映画「ナインスゲート」といえば…ジョニー・デップ主演、ロマン・ポランスキー監督の2002年の映画。
ナインスゲート ―デジタル・レストア・バージョン― [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2011/06/24
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オカルト雰囲気のサスペンスホラーとして賛否両論だったと思うのですが、自分はラストも含めピンと来ず、ガッカリした映画でした。
しかし映画を観たあと、図書館でたまたま原作本を発見し、手にとってみたらこれが面白くて…。
「ナインゲート」の原作は、スペインの作家、アルトゥーロ・ペレス・レベルテが1993年に書いた小説で、原題は「呪のデュマ倶楽部」といいます。
映画では、「九つの扉」という悪魔学の本を巡ってのサスペンスだったけれど、原作は、これに加え、デュマの「ダルタニャン物語」の肉筆原稿を巡る、もう1本の話が大きく絡んできます。
話がややこしく、キリスト教の知識や文学の素養が相当ないと、ちんぷんかんぷんな作品…。
読書家からほど遠い自分には「わからん、わからん」と呟きながら雰囲気を楽しむばかりの作品だったようにも思うけれど(笑)、この小説自体がそもそもふざけていて、全編ジョークのような作品になっているのではないかと、個人的には思っています。
少し内容を整理しつつ、感想と、なぜ映画版は失敗だったのか…について語ってみたいと思います。
※何もかもネタバレしています。
主人公は、”本の探偵” コルソ
主人公は、稀覯本、アンティーク製本の発掘・売買を生業としている、コルソという40歳の男性。ここは映画と同じ。
”ちょっとレアな古本”の域を大きく超えて、200年前、500年前の、もう歴史の史料といっていいような、超高価な本を、お金持ち相手に、売ったり、買ったり、調査したりという珍しい仕事をしています。
「ちかごろ印刷される本の平均寿命を知っていますか?」
「哀れにもたったの60年ですよ。」
「それに比べてこういう本は200年もしくは500年前に印刷されているのに、いまだに完全無欠のままです…現代人は現代社会と同様にふさわしい本を楽しんでいるわけですよ。…」
「呪のデュマ倶楽部」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著 集英社 より抜粋
上記は、アンティーク本の製本・修理を生業とする職人のセリフなのですが、知られざる古い本たちの世界にひきこまれてしまいます。
余談ですが、作者(ペレス・レベルテ)の若いころの写真と映画のコルソ、ちょっと雰囲気似てる!?
物語はコルソが2つの依頼を受けるところからスタートしますが、ややこしいので、2つの物語を、完全に別個に整理して、追いかけてみたいと思います。
呪いのデュマ倶楽部編
事件の発端
著名な出版社オーナー・エンリケが自宅で首を吊って死体で発見された。
死んだエンリケは、「三銃士」第42章のデュマ本人による肉筆原稿…というレアなアイテムを所有しており、死ぬ直前にそれをとある書籍販売業者に売却していたのだが、その真贋鑑定を依頼されたのがコルソだった。
原稿の情報を追うコルソは、頬にキズのある”ロシュフォールのような男”に追いかけられたり、ミレディーのような謎めいた美女・エンリケの未亡人・リアナに迫られたり…と不思議な体験に見舞われる。
果たして、事件の真相は…??
事件の真相
エンリケは、デュマを崇拝する”デュマ倶楽部”のなるもののメンバーによって殺害された。(正確には自殺に追い込まれた。)
エンリケもデュマ倶楽部の一員だったが、自分の出版物のために倶楽部を利用しようとしたり、実は大してデュマファンではなく、むしろ馬鹿にしてたりして、それが代表メンバー・ボリス・バルカンの怒りを買った。
倶楽部所属だったはずの42章原稿を勝手に売ろうとしたエンリケは、とうとう殺されてしまう。
…っておいおい、なんだこのふざけた話は…。読書ファンの喧嘩って…。
しかし、このふざけた話を、ものすごい知識量で、ものすごいシリアスにやってくれるから、可笑しいんです…!
