どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「恐怖の報酬」劇場で再鑑賞してきました

先月目黒シアターという劇場にて「恐怖の報酬」「ウィッカーマン」の2本立て上映があり、観に行ってきました。

時間の関係で「恐怖の報酬」1本しか観れなかったのですが、このブログを始めてから出会った中で1番衝撃だった作品。大きな劇場ではなかったけれど「集中して映画館でみたい」と思っていた1本なのでまたとない機会でした。

前半トラックが走り出すまで1時間。説明皆無で突き進む映像にひたすら圧倒されますが、とっつきにくいという意見も分かる(笑)。

ニトロ運搬だけでも無理ゲーなのにこれでもかと襲い掛かる災厄の数々…説明できない理不尽が、〝逃れられない死〟がひたすら襲ってくる、「オーメン」「ビヨンド」のような王道ホラーでもあると思いました。

気分が盛り上がりその後〝最終盤〟Blu-rayに収録されている特典映像を鑑賞。
「ドライヴ」のレフン監督との対談や「フリードキン・アンカット」というドキュメンタリーが丸々1本収録されていて併せてみると面白かったです。

「人は誰でも善と悪の両面を持つ」…というのがフリードキンの信条らしく、こうした人間観は各作品で滲み出ているように思われます。

フレンチ・コネクション」では麻薬組織の親玉が妻と仲睦まじくプレゼントを贈り合っている様子が描かれ悪党にも人を愛する心があるのだと伝わってくる。

反対に「エクソシクト」では善良な母親に対し「娘より自分のプライベートを優先させてないか」とふと疑いの念が湧き上がったり、一見無邪気そうなリーガンをみても「実は母親の恋人を疎ましく思っていてその潜在意識が凶行に走らせたのではないか」などと不安がよぎったりします。

人間良い・悪いにハッキリ分けて考えた方がよっぽど楽で、善も不確かな存在だと疑うと途端この世は信じられない怖ろしい場所になってしまう…

曖昧で複雑な人物描写からフリードキンは度々ペシミストと呼ばれているそうですが、一方でこうした人物像に誠実さも感じてしまう、「そんなもんだから過度に期待して生きない方が楽だ」とホッとさせられる面もあるように思います。

「どんな人間も欠点を抱えている。でもそんな人もいい行いをすることがあるんだ。」

ガメつい強盗のロイ・シャイダーが負傷した殺し屋のニーロを車に乗せて励ましの言葉をかける「恐怖の報酬」のクライマックス…
これまで自分のことしか考えてなかった男が利害を度外視した行動に出る…

善が悪をはらむなら悪が善をはらむこともあると逆説的に希望も描かれていて、こうした場面では他作品(それこそ「ウィッカーマン」など)では感じられないような温かみも感じて胸が熱くなります。

 

主人公勢が全員悪人であることをレフン監督に指摘されていましたが「最後には赦されたい」懺悔系映画の要素も色濃い作品。

大人になり年をとってくると「自分のダメさを受け入れる」マインドがいるもので決して清らかでない登場人物たちにも心惹かれます。

崩壊寸前の吊り橋の上でも何とか道を切り開こうとするセラーノをみると「なんとか渡り切ってくれ…!」と祈るような気持ちになってくる。

普段信仰心もないのに困った時だけお願いするって都合のいい話ですが、人生って結果を望みつつ何かを行うことの連続で、「エクソシスト」とも重なりますがキリスト教信仰云々が理解できなくても充分共感できるテーマだなあと思います。

”決して報われるとは限らない”残酷な結末も人生誰しもが一度は味わうもので、無情でありつつ何としても生きようとする人間の執念にプラスのエネルギーを感じる。

密林の驚異の映像とともにビシバシ伝わってくるドSフリードキンの人生観がヘタレにはグサグサ突き刺さりました。

リアリティ重視のため一切の妥協を許さずときに出演者も追い詰める…数々の逸話からフリードキンには鬼・悪魔のようなイメージがありましたが、ドキュメンタリーにて本人のご様子をみると気難しそうなタイプでは全くなくむしろ社交的で健康なメンタルしてそうな印象。(いい人そうとは言わない)

コミュ力の高いやり手テレビマンの佇まいで、実にチャキチャキしたお爺ちゃんでした。

「自分を芸術家と思ったことはない」という言葉からは相当なストイックさが伺えて、期待する若手にデイミアン・チャゼルの名前をあげているのに何だか納得。

「最も優れた映画が誕生したのは無声映画時代だ」…なるほど説明なしで突き進むあの映像はサイレント映画よりだと思ってみればいいのか…と説得力を感じました。

70年代の作品をみると今の作品にはないリアルな質感に驚きと憧れの気持ちでいっぱいになりますが、何としてでも撮り切るという執念が、妥協を許さない作り手のストイックさが作品の内容そのものとも重なり、改めて観ても凄まじい熱量の作品でした。