最終章とタイトルが変えられてのPartⅢがこの度初リリース。U-NEXTも期間限定で配信していたのでそちらで先に鑑賞しました。
制作当時からコッポラはこのタイトルを希望してたものの会社から了承が得られず泣く泣く変更したそうです。
1、2でめちゃくちゃ綺麗に話が終わってて、Part3と言われると釈然としないけど外伝的な立ち位置だと言われるとありかも。
トム役のロバート・デュヴァルが出演を断り、マイケルの娘役だったウィノナ・ライダーが土壇場で降板、ソフィア・コッポラにチェンジとトラブルも多かったみたいですね。
個人的にはキリスト教の教養がないのと、あとコッポラのマイケルへの思い入れが強すぎてちょっと美化して描きすぎじゃないかなーと、やっぱり前2作と比べると格段に落ちる印象でした。
老いて自分の人生を振り返るという内容的にもより歳を重ねたときに良さが分かる作品なのかもしれません。
◆バチカンは真っ黒
前作から約20年、1979年ニューヨーク。
マイケルはやっぱり偉かったみたいで非合法ビジネスから脱却しつつも大金持ちになってました。
財団をつくりバチカンから叙勲もされましたが、半沢直樹に出てきそうなクズ、バチカンの大司教から「7.7億ドル損失しちゃった。お金振り込んでくれない?」と財政危機救済を懇願されます。
代わりにバチカンと繋がりの深い世界有数の企業の経営権を譲るということでしたが、金振り込んだあとに経営陣から激しい妨害に遭い、話はパア。
なんとバチカン司教と経営陣は最初からグルでマイケルから金をむしりとっただけとトンデモない悪党です。
今作に登場する敵役は実際にあった事件や政治家をモデルにしてるそうですが、ラスボスが教会っていうのは面白いです。
◆ソニーの息子、ビンセント現る
一方マイケルの息子アンソニーはフレドの死をひきずりマフィア家業を忌み嫌っていました。なんとオペラ歌手になることを希望。
跡継ぎどうするよ!?コニーの薦めでソニーの婚外子(Part1の結婚式でやってた女性の子供)ビンセントを側に置いて見習いさせます。
ソニーに似て短気、どうみてもドンの器じゃなさそうで他に人材いなかったのか!?と思ってしまいます。
そしてそんなビンセントとマイケルの娘メアリーがいとこ同士で恋に落ちてしまうのですが…
ニョッキ捏ねてたらフォーリンラブ!!って斬新だわ。
ソフィア・コッポラは当時叩かれたそうですが、無垢なお嬢様って感じで今みると別に悪くない。
それより2人の恋の設定があまりに古典的すぎて全くノれませんでした。
最後にメアリー死ぬにしても恋愛エピソードなしで充分悲しみ伝わったんじゃないかな。(アポロニアと対比したかったんだろうけど)
むしろ親の呪縛から離れて好きな職業に就く息子とのドラマの方がもっと観たかった気がします。
他メンバーではトムの息子が聖職者になっていました。ドイツ系アイルランド人のトムは元々カトリック系?イタリア人になりたくてもなれなかった父親の想いを継いでこの道を選んだのかな…出番がないのにトムの悲しみを感じるようでした。
◆フレドの死の真相は皆知っている?
