どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「クルージング」…ゲイバー潜入捜査、不完全B級サスペンスなフリードキン

ゲイ連続殺人事件を追ってアル・パチーノSMクラブに潜入捜査する…

フリードキンこんな映画も撮ってたんだー、という80年制作の作品。

公開当時「偏見を増長させる」とゲイ団体から猛バッシングを受け、興収も振るわずその年のゴールデンラズベリー賞にノミネート。

北米版Blu-rayが出たのも2019年と曰く付きの作品??のようであります。

 

NYでゲイを狙った連続殺人事件が発生。
被害者と風貌が似ているということで若手警官のスティーヴ(アル・パチーノ)が潜入捜査官に抜擢され、夜な夜なSMクラブに出かけます。

タイトル・クルージングは男漁りを意味するそうで…

レイザーラモンHGのようなコスチュームの男たちが乱れるクラブの様子に圧倒、アンダーグラウンドな舞台のホンモノ感は抜群で前半は緊迫感たっぷり。

当時を知る警察の関係者は本作について「あの時代の景色がそのまま映されてる」とも語っており、当時のカルチャーの1つではあったんでしょうね。

スカーフの色が「どんなプレイをしたいか」暗黙のサインになっている…未知の世界に踏み入れる主人公にドキドキさせられますが、服装・仕草などを少しずつモノにして堅調に捜査を続けるスティーヴ。

アル・パチーノの変貌演技は見事で引き込まれます。

 

しかし任務のストレスは半端なくガールフレンドとの性生活は変調をきたしギクシャク。

目星をつけた男が誤認逮捕に終わるなど日に日にやつれて行く主人公。

ついに真犯人と思しき男と対峙しますが…

(以下ネタバレで語っています)

 

結局犯人の青年はなぜ殺人を行なっていたのか…

犯行の際に告げる「自業自得だ」という台詞、父親の幻影に悩まされている様子、ナイフを相手に何度も突きつける行為……など「本当はゲイだけどそのことを父親に叱責され強く抑圧されてきた。男に性衝動を覚えると罪の意識から相手を殺してしまう」…ハッキリした説明はないけど如何にもーって感じの犯人像が想像させられます。

この作品、元はデ・パルマが企画に興味あったそうですが、「殺しのドレス」の犯人に激似な人物像。古典をトレースしたスラッシャーものあるあるなオチ!?でした。

 

しかしこちらはラストにもう一捻りあって、事件解決かと思われた矢先、全く同じような事件がまた勃発。

「こういう凄惨な事件はずっと後をたたないものなんだ」…フリードキンらしい厭世的&現実的な終幕を迎えますが、同時に主人公(アル・パチーノ)が犯人だと示唆したような演出でこれが実に曖昧でスッキリしません。

フリードキンは自らの人生観について「どんな人間にも善と悪の面がある」と語っていました。

性的な嗜好も不確かなもので身を置かれる状況によって変わり得る…というのが本作のテーマのように思えます。

↑ラスト、髭を剃る主人公とゲイ変装コスチュームを興味津々で羽織る彼女…の姿は「性の境界線の曖昧さ」を映し出している??

けれど人物描写が少なすぎてそこに至るまでの説得性が薄い…いきなりオチだけどーんと見せられた感じで面食らってしまいました。

 

冒頭のガールフレンドとの会話から主人公も「父親に認められたい」思いが強い密かな野心家であることが示唆されてたように思います。

そういう主人公の内面に迫る描写や、隣人のゲイに心惹かれる場面などがしっかりあれば印象が違ったかも…前半のクラブの呑まれるような空気が生かせてないのが残念です。

個人的には「ニセモノの自分を演じるストレスで壊れてしまう」シンプルなエンドでも良かったんじゃないかなーと思いましたが、「犯人を追う人間が犯人に同化して新たな殺人を犯す」…というオチはアルジェントの作品にも似たようなのがあったなーと何となくイタリアの陰鬱ジャーロっぽいエンディングですね。

もっと虚構を強調したようなタイプの作品ならスッと受け入れられた気がしますが、前半あれだけ隙のないリアリティある映像で迫ってくるのに後半がスカスカでチグハグな印象が残りました。

 

唐突なB級感で1番オモロかったのは警察に勾留された際に現れる謎の黒人男性。

パンツ一丁にカウボーイハットという刺激的な姿で容疑者をいきなりビンタ!!

