どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「サンゲリア2」…フルチ不在、欲張りハッピーセットなゾンビ

サスペリアPART2」だの「続・荒野の用心棒」だのいい加減な邦題が多いこの界隈、「サンゲリア2」などと言われても「お前は本当にサンゲリア2なのか?」…と訊きたくなるものですが…

内容的には全く繋がっていないものの一応当初はフルチの「サンゲリア」の正当な続編をつくろうという意気込みのもと制作された作品のようです。

そもそもロメロの「ゾンビ」に便乗して「ゾンビ2」と勝手に名乗ったのが「サンゲリア」…

f:id:dounagadachs:20211107211841j:plain

日本の配給会社は「サスペリアがヒットしたからサ行の5文字で行ったろ!」と思ったのかこんな命名となり、原題・邦題は並べてみると結構ややこしいことになってます。

さて88年公開の「サンゲリア2」、病気のフルチがフィリピンロケに耐えられず途中降板。ブルーノ・マッティという監督が後任について残り半分くらいを担当したらしくかなりチグハグな出来栄え。

サンゲリア」(1作目)の功労者である特殊効果のジャンネット・デ・ロッシや音楽のファビオ・フリッツィも不在…グロ描写はあってもいつものフェティシュな感じはなくフルチらしさ皆無の作品です。

けれど見所がないかと言われればそうでもなく、色んな映画からちょっとずつパクってきたような既視感ありありの内容が清々しく、B級ゾンビ映画の欲張りハッピーセットみたいな1本になっていました。

 

冒頭、出だし「デモンズ」に似た感じの曲が流れる中、旋回するヘリコプターから捉えた映像はどことなく「死霊のえじき」を彷彿とさせる幕開け。

舞台はフィリピンにある米軍管轄の研究所。
ある日生物兵器のサンプルがテロリストによって盗まれてしまいます。

中には感染すると人肉を食って暴れるようになるウイルスが入っており、持ち逃げしたテロリスト自身が感染しゾンビ化。

軍が到着してその死体を焼却しますが、細菌が煙とともに拡散、鳥や人に感染が広がってしまう…と完全に「バタリアン」な展開。

特効薬を開発しようとする研究者と市民を丸ごと犠牲にしようとする軍部が対立、ガスマスク付けた軍人がゾンビを殺戮するところはロメロの「ザ・クレイジーズ」のよう…

f:id:dounagadachs:20211107203454j:plain

なんか色々混ざったようなプロットが贅沢です(笑)。

本作に登場するゾンビは大半がゆっくり歩きのゾンビですが時々めちゃくちゃ動きが俊敏でナタで攻撃してくるような奇行種が…さらには記憶を保持して言葉を発する者までいて設定がまばら過ぎる!!

しかし異国情緒漂うロケ地には雰囲気があり、多勢に無勢で囲まれる場面などはちゃんと危機感が出ていたりと良い点もチラホラ。

プールで溺れた女性を助けに行って岸まで引き上げたら下半身がない…!!はおっと思う名シーンでした。

残念なのは視点の定まらないストーリーで主役かと思ったキャラクターが死んでは中途半端に交代を繰り返す…

監督降板劇もあってこういうチグハグな脚本になってしまったのかもしれませんが、主人公に感情移入できるかどうかがサバイバルものの肝なのにこれが大きく削がれてしまってるのはイタいです。

しぶとい奮闘ぷりが勇ましかった軍人・ロジャーが感染ゾンビと間違えられて撃たれる様は「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のラストが頭をよぎります。

f:id:dounagadachs:20211107203459j:plain

↑倒れ方はエリアス軍曹っぽい(笑)。

幕間には黒人ラジオDJのキャラクターが登場し、事態を警告するアナウンスが再三流れますがこういう演出もロメロっぽい。
男女2人がヘリで逃げるラストも完全に「ゾンビ」でした。

本家「サンゲリア」にあった荘厳な雰囲気や終末感はゼロ、ゾンビの出来も土中ミミズゾンビのようなインパクトのあるものはおらずオリジナルの世界観みたいなのが全くない作品でした。

フルチらしさが感じられず本人も自分の作品じゃないと言ってるらしいのには納得。

でもなんでしょう…色んな作品を都合よくごった煮した80年代B級映画の残りカスみたいな感じ、自分は嫌いじゃなかったです。

ゾンビと対決するシーンで毎回かかるBGMが戦隊モノみたいな曲だったり、特殊メイクが顔部分しか施されていなかったり…全編粗が目立ちますがフルチ不在の中必死に切り貼りしてつくった懸命さはなんか伝わってきました。

