古い怪奇映画ですが、この作品に出ているイングリッド・バーグマンがエロいときいて…
もともと原作小説を大胆アレンジした32年の作品があるらしいのですが、ヴィクター・フレミングがさらにそれをリメイクしたのが41年度版。
デヴィッド・リンチの「ブルーベルベット」もこの作品に影響を受けていると言われているそうです。(そういえばイザベラ・ロッセリーニはバーグマンの娘)
昔読んだキネマ旬報のエロティック映画ベスト10にも入っていたので煩悩を全開にして鑑賞。
スペンサー・トレイシー演じるジキル博士は優秀な医者として知られ、人間の凶悪な部分を薬で除去するという研究を続けていました。
「世の中善人と悪人がいるわけではなく、1人の人間の中で善と悪が葛藤しているのだ」…と語る博士。
しかし人体実験のため自らに薬を投与したところ、人相が激変、凶暴なハイド氏に変身し、悪行の数々を繰り返すようになってしまいます。
こんな話だっけ、多重人格がテーマというよりマッドサイエンティストの悲劇、怪物映画の要素が強いと思いました。
博士の顔がゆーっくりと変わっていく特殊効果の映像はこの時代にしては頑張っていると思ったけど、基本ジキルのときも頑固な偏屈男にしかみえず、もっと線の細い、神経質な感じが欲しかったかなー、SとMのギャップが足りんように思いました。
ジキル博士には清純で可憐な恋人がいましたが、街で見かけた娼婦に惹かれて彼女を囲って虐げるようになります。
なんと恋人役がラナ・ターナーで娼婦役がバーグマン!!
どう考えても逆!!というキャスティング。なんでもバーグマンが自分の聖像的なイメージを壊したいからこっちの役がしたいと直談判したのだとか…
奔放で理性のない女性をハイドがいいようにするというのが話の筋だと思うのですが、どうみてもバーグマンに知性と気品が漂っていて前半は違和感しかありませんでした。
しかしハイド氏に迫られる場面での怯えた表情が艶かしく、こちらの神経もすり減るような弱々しさにこれはこれでアリなのか…という気持ちに。
背中につけられた傷を同僚から隠すバーグマン、歌を歌えと命じられ泣きじゃくりながら歌うバーグマン…
41年の古い映画なので直接的な性描写はもちろんないのですが、みえないことで逆に想像を掻き立てられるようなエロスが存在していました。
表面上は親切な医師のジキルに惹かれつつも、どこかハイドを待ちわびているようにみえてくるバーグマンにドキッ。
彼女があっさりと途中退場してしまうのは非常に惜しく、2人の倒錯的な関係をもっと見ていたかった。
表の中にある裏と裏の中にある表と、最後にバーグマンが全て呑み込んで2人泥沼に沈むように結ばれる…そんな話がみたかったです。
肝心の豹変っぷりがイマイチで多重人格モノとしては物足りないですが、薬の力で変身するはずの博士が恋人との婚約パーティーに向かう途中、お薬なしで突然ハイド氏に変身。
「もっと遊んでいたい」という身勝手な心がスパーキング!!
恋人の義父が口うるさい男で、ラナ・ターナーとなかなかイチャイチャさせてもらえないという場面もあったので「こんな義実家で苦労しそう」と気の毒に思う面もありました。
また本作で最も有名なシーンはジキル博士が変身する際に見る幻覚で、男の欲望がイメージ映像となって現れるのですが、バーグマンとラナ・ターナーの2人を馬にみたててムチを振るうシーンは公開当時刺激的だと話題になったそうです。
個人的にはもう1つの幻覚シーン、女性たちが瓶の中に閉じ込められていて、ボトルのコルク部分がバーグマンの頭部になっていてその首が吹き飛ぶ…という場面がショッキングでした。(恐怖奇形人間かよ)
全体的に落ち着いた昔の映画なのに、幻覚シーンは暴力性に満ちた男の脳内を表現の限界に挑んで再現した感じがして、完全にホラーでした。
昔「鬼畜眼鏡」というBL作品があって、メガネをかけると主人公の性格がドSに、メガネを掛けないままだとドMの性格のままお話が進んで…というのがありました。
さすがジャパンと思ってましたが、ハリウッドはこんな昔からずっと先を進んでいたんですね。
女性は1人も登場しない原作小説を大胆にアレンジ、別人格=性の欲望にしたのが良かったと思います。
バーグマンだけで見応えがあり、エロティック映画ベスト選出にも納得でした。