どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「L.A.コンフィデンシャル」原作のエドの魅力について語ってみたい

映画ファンの間でも評価が高い「LAコンフィデンシャル」は、自分も大好きな作品で、原作小説も夢中になって読んだ。

犯罪の絶えない1950年代のロサンゼルスを舞台に、刑事3人が、とある殺人事件をそれぞれ調査するうちに、警察組織の腐敗に直面する……という、サスペンス刑事ドラマである。

1997年に公開され、オスカーは「タイタニック」に奪われたものの、公開当時から評価はかなり高かったと思う。

自分は映画版を先にみたが、原作を読むと、相当内容をカットしていること・カットしたのに物凄く上手に話をまとめていることがよく分かる。

今回は、“映画と原作でここが違う”という点をあげたりしながら、大好きなキャラクター・エドの魅力を中心に語ってみたい。

 

 

※以下、原作と映画、双方の内容に関して詳しい記述があります。

 

◆3人の刑事が主人公

L.A.コンフィデンシャル」は、3人の刑事が主人公で、それぞれの視点が切り替わりながら話が進む。

映画はテンポが良くてさほどの時間経過を感じないが、原作ではおよそ8年の年月が経っている長いドラマだ。

 

①ジャック・ヴィンセンズ (演:ケヴィン・スペイシー

作中年齢:37歳→44歳

まず1人目はジャック。麻薬課のベテラン刑事。

しかもロス市警の活躍を描くテレビドラマのモデルになっていて、ちょっとした有名人である。

ところが、裏ではゴシップ記者と組んで、逮捕劇を仕組み、賄賂を受け取るなど、汚いことをたくさんやっていて、すっかり刑事らしさを失ってしまっている。

映画だと単なる汚職刑事の印象だが、原作だと闇はもっと深い。

昔捜査中に、誤って一般人を射殺してしまったが、その事件をうやむやにしている…というトンデモない過去の持ち主。しかし、本人はそのことに罪悪感を抱えている。

ジャックというキャラの見どころは、「汚職にまみれた、冷めたシニカルなやつだが、事件をきっかけに、再び刑事としての誇りを取り戻し、捜査に加わっていく」……というところだろう。

映画版では大きく出番が削られているが、ケヴィン・スペーシーが演じていてすごく上手だなあと思った。
特に、ジャックの死にざまは「人って撃たれたらあんな風に死んでしまうのだろうか。」と子供の頃の自分に思わせた、すごくリアルな死に様だった。

最期に一矢報いてやろうと遺した言葉が、バトンがわたるように、エド(もう1人の主人公)につながっていく展開は見事である。

ジャックの死は映画版の方が印象的かもしれない。

原作では、ジャックが妻帯者。妻にも息をするように嘘をつき続けてきたが、それでも和解にいたる。原作ではこの夫婦関係のドラマがジャックというキャラを盛り上げていると思う。

 

②バド・ホワイト (演:ラッセル・クロウ

作中年齢:33歳?→39歳

2人目は女性の味方、DV絶対ゆるさねえ刑事。

子どもの頃、自分の母親が父親に日常的に暴力を受けた挙句殺害されたのがトラウマとなり、女性に暴力をふるっている男をみかけると、ところ構わずボコりに行く…という悲しい性の刑事。

個人的に、映画版で1番カッコいいと思ったのは、バドだ。男らしいが、どこか子供のように純真な感じさえするラッセル・クロウが、見事バド役にピッタリはまっていたと思う。

直情型でルールを守らず、警察内でその行動が問題になってしまうことも多いが、仲間には好かれている。出世のために平気で仲間を売るエド(もう1人の主人公)と次第に対立していく。

 

エド・エクスリー(演:ガイ・ピアース

作中年齢:29歳→36歳

エドは、実質1番の主人公といっていいキャラクター。

エドは“父親にコンプレックスのある人物”なのだが、映画と原作で1番描き方が異なっているキャラだと思う。

映画版では、エドの父親はすでに亡くなっていて、“殉職した伝説的刑事”である。家族の描写は特になく、父親との仲は良好だったのでは…と思わせる。

原作のエドはもっと坊ちゃんで、お父さんは元エリート刑事で警察引退後は不動産王となり、ディズニーランドのような巨大テーマパークの建設に関わっている…という大金持ちである。