タイトルは「サンゲリア2」より原題「Zombi3」の方がしっくり来るかも…B級ゾンビ映画が好きなら充分楽しめる作品として評価したい1作でした。

 

「月の輝く夜に」…あっけらかんイタリアンファミリーがみせる謎の生命力

1987年公開、ノーマン・ジュイスン監督によるラブコメディ。

シェール×ニコラス・ケイジの濃すぎるカップルもさることながらほんのちょっとしか出ない脇役もやたら個性の強い人ばかり…フリーダムなイタリア一行に爆笑しながら観てしまいます。

ニューヨークに住む37歳のロレッタ(シェール)はある日幼馴染のジョニーからプロポーズされます。

愛情がないのに妥協してOKしてしまうロレッタ。

「式はどうするの?」 
「お袋が危篤だ。死んだら挙げよう。」
「いつ死ぬの?」

めっちゃ不謹慎(笑)。

男の方も指輪の存在すら忘れててやる気あんのかいって感じのゆるゆるプロポーズ。

おまけにロレッタは「あれやらないと縁起悪い、悪運を呼ぶ」だの言い出して完全に迷惑なスピリチュアルさん…

…かと思いきや実は前夫を事故で亡くしているロレッタ。「思うような人生じゃなかった」「色々失って守りに入った」そんな喪失感を感じさせて切なかったりもします。

危篤の母を看取りにイタリアに発ったジョニーは弟のロニーを式に招待するようにロレッタに頼みます。

その弟役がニコラス・ケイジですが…

f:id:dounagadachs:20211103210643j:plain

↑この貫禄で23歳とか嘘やろ…

兄貴の話を聞くやいなや荒ぶるロニー。
5年前ジョニーがパンを注文してる時にスライサーで自分の手を切ってしまい片手が義手に。以来兄とは絶交してたのだとか。

気の毒だけどそれ自分のうっかりミスで兄貴のせいじゃなくね??…と思うけどニコラス・ケイジに「理屈じゃねえ!」と凄まれると何も言い返せません(笑)。

お互い失ったもの同士で気が合ったのかシチリア人の稲妻ってヤツなのか、ロレッタとロニーは恋に落ちてしまいます。

普通に考えたら不倫略奪愛どーなんって話ですが、2人リンカーンセンターにオペラ聴きに行く場面が人生で切り取られた良い思い出の瞬間って感じでとにかく美しい。

待ち合わせでなかなかお互いに気付かない2人にドキドキ、ステージじゃなくて好きな女性をじーっとみるニコラス・ケイジの視線がアツい…

冒頭では全く色艶のなかったシェールが白髪染めしたとたん一気に若返り、美女に変身するのもロマンチックです。

f:id:dounagadachs:20211103210651j:plain

リトルイタリーに住むロレッタは両親、祖父、伯父伯母と同居してて3世帯ファミリー、こういうところがイタリア人らしいというべきなのか、このファミリーの様相が本作の肝だと思われます。

ロレッタのロマンスと並行して描かれるロレッタの父母の夫婦関係。

実はお父さんは別の女性と浮気しててそれに気付いてるお母さんは1人傷ついている…

二世帯で浮気してんのかよ!?と恋多きイタリア人にドン引きですが、お母さんは最終的にお父さんを許す。

この結末も今風の映画と全く違ってて、お母さん浮気し返して別の良さげな男性とくっつけば良かったのにね…って思っちゃいますが、「教会で懺悔してきてね」で仲直りするっていう…

明るいおちゃらけ映画のようでいて老いや喪失を描いた作品であるのは確かで、大人になって観るとこれも懺悔系映画というか年取ったら許されたい系映画なのかなと思いました。

なぜ男は女を追いかけるのか??の答え、「死が怖いから」は真理ではないかと思いました。
若い女性追っかけちゃう大学教授が「相手の目に映る若かった頃の理想の自分をみる」って台詞がなんか切ない。

映画全編とにかく食べてるシーンが多く、エスプレッソ、ワイン、ステーキ、トースト…地味に飯テロ映画でもあります。

家族皆揃ってご飯食べて、それでなんか全部許される…

自分じゃどうしようもできない性とか親から受け継いだものに悩まされることってあって、「ゴッドファーザー」とかだとその暗い面が描かれてると思いますが、この映画は「俺たちはイタリア人だ!」(ドンッ!!)って感じでここまで来るといっそ清々しい気持ちに(笑)。

