どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「フリードキン・アンカット」…追悼ウィリアム・フリードキン

ウィリアム・フリードキン監督が亡くなってしまった…

高齢と知っていてもショック、一時代が終わってしまったような感じがしてとても寂しい気持ちです。

後年の作品は観ていないのもあるしイマイチなものもあったように思うけれど、「エクソシスト」「恐怖の報酬」「フレンチ・コネクション」の3本が圧倒的に凄すぎる…!!

「恐怖の報酬」はこのブログをやるまで観ていなくて、なんで今まで観てなかったんだーと頭を床に打ちつけたくなるくらい面白くて、ド迫力の映像と異常な熱量にただただ圧倒されました。

「恐怖の報酬」を観た後すぐに最終版Blu-rayを購入したのですが、その中に特典映像として入っていたのが「フリードキン・アンカット」というドキュメンタリー。

イタリア人の監督が2018年に撮った作品で、言いたい放題自由に語るフリードキンが観たくなってまた久々に鑑賞してみました。

 

過去作の出演者やスタッフはもちろん、同時代を生きた映画人としてコッポラ、ウォルター・ヒルフィリップ・カウフマンダリオ・アルジェントが、敬愛する者としてタランティーノウェス・アンダーソンエドガー・ライトらが登場。

紹介されている作品の本数は少なめですが、公開当時のインパクトや熱気について語られるのが後追い世代としては興味深く、また破天荒で毒舌だけれど徹底した仕事人であるフリードキンの人物像が見えて、楽しく観れるドキュメンタリーでした。

 

「私自身を芸術家だと思ったことはない。そんなことを思った瞬間終わりだね。」

映画学校を出ておらずテレビ業界出身のフリードキン。

本人のお人柄をみても繊細なアーティストタイプでは全くなく、しゃきしゃきした業界人の佇まい。

自分の作品に対して傑作かどうかは人が決めることだと割り切っていて、70年代以前の過去の作品の方がより偉大だと語る…

一見太々しくみえるものの意外に謙虚なお人柄。

あんな凄い作品を撮っているのに…と観ている方は思うけれど、作っている方は無我夢中なだけ。フリッツ・ラングバスター・キートンなどより過去の作品の偉大さを噛み締めているというのが、そんなものなのかと腑に落ちるようでもありました。

 

撮影での数々の鬼畜エピソードも本人の口から語られますが、今では到底許されないビックリな話ばかり。

ただ本人にもその自覚はあるようで、決して美談にしたりはせず「自覚のある暴」を振るってきた人なのだと思いました。(それはそれで恐ろしいことだけれど、仕事に徹していてフラットなところにはある種の清々しさも感じてしまう)

 

個人的に1番驚いたのはダリオ・アルジェントとの2ショット映像が観られたこと。

全くタイプの違う2人が認め合って肩を組んでいる姿が微笑ましく映りました。

「現実を超えた世界を撮れる監督には敬意を感じる。別世界を生み出せるなんて凄い。」

これがアルジェントへの賛辞!?にも聞こえて、自分と違うタイプの作品も認めているところ、また本人はアカデミー賞を若くして受賞しつつもコンペ的な存在(映画に優劣をつけること)を嫌っていて、権威的なものを嫌う反骨精神からは実直な人柄を感じさせました。

 

「人は誰でも善と悪の両面を持つ」冒頭ではフリードキンの信条が語られていますが、これが彼の作品に登場するリアリティある人物像の根幹になっているのではないかと思いました。

フレンチ・コネクション」では善玉であるはずのドイル刑事が欠点だらけのめちゃくちゃな人間として描かれています。

猟犬のように麻薬を追うものの「市民を麻薬から守る」崇高な使命に燃えるクリーンな人物では全くない。

いい女連れてる奴がなんかムカつくから追ってみるか…こっちは不味いピザとコーヒー啜ってるのにいいレストランで美味そうなもん食いやがって…そんなルサンチマン根性が伝わってくるよう、仲間と同士撃ちになっても気にも留めないような性格の破綻した男です。

反対に悪玉であるはずのシャルニエは部下にも物腰柔らかく知性的な佇まい。妻から貰ったコートを大事そうに羽織る愛情深い姿を見せたりもしています。

「どんな悪人にも善の一面が、どんな善人にも悪の一面が…」の価値観は「エクソシスト」にも共通していて、仕事を優先して娘の前で父親の悪口を言ってしまうお母さんは本当にいい母親だったのだろうか…とふと疑念が湧き起こったり、そもそもリーガンは本当に悪魔に取り憑かれていたのかそれとも彼女の負の感情が暴走していただけだったのだろうか…と思わせたり…

善人のはずのメリン神父も異国の地で墓荒らしをする変わり者で、そのメリン神父の持病を考慮せずお祓いを任せた教会は本当に親身になってくれていたのだろうか…と疑い出したらキリがないような、「善悪の曖昧さ」がフリードキンの作品の1つの魅力ではないかと思いました。

「恐怖の報酬」のどうしようもない悪党どもがみせる剥き出しの人間性にはわずかに善性が垣間見える場面もあったりして、そうした瞬間には激しく心を動かされてしまいます。

どうしようもない局面に追い詰められたら人には善も悪もないのかもしれない…一見虚無的/厭世的に思える価値観ですが、欠点だらけの人間が兎にも角にも必死に生きようとする姿に凄い生命力を感じて惹きつけられてしまう…

フリードキン自身も欠点を多く抱えた人だったのかもしれませんが、異常なストイックさとプロフェッショナルな精神で完成させられた作品にはひれ伏すような感動が在ります。

 

言いたい放題(そしてサービス精神たっぷり)のフリードキンは元気な毒舌お爺ちゃんといった感じで、このお爺ちゃんがいなくなってしまったのだと思うと映像を見ていて寂しい気持ちになってしまいましたが、いきいきと語る姿は何だか微笑ましく、不思議とエネルギーをもらったような気持ちにもなりました。

 

身震いするような凄い作品をみせてくださって有難うございました。