以下、デュマパートのここが面白い!!というポイント。
登場人物がイカれてる
デュマ倶楽部は、世界各国の著名人・インテリが揃う、秘密組織のようなデュマのファンクラブだが、あきれるほどの奇人変人の集まり…。
熱烈なミレディーファンで、「三銃士」に入れ込むあまり、自身をミレディーに重ね、同じ刺青も彫っている。
「巨大な陰謀に巻き込まれているかも…」なんて思っていたコルソだけれど、追ってきたロシュフォールのような男の正体も、実はリアナが雇った役者ということが分かり、いい大人が、真剣に「三銃士ごっこ」をしていたのだと分かるオチが強烈すぎる…。
映画だとリアナは、エキゾチック美女、レナ・オリンが演じていました。
デュマ倶楽部自体の内容がカットされていたので、大幅に脚色されている役です。
原作では、「リアナはキム・ノヴァクみたいな美人」と繰り返されるので、作者のミレディー・イメージは「めまい」なんですかね。
作中のミレディーのごとく、リアナはダルタニャンを憎んでますが、彼女の「銃士批判演説」はなかなか面白いです…!
壮絶なデュマうんちくがすごい…!
デュマが幾人ものアシスタントを使い、虚実おりまぜながら、連作小説をつくっていた…というバックグラウンドのエピソードの数々が、本の中で語られ、作家の歴史を知ったような気分になれるのが、なんとも楽しいです。
デュマ最後の情婦の話など、「どこまでがホント!?」と疑いたくもなるけれど、この作者自身、相当のデュマファンのよう…。うんちくがとにかく面白い…!
またデュマ・パートの話全体のつくりが、
コルソ=ダルタニャン リアナ=ミレディー ボリス・バルカン=リシュリュー ラ・ポンテ=フェルトン エンリケ=アトス
…と、「三銃士」のパロディーになっているという構造…。
物語途中にて、バルカン(リシュリュー・ポジションの人)の独白部分が不自然なかたちで複数回、挿入されるのですが、こちらは、シャーロック・ホームズのパロディーなのか、なんなのか…。
デュマ含め、文学知識のある人が読めば、「これ、〇〇やん!」というのが盛りだくさんの、おもちゃ箱のような仕掛けになっているんだろうなあ…と思いつつ、分からない自分も雰囲気で大いに楽しんでしまいました。
- 作者: アレクサンドル・デュマ,竹村猛
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2009/10/23
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自分は、この作品を読んだ後、「三銃士」だけでも読まねば…!と手にとった次第です。
”大衆娯楽をバカにするな!!”の熱き咆哮
実際、デュマは現実において、「大衆娯楽の作家で文学的価値が低い」と度々評価されてしまうことがあるようです。
これに異議を唱えるのがデュマ倶楽部の面々…。
大人になるとみんな、インテリな感じの作家持ち上げるけどさあ、デュマみたいな作家こそホントは稀有なんだよ!と力説しはじめる(笑)。
「単なる消費財として構想された小説や映画が絶妙な作品になることも大いにあるんだ。
『ピクウィック・ペイパーズ』から『カサブランカ』や『ゴールドフィンガー』に至るまで、その例は枚挙に暇がない。意識的であろうとなかろうと、大衆が楽しみを求めて集まってくるそれらの作品は原型で満ち溢れている。」
「呪のデュマ倶楽部」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著 集英社 より抜粋
もしかして、「魔宮の伝説1番好きで何が悪いねん!」みたいな話してる??
せやせや!と大きく相槌をうちたくなる、デュマ倶楽部の主張がアツい…!
そんなデュマ倶楽部編が、もう1つのオカルトパートとどう絡んでくるか…というと、一切絡んでこない(笑)。
「オカルトって…バッカじゃね!?」と現実とフィクションを混同している狂気のデュマ集団もドンびきで相手にしない「九つの扉」編…こちらは一体どんな話でしょうか…!?
