どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

映画「クライング・ゲーム」…おとぎ話みたいだけど好き

この映画が好きだといって周りの同意を得られたことが1度もないのだが、「クライング・ゲーム」は今でも大好きなラブストーリーだ。

子供の頃、「大人になったらこんな街でこんな素敵な恋がしてみたい。」と夢見ていたことがあった(笑)。

 

 

公開当時のキャッチコピーには、「決してこの映画の”秘密”を話さないでください。」などと書かれていたし、語らないのが礼儀な作品なのかもしれないが、大好きな作品なので、少し思い出して語ってみたい。

 

※以下どんでん返しのある映画について、ネタバレありで語っています。

 


二転三転しまくるストーリーが面白い

まず、おさらい的なあらすじを簡単に…。

 クライング・ゲーム」の主人公ファーガスは、IRAアイルランド独立過激派)のテロリスト。

彼とその仲間が、英国軍に捕らえられた同士を解放するための人質として黒人兵士・ジョディを誘拐してくることから物語がはじまる。

主人公のファーガスは全くイケメンではなく、パッとしない雰囲気なのだが、独特の色気がある。(と自分は思う。)

また「なんで、あんた、テロリストになったん??」とツッコミを入れたくなるくらいのお人好しで、その優しさを人質のジョディに見抜かれ、2人の間には奇妙な友情が芽生える。

「自分が殺されたら、ロンドンにいる恋人に愛していると伝えてくれ。」というロマンティック極まりないメッセージを託されたファーガスは、ジョディの死後、律儀にロンドンに向かい、美しい美容師のディルと出会う。

夜バーでボーイ・ジョージの「クライング・ゲーム」という曲を歌う、不思議な魅力の美女、ディル。

惹かれあった2人は夜を共にしようとするが、ここで信じられない展開が!!

ディルはなんと男性だったのである…!!

うっわー、独特な雰囲気の美人だと思ったけど、まさか…

ええっ?ジョディってどういうつもりでファーガスにあと頼んだんやろ??

…などなど頭の整理がつかないまま、ストーリーはさらに進む。

 

クライング・ゲーム」が素晴らしいのは、最大のオチが明らかになるのが映画の半ばなのに、そのあとも物語が二転三転続け、全く退屈させないという点にあると思う。

 

 

優しい男・ファーガスが魅力的

ファーガスは非常に優しい男で、ディルが男だったことに驚き拒絶してしまうが、その態度を後日謝り、紳士的に対応する。

ファーガスはゲイではないので、付き合うつもりはもうすっかり無いのだが、ディルの方は優しいファーガスにどんどん惹かれていってしまう。

ファーガスの不器用な優しさに胸がキュンキュンしてしまい、「これは惚れてまうわ〜。」「男だけどめっちゃ美人やし、もしかしたらワンチャンあるかも。頑張れディル〜!!」などと応援しながら観る(笑)。

そこに残滅したはずのテロ組織の同僚が追いかけてきて、ファーガスとディルを巻き込もうとする。

ディルを守り抜くファーガスがとにかくカッコいい。

ファーガスの優しい性格…面倒なのに結局他人に譲ってしまうような性格をあらわすものとして、映画本編の中に、ある寓話が登場する。


サソリがカエルにおぶってもらって川を渡っているが、川の途中でサソリがカエルを刺してしまい、2人して溺れる。どうして?と問うカエルにサソリは「それが自分の性だから。」と答える。

ジョディはこの話をしながら、「あんたは優しい性の人間だから俺を助けてくれるはず」…ファーガスを説得しにかかっていた。

 

「人間の性(さが)は変えられない」というこの例え話が、「あたしはあたしでしかいられない」と語ったディルにもかかってくるのが面白い。

 

 

色んな愛のかたちがある

ディルのもともとの恋人であり、冒頭に登場したジョディ(黒人の男性兵士)だが、実は拉致された経緯は、ハニートラップに引っかかったからである。

ジュードというIRAテロの女性メンバーの誘惑に引っかかってしまったのだ。


うろ覚えだが、「あんな女。自分の恋人の方がずっといいのに魔がさした。」みたいなことをジョディが口走るシーンがあったと思う。

子供の頃は性の多様性について今よりもっと無知だったため、初めて観たとき、「ジョディはディル(男性)が好きなのに、なんで女のハニートラップなんかに引っかかってしまったの??」と不思議だった。

ジョディがどういう性の好みをしているか詳細は分からないが、ディルとのパートナーシップにおいても男性役だったろう。元々は女性が好きだったが、ディルだけが特別で、付き合った男性はディルだけだったかもしれない。あるいはずっとバイセクシャルだったかもしれない。

また兵士だから、自分の家を遠く暫く離れた孤独の中、出会った誘惑に勝てなかったというのが1番大きいのかもしれない。「ニガ―とよばれた」などとジョディは語っていた。

イギリスから差別されるアイルランドも、黒人のジョディをまた差別していた…という描写はリアルである。

 

 

マイノリティを描いているのに悲壮感があまりない

それにしても、この物語のヒロイン・ディルはかなりのマイノリティだよなあ、と大人になってから思う。「有色人種のトランスジェンダー」…海外に住んだことのない自分は人種問題について中々肌で知る機会がないと思っているが、恐らくディルは白人社会で最も激しい差別を受ける人間ではないかと思う。

しかしこの映画、マイノリティの苦悩とか、差別されるものの苦しみとか、そういうものにはスポットを当てていないように個人的には感じる。

「ジョディが助けにきたはずの英国軍の装甲車に轢かれてしまう」シーンだけは、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のラストのアレに近いものがフッとよぎるかもしれないが…。

 

この作品が大好きで、昔スペシャルエディションのDVDを購入し、ニール・ジョーダンのオーディオコメンタリーもきいたのだが、ジョーダン監督は、「この映画を政治的な映画として撮るつもりは全くなく、メロドラマとして面白いものをつくろうとしたら偶々こういう話になった」…と語っていたと思う。

 「女性らしいと思った人が男性」…というミスリードが物凄く上手く描けているからこそ、「人の本質はみかけと同じだとは限らない」というメッセージがダイレクトに響いくのかな、と思う。

 

有色人種で、異性愛者であるディルを差別せず、紳士的に接し続けるファーガス。

どうやらワケありの過去を持っていて、例え獄中に行くことになっても、ファーガスを愛し続けるディル。

なんの縛りもなく、相手を受けとめる2人がカッコいいし、憧れる。

 

「成長して変わること」がのぞまれたり…あるいは「絶対に変わらない人の嫌な部分」をみせつけられて絶望したり…

そういう物語が多い中、「変えることのできない自分がいる」を肯定的にとらえ、そういう他者をも受け止めてみせる…という姿勢の「クライング・ゲーム」はとても優しい作品だと思う。

 

現実は厳しいのよね~とは思うし、だからこそ「クライング・ゲーム」はラストも含めておとぎ話のようにも映ってしまうが、今でも大好きな作品だ。