ガキ使に出てきそうな人で思わず笑ってしまいました。

本当にこんな脅し役がいるのならアメリカンポリスおっかなさすぎる…!

本作でなにげに1番良く描かれてないのは警察で、情報屋の女装のゲイにセクハラを迫る、余罪を吐けば懲役を大幅に短くしてやると犯人と交渉する(=ゲイ殺人の再犯が起こることにお構いなし)…など汚い部分が多々垣間見えてこういうリアルな描写はフリードキンらしかったです。

 

雇われ仕事であっただろう「真夜中のパーティー」の方がお見事、そういえば「エクソシスト」も原作モノだし「恐怖の報酬」も元の映画があって脚本は別の人に書いてもらってるし…脚本から全部やるパターンはフリードキン難しかったんかなーと思ってしまう作品でした。

 

「真夜中のパーティー」…ゲイ8人+ノンケ1人、自分を嫌悪する主人公の悲哀

70年制作、ウィリアム・フリードキン監督の初期の傑作と名高いようなので鑑賞してみました。

原作が有名な舞台らしく「12人の怒れる男」のような密室劇テイストで緊迫感たっぷり。

ゲイ映画というと好みが分かれそうですが、自己肯定感が低い人の苦悩のドラマにもなっていて思った以上に親しみやすい作品でした。

友人・ハロルドの誕生日を祝うため集まったゲイ8人。
そこに主催者・マイケルの大学生時代の友人・アランが突然アパートを訪ねてきます。
ストレートの男の思いがけぬ参加により次第に空気は張り詰めて参加者の化けの皮が剥がれていきますが…

 

職業も性格もバラバラなゲイ達、「幼い頃からゲイだと自覚があった」という人もいれば「結婚して子供もいるけどゲイだと気付いたのは最近」という人もいて各人各様。

後半では「本当に愛する人に電話をかけよう」ゲームが催されますが、過去に恋したノンケの男に未練タラタラだったり、浮気性な恋人をそれでも愛さずにいられなかったり…ドロドロの姿が露呈されていきます。

けれど最も痛々しいのは主人公マイケルの醜態。
旧友にゲイだとバレたくない、ゲイっぽいゲイだと思われたくない…そんな一心で仲間を汚いものを隠すように邪険にして必死で取り繕おうとします。

カトリック教徒でもあるマイケルは他メンバーより一層保守的な家庭に生まれ育ったのか、自分で自分を差別する気持ちが強い様子。

「自分がゲイだと気付いたのは大学卒業してから」と語るも「学生のときからゲイバーに来てたじゃん」と友人から指摘される、いいアパートに住んでいい洋服を着てるけど実は借金まみれ…と嘘だらけの主人公。

でも自分を認められない気持ちってゲイに限らず自己肯定感の低い人間あるある。

生まれつき変わらない性格・性質って誰しもあると思うんですが、それがどうにも受け入れられない、「本当はこうあるべき」という理想が捨てきれずそれに合致しない自分を責め続けてしまう…ゲイに限らずこういう葛藤ってあるよなーと共感できる主人公にも描かれており、ゲイの孤独を「マイノリティの特別なもの」にしていないドラマが秀逸です。

自分に自信がないため他人(仲間)を引きずり下ろすのに必死、「どうせお前も本音で生きてないだろ」とあんなゲームを始めてしまい結果大爆死してしまうことに…

 

クライマックス、マイケルは訪ねてきた友人アランに「お前も実はゲイだろ。大学の頃好きだった同級生に電話しろよ。」と焚き付けますが、アランが電話した先は妻でした。

でもアランが結局何を相談したくて突然やって来たのか理由は明かされないまま。

浮気しちゃって家庭の危機になってパニックになっちゃったのかなー、でもハンクに対する興味津々の視線とか意味深にみえてやっぱりゲイなのかなー…真相不明の「どちらともとれる」エンドでした。