人間業深くて傷つくことも沢山あるけど愛や幸せを感じる瞬間があればそれでいいのかも…登場人物からほとばしる強い生命力に圧倒されてしまいます。

犬5匹連れてるおじいちゃんかわいいと思ってたら最後にビシッと決めてくれて1番カッコいいのがギャップ萌え。

ツッコミどころは山程あるのになぜか不思議な完成度でみると元気のでる作品でした。

 

デンゼル・ワシントン「フライト」…依存症ダメ男の懺悔がジワジワくる

成功率0%の奇跡の不時着を成し遂げたパイロットはドラッグ服用者でアル中だった…

麻薬の効果の良し悪しを問うような作品になっているのかと思いきやそうでもなく…
過酷な航空会社の勤務形態が明かされ経営者vs労働者のドラマが繰り広げられるのかと思いきやそうでもなく…

予告編から予想した内容と大きく異なる作品でしたが、デンゼル・ワシントンのダメ男っぷりが素晴らしくジワジワくる1本でした。

酒、女、薬、タバコ…これにギャンブルが加われば役満って感じのウィトカー機長。

人の命を預かるプレッシャーの大きな仕事に就いていてアラフィフになって肉体的な衰えを感じている。

同期は管理職ポジに落ち着いているけど自分はずっと現場。教職とかについても良さそうなのに現場で淡々と仕事してる方が向いてそうな性格。

主人公の生育環境とかが分かりやすく語られるわけではないけど、実は繊細で1人が苦手なタイプで…色々想像させてくれるデンゼル・ワシントンの演技が素晴らしく、悪い男というか気難しい男の役がめちゃくちゃハマってます。

クライマックス、ホテルに缶詰めになった主人公が酒瓶開けてグッチャーなとこは「だよねー」とむしろ安心感が込み上げてきました。

一朝一夕で我慢できるような人間ならアル中にはならんでしょうよ、と誠実さを感じる展開でした。

この映画、酒については依存性が強調されてますが、ドラッグについてはある種魔法の薬として描写されているように感じました。

グデングデンな主人公が一瞬でシャキッとする。
冒頭の奇跡のフライトも主人公の元々の有能さの賜物であると同時にコカインの力で高められた集中力がてき面に効いたからこそだった…そう考えると複雑なものも残ります。

病院の階段でプカプカ煙草吸ってた末期癌のお兄ちゃんの姿も「薬も宗教も必要な人に正しく使えば救いにもなる」という肯定の描写にみえました。

一方こういう依存症の人に周りがどれだけ傷つけられるかというのは丁寧に描かれていて、信じては裏切られての繰り返し…突然お宅訪問した元妻や子供のリアクションなんかもすごい真に迫ってました。

けど最後、突然全て許されたかのようなラストでええーってなる(笑)。

映画のそこかしこに「信仰」や「神の思し召し」的なワードが散りばめられてましたし、宗教映画というか主人公が罪を告白する懺悔系映画…

ゴッドファーザーPart3」とかイーストウッドの「運び屋」とかの路線でしょうか…今まで散々好き勝手やってきといて悔い改めれば全部許されるって都合良すぎひん??とか思っちゃうけど、「自分と向き合って過ちを認められるようになる」っていうのは大人になって歳を重ねるとジワジワ沁みるテーマのように思われます。

自分の好きな鬱小説、アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」という作品ではアラフィフの主婦がふと人生を振り返り「もしかして自分はずっと夫や子供を傷つけていたのではないか」と省みます。

主人公女性は発言小町にでも出てきそうなウンザリするような嫌な女ですが、「結局自分の価値観でしか物事をみておらず自分本位に他人を傷つけているのでは…」というのは程度の差こそあれ誰にでも当てはまることではないかと思います。

けれどこの女性は結局自分に嘘をついて楽な方に逃げてしまう、家族にも謝らず本心を誰にも打ち明けないまま自分と向き合うのをやめてしまう…

歳とともに賢くなって視野が広くなればいいけどそういう人間ばっかりじゃなくむしろ狭められた自分の価値観の中に無意識的に逃げる人の方が多いのかも…

そうすると「フライト」のラストにウィトカー機長が自分を認めて曝け出した「俺は嘘つきだ!」の告白は凄い価値があるものなのかもしれません。

自分と向き合って他人と本当の意味で心を交わすことができるようになったラストは一見底抜けハッピーエンドに見えるけどここに味があるように思いました。

飛行機の落下した場所にいたのがペンテコステ派の信者だったり、キリスト教系の知識が乏しい人間には???なところも沢山。
主人公の「俺は人生で初めて自由になった」という台詞はよく聞く「私は盲目であったが今はみえる」って言うのと同じようなものなのかな…