「影の王国への九つの扉」編
デュマ倶楽部編と交互に話が展開していく、オカルト本「九つの扉編」ですが、映画版の大筋は、原作の内容に沿っています。
…但し、オチが映画とある意味正反対になっていて、それが私が映画版をよしとしない大きな理由です。
ややこしかったけれど、推測も込みで内容を整理…!
事件の発端
コルソは、大富豪にして悪魔学の書籍コレクター・バロ・ボロハから、自分が所有している「九つの扉」という本が”本物”なのかどうか、調査してほしいと依頼を受ける。
「九つの扉」は、オカルトを嗜む人たちの間で名高い超貴重な本。
17世紀、トルキアという印刷屋が、悪魔を呼び出すマニュアルとして出版しようとしたが、異端審問にかけられ、本の所在不明のまま火あぶりに。
「九つの扉」は実は3冊あり、歴史の中で出没を繰り返し、どれが本物か分からないという。
コルソは残り2冊の所有者とコンタクトをとり、真相に迫ろうとする…!!
事件の経過
・アンティーク本の製本・修理の職人、セニサ兄弟を訪れてみるが、「ボロハ所有の本は本物だと思う」といわれる。
・2冊目・3冊目…それぞれの「九つの扉」の所有主を訪れたコルソは、版画の違い・彫られたイニシャルの規則性に気付くが、コルソの訪問後、所有者たちは何者かに殺され、本は盗られてしまう。
・それと同時に、コルソの前に「緑の目の美人」があらわれ、度々コルソのピンチを救ってくれる。自身を”悪魔みたいなもの”…と語るこの美女の正体は…!?
事件の真相
一連の殺人事件の犯人は、コルソの依頼人・バロ・ボルハ。
ボロハは、マジのオカルト信者で、「九つの扉」に執着し、悪魔を召喚しようとしていた。
そして、その秘密を自分だけのものにしようと、残りの手がかりとなる本を破壊し、殺人を犯し、コルソのことは真相にたどり着くための鍵として利用した。(ベタな展開)
本については、儀式の要となるらしい版画が、3冊の本に散りばめられていて、「3冊とも本物」だった。
版画に仕掛けられた鍵を解いたボルハは”儀式”を行うが、なんと版画のうちの1枚がセニサ兄弟がつくった偽物で、誤っての解読になり、儀式は失敗に終わってしまう…。
コルソは、ボルハにもオカルト儀式にも目もくれず、現実の自分の世界へと戻っていく…。
「九つの扉」編は、なかなか複雑…。
単行本に載せられている版画を自分でも見比べたりするのは楽しかったんですけど、いかんせん脳みそが足りなくて、結局何が暗号なん…と呆然(笑)。
ディティールが理解できないのはさておき、それにしてもいくつか謎が残ります。
セニサ兄弟は、なぜ版画をすり替えた…!?
これが最大の謎かもしれません。
子供っぽい気まぐれにしてコレクターへの神性冒涜であったことに違いはなかった。
《彫刻はセニサ》これもすべては芸術への愛のためだった。
「呪のデュマ倶楽部」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著 集英社 より抜粋
映画版のセニサ兄弟は不気味でしたね…。まるで彼らも実体のない悪魔か何かのようでした。
しかし「悪魔召喚する奴にバチがあたるように意地悪してやろ!」という解釈は、原作に登場したセニサ兄弟の人物像に当てはまらない気がします。
原作のセニサ兄弟はもっと現実的で、唯一コルソと対等に話ができた、気の合う”仕事人”のような雰囲気を自分は感じました。
「この世に2冊として同じ本はありません。生まれるときにすでに若干の違いがある上に、その後、それぞれの本が異なる生き方をするからですよ。紛失するページもあれば、差し替えられるページもあるという具合で、運命に弄ばれるんです。」
「呪のデュマ倶楽部」アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著 集英社 より抜粋
物語のはじめから、コルソだけが、セニサ兄弟と同じ視点を持っていたように思います。
何百年前の本を、完璧に再現してみせる腕前…。
その技術を誇りに思い、試したいという欲求を持ち、利益度外視で、本への愛でもって復元してみせたセニサ兄弟…。
虚構に恋い焦がれたボロハが、現実でもっとも的確な仕事をする人間に敗北する…というストーリーの解釈が、自分には好ましく思えました。
緑の目の美女の正体は…??