ストロングなアメリカ男の風貌のアラン、泣きながら友人に電話した自分の行為を後から激しく悔いるなど弱さを見せられない人間で、ゲイにせよストレートにせよ、彼もまた苦悩を抱えているのかもしれません。

 

ほぼ密室劇と言っていい作品で主人公たちが社会から差別を受けている凄惨な描写があるわけではないのですが、ほんの一瞬登場するタクシーの運転手と配達員が彼らに向ける視線は射抜くような冷ややかなもの。オネエのゲイ・エモリーに対するアランの嫌悪感まるだしの態度も残酷です。

周りに適応するため場面場面で自分を偽ったり演じたりすることも大なり小なり多くの人がやってることだと思います。

けれど根幹の部分で自分を偽らないと差別されてしまう、幼い頃から家族の前でも自分を取り繕わなければならなかった…そんな険しい道を歩んできただろう主人公がメンタル崩壊しているのに説得力を感じてしまいました。

 

ラスト、こんだけやらかしちゃったらもう絶交で友達ゼロになるやろ…と思いきや恋人のドナルドがマイケルに寄り添います。

また辛辣なハロルドも退場前に「来年も集まりましょう」「また明日電話するわね」などと声をかけていました。

ゲイ8人の中でも異様な貫禄を放つハロルド、皮肉も自虐も凄まじく強烈な人物です。

マイケルにも1番キツい本音を突きつけますが、もしかするとユダヤ系の彼が1番マイケルの苦しみがよく分かっていて、「似たもの同士」だからこそああやって本音が吐けるのかもしれません。

マイケルがハロルドに送ったプレゼントは何だったのか、そこもハッキリ判明しないままでしたが何か特別なものだったようで2人には不思議な絆があるようにも見えました。

変われないまま苦悩し続ける主人公の姿は絶望的でありつつ、一方で同じ苦悩を抱える人間同士、同じ属性の人の共同体が持つ繋がりの強さみたいなのも感じました。

 

会話のテンポが半端なくジョーク1つにも元ネタや背景がありそうで着いていくのに必死…!誕生日に真夜中のカーボーイ(男娼)をプレゼントするってどーなんと思いましたが(笑)。

「本当のゲイの集まりを覗き見しているような感覚」の2時間でしたが、フリードキンの監督色というより元の舞台の力が大きいのかなと思いました。

所々に流れる洋楽も印象的で、オープニングに流れるのは「インディジョーンズ魔宮の伝説」でも使われていたコール・ポーターのAnything Goes。

「時代は変わった、何でもありだ」と朗らかに歌っているのが何とも皮肉で容赦ない…!!

評価が高いのも納得の1作でした。

 

愛はパワーだよ。懐かしドラマ「to Heart 」の記憶

90年代懐かしドラマ。

中学生の頃仲の良かった友達が堂本剛の大ファンで影響されて観たドラマだったのですが、不思議と大人になってからも鮮烈な印象が残っている作品です。

深キョン演じる主人公の透子(トーコ)がボクサーの青年・時枝ユウジ(堂本剛)を好きになる…というただそれだけの恋愛ドラマ。

2人の出会いがレンタルビデオ店ってところにハートを掴まれたのですが、お互いが借りたビデオの入った袋が入れ替わってしまう。

中身が違うことに気付いて店に戻ったら鉢合わせになって、
「エロビデオなんか見て」「お前アニメが友達なのかよ、彼氏いないだろ」
…って感じで罵り合うんですけどこういうのいいですねー。オタクの夢が詰まった出会いというか(笑)。

 

印象最悪な2人でしたが、ボクシングの鍛錬をしているユウジを見かけたトーコはその直向きな姿に釘付けになり恋に落ちてしまいます。

名前も知らない彼を近所を徘徊しながら必死で探すトーコ。

ついには自宅を突き止めて勝手に部屋の掃除までしてしまう(「恋する惑星」のパロディっぽい)。

いつも携帯電話で友達と思しき人物と会話しているトーコなのですが、その友達は劇中1回も登場しません。もしかしてずっと1人で喋ってる…??なかなかホラーなヒロインでぶっ飛んでます(笑)。