聖書に「放蕩息子」というグレた不良息子が改心して帰ってきたのを親父さんが喜ぶっていうエピソードもあったけど「1回もグレなかった兄貴の方が偉いやろ」って思ってた自分…でも多分そういう話じゃないんでしょうね(笑)。

神様の慈悲深さとか言われるとピンと来ないけど、自分の過ちを認められることにはすごい価値がある、自己を厳しくみてこそ初めて人は成長できる、自己啓発系な話に捉えると親しみを感じられました。

認知もなくなるような状態になる位溺れていくものって怖いなあと思うけど、人間生きてれば誰しも何かを利用してストレスを解消しているもので、大勢の人と話すのがいいって人もいれば1人で本読むのがいいって言う人もいて…ホラー映画みてすっきりするような自分は大概な現実逃避依存症だと思うのですが、ふとしたきっかけで何にハマるかは分からんもんなのかなと思います。

主人公のウィトカー機長もヒロイン女性も子供を助けに行って亡くなった同僚女性も皆根が真面目そうな人ばかりで、そういう人が心壊しちゃったっていうのは切ないですね…

ジョン・グッドマンのテキパキしたヤクの売人、何だかんだで面倒見いいドン・チードルの弁護士…脇役の登場人物もそれぞれキャラが立っていて、皆もっと出番あってもよかったのになーって位勿体なかったけど、主人公メインでじっくりやってくれたからこそ良かったのかなと思いました。

ジワジワと残る作品でした。

「マンハッタン・ベイビー」…フルチのビヨンド風エクソシスト

82年制作、ルチオ・フルチ監督によるオカルトホラー。

マンハッタン・ベイビー [Blu-ray]

マンハッタン・ベイビー [Blu-ray]

  • クリストファー・コネリー
Amazon

ローズマリーの赤ちゃん」を想起させるタイトルですがどっちかと言うと「エクソシスト」をトレースした内容に思われました。

位置付け的には絶頂期を過ぎてパワーダウンしてきた頃の作品だけど、うーん確かにビミョー…

マンハッタンって言うとるのにストーリーはエジプトから開始。

考古学者のジョージは妻・エミリーと娘・スージーを連れて発掘調査に勤しんでいました。

このエジプトロケのせいで予算がとられ後半やりたいことが出来なかったそうですが、誰もいないピラミッド内部は異世界感があってかなりいい雰囲気。

1人はぐれたスージーは突然現れた盲目の老女から謎のペンダントを渡されます。

f:id:dounagadachs:20211024070929j:plain

↑これが幻の千年アイテム!!

その後マンハッタンに帰った一家は1人お留守番していた幼い息子・トミーとも合流、日常に戻りますが謎のペンダントに魅入られいくスージー

日に日にやつれていき、さらに一家の周りの人々が死亡・行方不明となっていきます。

なんとスージーの拾ったペンダントは5000年前エジプトに存在していたという邪神ハプヌブノアの物で地獄へと続く時空の門を開ける力があるらしい…

またコレ系かい、というお馴染みの内容(笑)。

冒頭のエジプトロケはメリン神父がイラクで墓掘りしてたシーンと雰囲気が似てなくもないし、現代科学を信じる母親が弱っていく娘を前に「どうしてこんなことに…私たちは無力だわ」と呟くところなども「エクソシスト」をかなり意識しているように思われました。

ホンモノと違ってこちらは家族の人間ドラマは皆無、突然現れた骨董品屋の親父さんがカラス神父ポジで身代わりになってスージーを助けてくれるというストーリーも強引すぎる…

フルチなのでストーリー云々はさておき、それでもオカルトの雰囲気はそこそこ楽しめる作品にはなっていました。

犠牲者が一瞬でエジプトに転移したり、突然部屋の床が砂だらけになっていたり…となんか発想が普通の斜め上行っちゃう不可思議なオカルト現象はオモロかったです。

何より自宅の部屋の扉が地獄の門と化してしまったというファンタジー…「ガバリン」とか「ポルターガイスト」にも似てますがこういう雰囲気づくりはフルチらしく上手。

部屋の階段を上から捉えたショットは印象的でビヨンドのような「この世に存在していないどこか」感が漂っていて良かったです。

本作の音楽はファビオ・フリッツィが担当。

なんと「ビヨンド」からいくつか曲をそのまま持ってきていて使い回し。それってどーなんって思うけど、聴き覚えのある不穏なピアノの旋律は雰囲気ぴったり、やはりフルチ作品にはこの人の音楽が1番合ってます。

