どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

映画「ハイスクール白書」はイタい選挙戦を描いたブラックコメディ

なんというか、かなりイヤーな感じもする作品なのだが、もうすぐ選挙だなあ…などと思いつつ、なんともう約20年前の作品だが、未だに印象が強烈なこのブラックコメディについて語ってみたい。

原題はズバリそのもの「ELECTION」(選挙)で、生徒会会長の選挙戦を描いている。

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優秀な会長候補・トレイシーの性格は最悪!?

この作品の舞台はアメリカの片田舎の高校。成績優秀なガリ勉少女・トレイシーが生徒会会長に立候補するが、そもそも生徒会に関心の低い生徒ばかりで候補者は彼女だけ。平和な出来レースに思えたが、生徒会顧問で社会科教師のマカリスターは、トレイシーの性格の悪さを見抜いている。

 トレイシーの当選を妨害しようと、骨折した元アメフト部員のポールを対抗馬に擁立し、思わぬ波乱の選挙戦が幕あけとなる…。

 

マカリスターの「対立候補をたてる」という行為自体悪いことだと思えないが、本当の狙いは、「自分がトレイシーと仕事をしたくないから、彼女の選挙を妨害する」というごく個人的なものだ。

マカリスターは、トレイシーが自分の同僚教師と不倫していたこと(そしてその同僚が酷い目にあったこと)を知っていたから、関わり合いになることに危機感を感じたのかもしれない。

 

この作品のトレイシー(リース・ウィザースプーン)の憎たらしさはなかなかスゴい。

一見、努力家で、向上心がある真面目な人間に見えるが、対立候補ポールの選挙ポスターを破棄し平気で嘘をつく…など悪辣な人間だ。

内省的なところが皆無で、自分が大好き。友達が1人もいないが「自分は優秀で頭がいいから孤独」なのだと言って開き直っている。

シングルマザーの母におそらく、高い理想と努力を押し付けられていたというところには同情してしまうが…。

 

マカリスターはこのトレイシーのことをものすごく嫌っている。 

授業でも挙手した彼女をあえて避け続けたり、会話をスルーしたり、あからさまに態度に出してしまっている。自分は、関わり合いになりたくないという危機感だけでなく、「気に入らない人間をつぶしたい」という彼の意志を感じた。

 

似たものどうしはいがみ合う!?

自分は、教師のマカリスターも、トレイシーと同じくらい、嫌なところがある人間なのではないかと思った。

劇中、マカリスターは彼自身のモノローグにて、「自分はすごく良い教師で、学校から好かれている。幸福な人間。」などと語っている。

このモノローグ、トレイシーのとよく似ている。

「自分は好かれている」などと宣う人間が果たして本当に他人から好かれているだろうか。

自分が大好きだけれども、実は“満たされていない”…心の奥では自分自身に大いに不満があるにもかかわらず、それを認められない傲慢さは2人ともよく似ているように思う。

マカリスターも、元同僚の嫁と不倫するし、最終的に選挙の票を破棄するという不正行為でトレイシーを貶めようとするし、やっていることがソックリだ。

 

 本質的には自分と似た人間だが、自分の許容量を大きく超えて、恥も外聞もなく、自ら思う道を突き進む若いトレイシーのことが、鼻についたのでは…と自分は感じた。

 

“選挙なんてクソくらえ!”第3の候補・タミー

生徒会選挙には、マカリスターの思惑を超えて、第3の候補者が出現する。

「選挙なんてクソ食らえ!」「誰が会長になっても何も変わらない。」「幸せなのは当選した本人だけ。」「内申書のポイント稼ぎよ。」「私が会長になったら生徒会をつぶすわ。」

 

この名スピーチで拍手喝采、一躍トップ候補に躍り出たのが、タミー。彼女は、なんと、マカリスターが擁立した候補・元アメフト部のポールの妹だ。

タミーはある女生徒と恋に落ちたが、相手にとっては同性愛もおふざけで、振られてしまい、さらにその元カノが兄のポールと付き合いだしたのに腹をたて、「選挙をつぶしてやりたい」と、ささやかな復讐心で立候補したのだ。

短いが、タミーの演説シーンはなかなかカッコいい。常世すべての選挙(政治)に当てはめて聞くことができる、この映画の“メッセージ”でもあると思う。

若いときにこの映画を観たときは、「この映画で唯一まともなのはタミーだけよ。」と思っていた。しかし、改めて考えると、タミーはタミーでイタイところのある人物なのかもしれない…。