トーコはユウジに思いをぶつけますが、ユウジはバイト先の花屋の店長に片思い中。しかしその女店長にも彼氏がいて…と複雑な恋愛模様が展開されていきます。

 

一見尖った奴にみえるユウジですが、意外に周りの空気を巧みに読む人で、同じジムの先輩に絡まれたときには角が立たないよう相手を持ち上げてその場を上手く収めたりしています。

好きな女店長に対してもハッキリ告白せずに半ば冗談めかしながら遠回しに自分の好意を伝える。

女店長の方も好意に気付きつつ「ユウジくんは弟みたいな存在」と日頃からやんわり予防線を張ってさりげなく断ってくる。

大人な遣り取りというか、穏便な人間関係を築くために必要な策にも思えますが、なんだかんだ自分が傷つくのが怖かったりして…愚直に思いをぶつけるトーコと対照的です。

挙句自分が寂しくなったときには女店長もユウジも「自分に好意を持っている相手」を都合よく利用したりし始めて身勝手で不誠実。

メンヘラ恋愛依存にみえて意外に軸がしっかりしているトーコは好意を寄せてくる男性に対し思わせぶりな態度はとらず一刀両断。

一応フラれたら付き合えないという認識はしっかりあるようで、例え好きな相手(ユウジ)からでも身に覚えのない侮辱を受けると距離をとる…などその気骨に段々惚れ惚れとしてきます。

↑トレーニングするユウジの周りを自転車でクルクル周るトーコ。うざ可愛い(笑)。

 

ボクシングを題材にしていることも当時新鮮だったのですが、高校生チャンプだったユウジがデビュー戦で負けると周りの態度がガラッと変わってしまう…

傲慢だった人間の挫折と再生……的なドラマが感じられて序盤は引き込まれたのですが、ボクシングパートは総じてツッコミどころが多く、恋愛ドラマを盛り上げるためのオマケ的にアクシデントが次々起こるのが雑な印象でした。

剛くんは暗さがあってボクサーの役にすごくハマっていたのに、もうちょっとこっちにも重点置いてくれてたらなあ…と残念です。

けど「試合中お前の声だけが聞こえる」はグッときますね。エイドリアーン!!って感じで。

 

作中1番有名な「愛はパワーだよ」…は小っ恥ずかしいながら一度聞いたら忘れられないトーコの台詞。

リング上で1人で戦う孤独なボクサーが絶対的に自分の味方でいてくれる存在を思い出して立ち上がる姿はドラマチックです。

そして「趣味も何にもない」と言っていたトーコが「初めてこの世に夢中になれる存在ができた」と生き生きしだすのが眩しい、なんともいえない可愛らしさです。

 

全12話のドラマで主人公2人がようやく結ばれるのかも…??ってなるのが11話ラスト…めちゃくちゃ焦らしプレイでこんなにヒロインが塩対応を受けるドラマってあまりないんじゃないでしょうか(笑)。

ボクシングのコーチ役で赤井英和が出演しているのも印象的でしたが、序盤恋敵として登場した嫌な女が改心して歳の離れた赤井英和のことを好きになる。

まさか恋愛パートに赤井英和も絡んでくるとは思わず「どーなるんだ!?」とクラスで盛り上がってました(笑)。

 

作品の舞台は99年の7月。「ノストラダムスの大予言で世界が終わるかもしれない。このまま何もしないまま終わるのはイヤだ、恋がしたい」…と1話冒頭でトーコが呟いています。
(「恋して死にたい」というこれまた小っ恥ずかしいサブタイトルはここから)

でも不思議な刹那的美しさのある作品で、エンディングのプールの風景、2人公園で花火するシーンなど夏の匂いが強くたちこめていて、みてると「ああっ、今年1年って今年しかないんだ!」みたいな気持ちになる(笑)。

細眉にパープルのアイシャドウの深キョン、主人公の仕事場がデパートの屋上…とバリバリ90年代を感じさせる景色に、大人になってみるとより一層そんな想いがこみ上げます。

 