映画ではポランスキーの嫁さんが演じていた緑の目の美女。
原作では、イレーネ・アドラーと名乗り、見た目は18~20歳ほどのショートカットの美女…というので、謎めいた雰囲気はぴったりなものの、少しイメージが違うかもしれなません。
この緑の目の美女だけは、本当に”虚構”の存在だと自分は思いました。
悪魔…というより堕天使なのかな…。
それが、みんなの(ボロハのような人たちの)描くイメージと違って、大きな目的があるわけでも、属している集団があるわけでもない、極めてドライな個人として描かれているのが面白い。
悪魔(堕天使)に善悪がないということは、もしかして神様にも…。
日本人の自分はいかんせんキリスト教的世界観が分からんのですが、ダンテとかミルトンとか読んでいる人は、「九つの扉編」も、ものすごいパロディーとかに気付けるのかもしれない…とテキトーなこと思いながら、読みました。
「美女の正体はコルソの精神投影」(別人格・スタンドみたいなもの)とも解釈できそうですが、コルソ以外の人物とも普通に会話しているし、「美人の悪魔が自分に恋してくれる」というラノベ展開の方が個人的には、楽しく読めますね。
コルソのカッコよさが際立つ、原作のラスト
原作のラスト…悪魔を召喚しようとするボロハが、熱っぽく、狂気にかられているのに対し、コルソはどこまでも冷静。
延々とわけわからん呪文みたいなのいってるボロハに、「金払え」と依頼料の請求だけを繰り返すコルソの対比が、可笑しくて、笑いがとまりません。
映画版では、ラスト、コルソが「影の王国への扉」に興味を持ち、悪魔に誘われて、闇の世界に…みたいな展開になっていたと思います。
いやいや、コルソがオカルトにもフィクションにものまれない、超冷静な現実人間だからこそ、カッコいいのよ…!
そんなコルソに本物の悪魔が惚れたのよ…!
映画版のコルソは、悪魔に助けてもらってばっかりであまり賢そうにみえないし、「優秀な傭兵」という、オカルトに興味がない落ち着いた人間かと思いきや、いきなり版画を追いかけたりして、行動に一貫性がないのが、腑に落ちませんでした。
映画「ナインスゲート」はオカルト部分だけを抜粋し、独特の雰囲気のある作品にはなっていましたが、デュマの虚構を引き合いに出したうえでオカルトを笑い飛ばすような”ユーモア”の原作とまるで真逆の作品になってしまっているのは、残念…!
ホラーとしてみるには恐怖が足りないし、人物の描写が中途半端…。
映画版でも、印象深かった、「私は実際に悪魔をみたことがある」と語ったウンゲルン男爵夫人のキャラクターも、原作だともっと面白いです。
「ナチスにすべてを奪われた」と語りつつ、実は親衛隊と親交があったという食わせ者。
そして悪魔本のコレクターかと思いきや、本の扱いは案外雑で、割り切って金儲けにオカルトを利用しているという、ビジネスマン(笑)。
色んな本好きの登場人物、それぞれの姿勢と狂いっぷりがとにかく面白いのです。
ポランスキー監督自身、波乱万丈な人生のせいで、「オカルト」に囚われている人なのかも…なんて思ってしまいますが、この作品はそんなイメージから依頼されて、「ビジネス」で撮ったんじゃないかな~なんて邪推かしら。
原作者のペレス・レベルテは、元々は戦争ジャーナリストだったとのこと。スペイン本国では、ジュブナイルファンタジー!?「アラトリステ」の大ヒットで有名みたいです。
「呪いのデュマ倶楽部」は、ミステリとして読んでしまうとダメダメかもしれないけれど、ものすごい量の文学知識と皮肉に圧倒される楽しい作品でした。
機会があれば他の作品にも挑戦してみたい。三銃士の続きも時間さえあればなあ…。