どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「侍女の物語」の憂鬱な世界に圧倒される

本屋さんのSF本コーナーに置いてあり、比較的最近に読んだ本、「侍女の物語」。

「ハンドメイズ・テイル」という、話題の海外ドラマの原作のようで、以前から少し気になっていた。

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

カナダの作家、マーガレット・アトウッドによるディストピア小説で、1985年に出版されるやいなや、ベストセラーになったという。

ジョージ・オーウェルの「1984年」と比較されることも多いらしい。

映画にも、本にも、娯楽性を追求することが多い自分には、なかなか重たいハードな作品だったが、かなり読み応えのある1冊だったので、少し感想を書いてみたい。

 

※当方、ドラマは未観賞ですが、作品の内容及び、記事後半は結末に関するネタバレを含んでおります。

 

 

徹底した女性蔑視のディストピア

侍女の物語」の舞台は、「ギレアデ共和国」という、キリスト教原理主義独裁国家

(実はギレアデは、1985年近くの北米で、アメリカがもしこんなルートに入っていたら…という架空の世界である。)
生活環境汚染、原発事故、遺伝子実験などの影響で出生率が低下し、数少ない健康な女性はただ子供を産むための道具として、支配者層である司令官たちに仕える「侍女」となるように決められている。

 

本の帯に、主人公の”侍女”のビジュアルが載せられていたが、ギレアデでは身分によって、着用する制服まで決められている。

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●侍女……「健康な子供を産める可能性がある」と認定された、子供を産むための「器」。赤いローブのような服をまとう。顔をみられてはいけないので、外出時は、白いつばの長い帽子を被る。

●司令官……ギレアデで権力をもつ男性たち。黒い服を着る。

●正妻……司令官たちの正式な妻。侍女が子供を産んでも、正妻たちが母親となる。水色の服を着る。

●女中……家事一切をとりしきる存在。緑色の服を着る。

●便利妻……身分の低い男たちの妻。色んな雑務をする。ストライプの服を着る。

 

”仕事”をもっていいのは男だけだが、その男たちも、国に貢献しなければ、結婚することは許されず、侍女をもつことが許されない。

お互い監視し合い、反逆者には処刑か、汚染地帯にある収容所行きが待っている。

 

いやー、読んでて、「バカじゃないの、ギレアデは?!」と思ってしまいましたね。

子供を熱望しているのに、子づくりに励むのが、おっさん(じいさん)連中だけってどうなのよ…。

しかも、侍女と司令官の性行為には、正妻が立ち会い、3人の聖なる儀式として行われる。

これ男性の方もキツくないですか?義務感オンリーで、まるっきり楽しむ要素はゼロではないだろうか。

男も女もツライ、誰得なのよ、この世界は!?

 

前半は、「北米がこんなアホなことにならないでしょ」「たった数年でこんな独裁国家が成立するという設定自体、荒唐無稽すぎる」などと思いながら読んでいた。 

しかし読み進めると、次第に、「SF小説として読むのではなく、現実の社会を強烈に皮肉った寓話のようなもの…として受け止める物語なのかもしれない」と気付かされる。

 

「子づくりできるのは金持ったオッサンだけ」「少子化はぜんぶ女性の問題」「女の価値は妊娠できるかどうか」…

読んでいてすごい鬱なんですが、鬱な気持ちになるのは、現実で自分が同じような思いを抱いたことがあるからだと思う。

ふと目にしたニュースに嫌な気持ちになったり、おそらく悪気ない誰かの一言にモヤモヤしたり…

結婚も出産も、あるいは生まれてきた子供でさえも、ステータスのように捉えてしまう人はいないだろうか。それが愚かしいと分かっていても、”傷つく自分”もまたその価値観に囚われている人間の1人なのだと思う。

ゆったりとした衣装の下で、お腹が勝ち誇ったようにふくらんでいるのだ。(途中略)