オープニングテーマ曲、デズリーのライフも抜群に耳に残って夏が近づくと聴きたくなる曲♫


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能天気なようで気怠さと閉塞感が同居していて、この年代の特有の空気感がよく出ている。そしてそれを打ち破るヒロインによく分からないけど圧倒される。

時が経ってもなぜだか記憶に残っている作品です。

 

ルチオ・フルチの「恐怖!黒猫」…物静かなホラーだけど雰囲気は良かった

フルチが「地獄の門」と「ビヨンド」の間に撮った81年の作品「黒猫」が初Blu-ray化。

「時計仕掛けのオレンジ」のパトリック・マギーと「4匹の蝿」のミムジー・ファーマーが主演、脇はフルチ作品の常連が固めています。

ゴア描写は少なく思った以上に静かな作品でしたが、物悲しさ漂うジャッロになっていて充分楽しめました。

人々の奇怪な死が続くイギリスの小村。
村を訪れたカメラマンの女性・ジルは村人から忌み嫌われている霊媒師・マイルズの下を尋ねます。

気性の荒い黒猫を飼っているマイルズ、事件現場でもこの黒猫の姿が見られていました。

殺人猫が人を殺めているのか、マイルズが猫を使って人を殺しているのか…ジルは疑いますが…

 

猫現れるところに死あり…
ボート小屋でイチャイチャしてた男女は鍵を猫に奪われて閉じ込められて酸欠で死亡。そんな密閉状態になるか??とツッコミたくなりましたが、苦悶を想像させるイヤーな死に様ですね。

お母さんが焼死する場面が1番グロテスクで迫力がありました。

行く先々で死のトラップを設置していく猫ちゃんは名演技。撮影で指示通り動いてもらうの大変だっただろうなーと労苦が想像されつつ、可愛らしく見えてしまって恐怖度は低かったです(笑)。

それよりも光るのは偏屈ジーサンの演技。

暗い屋敷に独り住まい、いかにも付き合いにくそうな人のオーラが出ていてハマり役でした。

マイルズが超能力で猫を操っていたのかと思いきや、彼の疎外感や怒りが猫に乗り移って殺人を犯してしまった模様。最後には猫の方が力を持って制御できなくなってしまった…孤独な男の精神崩壊を描いたようなシンプルなお話だけど味わいがありました。

エドガー・アラン・ポーの原作は猫を使って人を殺す云々のストーリーは皆無で「やってはいけないことをやってみたくなる」屈折した人の精神が猫への暴力に至るという内容。

飼い主が煩わしくなった猫を殺すところはトレースされていてグロくせずにゴシックホラーな見せ方になっていてよかったです。

 

フルチの過去作からの引用(再利用)も見受けられ、ヒロインがコウモリに襲われるシーンは「幻想殺人」、壁に埋められるクライマックスは「ザ・サイキック」が重なります。

昨年みた「ザ・サイキック」はオチも含めておおーっとなったのですが、そもそもこれもエドガー・アラン・ポーからだったのね…(金田一少年の”放課後の魔術師”とかも元を辿ればそうなのかも、古典なんですねえ)

村から孤立してる爺さんの姿は「マッキラー」のような寂寞感もあり、グロがなくてもフルチらしさが感じられる。
ピノ・ドナジオの音楽も含め物悲しい雰囲気で個人的には好きな作品でした。

 

「ドクター・ブッチャー」…ゾンビと食人族とイアン・マッカロック

映画「サンゲリア」で主演を務めるイギリス人俳優、イアン・マッカロック。

特典映像などで披露されるエピソードでは気難しく撮影時には他の出演者と打ち解けられず孤立していたそう。

時を経て作品が再評価されてファンイベントなどに呼ばれても終始しかめっ面。

義理の親戚は議員で映画を検閲する仕事に関わっていたのだとか、ご本人もイギリスの劇団出身でプライドが高そう…ホラーというジャンルを心の底から軽蔑したような発言を繰り返しています(笑)。

そういう見方の人もいるけどさー、折角出演した作品が愛されてるのにもうちょっと人生楽しんだらどーなん…とか思っちゃいますが、そんなイアン・マッカロックさんのもう1つの代表作がこの「ドクター・ブッチャー」です。