本作も目のアップがこれでもかと多かったですが、冒頭にて夫ジョージが発掘中に青い光をみて一時的に失明するという展開がありました。

治るのに1年かかると言われてたのがあっさり序盤で回復…途中やっていた「ぼんやりと見える視点」はコルブッチの「ミネソタ無頼」みたいで面白くこの主人公視点でサスペンス盛り上げたらどうだったんだろ…とか思ったけど、そういう映画じゃないんだよね(笑)。

ゴアシーンはかなり控えめ、唯一の見せ場は骨董品屋の親父さんが剥製に襲われるシーン。ここも既視感ありありだったけど頑張ってました。

確かに絶頂期の作品と比べると俄然物足りなく思われる作品。でも「ビヨンド」の雰囲気が好きだった人間なら観てもオッケー…そんな1本でした。

 

「イノセント・ドール/虜」…フルチの官能映画、倒錯プレイで生を実感せよ…!

86年制作、ルチオ・フルチが病気を患ったあと復帰作として撮ったという1作。

なんとそのジャンルは官能映画…!!

事故で恋人を失った女性が逆恨みでその執刀医を拉致監禁する…何だか心がざわつくストーリー。

女優さんは出演シーンのほとんどを脱いでいて、フルチこんな映画も撮るんだ…という衝撃の1作でした。

本作には冒頭から2組のカップルが登場。

1組目はサックスフォン奏者のガエターノとその彼女チェチリア。

なんとサックスを彼女の局部にあてて演奏、その刺激で悶える彼女…と開始数分からトンでもないもの見せてきます。

バイクで2人乗りしてる最中には手○キを要求してくるガエターノ、危うく車と衝突しそうになってもヘラヘラ。

完全に狂ってやがる…!!

ジェットコースターから落下する最中も激しくイチャイチャ、あの上がり下がりがまさにエクスタシー!?恋人たちの行為の最中にはジャーマンシェパードが吠えて暴れる…

イタリア独特の感性が爆発したような映像が可笑しくて「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のようなおママごとじゃないガチの変態性を感じさせてくれました。

そしてもう1組登場するカップルは倦怠期夫婦のグイドとカロル。

外科医のグイドは急患の知らせが入っては病院に駆けつけるというストレスフルな仕事。

そのせいもあるのか不能気味??(というより早漏??)のようで、美しい妻との性生活は拒否し代わりに気を遣わなくて済む娼婦と関係を持っていました。

娼婦の伝染したストッキングに欲情し、赤いマニキュアを筆で身体に塗りたくるプレイに大興奮…この人も色々こじらせてそう。

耐えかねた妻はある日離婚を切り出しますが、一気に態度を変えて「捨てないでくれ」と懇願する夫。

どうやら相手から邪険にされた方が愛を感じるという複雑な男のようです。

ところがある日のこと…1組目カップルの男・ガエターノが頭部を強打してしまいます。

病院に運び込まれ医者のグイドがオペをするも妻の離婚話により気が動転していたためオペは失敗。

恋人を失ったチェチリアは「アイツが彼氏を殺した…!!」と激怒し医者を拉致監禁します…

完全に逆恨みな気がしますが、とにかく2組のカップルの話がここで繋がる。

首輪をつけられたグイド、どえらいめに遭いますが、もともとドMだったのか幸せそう。

チェチリアはグイドを虐げながらかつて恋人と過ごした過去の日々を思い出します。

回想シーンの交差では死んだガエターノの幻覚が話しかけてくる…とオカルトテイストなところがフルチっぽいかも、間に挟まるヴェネツィアロケは「赤い影」を思い出させます。

その中で判明する衝撃の事実、ガエターノは実はバイで友人の男性とも関係を持っていた…

冒頭からヒロインに感じ悪く当たってた同僚は確かにゲイっぽかったけど、ガエターノの方も完全にそっちだったのね…

彼女のこと好き好きいいつつ実は意中の男と肉体を重ねられないその代替としてチェチリアを利用していたガエターノ。あんな男のことは忘れよう…過去を認めたチェチリアは吹っ切れた様子。