加えて“優秀な兄がいたが同じく警官になり殉職している”…という家族関係が明かされる。父親は明らかに兄のトマスをひいきしており、その兄が亡くなったが故に、エドはずっとトマスの幻影と比較され続け、父から全く評価されない…という悲しみを背負っている。

さらに、エドには戦争従軍経験があるのだが、「既に自殺していた日本兵を自分が倒したと実績をでっちあげ、偽りの戦績で叙勲されている」という暗い過去もある。

エドは頭脳明晰で、自分に自信があるようにみえるが、本質はとても臆病で、父親は家族だからこそそれを見抜いていて彼を褒めないのだと思う。

「父に評価されたい」という想い、「父への信仰心」がエドの異常な出世欲の源だ。

これをあえてバッサリカットして成立させた映画版は潔いなー、と思う。

神経質そうな見た目、頭脳派で尋問の達人、“ショットガンのエドだ”…のくだり…映画は部分部分の要素を取り込みながら、エドのキャラクターを生かしていて好きだ。

 

LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)

 

 

エドとバドを巡る2人の女性

3人の刑事のうちの2人…エドとバドはことあるごとに対立し、犬猿の仲となる。
しかも、なぜか同じ女性を好きになってしまい、取り合う…とドロドロした関係になってしまう。

 

暴行事件の被害者・イネスに惹かれる

ヒロイン2人のうち、映画版では大幅に出番がカットされたキャラクターだが、原作では重要人物のイネス。

大事件を追っているうちに浮かび上がった女性監禁暴行事件の被害者・イネスは、自分たちをレイプした犯人を許せず、事件の真相を語ることを拒否し続ける。
彼女がアリバイ証言をしなかったことで、彼女を暴行した犯人グループは、別の殺人事件の濡れ衣を着せられ、事件は闇に葬られそうになる。

「私はあいつらに死んでほしい。」という彼女の気持ちは当然だと思う。あれだけ恐ろしい目に遭い、マスコミに追いかけられ、実の家族から拒絶されたイネスの悲しみは計り知れない。

バドも、エドも、そんな不幸な彼女を自分たちのかつての母親と重ねてしまい、愛そうとするが、彼女の憎しみが大きすぎたゆえに、いずれも関係は破綻してしまう。

途中、読んでいるとイネスが“嫌な女”にもみえてしまう。エドに囲われ、エドの父親の持っているコネクションに近づき、ひたすらエドを利用するにもかかわらず、彼本人には辛く当たる。でも彼女が自己憐憫のループから抜け出せず、過去を切り離せないままになってしまった発端は、エドがもともと彼女の証言が欲しいと取り入ろうとしたせいでもあるので、彼を憎むのは当然かもしれない。

適切なケアを受けて、もっと遠く離れた地で、別の幸せな人生を歩めなかったのか…と思ってしまう。

 

切れ者の高級娼婦・リン

映画では40代のキム・ベーシンガーが演じたが、原作だと年齢は29歳と若い。

事件に関連ありと見られた売春組織に所属している娼婦だが、刑事から尋問を受けても、自分が被害を受けなくてすむようにのらりくらりと答えをはぐらかし、交渉までするという、相当の切れ者である。

映画だと、バドとリンは相思相愛で、途中、リンがエドと関係をもったのは、組織からの指図だったことが分かる。

原作のリンは、バド・エドの両方と関係を持ちながら、心の奥ではエドの方を深く愛していて、エドの臆病さ、頭の良さ、父親への複雑な思いを理解した唯一の人物である。

リンの過去は深く語られないが、恐ろしい組織に身をおきながら自分を守れるくらいの知恵者になっている…というだけで、相当傷つけられてきた人間ではないかと思われる。

最後に、リンはエドをのこして、バドとともに、アリゾナに移住する。彼女が本当に愛しているのはエドのはずなのに…。

バドが障害を負って世話が必要になったから…バドを裏切ったことへの罪滅ぼしだから…彼女は”母性”の強いキャラクターなので、それも理由としてはあるかもしれないが、エドと一緒になっても、お互い幸せになれないということを彼女は知っているからだと思う。イネスと異なり、離別を決意できるリンは強い。