ニューヨークのとある病院では遺体の一部が盗まれる事件が頻発していました。

犯行現場が取り押さえられるも犯人の職員は投身自殺、「キートー」という謎の言葉を残して息絶えてしまいます。

調査の結果犯人の出身地がモルッカ諸島だと判明し、事件の謎を追う男女4人は秘島に向かいますが…

 

サンゲリア」によく似たプロットでマッカロック演じるキャラクターの名前もピーターと完全に一致。

「島には食人文化があるけど死体しか食べない」と説明されていたのにジャングルに入ると襲われ次々と丸かじりにされていく一行。

オーガニックパンツ一丁の原住民の姿はまさに「食人族」、しかしボディが薄くて野性味があまり感じられません(笑)。

仲間が食われて大ピンチの一行でしたが、そこにさらに謎のゾンビが出現し食人族たちは一気に退散…!!

↑「サンゲリア」のミミズゾンビを髣髴させるも顔しかペイントされてなくて手抜き加工!?やたら目力があってこれはこれで独特の雰囲気があります。

 

島の調査には現地に住むオブレロ博士の協力が得られるはずでしたが、部下のガイドはなぜか違う島を案内。

タイトル:ドクター・ブッチャー……博士が黒幕ってことか…(全力のネタバレ)

なんとオブレロ博士は生きた人間の脳を死体の脳と入れ換えてゾンビを生産し、永遠の命の研究をしていたのでした。

じゃあそもそも冒頭の事件は何の話やったの??
たまたまNYに出稼ぎに来てた食人族さんがお腹すいて遺体食べちゃってただけ??

様々な疑問が頭を駆け巡りますが、食人族とゾンビが入り混ざって三つ巴の戦いになる…!!

ゾンビは人を食べないけど食人族がゾンビを食べる…!!

 

短い上映時間にマッドドクター、食人族、ゾンビと詰め込みすぎな脚本ですが、そんな内容のおかげでグロシーンは出血大サービス。

ボートのモーターでゾンビの頭部を破壊する場面や博士が行う頭部切開のオペシーンなどかなり力が入っています。

中でも出色なのは「仲間が生きてた!」と駆け寄ったら「バーサンになってた!」…からの「頭皮カツラ被ったバーサンだった…!」のシーン、まさかの三段構えに予想がつかずギョッとなります。

 

マッカロック演じる主人公は嫌がる女性を強引に調査に同行させるわ、仲間が死んでもノーリアクションだわ、島に空き缶ポイ捨てするわとさりげなく嫌な奴(笑)。

対してヒロインの女優さんは全裸で巨大岩に張り付けられるなど本筋と全く関係のないところで体を張りまくっています。

雰囲気のあるロケ地は一部「サンゲリア」と同じ場所を使用。燃やした教会をそっくり建て直すというトレースっぷり。

↑ラストシーン、本物はどっちだ!?

イタリアで制作された89分版(ゾンビ・ホロコースト)とセールスのため勝手に編集された82分版(ドクター・ブッチャー)の2バージョンが存在していて、テンポよく楽しいのは82分版の方ですがファミコン音楽みたいなやたら軽いBGMに脱力、思わず笑みがこぼれます。

「僕が出演した中で最もバカバカしい作品だ」…マッカロックさんは全く気に入ってないようですが自分は大好きです。

 

「恐怖の報酬」劇場で再鑑賞してきました

先月目黒シアターという劇場にて「恐怖の報酬」「ウィッカーマン」の2本立て上映があり、観に行ってきました。

時間の関係で「恐怖の報酬」1本しか観れなかったのですが、このブログを始めてから出会った中で1番衝撃だった作品。大きな劇場ではなかったけれど「集中して映画館でみたい」と思っていた1本なのでまたとない機会でした。

前半トラックが走り出すまで1時間。説明皆無で突き進む映像にひたすら圧倒されますが、とっつきにくいという意見も分かる(笑)。

ニトロ運搬だけでも無理ゲーなのにこれでもかと襲い掛かる災厄の数々…説明できない理不尽が、〝逃れられない死〟がひたすら襲ってくる、「オーメン」「ビヨンド」のような王道ホラーでもあると思いました。

