昨年鑑賞した「刑事マルティン・ベック」の映画がとても面白かったので原作小説を手に取ってみました。
全10冊のシリーズ、自分が観た映画作品は7作目だったようですが、どうせなら順番に読んでみたい…1作目にあたるのがこの「ロセアンナ」でした。
「この本は警察官の基礎となる価値観、忍耐という美徳の物語である」…と後書きにあったけれど、全編貫くフリードキン映画のようなストイックさ。
北欧ならではの薄暗い雰囲気、少しずつ真相に迫っていく捜査のドキドキ感など「ドラゴンタトゥーの女」にハマった人ならこちらも好きになれそう。
翻訳のおかげなのか思った以上に読みやすく、とっても面白かったです。
◇◇◇
港町で発見された若い女性の死体。
警察は地道に調査を続けるも被害者の身元が全く分からないまま数ヶ月が経過してしまいます。
そんな中ある日アメリカ警察から、その死体が米国内で行方不明になっているロセアンナ・マッグローという女性に違いないと電報が入ります。
旅行中だったロセアンナは観光船に乗っていたところを船内で出会った何者かによって暴行殺害された模様。
約100人が乗船、各港町で入れ替わる乗客全員の行動を辿るのは不可能に思われましたが、警察は観光客の撮った写真やフィルムを集め、ロセアンナが偶然映った瞬間がないか血眼で探します。
そしてようやく彼女の傍に佇む謎の男の存在を発見しますが…
何の手がかりも出てこない前半部分のタメが長い!!(でも面白い)
報われるとも限らない雲を掴むような捜査を延々と続ける警察官たち。決して解決をあきらめない強靭な精神には尊敬の念を抱かずにいられません。
本筋とは関係ないけれど鮮烈な印象を残すのは、主人公マルティン・ベックがふと思い出す先輩警官のエピソード。
解決しなかった担当事件を休日にまで追う姿、平常時には感謝もされないが後から見逃しが発覚すると一気に責め立てられてしまう理不尽さ…責任感ある真面目な人の人生が壊れてしまうエピソードに心が沈み込みました。
船の従業員への地道な聞き込み、同僚同士で会話しながらの思考整理…一緒に捜査班に加わったような心地がする臨場感たっぷりの文章。
写真の映り込みを必死で探すところは「ドラゴンタトゥーの女」にも似たような展開があったよなーと、ドキドキが止まりませんでした。
やがて容疑者が浮上しますが、落ち着きすぎていて何だか怪しい。
尾行も数日で終わりにせず行動パターンを完全に掴むまでやめないところなど、主人公たちの辛抱強さにひたすら圧倒されるばかりでした。
(ここから最後までネタバレ)
犯人はロセアンナからセックスの誘いを受けたあと彼女を殺害し、その後死体を痛めつけたようでした。
おそらく何かトラウマがあって、性に積極的な女性を憎悪している(その反面女性とセックスしたい欲望もある)…
「サイコ」「殺しのドレス」のような、割りかしベタな殺人鬼像ですが、65年の作品なので当時は新鮮だったのではないでしょうか。
そしてこの犯人、吉良吉影のようななんとも言えない不気味さを醸し出しています。
火曜はボーリング、水曜は映画館。職場の人とも家族とも一切交流がなく、ルーティン化した毎日をひたすら送る静かな男。
ベックたちはロセアンナに似ていた女性警察官に囮捜査を依頼し、現行犯逮捕しようと試みました。
女性の誘いになかなか乗ってこないくせに、女性宅近辺をひたすら何時間もウロウロする犯人がめちゃくちゃ不気味。
獲物を狩る準備のための行動ではなく、何かに取り憑かれたように無意味に歩き回ってる…っていうのが余計に怖かったです。
二重人格的というか精神錯乱気味な犯人ですが、動機については深く掘り下げられていないのがクリスティのような推理小説と大きく異なるところ。
