社交界の花形であり財産家でもあるリネットと失業中のサイモンのハネムーンには暗雲がたれこめていた。
婚約者を奪われたジャクリーンが拳銃を手に2人の行く先々に現れ、いやがらせをするのだ。
同じナイル川観光船に乗り合わせたポワロは、そんな彼女の振る舞いを押し留めようと試みたが、やがて恐るべき惨劇は起こった…
後半の展開がてんこ盛りすぎてとっ散らかっている印象があったのですが、久々に読んだら味わい深い群像劇していて面白かった。
異国情緒&男女愛憎劇&殺人事件…非日常を味わうには最高のひととき。
クリスティ自身がベストに入れているというのも納得の傑作でした。
(以下ネタバレ)
事件の被害者はトータルで3人。
高慢で他人の気持ちを考慮できない資産家令嬢と、殺人を目撃しても金を巻き上げることしか考えない強欲なメイド、アルコール中毒で実の娘に依存しっぱなしの母親…
「そんな連中が死んだからって気にする奴がいると思うか?」…ファーガスンの毒舌にもちょっぴり頷きたくなるような(笑)。
殺された3人が好感度の低い人物ということもあって「胸糞度」は低めの事件なのかな、と思います。
美貌の資産家・リネットは親友の婚約者を略奪するような薄情な女。
正当な手続きを踏んでいて責められる所以はないという言い分はもっともではありますが、内心罪悪感を抱きつつも自分達は被害者だとアピールして尊大な態度を崩さない姿が醜悪に映りました。
我の強い性格をしていてウィンドルシャム卿と結婚していたとしても衝突して結局幸せにはなれなかったのかも…
優雅な貴族生活よりバリバリ仕事するのが向いていそうな人で、自分の才を発揮できる機会に恵まれなかったという点では実はかなり不遇な人だったのではないかと思いました。
何でも持っているように見える人も決して幸福とは限らない…人生の幸不幸って案外平等なものなんだ…
そんな人生観!?が透けてみえるような人間模様。
そうはいっても持っていない人間には持っている人間にはない苦労があるだろう…辛い体験をしている人にも平等だなんて軽々しく言えるのか…と思ったりもして、簡単には割り切れないものがありますが、他人の苦労は案外見え辛い&人それぞれその人なりのしんどさを抱えているものなのかも…と思い巡らせると、幾らか心穏やかになれる部分もあるのかな、と思いました。
アメリカの平民娘・コーネリアは美貌も財力もない人ですが、幸福な人間として描かれていました。
偏屈な親戚にこき使われても「旅行来れただけでよかったわー」、みんなが妬む美人令嬢をみても「美しい人は存在してるだけでこっちの元気も出るわー」…超絶ポジティブ思考でお人好しを通り越してドMかと疑うような性格ですが、「こういう風に捉えられれば楽」というクリスティの理想像をみた気持ちになりました。
社会主義的思想にハマっている青年・ファーガスンが彼女の心の美しさに惹かれてプロポーズしますが撃沈(笑)。
この世は不公平だ、苦労してない金持ちがムカつくと口汚く罵るファーガスン、言いたいことは分かって個人的には嫌いになれないキャラクターでした。
でもお前もボンボンやったんかーい、というオチ(笑)。
ペシミストで何もしない男よりも実直な仕事人・ベスナーを伴侶に選んだコーネリア、気弱なようでしっかり者。
窃盗の悪癖が明るみになったヴァン・スカイラー夫人に対してでさえ寄り添おうとする大聖人っぷりにはもうひれ伏すしかありません。
個人的に最も肩入れしてみてしまったのはアル中の母親を持つロザリーで、ままならない人生の不幸を感じさせるキャラクターです。
人と打ち解けるには自分のことを多少なりともオープンにしなければならないものだけれど、外に出せない家族の秘密を抱えた人にはそれが中々出来ない…
1人で全てを抱え込み、変われない相手を幸せにしようとして報われない徒労感だけが残る…心を閉ざしてしまう姿がリアルで同情してしまうキャラクターでした。
結局アル中からは本人が死んで解放されるしかないという結末が酷ですが、代わりにいいお義母さんと出会うことができました。
窃盗の手伝いをしていたティムがお咎めなしなのはどーなん!?と思いつつ、「2人が幸せならヨシ!!」と見送る、恋のキューピッドのようなポワロの佇まいに笑ってしまいます。
サイドの登場人物のドラマが綿密に組み立てられているも、事件勃発時の真犯人の行動が不自然すぎて、犯人に意外性がないというのが本作の唯一残念なところ。
緻密に計画を立てる人とそれを実行する高い身体能力を持った人と…役割分担されたカップル殺人犯というアイデアはとても面白く、彼らの独白があとから読み返すと違った解釈ができるようになっているところもさすがクリスティと唸らされます。
「お金は欲しいけど偉そうな女は嫌」ってめちゃくちゃ我儘なサイモン(笑)。子供のようにモノを欲しがっただけというのがおっかない。
でもそんな男に恋してしまったジャクリーヌ…
リネットにとってジャクリーヌは金や名声目当てで寄ってきたわけではない唯一の友人だったかもしれず、壊れてしまった女の友情が切ないです。
殺人はアカンけど何のためらいもなく婚約者を盗られて踏ん切りがついたというジャクリーヌの言い分には説得力も感じてしまいました。
映画版は未鑑賞ですが、ロケーションを想像するとかなり見応えのある作品になっていそうです。
クリスティといえば昔のハヤカワ文庫の真鍋博さんがデザインされていた表紙がとても印象的でした。
ピラミッドをみて”労働者をこき使った胸糞物体〟みたいにクサすファーガスンに笑ってしまったけれど、舞台設定がストーリーとしっかり噛み合って生きている。
心優しいごく普通のおばさん・アラートン夫人が現地の物売りの子供達を疎ましく思って悪態をつくところなど、何気ないシーンも改めて読むと印象に残り、情景が思う浮かぶようでした。
理想像を1つ提示しつつも多様な登場人物の多様な生き様が描かれていて、どうしたって自分の足元しかみれない人間の愚かしさ、ふとした出会いで闇に呑まれてしまう人の怖さをひしひしと感じさせる…やっぱりクリスティはすごいわー、と感じ入る傑作でした。