気分が盛り上がりその後〝最終盤〟Blu-rayに収録されている特典映像を鑑賞。
「ドライヴ」のレフン監督との対談や「フリードキン・アンカット」というドキュメンタリーが丸々1本収録されていて併せてみると面白かったです。

「人は誰でも善と悪の両面を持つ」…というのがフリードキンの信条らしく、こうした人間観は各作品で滲み出ているように思われます。

フレンチ・コネクション」では麻薬組織の親玉が妻と仲睦まじくプレゼントを贈り合っている様子が描かれ悪党にも人を愛する心があるのだと伝わってくる。

反対に「エクソシクト」では善良な母親に対し「娘より自分のプライベートを優先させてないか」とふと疑いの念が湧き上がったり、一見無邪気そうなリーガンをみても「実は母親の恋人を疎ましく思っていてその潜在意識が凶行に走らせたのではないか」などと不安がよぎったりします。

人間良い・悪いにハッキリ分けて考えた方がよっぽど楽で、善も不確かな存在だと疑うと途端この世は信じられない怖ろしい場所になってしまう…

曖昧で複雑な人物描写からフリードキンは度々ペシミストと呼ばれているそうですが、一方でこうした人物像に誠実さも感じてしまう、「そんなもんだから過度に期待して生きない方が楽だ」とホッとさせられる面もあるように思います。

「どんな人間も欠点を抱えている。でもそんな人もいい行いをすることがあるんだ。」

ガメつい強盗のロイ・シャイダーが負傷した殺し屋のニーロを車に乗せて励ましの言葉をかける「恐怖の報酬」のクライマックス…
これまで自分のことしか考えてなかった男が利害を度外視した行動に出る…

善が悪をはらむなら悪が善をはらむこともあると逆説的に希望も描かれていて、こうした場面では他作品(それこそ「ウィッカーマン」など)では感じられないような温かみも感じて胸が熱くなります。

 

主人公勢が全員悪人であることをレフン監督に指摘されていましたが「最後には赦されたい」懺悔系映画の要素も色濃い作品。

大人になり年をとってくると「自分のダメさを受け入れる」マインドがいるもので決して清らかでない登場人物たちにも心惹かれます。

崩壊寸前の吊り橋の上でも何とか道を切り開こうとするセラーノをみると「なんとか渡り切ってくれ…!」と祈るような気持ちになってくる。

普段信仰心もないのに困った時だけお願いするって都合のいい話ですが、人生って結果を望みつつ何かを行うことの連続で、「エクソシスト」とも重なりますがキリスト教信仰云々が理解できなくても充分共感できるテーマだなあと思います。

”決して報われるとは限らない”残酷な結末も人生誰しもが一度は味わうもので、無情でありつつ何としても生きようとする人間の執念にプラスのエネルギーを感じる。

密林の驚異の映像とともにビシバシ伝わってくるドSフリードキンの人生観がヘタレにはグサグサ突き刺さりました。

リアリティ重視のため一切の妥協を許さずときに出演者も追い詰める…数々の逸話からフリードキンには鬼・悪魔のようなイメージがありましたが、ドキュメンタリーにて本人のご様子をみると気難しそうなタイプでは全くなくむしろ社交的で健康なメンタルしてそうな印象。(いい人そうとは言わない)

コミュ力の高いやり手テレビマンの佇まいで、実にチャキチャキしたお爺ちゃんでした。

「自分を芸術家と思ったことはない」という言葉からは相当なストイックさが伺えて、期待する若手にデイミアン・チャゼルの名前をあげているのに何だか納得。

「最も優れた映画が誕生したのは無声映画時代だ」…なるほど説明なしで突き進むあの映像はサイレント映画よりだと思ってみればいいのか…と説得力を感じました。

70年代の作品をみると今の作品にはないリアルな質感に驚きと憧れの気持ちでいっぱいになりますが、何としてでも撮り切るという執念が、妥協を許さない作り手のストイックさが作品の内容そのものとも重なり、改めて観ても凄まじい熱量の作品でした。

 