厳格な母に育てられ性を愉しむことができないまま成長。恋人シーヴ・リンドベリから性の手ほどきを受けるも、彼女がポルノ雑誌に出ていたことを知って破局。色々拗らせて奔放な女性を憎むように…(※勝手な想像です)
本作で影のような存在感を放つ被害者・ロセアンナは、犯人と対照的に性を自由に愉しむ女性として描かれていました。
分かりいい説明こそないけれど、抑圧された人間の憎悪がひしひしと伝わってくる闇深ドラマ。
自分が本作で最も驚愕したのは、12歳の女児を暴行した男が1年で出所してくるというエピソードですが、もう恐怖しかありません。
囮捜査に協力してくれた勇気ある女性捜査官も結局怖い目にあってしまってトラウマにならなかっただろうか…性犯罪の恐ろしさをまざまざと感じさせるようなところも「ドラゴンタトゥーの女」(女を憎む男たち)となんだか印象が重なりました。
ここから主な登場人物について「唾棄すべき男」の映画と比較しつつメモしておきたいと思います。
マルティン・ベック
映画ではメタボ体型のおじいちゃんでしたが、小説ではそんな描写はなく原作者は若い頃のヘンリー・フォンダをイメージしていたとか。
陰惨な事件が食欲を無くすのかとにかく何も食べない。胃腸が弱くコーヒーを飲んでは気分が悪くなる。
仕事に全てを捧げた生活をしていますが、暇持て余した主婦の妻がやることないから余計に旦那にちゃちゃ入れてくるの、悪循環すぎて切ない…
コルベリ
映画では幼い息子を育てる温厚そうな男でしたが、小説ではイメージが違って辛辣な皮肉屋。ベックとの掛け合いが楽しいです。堅実な仕事人で頼りになる仲間。
メランダー
映画ではほんの少し登場しただけでしたが、警察のデータベースとも言うべき驚異の記憶力の持ち主。
1回見ただけの記録映像も完璧に頭に叩き込んでいてとんでもない男。
酒は飲まない倹約家。パイプ煙草を吸う。
アールベリ
事件現場から程近い地元警察の捜査官でロセアンナ事件の担当となった男。
事件への責任感は半端なく「絶対捕まえてやる」の熱意迸る、真面目で優秀な警察官。
ラーソン
映画ではブルジョワな雰囲気を醸す血気盛んな刑事でしたが、1巻では所々に登場するも出番は少なめ。
ルンドベリ
若い巡査。カフェで容疑者を最初に発見し見事に尾行を成功させました。「唾棄すべき男」の映画に登場した〝アイナー・ルン〟とはおそらく別人。
ステンストルム
尾行の達人。他の事件担当しててもめっちゃ手伝ってくれる頼りになる仲間。
クリスマス当日に警官たちが大慌てでプレゼント買いに行ってたり、アメリカの捜査官とのやり取りで聞き間違いが発生して「犯人もう撃ち殺したの?グッジョブ!!」となる所はおかしくて笑ってしまいました。
アメリカ映画のような作品だと、海を隔てた米国人捜査官カフカとの美しい友情が始まったり、ロセアンナの死を皆で悼んだり…そんな感傷的なシーンで締め括られそうですが、本作はそういうのが全くないまま終わる(笑)。
警察官が仕事を終えて家に帰るところで終わっていて、でもそんな淡白なところがまた味わい深いと思いました。
全10巻のマルティン・ベックシリーズ。
この「ロセアンナ」はシリーズの中ではあまり高評価ではないらしいのですが、自分は既にめちゃくちゃ面白かったです。
そして「唾棄すべき男」の映画が原作の雰囲気をいかによく捉えた出色の出来であったか、認識させられました。
スウェーデンの地名がたくさん出てきてどんなところなんだろうと「地球の歩き方」なんかを手元に置きたくなりますね。
次巻も楽しみに読んでみたいと思います。