映画版にてリン役にあえて原作設定よりも年上のキム・ベーシンガーを起用して、「母性的な感じのする女性」にしたのは、母性愛に飢えたエドとバドの人物像が分かりやすくなっていい改変だったように思う。

 


同じ女性を巡って争い、長い年月対立してきたエドとバドが、事件解決のために協力を決意し、お互いを(互いの仕事に対する姿勢・正義感)を認め合い、心をゆるす展開には本当に胸が熱くなる。

「礼をいっとくぜ、突き飛ばしてくれて。」は最高に萌える台詞だ。

 

◆”それもこれも、あんたの育て方が悪かったからだ”

映画のエドは、“父親”ではないが、“黒幕”を倒すことで “一皮むけた”警察官になる。

それに比べ、原作のエドの成長は、“父親信仰から脱却し家族に別れを告げる”という、かなり切ないものである。

原作においては、エドの父親が英雄的活躍をした…と言われていた過去の事件の真相が、息子本人によって明らかにされ、「実は父親が英雄でなかったこと」が分かってしまう。

エドは最後まで葛藤する。「エクスリーの名前を汚したくない。」「父親を守らなければならない。」と。

しかしあまりに凄惨な事件の真相を知り、父を告発するに至る。

これまでの人生で、異常なまでの恩義を感じ、絶対的存在として尊敬していた人間が、実は最も軽蔑すべき人間だったと知ったエドの絶望はどれほどのものか。

自分の生まれ育った家庭がいかに歪んでいたか、40代を前にして認知した者の苦しみは大きいはずだ。


正義をふりかざすエドを父親は否定する。それに対し、「あんたの育て方が悪かったからだ」…と言い返すエド

「涙があふれてきて海がかすんだ。」
「昔自分が使っていた部屋をみて、バドとジャックを思い出した。」

(引用元:「L.A.コンフィデンシャルジェイムズ・エルロイ 文春文庫)

 

エドが父親と別れることができたのは、自分以外の人間の“正義”を認めることができるようになったからだと思う。様々な人間と出会い傷ついた8年の年月の中で、宿敵であったバドと和解し、“絶対的正義などない”“それは個々の価値観によるものである”…という当たり前のことに頑固な彼がやっと気づけたからだと思う。

エドは自分の主観で、バドの正義を支持し、父親の正義を拒絶した。

警察組織の中では正義という言葉がそれぞれに都合よく主張され、エドもまたそれを利用しながら戦い続けることを決意する。


エドの人間的成長、それとともに背負った孤独に胸が痛くなる。

 

 

◆原作が複雑だが一読の価値あり…映画のまとめ方はすごい

 

「L.Aコンフィデンシャル」は“3人の刑事、3つの事件が交差”…という感じに宣伝されていた気がするが、原作だと、より多くの事件が絡み合い、より複雑になっている。

起こった事件を簡単にまとめると…


①血塗られたクリスマス事件(※あくまで警察内の内乱)
②ナイトアウルの大虐殺
③変態ポルノ写真の氾濫
④女性暴行監禁事件
⑤印刷所の兄弟(エルグリング)殺害事件
⑥売春をしていた少女の殺害事件
⑦ゴシップ記者惨殺事件
⑧(エドの父が関わった)17年前の惨殺事件


…と陰惨な事件が8つも起こっていて、これらがすべて1つの黒幕につながる…のではなく、いくつかがつながり、いくつかは独自の事件性をもっていて…ととても複雑である。

⑦と⑧の事件につながりが見えた瞬間には、ゾッとするものがあった。この事件の真相が、1番恐ろしかった。

主に①②③の事件のみに焦点をしぼって作った映画版は、分かりやすく、よくこんなに綺麗にアレンジできたな、と思う。

キャストもピッタリ、2時間半の間に複雑なプロットを分かりやすくまとめた、傑作クライム・アクションだと思う。

 

LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)