どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「まぼろしの市街戦」の不思議なユートピアに魅了される

1966年のフランス映画「まぼろしの市街戦」は、普段フランス映画・戦争映画をあまりみない自分の心にも突き刺さった大好きな作品。

 

公開当時、フランス本国での興行は振るわず、アメリカでカルト的な大ヒットになったというが、描いているテーマと裏腹に!?明るく楽しめる映画になっているところが凄い作品だな、と思う。

最近改めて観返したこの作品について少し語ってみたい。

 

 

とにかくストーリーが面白い!!

舞台は第一次世界大戦末期のフランスの小さな街…。

敗走中のドイツ軍は、撤退する際に、次に来る英国軍に打撃を与えようと、大量の時限爆弾を仕掛けていった。

レジスタンスのおかげで、事前に情報をつかんだ英国軍は、「フランス語ができる」というだけの理由で、伝書鳩係の通信兵・プランピックに、爆弾解除というムチャな単独任務を与える。

しかし、街に着いた早々、ドイツ軍に発見されてしまうプランピック。

慌てて建物に逃げ込むと、そこはなんと精神病棟で、避難した市民からも置き去りにされた精神病の患者たちが、わけもしらず、楽しそうに過ごしていた。

プランピックが、わざと”患者”のふりをして紛れ込み、やりすごすシーンが面白い。

その後、プランピックは再度逃亡するが、転倒して気絶。

その間に患者たちは、もぬけの殻となった街を自由に闊歩。動物園を解放し、各々好きな衣装を着て、役を演じ、ユートピアを繰り広げる。

f:id:dounagadachs:20190813215621j:plain

  

戻ってきたプランピックが、街の人に”化けた”患者たちに気付かず、とんちんかんな問答を繰り広げるが、これもまたケッサク…!

時代もてんでバラバラな色とりどりの衣装…ラクダの馬車…自転車に乗ったチンパンジー…古びれた聖堂…

パリ北部の街がロケーションらしいが、古い誰もいない街を、患者たちが自由にパレードする画がとても美しい。

 

そして、とにかく患者たちのキャラクターに、とても個性があって、笑ってしまう。

(脇役だけど、”公爵夫人”のマイペースすぎる末っ子のおじいちゃん?!がツボ)

 

「狂っているはず」の精神病棟の患者たちが、純真無垢で、愛らしくみえる…。そして、だんだん話が進むにつれ、そんなにおかしな人にみえなくなってくる…。

 「ハートの王様」として一行に迎え入れられたプランピックは、果たして無事に爆弾を解除できるのか…!?

 

 

まるで哲人集団!?の不思議な一行

精神病棟の患者たちは、みんな、他人を傷つけず、苛立たず、幸せそうに街で自由に過ごしていて、任務に必死なプランピックに優しく声をかけてくる。

「今を生きて。大切なのは今だけよ。」

「ここは劇場です。世界は劇場ですよ。」

「神は人の涙をお望みでしょうか。実は私たちの世界、すなわち神の国は、喜びにあふれています。」

「欲しいものは家にあるのに、なぜ旅へ?」

 

まるでこの世の真理を悟った哲人集団にもみえてくるから不思議だ(笑)。

 

途中、プランピックが、街の外に出ようとすると、後ろに続いていたはずの彼らがピタリと足を止め、プランピックに戻るように声をかけるシーンは、奇妙な雰囲気が一層際立つ。

f:id:dounagadachs:20190813215636j:plain

  

「外の世界は危険で邪悪」だから、自分たちはここに留まるのだという。

まるで外に出たら消えてしまう、まぼろしのような存在…。

なんだか「自分たちの世界(思考)からあえて出ない」という精神的な世界をあらわしたシーンにもみえる。

 

 

現実の残酷さも描いている

(ここからネタバレになってしまいますが)

ラスト近く…楽しいままの映画に終わらず、戦争(現実)の残酷さを唐突に突き付けられる展開になる。

爆弾解体を確信し駆け付けた英国軍と、爆発成功と勘違いしたドイツ軍が鉢合わせし、白兵戦に…。

2時間以上、たくさんのお金をかけて”戦争”を描く映画がある一方で、極めて規模の小さい、わずか数分もないような短いシーンで、戦争の愚かさを描ききるというのがまた凄い…!

 

患者たちは、”いくらなんでも芝居がすぎる”とこぼし、フランス軍と元の市民が戻ってきたのを頃合いに、なんと自ら、精神病棟へと戻っていくのだが、このシーンもとても不思議な感じだ。

家に帰ってきたかのように、病棟の入り口に鍵をかける主要キャラクターたちの顔はとてもしっかりしているようにみえる。

その後の展開(プランピックの行動)を考えても、「この患者たち(少なくとも公爵夫妻やエグランティーヌ)は、わざと病気のふりをしているのか?」「1番戦争から遠くいるためにあえて病気ということにしているのか?」などと疑問に思ってしまった。

でも改めてみると「患者たちが本当の精神病かどうか?」はさしてこの作品において重要ではないのかな、と思った。

さきにあげた「街の外に出ない」シーンで感じたのと同様に、この精神病棟(街)自体が、現実が厳しいときにも逃げ込める、他人に侵されない、自分の平穏な心…みたいなものの例えなのかもしれない、と思う。

そういうブレないものを持っている人は、実は強いのかも…と。

ラストのプランピックの決断も、「生きていればこそ…」というシンプルなメッセージにもとれるし、「周りを気にせず、自分がいいと思った場所に留まる」心の強さみたいなものにもとれるなあ、なんて思う。

戦争に限らず、人生そのものに色んなメッセージを投げかけてくれる映画なのかな、と改めて感じた。

 

フランス映画の知識がまったくなく、出ている俳優さんのこともよく知らずのままなのですが、コクリコ役のジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、公爵夫人役のフランソワーズ・クリストフ、娼館主人役のミシュリーヌ・プレール…女優陣が美しく、贅沢に感じました。

自分の心の中にずっと大事にしまっておきたいと思う作品。