また強い男を無理に演じていたグイドの方も自分の弱い部分を認められるようになり股間が復活。

ラストは唐突に終わりますがハッピーエンドに思われました。

フルチは女優さんに当たりが厳しく女性差別とか色々言われたりもしたみたいだけど、この映画はむしろ女性解放、医者の妻役の女性なども非常に力強い雰囲気で清々しいまでの女性強しな作品となっていました。

ヒロインが壊れた人形をグイドに差し出して「直して」と迫るシーンがあったけど、自身も病気を患ってやりきれない思いがあったのでしょうか…
強い妻に対して性的不能になってしまうグイドの姿からも老いの苦悩のようなものが感じられて、この時期のフルチの思いが投影されている作品なのかもしれません。

f:id:dounagadachs:20211019120053j:plain

主演の女優さんは黒髪・黒目の可愛らしい容姿で、アルジェントの「オペラ座血の喝采」のヒロイン、クリスティーナ・マルシラチに似てると思ったのですが、お名前はブランカ・マルシラチ、なんと妹さんでした。

自分的にはやっぱりホラーのフルチがいいわ、と思ったけど悪くはない作品で好きな人には刺さりそうな1本です。

 

「マーダロック」…ルチオ・フルチのフラッシュダンス殺人事件

この武富士みたいな場面写が気になってしまって…

f:id:dounagadachs:20211012213537j:plain

先月からU-NEXTに大量投下されたルチオ・フルチ作品。

今回鑑賞した「マーダロック」は84年制作のジャーロものです。

何でも「フラッシュダンス」の大ヒットに便乗して作られたそうで、ダンス教室で起こる殺人事件というプロット。

ジョーズ」がヒットしたらゾンビ映画にサメ投入してくるしイタリア映画人の商魂マジ半端ないっす。

舞台はニューヨークのダンススクール。

ステージに立てるのは選ばれた3名だけ、クラスでは日々過酷なレッスンが行われていました。

精神がすり減るような厳しい練習、仲間といいつつ実はドロドロした関係のライバル…アルジェントの「サスペリア」しかりダンスとホラーの組み合わせは相性悪くない気がします。

しかしこの映画のダンスシーン、「フラッシュダンス」というよりなぜか残念な子だった「サスペリア2018」の方が頭をよぎってくる…個人的にはあまり魅せられず美しいとは思えない仕上がり。

音楽は単体では悪くないのですが、ホラーのムードと全く相容れない雰囲気になっていました。

優秀な生徒から順番に殺されていき「犯人は嫉妬したクラスメイトでは??」と捜査が進んでいきます。

ジャーロものということでグロ描写は皆無、殺しのシーンはかなり控えめ。

犯行の手口は「尖った長いピンで心臓を刺す」というもので殺人シーンの度に女性の胸が露わになりますが、なぜか全員ノーブラ…!!

主人公であるダンススクールの女性教師・キャンディスは生徒が殺されても厳しいレッスンを続けます。

ところがある日謎の男に自分自身がピンで刺し殺される夢をみる。

夢でみたのと全く同じ顔をした男を偶然発見したキャンディスはジョージと名乗るその男に近づき、その身辺を探ります。そして段々彼といい関係に…

また予知夢とかオカルト要素出てきたよ、近づいた男が犯人パターンっぽいなコレ…と思ってみてるとあら意外、

(以下ネタバレ)

なんと生徒を殺していたのは主人公であるキャンディス。

夢に出てきた男・ジョージは実は数年前にバイク事故でキャンディスを轢いた犯人でした。
ダンサーの夢を壊した憎い男に復讐するため、無実の罪を彼に着せようと恐ろしい犯行を繰り返していたキャンディス…

受け身にみえたヒロインが実は内に激しい復讐心を秘めた殺人鬼だった…というストーリーは非常に好みでした。

回りくどい復讐方法でそこまでするか??と思わなくもないけど、無関係な生徒を手にかけれたのは、主人公の心の中に若く未来ある生徒たちへの嫉妬心があったから…色々想像させてくれて意外に説得性を感じるストーリーです。

キャンディス役は「サンゲリア」で目玉グッシャーされてたオルガ・カルラトス。

f:id:dounagadachs:20211012213543j:plain

終盤の演技は鬼気迫っててかなり良かったです。

主人公の部屋のベッドサイドが鏡張りだったり、若い頃の自分のポスターをでかでかと貼ってたり…「役者になりたかったナルシスト面」が強調されたような小道具も効いてると思いました。