わたしたちにとって彼女は魔法のような存在、嫉妬と欲望の対象であり、彼女がたまらなく欲しい。

司令官の妻は、赤ん坊をまるでそれが花束であるかのように見下ろす。

まるで賞品のように、贈り物のように。

侍女の物語マーガレット・アトウッド著 ハヤカワepi文庫 より抜粋

 

「産めよ、増やせよ」を主張するキリスト教原理主義国家の話だけれど、キリスト教圏以外にも当て込めて読むことができる作品だと思う。

女性たちの身分を区切り、女性同士グループで対立させるようにしている、ギレアデの制度はえげつない。でも「悪い誰か」探しになっているこの情景も、現実でありがちなことなのかもしれない…と思う。

 

 

あまりにも”普通な”主人公、オブフレッド

”女性が名前をもたない作品”というのは文学作品でいくつかあると思うが、本作の主人公は作品内で「オブフレッド」とよばれ、本当の名前が登場しないまま物語が終わってしまう。

彼女の主人である司令官の名前がフレッドなので、「フレッドの所有物」として呼ばれ、名前を持つことも許されていないのだ。

「女性は個人としてみなされない」という皮肉の意図もあるのだと思うし、また名前がないがゆえに、「誰しもが投影できる存在」として描かれるという意図もあると思うが、この設定は後半にも生きてくる。

 

そして、オブフレッドの年齢が33歳と、思ったより若くないのに少し驚いた。

キリストが人間でいた期間と同じ年齢というのには何か意味付けがあるのだろうか。

33歳って、なかなか、女性にとっては、結婚や出産の選択肢で悩む年齢なのかもしれない、とも思う。

オブフレッドには、「子供を産めば安泰」の未来が与えられるが、産まなければ、「不完全女性」として収容所行きの未来が待っている。リミットが迫っている中でのドラマだが、なかなか強烈な皮肉にも思える。

 

そして、こういう抑圧されたディストピアものに触れると、スティーブ・マックイーンのような反骨精神の塊みたいな存在が、体制に一矢報いながら戦うような、そういうカタルシスを自分は安易に求めてしまうのだが、オブフレッドはどこまでも「普通の人」だ。

心の底では「ギレアデなんて嫌」と思っていても、報復をおそれ、ひたすら従順で、まわりに流されつづける。

自分自身が、そして世の中の大勢の人がきっとこの主人公のような感じだと思う。とてもリアルな主人公だと思いながら読んだ。

 

 

司令官も可哀そうな人…と思いきや…

※ここから本格的に作品のネタバレに入っていきます。

ある日、オブフレッドは司令官から、2人でこっそりと”人間として”会ってほしいと頼まれる。

しかし司令官が求めてくるのは、他愛ないゲームや、おしゃべりばかり。

「なーんだ、男の方も寂しいんじゃん。」「司令官にもちょっと可哀相なところがあるなあ。」…なーんて思っていたのも束の間、ある夜、オブフレッドを実は身分の高い人間だけが利用しているという娼館に連れていき、そこで行為を迫る。

「このようなことは固く禁じられていると思っていましたけれど。」とわたしは言う。

「まあ、公にはね。」と彼は言う。「でも、何といっても、みんな人間ですからね。」

侍女の物語マーガレット・アトウッド著 ハヤカワepi文庫 より抜粋

なんだよ、結局、そっちですか。さんざん下の身分に禁じてることを自分らだけ嘘ついてやるってサイテーじゃないですか。

 

「自然の摂理として、男は多様な女を求めるのです。」(途中略)

「女もそのことを本能的に知っているんですよ。昔の時代に、彼女たちがあれほどたくさんの服を買ったのもそのせいです。」

 侍女の物語マーガレット・アトウッド著 ハヤカワepi文庫 より抜粋

いやいや、赤い衣装用意して、多様性奪ったのあなたたちなんですけど…。

 

「なんだよ!」と司令官の思わぬクズっぷりにガッカリさせられたが、この司令官とオブフレッドのやり取りは、理解し合えない男女の心理サスペンス!?のようなものを感じ、なかなか面白くもあった。

 

・「この人、もしかしていい人かも」→深く付き合ったらとんでもないクズ

・「いつもと違う雰囲気でメイクラブしよう」→マンネリを打開しようとあがく倦怠期の夫婦かよ!しかし女の気持ちは絶対零度ブルーバレンタイン状態。

・司令官、浮気がばれて、正妻に怒られる。愛人立場なし。→なんだかんだで正妻強し!

