先日久々に鑑賞した77年のホラー「センチネル」が面白くて面白くて…
未読だった原作小説が今更気になったのですが、古本を安く手に入れることが出来たので読んでみました。
昭和63年発行、表紙はアンティークな感じですが、翻訳は非常に読みやすかったです。
アイデアだけ詰まった短かい小説なのかなと思っていたら、しっかり400ページあって、映画のシナリオは原作をほぼ丸々トレースした感じであります。
細かい部分で映画と違っていたところ、小説を読むと補足されて分かりがいいと思ったところがあったので、いくつか挙げてみたいと思います。
◆恋人マイケルはめっちゃ悪い奴
映画だと終盤で悪い男だったことが発覚する主人公・アリソンの恋人マイケル。
なんとアリソンと付き合っていたのは金目当て。
アリソンの父親が妻と仲が悪く多額の遺産を娘に遺す予定なのを知って彼女に近付いたことが小説では仄めかされていました。
弁護士とモデルって何の接点があるの…男の方がやたら結婚急かしてるようにみえるなあ…と思ったけど、そんな裏話があったとは…(アリソンのおうち、大きなお屋敷だったけどお嬢様だったのね)
全く愛のない恋人でコイツと結婚してもどの道幸せになれなかったのかーと思うと切ないですね。
映画でも何となく想像させられるものがありましたが、やはりアリソンはマイケルが妻帯者であることを知らずに付き合ってしまい、軽蔑する父親と同じ道を辿った自分に絶望したようです。
またアリソンは1度目の自殺未遂のことをマイケルにずっと秘密にしていました。
他人を信頼できないアリソンと、彼女の話したくない過去を執拗に暴こうとするマイケルと…2人のやり取りは小説の方がよりギスギスしていました。
監督のマイケル・ウィナーは「チョイ役だったクリストファー・ウォーケンの方をマイケル役にすれば良かった」などと語っていたそうですが、細かい説明がなくても〝ずる賢く信用ならない男〟にしか見えないクリス・サランドン、ある意味ハマり役だったのではないかと思いました。
◆フランチノ司教の出番が少ない
映画の冒頭は海外ロケを敢行し、位の高い聖職者たちが集まって何かを話していて、重大な危機が迫っているらしい…と思わせる場面が挿入されていました。
その後も事あるごとにアーサー・ケネディ演じるフランチノが憂鬱な顔をしながら主人公の後を追っているような描写があり、「何か大変なことが進んでいるぞ」と惹きつけられたものです。
しかし小説では大幅に出番が少なく、教会へ資料を問い合わせに行ったマイケルに応対する場面が唯一の見せ場といって過言ではありません。
避けられない運命が近づいている焦燥感、影で大きな物事がひっそり動いている壮大さ…などが映画にはよく出ていて、ここは素晴らしい演出だったのではないかと思いました。
◆全員死刑囚の設定
隣近所の人たちは全員既に死んでいる有名殺人犯だった…!!怪談話を夜中に聞いたようなショッキングな展開も小説と映画では少し違っていました。
小説ではマイケルが気乗りしないアリソンを連れて不気味な蝋人形館に行くという場面があります。
そこで猫の誕生日パーティーに来ていたクラーク夫人が「有名な殺人犯の人形」として展示されているのを発見…かなりホラーな展開です。
(クラーク夫人はブラックアンドホワイトキャット…と意味不明に叫んでたバーサン)
かなり画になりそうな場面ですが、映画は予算がなかったからかあっさりした展開に。
でもサクッと明かされるのもそれはそれで怖かったですね。
◆チェイズンさんの正体は…?
映画でハマり役だったバージェス・メレディス演じる朗らかジジイ悪魔のチェイズンさん。
アリソンがレズビアンのカップルに食い逃げだと詰め寄られている際に現れると、レズビアンカップルは異常にチェイズンさんを恐れて後ずさる…という場面が小説にはありました。
(そしてその後の猫の誕生日パーティーにレズビアンカップルは招待されていません)
悪魔に怖れられクライマックスでは号令をとるチェイズンさん。そんなに偉そうにみえないけど皆のボスで、その正体はサタンなのでしょうか。
◆不動産屋のおばちゃまは教会とグル
映画でもラストをみれば一目瞭然だと思うのですが、エヴァ・ガードナー演じる不動産屋仲介業者のミス・ローガンは教会側とグル…ということが小説ではハッキリ明かされていました。
食えないおばちゃまで、この方もハマり役でありました。
◆探偵を刺し殺していたアリソン
映画中盤にてアリソンが死んだはずの父親に襲われてナイフで刺す…というショッキングな場面がありました。
このとき同じタイミングでマイケルの雇った探偵・ブレンナーがアパートに潜入しており、その後ブレンナーは死体として発見され顔などを刺されていました。
自分は読解力に乏しく映画を観ただけでは分からなかったのですが、
アリソンが父の幻影と錯覚してブレンナーを刺し殺していた…!!ということだったのですね。
(悪魔サイドが罪を犯させるためにけしかけたんでしょう)
小説を読むとこの2つの出来事の因果関係が刑事の捜査パートを通じてより分かりやすく描かれていました。
◆ラテン語を読めるようになった理由
アリソンとマイケルが幻のように消えた隣人たちを追ってアパートを探っていると本を発見。
アリソンにはその中身が全てラテン語に見えてしまうという不気味なシーンがありました。
これは「アリソンにだけ特殊な本の内容が見えている」のではなく、指令が頭を徐々に支配しつつあったから。
幸福な場所に邪悪なものを寄せ付けるな…
脳や体の機能が全て剥ぎ取られてもこの指令だけが頭に残るように植え付けられつつあった…ということだったらしく、小説のアリソンには味覚が乏しくなり耳も遠くなっていくなどの症状もありました。
番人に選ばれるの本当に恐ろしいですね…
この他にもアリソンに不感症という設定があったり、アリソンは最後に老婆の姿になっていたり…細かいところで違いや追加設定のようなものが見つけられました。
映画は原作に忠実でありつつ、ラストの情景を含め絵作りが素晴らしかったと思います。
原作者は監督の人選にも映画の出来にも不満があったらしく、確かにこうして小説を読むと「分かりづらい」部分も幾つかあるように思いました。
が、ザ・説明に走らず粛々としているのが返って重厚感が出てよかったのではないかと思います。
青みがかった画面が印象的な主人公の悪夢のシーンは「ローズマリーの赤ちゃん」に影響を受けたものかもしれませんが、とても不気味でゾクゾクさせられました。
クライマックスの地獄の門が開くところは小説には「地響きがして闇の軍勢がやってくる」などとあるのですが、予算の少ない作品で、特殊メイクと選ばれた出演者たちを使って見事な恐怖シーンに仕上げたのも凄い力量だと思いました。
自分の肉体が徐々に侵されて奪われるところは「ヘレディタリー」、大きな対価を伴いつつ信仰に救われるところは「ミッドサマー」と共通するものを感じましたが、こういう陰鬱ホラー、時代を超えて受けそうです。リメイクや続編がないのが意外。
神vs悪魔の物語を1人の一般人視点で悲劇として成立させた原作の着眼点も、寂寞感漂う映画も、両方とても良かったです。