非常に残念なのはミスリードが下手くそで犯人が途中で分かってしまうところ。

刑事さんが「ピンの情報は警察内に留めておく」と言ってた場面がやたら強調されてたので、後半の主人公の言動がどうみても犯人にしかみえませんでした…

きっちりどんでん返しとして成立させられていれば評価爆上がりだったんだけどなー。

映像面もセンスに欠けていて、せっかくのNYロケ、「サンゲリア」の冒頭はニューヨーク港からの景色がすごく綺麗に撮れてたのに、本作は外のシーンが非常に少なくこれといった特徴のない狭い室内の画ばかりだったのもイマイチ。

殺しのシーンでは電灯がチカチカ点滅する演出をやたら繰り返していましたが、緊迫感もなくクドく感じられました。

フラッシュダンスやからフラッシュ(点滅)したろ!」ってなったんでしょうか。

 

そして本作の音楽はなんとプログレ界の重鎮、キース・エマーソンが担当しています。しかしこれがまた全く合ってなかった…

同じくエマーソンが音楽を手掛けたアルジェントの「インフェルノ」も曲単体はすごく好きだったけどマッチしてたかといわれると評価の分かれるところだと思います。
イタリアンホラーのアートな雰囲気とは相性がイマイチなのかもしれません。

何回もかかる武富士ダンスの曲、めっちゃ耳に残るんですけどね。

途中唐突に登場した目撃者の女の子は先日みた「墓地裏の家」に出てた子…!!
音捜査の専門家の人は「サンゲリア」にも出てた「ビヨンド」で死体に脳波計つけてた人…??

どっかで見たような顔がチラホラ。

ラストは「復讐やり遂げてやった」ヒロインにカタルシスと切なさが残り、過去に犯した罪の報いを受ける男の「運命から逃れられなかった感」…フルチらしい無常さ、寂寞感はあって、色々粗はあるけど嫌いじゃない、好みの作品ではありました。

とりあえず観れて満足です。

 

「トリフィド時代」…終末SFの先駆、ゾンビものの典型してて面白い

その夜地球が大流星群の中を通過し、誰もが世紀の景観を見上げた。
ところが翌朝流星を見たものは全員視力を失ってしまう。
混乱の中植物油採取のため栽培されていた植物・トリフィドが人を襲い始めた…!!

1951年に発表されたイギリスのSF作家、ジョン・ウィンダムの代表作。

2008年に「ブラインドネス」という映画が公開された際このトリフィドとよく似ていると話題になっていましたが、人類失明だけでも大パニックなのに怪物まで現れるってどんだけ鬼畜なのよ…とおったまげるようなプロットです。

しかし読んでみると、一瞬で変化した世界の中でどんな価値観を持って生きていくか…真面目に作り込まれたドラマになってて感情移入しやすい。「ブラインドネス」みたいにしんどくはない。

ダニー・ボイル監督の「28日後」はこの作品にインスパイアされて作られたそうですが、ロメロの「ゾンビ」3部作もかなり影響受けてそうです。

♦♦

主人公の男性・ウィリアムはたまたま流星観測の前日に目の手術を受けて入院していたため失明の難を逃れた幸運な人物。

起きると病院の部屋に独りぼっち、外に出ると変化の嵐に遭遇…この冒頭はたしかに「28日後」にそっくりです。

アメリカ映画だと銃持ったグループがヒャッハーと早々に略奪の嵐を繰り広げてそうですが、こちらはもっとジトッとしていて、「どうせすぐ混乱収まるだろうに物取ったりして後から怒られないかな」と不安に思う大人しめの主人公。

そして大半の人が「待ってればアメリカが助けに来てくれる」と何も行動を起こさない辺りなんとも言えないリアルさです。

生物学者である主人公は常日頃父親から「そんな職業は役に立たない」と馬鹿にされていましたが、世界で唯一のトリフィド専門家で昔刺されたおかげでトリフィド攻撃の免疫も持っている…と若干のチート設定。

そんな彼が美人女性と恋に落ちて新世界をサバイバル…という展開は最近の異世界転生モノに通じるものがあるかも(笑)。

「ゾンビ」のショッピングモール占拠しかりルールがなくなった世界を闊歩する開放感、終末モノの醍醐味も存分に味わわせてくれます。

一見意思がなさそうな歩行植物・トリフィドは実はコミュニケーションが可能で完全に統一された行動をとっている…本作は51年の小説ですが以降の時代の作品に多く見られる「vs共産主義の脅威」を表したような分かりやすい敵でもあります。