 

司令官は作品の後半で、「ギレアデ建国に貢献した、えげつない制度をつくりあげた本人で、かなり位の高い人物」だったことが判明する。

しかしオブフレッドも(読者の自分も)途中まで、「司令官そんなに悪くなさそう」という印象をもっていた。

冷酷な独裁者も家庭の中では、礼儀正しいごく普通の人間にみえる…。一緒に住んでいる人間の本性すら分からない…。

途中、オブフレッドが、子供の頃にみたという、強制収容所のドキュメンタリーの話がでてくるのだが、「ナチスに囲われていた愛人の話」がそのまま主人公の立場に置き換えることができて、ここにはゾッとするものがあった。

 

 

最後の数ページ…まさかのどんでん返し!?

侍女の物語」はオブフレッドのストーリーが終わったあと、ラストに解説と見まがう”続きの本編”がある。

個人的に、これがあるかないかで、作品の印象がガラッと変わると思った。

約200年後の未来…2195年に、「過去にあったギレアデ政権を研究している人たち」の世界歴史学会の議事録なるものが最後に載せられていて、読者は、「よく知らない未来の人が、さっきまでの物語の解説をする」という極めて不思議な状況に出くわす。

 

ここで、この「侍女の物語」が、誰かが「テープに録音したもの」で、「発掘された貴重な史料」だった…ということが判明する。

「ギレアデ」では女性の読み書きが禁止されているという設定なので、日記文学として読むには違和感があったのだが、口頭で残したものだということに素直に驚く。

そして、おそらく「侍女の物語」は、100%の真実ではないと…主人公が”自分を守るため”虚実をいれつつ、紡いだ物語なのだと知る。

物語は手紙に似ている。親愛なるあなたに、とわたしは言おう。ただ、名前のないあなたに、と。

(途中略)

あなたはひとり以上のものかもしれない。あなたは数千人の人間かもしれない。

  侍女の物語マーガレット・アトウッド著 ハヤカワepi文庫 より抜粋

 

時折主人公が「こちらに語り掛けてくる場面」にも合点がいき、主人公に名前がない必然性もここでさらに高まる。

そして何より…!!

オブフレッドのことを先ほど、「ごく普通の反骨精神のない人」よばわりしたが、「侍女の物語」のテープを残すことは、匿名でリスクを軽減させたとはいえ、かなりの危険があったはず。それでも、伝えたい思いで必死で紡いだ物語だったのだと、そういう人物がいたのだと、ここで見事に主人公像が裏切られたのだと知る。

 

 「名前のない誰か」が、フィクションの力を借りて、あげた声…

このラスト数ページはメタ的な構造をもっていて、物語の語り手(オブフレッド)が、「80年代に女性蔑視を批判した」作者アトウッド自身である…ともとれるのかもしれない。なかなか自分はここでどんでん返しをくらった気持ちになってしまった。

 

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2017年に開始したドラマの方は、第3シーズンまでhuluで放送していて、第4シーズンの製作が決定したとニュースでみた。メインビジュアルをみても、なかなか「怖そう」な作品に感じてしまう。

 

エンタメ性が低いからこそ原作の評価が高いのだと思うけれど、ドラマ版の方は、もっと女性が手を取り合って、戦っていくんだろうか…などとギレアデぶっ壊してしまうような脚色を期待してしまうなあ…。