サムと付き合っていたのは事故に遭う1年前。

「退院してから道路で立ち往生していたときに、すぐにサムが助けてくれたのです。」

(サムは恩人だと語った人物に対し)「私もです。」

事故後も障害を負った恋人を捨てたりせず、精神的にもっとも辛かったであろう時を支えた男性。

 

しかし…!!劇中ではこのサムが中々キビしい、冷たい男にもみえてしまいます。

もし自分がスージーのそばにいたら、部屋で家事一切をしようとするスージーにあれこれ助け舟出しそうだけど、サムはそういうことを一切しない。

スージーが「近所で殺人事件があって怖いわ、もし自分が襲われたら…」と話しても、全く取り合わない。1人が寂しくて仕事場までついて行きたいと話すスージーに対し、「そんなことより、歩いて往復する練習をしなければならないね。」と突っぱねる。

もうちょっと優しくしてもいいんじゃない??なんて思ってたら案の定口論になり、
「私に盲目のチャンピオンになってほしいの?」涙ぐむスージーに対し、「そうだ。」と切り捨てるように答える。

 

この一見薄情にみえる旦那の態度ですが、彼のキビしいサポートがあったからこそ、スージーは事件を生き延びることができたのではないかと思います。

夫の庇護のもと、すべてを他人に助けてやってもらう生活を送っていたら、スージーはあんなに立ち向かえなかった…自立の訓練をひたすら積んできた女性だったからこそ、自分を守ることができたんじゃないかなあ、と。

 

物語のキーパーソンとして、同じアパートに住むグローリアという女の子が登場しますが、この子もサムの意向で家にやって来た子供で、買い物などスージーの日常生活を助けていたようです。

援助を受けるスージー本人は、「グローリアはいじわるな子で会うのはもう嫌だ」と途中サムにぼやいていました。

大人のように取り繕わず、ありのままぶつかってくる子供の態度に傷つくというスージーの気持ちも分かるような気がします。 

他者から100%の理解など到底得られない障害のある生活の中で、人とのつながりを拒みたくなる気持ち…しかしその妻の気持ちを察してこそ、1人きりで籠らせまいとサムが計ったのがグローリアとの繋がりだったのではないかと思います。

事件の中、スージーのピンチを何度も救ったのはこのグローリアでした。

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「この世間は悪党ばかり。悲しい話さ。」

・・・スージーを襲った悪党の1人、マイクの台詞が寂しく響く場面がありますが、この考え方では、人のサポートを必要として生きるスージーにとって大変生き難い世界です。

冒頭で殺人事件の話を受け流したサムは、悪意のある人間も確かにいるが、人の善意を信じず心を閉ざしていては生活できない…という想いだったのかもしれません。

皮肉めいた台詞をいったマイクも、スージーを殺せた/酷い目にも遭わせれたのに結局身を引くという、悪になりきれない悪役でしたが、ハンデがあっても懸命に生きようとするスージーへの敬意がそうさせたのだと思うし、またマイクの善意に賭けたスージーの勝利だったのではないかと思いました。

その一方…強烈な悪も確かに存在していて、最後のロート襲撃シーンは見えない主人公の恐怖感がこれでもかと伝わる緊迫感…座頭市のような超人ではない一般人の主人公が、勇気と知恵で立ち向かう姿に手に汗握ります。


そしてラスト、事件が発覚して警察とともに部屋に踏み込むサム…。しかしこの夫は妻に決して駆け寄らない…スージーが自力でこちらに来るのを待っている…。

あんな怖い目にあったんだからここは抱きしめにいったらどうなのよ!?なんて思ってしまうけど、でもこれが一貫したこの夫の姿勢、妻への愛なのですね。

障害を抱えた家族へのサポート姿勢は多様だと思いますし、スージーのような強い人ばかりでもないと思いますが、「他者の善意を信じつつ、自立に向けて最大限の努力をする」というこの夫婦の姿勢、困難を乗り越えたスージーの姿に感動します。

 


サスペンスとしてみても、一見地味ながら仕掛けが利いていて面白く、監督はコネリーボンドの007を手掛けた実績のあるテレンス・ヤング。冒頭からスパイもの感も漂い、アラン・アーキン演じる悪役の、キャラの立ちっぷりも見事です。

情緒的な感じのメインテーマだけでなく、恐怖を盛り立てるヘンリー・マンシーニの音楽にもドキドキ…!!

 

クライマックスの真っ暗な中での格闘は、本当に冷や冷やで、昔みたときと、全く同じシーンでギャァと大きな声をあげてしまいました(笑)。

しかしやはりオードリーがこの役にすごくハマっていて、弱さの中に感じる強さ、心の葛藤のドラマが丁寧に描かれていることで、一層サスペンス劇が盛り上がっているように改めて感じました。