トリフィドから採れる油が貴重なので大量栽培していた…と目先の利に目を奪われた人類が足元を掬われるというところも実にSFらしいプロット。

主人公はやがて他の生き残りメンバーと合流し、4つの主張を唱えるグループのどれに所属するか選択を迫られていきますが…
この思索の旅みたいなところが非常に面白かったです。

1つ目のグループは合理主義路線。
救える人々には限りがあるとし、また子孫を残すことを重大な目的として一夫多妻制を敷く…

女性=子供を産む役割、生まれてくる子供も労働力だと割り切る辺りかなりディストピア感漂ってますが、そうでもしないと人間自体が絶滅しそうな現実もある…

「うちはこういうルールで行こうと思うから付いてきたい人は来てね」と事前に個人の同意を得ているところは良心的です。

主人公は「そんなに割り切れるもんじゃない」とこのグループに反抗心を抱きますが、「女性が安心して自分の子供を育てられる環境があるならそれでもいい」「貴方が盲目の女性をめとればそれだけ余分に人を助けられる」とこの提案に賛同するヒロイン。

予想の斜め上行くタフなヒロインが衝撃的でした。

2つ目のグループは理想主義路線。
「全人類を助けるべき」と視力のある主人公たちに膨大な量の労働をあてて人命最優先の活動を行う…しかし組織は間もなく崩壊。

けれどグループのリーダー・コッカーという男は「ごめん、無理やったわ」と正直に謝る。
その上で「何もやらないで最初から割り切った連中よりやってからこの結論に至った俺たちの方が人間らしくね!?」と開き直る…と彼も曲者ながら大変魅力あるキャラになってました。

3つ目のグループはこういう終末モノあるあるな宗教一直線の人たち。
人間大変な状況になったら信仰も救いになるのかも…というドラマは皆無で流れに身をまかせる何もしない人たちとして辛辣に描かれていました。

喧嘩別れしたのに「別にアイツらのためじゃないんだからね…!!」と言いながらこのグループを再興しに行くコッカーさん、マジツンデレ

そして最後に登場するグループが1番リアルに思われる、力を掌握して封建的社会を作ろうとする人たちでした。

「28日後」に登場した軍人たちと重なる暴力で強制してくる胸糞連中。分かりやすい〝無能な悪役〟になっていますが…

〝やがてトリフィドの脅威が落ち着けば必ず人間同士の争いが復活する。こちらから仕掛けないと待っていてはやがて侵略者がやってくる…〟

…という考えがあるようで、まさにどうなっても戦争やめられない人類。けど本当に侵略者がきて数十年先、100年先のスパンでは彼らにも理があったと評価されてしまうのだろうか…ここは暗い後味が残りました。

この作品で強調されているのは、社会のルールや人の価値観は絶対的なものではなく、状況によって変わりうる相対的なものである…ということだと思います。

一夜にしてこれまでの常識の全てがひっくり返ったら…その恐ろしさをまざまざ感じさせつつ、自分の大切な人を守り、許容できるラインを探していく主人公が落ち着いていて魅力的でした。

だれもが生きるためだけに重労働しなきゃいけなくて、考えるための余暇のないところでは、知識は停滞して人々もそうなる。

考える仕事は、もっぱら生産には直接たずさわらない人々が担う必要があるーーその人々は、ほぼ全面的に他人の働きに頼って生きているように見えるが、じっさいは、長期の投資なんだ。

教師や医者やリーダーを持たなくちゃいけないし、その連中に助けてもらう代わりに、そいつらの生活を支えられるようにならなきゃいけない。

自給自足生活に追いやられていく主人公たちの姿は描き方こそ全く逆ですが「ゾンビ」のモール生活にあったような消費社会への警鐘も感じられました。

今の世界で当たり前に享受しているものは当たり前でない、崩れ得る可能性を持っているものだ…「生きること本来の厳しさ」をビシバシ感じさせるところが如何にも優秀な終末モノ。

ラスト絶望的な状況でも主人公たちが強く目標を持って生きていこうとする姿には希望が残り「ゾンビ」のヘリ脱出エンドと読後感が重なりました。

崩壊世界での価値観の対立ドラマは「死霊のえじき」なんかもそうだけど、「ウォーキング・デッド」など今日のゾンビものにまで引き継がれる典型。

マシスンやキングの先も行っているような世界観でもっと早くに読んでれば衝撃の作品だったと思われます。

重さもありつつヒロインとのロマンス、毒舌コッカーの前ではそれを上回りキレッキレになる主人公との掛け合い(笑)…など楽しんで読めるところも多く、バランスが良くてとても好きな1冊でした。