原作→映画の順で鑑賞。
映画も主演2人がハマり役で悪い出来ではなかったと思いますが、自分は原作小説の方が圧勝で面白かったです。
「夫と妻の独白が交互に進んでいく」というスタイルは映画も原作も同じですが、本ではフルで展開している「妻の日記パート」が抜群に面白い。
「損な役を押し付けられた可哀想な私」と言わんばかりのウジウジした感じ、漏れ出る自分大好きオーラ。
本音を奥深くにしまい込んだわざとらしさが鼻につくなあ…と思っていたらそれが一気に急転直下、上巻まるまる使った〝タメ〟が非常に長くすごい仕掛けだなあと驚かされました。
幼少期から両親の書く小説のモデルと比較されて育ったエイミーは、現実で自分が何かに失敗した直後に本の中のエイミーがその事柄を容易く達成している…など大きな重圧をかけられてきました。
親や周囲の期待に応えられないと否定されるという恐怖におびえ、誰もありのままの自分を愛してくれなかった…と内心では愛や承認に飢えています。
ニックの前には11人のボーイフレンドと付き合っていたそうですが、他者からの承認を得ることで欠けた心の埋め合わせをし、相手をポイ捨てにするようなぶつ切りの人生を送って来たのではないかと思いました。
友人でも恋人でも付き合って来た相手は意外に「パッとしない格下の人」も多く、そうやって常日頃自分が優位に立って支配できる存在を求めていたのか、心の奥では「演じるのがしんどい、リラックスして付き合える相手が欲しい」と願っていたのかもしれません。
しかし親しくなれば当然どんな人間にも欠点があるので完璧でないことは露呈してしまいます。
格下だと見下していた相手が「エイミーも欠点がある案外つまらない普通の人間だ」などと気付いた時、エイミーは激怒し、ときに相手に酷い制裁を加える形でその人間関係を終わらせてしまいます。
見た目も好みで話も合って自分と違うのんびりしたタイプのニックと恋に落ちたエイミーでしたが(ニックに恋をしたのは嘘くさい日記の中でも本当だったんだろうと伝わってくる)、失業や親の介護など厳しい現実が2人を襲い、元々精神的に幼かったところのある2人にはとても耐えられる試練ではありませんでした。
「特別なエイミー」から「亭主に浮気された世間並の妻」へ…輝かしい自分の虚像に傷をつけ、また5年もの結婚生活を経てこの世で最も自分の欠点を知る存在となったニックは恐ろしい復讐計画の対象となってしまいました。
「偽の自分を演じる能力」は社会生活を営む上で重要なスキルではあって、誰しも多少はエイミーのように場面場面で自分を演じているものだと思うし、それは理性の賜物でもあると思います。
どこまでが本当の自分か…突き詰めて考えると自我は曖昧なもので、「こうあるべし」の圧が強くかかって自分がない人間になってしまうの、自分は分かるなあと思いました。
エイミーの悲しいところはその能力の高さと恵まれすぎた環境ゆえ、人生のステージで挫折らしい挫折を全く経験しないまま大人になってしまったことも大きいのではないかと思います。
多くの人間が学校生活や仕事などで何かしら失敗をして「理想どおりいかなかった自分」に出会って痛みと共にそれを受け止められるようになっていく…そうして自分の弱さを認められることで他者にも寛容的になっていく…
幼い頃からセレブのような扱いでチヤホヤされ、大人になっても親に経済的に依存してきた彼女にはそういう機会が全くなく、「特別な自分」という高いプライドと理想像だけが跳ね上がってしまったのではないかと思いました。
最終的にエイミーは夫を共演者を迎え入れ「架空のエイミーをも超えて大衆に好かれるヒロイン」を熱烈に演じようとします。
小説版はそんな彼女にニックが「君が気の毒だから君を大事にするよ」…と告げるところで幕が閉じていました。
「浮気された選ばれなかった女扱いされる位なら死んだ方がマシ」などと考えるエイミーのような人間にとって〝可哀想〟という言葉ほど腹立たしいものはないのではないでしょうか。
彼女の本質を理解する夫が負け犬の遠吠えで嫌味を言ったのか、それとも単に本音が漏れ出ただけなのか分かりませんが、けれど自分もエイミーが幸福な人間とは到底思えず、しかし優秀さゆえに今後もボロを出さずこの先も何かに追い立てられ続けるような、何の楽しみもない人生を送るんだろうなー…何とも虚しい気持ちが残るエンディングでした。
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小説版では夫婦の失業過程や地方衰退のどんずまり感も映画より深く描写されていて、NY育ちのエイミーが中西部へ行きそこである種のカルチャーショックを受ける…その格差や感覚の違いなども読み応えがあり暗澹たる気持ちにさせられました。
映画のエイミー役の女優さんはイメージぴったりで、間違いなく美人ではあるけれどシャーリーズ・セロンやニコール・キッドマンのような鮮烈な美人ではない、輪郭のぼやけたような感じがとても良かったです。
ただサイコパスっぷりを過剰に強調して人間離れしたようなキャラクターになっているのが残念に思われました。
元カレを殺すシーンも小説版では殺人シーンをあえてすっ飛ばしていきなり帰宅してくるシーンに場面転換していてこれが非常に恐ろしかったのですが、妙にスプラッタに走った映画版は良くも悪くもB級風味というかブラックコメディ色が強まり過ぎたように思いました。
自己愛の強いメンヘラなのは間違いないけれど、生粋のサイコパスとかとはちょっと違うんじゃないかなー、小説版の方は「信頼できない語り手」を交えつつこうなってしまった背景や心の動きを推察させられるところに凄みがあった。
小説のエイミーはもっと弱くて人間らしい印象で引き込まれるキャラクターでした。