「サザン・コンフォート」…ウォルター・ヒル最高傑作!?ボンクラ小隊決死の脱出劇

81年制作、日本国内では劇場未公開だったというウォルター・ヒル監督作。

ジャケ写は戦争映画のような雰囲気ですがサバイバルホラーと言っていい仕上がり。

「田舎で得体の知れない人に襲われる」系ホラーの醍醐味もあり、個人的には今まで観たウォルター・ヒル作品の中で1番面白かったです。

1973年ルイジアナ

アメリカには州兵(National Guard)という連邦政府とは別に州の管理下にある軍隊があり、その中には「本業は別にあるけどパートタイムで軍に入る」という人たちが一定数いるようです。

アメリカはやっぱり広い国、州にも別軍隊あるなんてスゲーッとか思っちゃうけど、本作に登場するブラボー小隊は驚きのボンクラ集団。

週末だけの演習にはお遊び気分で参加。

訓練中に迷子になり地元住民のカヌーを無断で使用するも、チーム1のバカがふざけて住民に発砲してしまいます。

↑ヒャッハー!この笑顔である

小隊の持つ銃は空砲だったのですが、そんなことは露知らない住民は怒り心頭、反撃に出てチーム唯一の〝軍人〟だったリーダーが真っ先に射殺されてしまいます。

土地勘のない場所に放り出されるボンクラ兵士たち…

ジメジメした湿地帯の舞台がムード満点。

追跡者は終盤までその姿をみせず、エグい仕掛け罠が登場したり犬に襲われて負傷したりとドキドキハラハラな展開が続きます。

 

本作に登場する地元住民〝ケイジャン〟はフレンチ・インディアン戦争の頃からルイジアナ州に住むフランス系移民をルーツとする人々。

同じ国の中に全く違う言語・風習の人たちが住んでいる文化摩擦。

やたら怖く描いてしまって誤解を与える??と懸念もされそうですが、割り切ったホラー演出ですしそもそもケイジャンの人たちは作中そんなに悪く描かれてないように思われます。

1番おっかないのはマヌケ小隊のあまりのマヌケっぷり。

統率のとれてない軍隊ほどアカンもんはない。

疑心暗鬼になって地元住民に暴力振るうわ、自分たちに非があったのに「復讐だ…!!」と正義に燃え盛るわと痛々しい愚行が続きます。

♫バシャバシャバシャ〜 FPS勢もドン引きしそうな大音量(笑)

皆を鼓舞する新隊長は方向音痴!あまりの右往左往っぷりが段々笑えてきたりもします。

 

メンバーの中で比較的常識人なのはスペンサー(キース・キャラダイン)とハーディン(パワーズ・ブース)の2人。

ドゥー・ユー・スピーク・イングリッシュ??……異文化尊重もへったくれもない中、唯一対話でコミュニケーションしようとするスペンサー。

ワイルドな見た目と裏腹に繊細なハーディンは実は化学技師。
地元が合わずに引っ越してきたのに「テキサスのバカのルイジアナ版だ」…何ともいたたまれません。

州兵→ケイジャンへの無理解・蔑視もありつつ、比較的知識人の2人→ザ・底辺な他メンバー…の分断が絶望的です。


(ここからラストまでネタバレ)

湿地帯を抜けてからのクライマックス30分も全くダレず、ケイジャン奥地の村に辿り着いてからの緊張感がハンパありません。

もしかして村人全員グルなのか…観てるこっちも疑心暗鬼に。豚のように処刑されてしまうのかどっちだーー!!演出が冴え渡っていて手に汗握ります。

1人生き残りor全滅エンドかと思いきや、ラストは助けが来てグッドエンド…??

意外な終幕ですが時が止まったようなラストの見せ方も洒落ていて、もう何にも信じられない&命が助かっても心はもう帰ってこれない…

年代的にもプロット的にもベトナム戦争を批判した感ありありですが、ウォルター・ヒル監督は政治色を入れたくなかったようで役者には「ベトナムものだと思うな」と言ったとか。

アメリカの広さや格差を想像させられつつも、小難しいこと考えず第1級のサバイバル・ホラーとして存分に楽しめる作品になっていました。

それにしてもタイトル:Southern Comfort(南部のやすらぎ)って……嫌味かっ!!