映画マニアの青年が心を病み、映画のキャラクターに成りきって殺人を繰り返す…
1980年公開のスラッシャームービーですが、主人公の闇深さが映画好きにはヒヤッとするものがあり、後続の作品にも影響を与えているのではないかと思われる秀作です。
エリック(デニス・クリストファー)は1日3本の映画を観るマニア。部屋には映写機も完備、ポスターや雑誌の切り抜き、グッズが溢れています。
自分とはみてる映画の年代が異なるものの、ビデオテープが普及して引きこもりがち、自分の世界で現実逃避という姿は90年代のオタク像と重なるものがあるように思われます。
そしてとにかくこのエリックがイタさ全開。
誰彼構わず映画クイズをふっかけ、相手が答えられないと「そんなことも知らないのかよ!」とマウントを取ってくる。
↓ミッキー・ローク演じる同僚に「カサブランカ」のリックのラストネームは?とクイズ勝負
作中で実はあまり触れられてない、答えられそうで答えられないイヤらしい問題を投げつけてドヤ顔。
でもこのイタさなんか分かる気がします。クラスでメジャーな大作映画が話題になってたときに「こんなのでハシャいじゃってさー」と内心斜に構えつつも実は寂しいみたいな気持ち、自分も青春時代にあったなーと思います(笑)。
オタクなら多少誰もが持ち得る感情じゃないでしょうか。
こじらせエリックくんも内心はモテたくてたまらず、街でマリリン・モンローに似た女の子を見掛けると一目惚れ。
しかし彼女はデートの約束に現れず、代わりに近くにいた娼婦に声をかけますが相手にされず逆ギレ…とかなりのクズです。
映画のフィルムを管理する会社で働いているものの、勤務態度は最悪ととことん自分に甘い性分のよう。
しかし彼の家庭環境が鬱の掃き溜めでまたどうしようも無い気持ちにさせられます。
車椅子生活をしている伯母と2人暮らし、介護を手伝ってはいるけど生活は伯母に頼りきりというズブズブの共依存関係。
「あんたのせいで足を失った」と子供の頃の事故を責められ、「姉妹でスターになるはずだったのにあんたが生まれたせいで夢が壊れた」などネチネチ責められます。
これだけでもお腹いっぱいなのに終盤驚愕の事実が明かされその闇深さにはウッとなりました。
こういう生活背景をみてしまうと「強力な現実逃避が必要で趣味に依存するかたちになったのかもしれない」と思わせるのですが…ある日エリックは怒りに任せて伯母を殺害。そこから精神が完全に崩壊してしまいます。
決して血が飛び出るわけではないのに殺人シーンがとても不気味な本作。
エリックは映画に登場するキャラクターに扮して次々に自分を馬鹿にしていた者たちを手を掛けていきます。
「白熱」のジェームズ・キャグニー、ボリス・カーロフのミイラ男…
↑クリストファー・リーの「ドラキュラ」に成ろうとメイクを半分しての姿。
現実の人格と、怒りを引き受けさせたヴィランの人格が分裂しているかのような、精神の病みを感じる迫真のシーンです。
題材的にこの作品、映画ファンによっては不愉快に思える内容かもしれません。
映画と現実の区別がつかなくなることなんてないよ!!ホラーや暴力描写をスケープゴートにしないでよ!!…というのは自分も常日頃よく思うことです。
以前ホラー映画監督のスチュアート・ゴードンが「ホラー好きな人は礼儀正しい人が多い。負の感情をホラーで発散しているんだ。」などと語っていた憶えがあるのですが、でもそういうストレス発散が自分も映画を楽しむ目的の1つかなと思います。
それに世の中綺麗な良いことばっかりじゃないし時には怖いもの、悲しいことを知ることで人の痛みを想像できるいい面もあったりするよね、とも思います。(←スプラッタを笑いながらみる奴が言うことじゃねえだろ、って感じですが)
「ロックを聴いて自殺する奴はロックを聴かなくても自殺する」はフランク・ザッパの言葉だったでしょうか。
結局エリックも根底にあった孤独が問題であって、映画オタクでなければないで、何が引き金になったかは分からないだろう、映画のせいにしないでくれと自分も思うのですが…
劇中エリックが嫌なことがあったときに映画のシーンを思い出しては「こうだったらな」と妄想する場面では白黒映画の映像が〝現実〟にインサートされるのが印象的でした。
現実と区別がつかない人って感じでとても怖いのですが、自分も映画や漫画の世界に浸って現実逃避をしていることがたくさんあったなあ…というか今でもあるなあと思います。
虚構で感情を浄化するというか、趣味から勇気や元気をもらえている分にはいいけど、そこにしか居場所を見つけられくなると人間こんな風に壊れてしまうものなのか…とゾッとさせられるものがありました。
「フェイドTOブラック」は80年につくられた作品ですが、アメリカンニューシネマも終わり映画は商業主義へ…エリックがクラシカル作品を好みマリリン・モンローに恋焦がれてるところも失われたものへの憧憬、次の世代の危惧なのかな、とも思わせます。
(自分は暴力描写たっぷりの映画に浸っためちゃくちゃ次の世代ですが)
ラスト、チャイニーズシアターでエリックの様子を恐る恐る&興味津々に見守る群衆の姿はまさに観客(=自分自身)そのもので、暴力を楽しむ人間性を突きつけられたような、「ファニーゲーム」的恐怖も感じました。
昔「スクリーム」というホラー映画のパンフレットを読んだ際に鷲巣義明さんが本作からの影響があるのでは…と指摘されていて気になってみた1本だったのですが、確かに映画クイズしてくるところなんてすごく重なりますね。
主人公の境遇は「ジョーカー」(←未見)に似てたりするのかな。
エリックは「トゥルーロマンス」のクリスチャン・スレーターにもどこか通じるものがある気もしました。
埋もれているには中々惜しい秀作。