息子アンソニーとケイは完全にマイケルがフレドを殺したと確信していて、娘のメアリーも「お父さんが殺したの?」と尋ねていました。
ファミリーの内輪で勘づくくらいフレドの死は不審なものだったんでしょう。
ところがコニーは、
「時々湖で溺れ死んだフレドの事を思い出すの。神に召されたのよ。悲しい事故だったけど。過去のことよ。」などと話していました。
この後コニー自ら名付け親を手にかけることを考えても、「そういうことにしときましょう」と兄を慰めてるのかと思いました。お兄ちゃん、あの殺人は仕方なかったよ、と。
1のカルロ殺害に激怒してた頃から考えると物凄い成長のコニー、逞しいです。
反対にマイケルの方が弱って普通の人になってしまいました。
◆許されたいマイケル
マイケルはバチカン内で信頼できる人物だというランベルト枢機卿を訪問することに。
ここでフレドを殺した罪を告白しますが…
「恐ろしい罪だ。神は救ってくださるが。」
救ってくれるんかい。キリスト教の「悔い改める」っていう行いが理解できてないのでこの辺りも感動が薄いのが残念です。
ランベルト枢機卿はヨハネ・パウロ1世がモデルだといわれていて、クリーンな人物だったために就任後わずか1ヶ月で毒殺されたという暗殺説が残っている人物。バチカンどうなってるんだ。
しかし宗教のことはさておき、「歳をとったらいい人生だと思って死を迎えたい」っていうのは皆老いるとそういう気持ちになるものなのかなと思います。
ケイと再会してかつてアポロニアと住んでいた町を巡るシーン。
「別れた妻が自分をずっと思ってくれている」と、女から見ると都合よくみえますが、年取ると丸くなり、昔のことを多少は水に流せるようになって、古い絆が恋しくなるものなのかもしれません。
名監督が晩年に撮る作品には自分の人生の贖罪みたいなのがあるのかなーと思いますが、コッポラにとってはこの作品がそれなのかなと思いました。
◆古き良きマフィアの死
今回旧知のマフィアとの抗争も描かれますが、1番いいキャラしてるのはイーライ・ウォラック演じるドン・アルトベッロ。
「わし、もう欲はないんじゃ。」と朗らかに語る優しそうなおじいちゃんが裏切り者。イタリア政財界の大物と組んでマイケルを亡き者にしようとしてました。
反対にマイケルに力添えしてくれるのはドン・トマシーノという1にも2にも出てきた地元の信望厚いおじいちゃん。
マリオ・プーゾの原作によると、シシリアンマフィアの起源については「教会や貴族からの搾取で苦しんだ人たちが救いを求めた保護者的存在がマフィアだった」とあります。
スコセッシは「ゴッドファーザーはマフィアを良く描きすぎ」と言ってたらしいですし、実際そんないいもんだったのか疑問ですが…
しかしPart2のビトの回想シーンを観ても、弱者への救済が薄いアメリカ社会で厳しい生活を強いられたイタリア系移民が、自助的なコミュニティを求めたものがマフィアとなっていった…そんな背景なのかな、と思います。
そして社会基盤が整ううちにどんどんアウトサイダーとなっていった。
古き良きマフィアの代表格、ドン・トマシーノをやられたマイケルが教会相手に再度復讐に立ち上がるのは、コルレオーネサイドをいいもんにしすぎな気もしますが、そんな背景もあって因縁の対決!?なのかもしれません。
◆オリジナル版と今回の違い
クライマックスはオペラシーンと同時進行で粛清が進みます。
前作までは身内の裏切り者あぶり出して復讐するのがカタルシスでしたが、今作は敵と分かりきった人たちが死んでいくだけで、あんまり盛り上がれない。
殺し屋のキャラも魅力不足に思えました。
最後のメアリーの死はマイケルがとことん可哀想です。Part2のラストで孤独な人生をだったことはもう確定していて、親の因果が子に行くエンドはもうビトー→マイケルで充分だったのに、虚しいラストでした。
オリジナル版では老齢になったマイケルがガタッと椅子から転げて死ぬところでエンドロールだったと思いますが、最終版はその直前、マイケルがサングラスかけるとこでフェードアウトして転がるところはカットされてました。
前回の方がビトーとの対比が極まってて「どんな大物でも死は平等に訪れる」と印象的な終わり方だったのになぜ変えたのか…”死”よりも”天に召された”という救いを強調したかったように見えました。
それに加え、メアリーが撃たれたあとからの”回想シーン”も違っていて、前回はメアリー→アポロニア→ケイとマイケルの愛した女性たちが走馬灯のように踊るのが美しかったのに、メアリーとのダンスシーンだけになってました。
ここも映像と音楽のつなぎがちぐはぐになってて前の方がよかったです。
その他大きく違っているのは、オープニングのマイケルの叙勲式がカット、バチカンとの遣り取りのシーンを最初に持ってきているという構成の変更で、僅かな違いですが、全体的にもったりしてたのを引き締めたかったのかと思いました。
コッポラ的にはシリーズへの愛着が並々ならず死ぬ前にもう1度…と今回の再編集に至ったのでしょうか。
映画を改めてみてもコッポラ個人の回想録、ファミリームービーの毛色が強く、普遍的な家族ドラマとして成立してた前作ほど響くものがありませんでしたが、おまけの外伝として観るには充分。
3作目だけ記憶が薄かったので、この機会に改めてきちんとみれてスッキリでした。