 

タミーは結局、選挙戦線を離脱してしまうのだが、投票の結果の大半が「記名なし」だったことを考えると、実質タミーの主張が生徒(民衆)に支持されていたのだと思う。

現実「選挙なんかに行っても意味がないから。」「特に関心がないから。」と投票に行かない人たちの多さを考えると、タミーはこの層の代表にも思える。

(多分投票しなくていいなら、投票すらしない生徒が多かっただろう。)

 

「みんながやっているからやらなければならない」という同調も嫌なものだが、自分も社会の一員だという認識を放棄して、無関心を決め込むというのも危険ではないのか…彼女はそういう「大衆」の立ち位置を反映させたキャラなのかもしれないと思った。

 

誠実なだけではダメ!?兄ポールの残念さ

トレイシーやタミーと異なって、マカリスターが擁立した有力候補・ポールは、”めっちゃいい奴”…!

嘘をつかず、他人の幸せを願える、ねたみひがみのない人間だ。トレイシーと違って友達が多い。妹タミーはポールを嫌っているが、ポールはタミーのことが好きで、家族として愛している。

しかし、ポールはポールで、人の気持ちを察せない愚鈍さがあって浮いてしまっているところもあるようだ。

ポールが語る生徒会の運営案は、間の抜けたものばかりで、おそらくトレイシーなら、難なくこなすようなことが、全く出来ないのではないかと思わせる。

ポールをみていると、「誠実というだけの人間が会長(政治家)にふさわしいのか」という疑問も湧いてくる。

ポールのような善人を決してよく描いていないところもこの映画の“毒”の1つだと思う。

 

個人の道徳観が倫理と反することもある

 この映画でマカリスターを演じているのが、マシュー・ブロデリックであることは、この作品が用意した最大の皮肉なのかもしれない。

マシュー・ブロデリックといえば、青春学生映画「フェリスはある朝突然に」で、仮病で学校を休み、自由を謳歌する学生を演じて人気を博した。

この映画の、キャラクター本人がカメラ目線で話し出す演出は、フェリスへのオマージュ?にもみえる。

 「フェリス」は、ご都合主義だらけの80年代のイケイケ感がスゴイが、嫌な気持ちのしない、純粋に楽しい映画だ。

フェリスも嘘をついて、自分の都合のよい学校生活を送る人間なのだが…。

 

「ハイスクール白書」の冒頭付近、マカリスターが行っている授業の中で、「倫理と道徳との違いは?」という問いがでてくる。

 映画のシーン的には、「トレイシーが授業中鬱陶しくみえる」ことを演出したいがための場面にみえるが、実は作品のテーマと深く関わっているのでは?と思わせる。

「倫理とは社会の規範に従うこと。」

「道徳は教え・経験から学ぶこと」

「学んだことをどう生かすのかが倫理」

 …などと作中では、生徒たちの回答が続いていた。

 この映画で対立するマカリスターとトレイシーは、いずれも、守るべきルールを破ってズルをしている。(倫理にしたがわない人間)

 しかし本人たちは自分のことを悪いとは思っていない。「私が生徒会長になった方が学校のためだから。」「人を踏みつけ上に行こうとするトレイシーに挫折を教えたい。」と、個々の道徳観によって、よかれと思って行動している。

 道徳観は人それぞれで、自分が良しと思っていることが、ときに人を傷つけることがある。個人がよいと思うことと、社会(他者)がよしとすることが相反することもある。

トレイシーとマカリスターは、 自分本位の望みを「こうやった方が〇〇(他者)のためだから」などと偽りの倫理を振りかざし、自分にとって都合のいい現実をつくろうとする。

 フェリスのように「自分のために自分がやりたいことをする」という自由さはそこにはない。ここが2人のイヤ~なところではないかと思うし、現実に「大義名分」を掲げて選挙に出馬する政治家に対する不信(タミーのいったような”どうせ自分らのためでしょ”という不信)にリンクさせているようにも感じた。

 

 

 “生徒会の選挙”というフィールドが“現実の選挙”にはね返って照らされるように、この映画の登場人物たちのイタさは、自分にも突き刺さってくるものがある。

 見ごたえのあるコメディ映画だと思うのだが、毒の強い独特な作品だと思う。