……子どもが自分の描いた絵の中の世界へトリップする……
もうこの世界観だけでかなり好きで、「ホラーっぽくないけど面白かった映画」として記憶に残っていた作品。
久々にみてみると、うーん、なかなか心理的な怖さもあるし、疲れてるときにみたら心まるごと持っていかれそうなくらい危険な映画かも!?なんて思い直した(笑)。
「キャンディマン」で知られるバーナード・ローズ監督が1988年に撮った作品で、ハンス・ジマーの音楽も印象的。
原作になった児童文学「マリアンヌの夢」も最近図書館で発見して読んだので、併せて感想を書いてみたい。
絵の中の世界へトリップする少女
主人公は11歳の女の子、アンナ。
このアンナがスケッチブックに絵を描く。
するとある日、突然気を失って、自分が描いた家と原っぱにソックリの景色の異世界にトリップしていた。
元の世界に戻った彼女は、絵に色んなものを加えていく。
階段がない…!と思えば、階段をかいて、2階に行けるようにしたり…。
そんな〝ペーパーハウスの異世界〟を行き来していたアンナは、ある日、足の不自由な男の子と出会う。
男の子に元気な”足”を描いてあげたアンナ。
しかし、足は借り物のマネキンのような模型でしか現れず、すぐに崩れ落ちてしまう。
めげずに男の子と遊べる世界を築こうとするアンナ。
前半、誰か悪者や怪物が出てくるわけでもないし、謎の男の子も明らかにいい子なんだけど、「不思議の国のアリス」的な独特の不気味さがあるように思う。
子供の心の中の風景が決して明るいとは限らない。だけど、大人にはない自由な想像力に満ち溢れている。
異世界感漂う家の美術が素晴らしい。
子供ってそもそも、よく分からない存在!?
現実のアンナは、時々気を失ったり、幻覚をみているかのような発言をしたりで、クラスメイトや先生から距離を置かれてしまっている。
お母さんは娘のことをとても心配しているけれど、いつも一緒にはいられない。お父さんは転勤で別々に暮らしているという。
アンナは精神的に不安定な、皆んなと違う子供。
そうやって断定することもできるかもしれないけど、どうなんでしょう…。
10歳前後の子供たちって、大なり小なり、自分独自の世界を持っていたりして、大人にとって「理解しがたい存在」だったりするのが普通なのかな、とも思う。
映画冒頭、ひとけのない場所で友達とハデなお化粧をして、その後かくれんぼするアンナ。
こういう大人からみれば、馬鹿げた、よく分からない行動を自分もやっていたと思う。
ペーパーハウスの世界への逃避は、アンナという、ごく普通の子供が、何か辛いことから逃げるために出したSOSのひとつにも思えてくる。
そもそも家という存在自体、”心の基地”・”心の逃げ場”・”閉じた子供の心”…のシンボルなのかもしれない。
一体なぜ、アンナには逃げ場所が必要だったのだろうか。
ペーパーハウスに出現した恐ろしい父親
ある日、ペーパーハウス世界で男の子と楽しく過ごしていたアンナのもとに、突然、父親が現れる。
父親は、なぜか目が見えておらず、しかしオノを片手に、アンナに襲いかかる。ここははなかなかコワイ…!
現実の世界では、このお父さんは終盤まで姿をみせないけれど、父親がアンナに暴力を振るっていたとか、性的虐待を加えていたとか、そんな明らかな”恐ろしい親”としては描かれていないと思う。
しかし、母親とアンナが家族で海に行ったという写真を一緒に現像していたとき、アンナがポツリとこう漏らす。
「このときパパは酔っていた?」
母親が「もう禁酒している。」というように返す。
うーん、なんか意味深。
アルコール依存症で揉め事があったのかもしれないし、ちょっと酒癖が悪いだけなのかもしれないし…。
でもアンナにとって、父親といて、なにか不快で、怖い、理不尽だと思う出来事があって、潜在意識で深く傷ついていたからこそ、父親は恐ろしい姿になっていたのだろうと推測させる。
終盤、現実世界で登場した、アンナを見舞いにやって来たお父さんの姿は、子供にどこか淡白で鈍感にみえた。
きっと全く愛情がないわけではない。
しかし、ペーパーハウスの世界で〝盲目〟であったように、アンナのことを見ているようで全く見ていない…。悪気のないこういう親って案外たくさんいるのかも…とリアルなお父さんにみえた。
〝自分のせい〟ではないが、世の中辛いこともある
やがて父親が転勤から戻り、家族3人で暮らすことになったアンナ。
ある日家族旅行に出掛けると、絵で描いたのとソックリな、崖の近くにある灯台に向かってしまう。ここは改めてみると怖いシーンだった。
アンナにとって、自分の家庭は到底”帰る場所”には思えず、友達を追いかけて死に場所を求めてしまう…そんな風にみえた。
しかしペーパーハウスの世界で知り合った男の子の声が現実に引き留め、母親の腕がアンナを連れ戻す。
男の子とアンナのコンタクトは、この映画の中で、多分1番のザ・超常現象だ。ペーパーハウスの世界にて「ずっとここで1人で生きていた」と話す男の子。でも同じ名前の少年が現実では確かに病院に入院していて、難病だという。
少年の病気のことを医師の先生から聞き、「私のせい?」とアンナが口にするのも印象的だ。
繊細な子供は、家族の不和や不幸な出来事を、自分のせいなのかと責めてしまったりするのかもしれない。
大切な、特別な友達が病気だった。病に勝てず亡くなってしまった。とても悲しいけれど、それは自分のせいでも、誰のせいでもない。どうにもできないことだった。
友情(初恋)とのお別れによって、少女のアンナが少し大人になる…家族以外の人と築いた関係に救われるという展開がよかった。
ラストシーンでは、一応!?アンナは父親にも抱きしめられている。
完璧な心地よさなんてないけれど、それでも家族…。そんな関係も”自分のせい”ではないと許せたとき、アンナの心も少し解放されたのではないか。
詩的な作品で色んな受け取り方ができそうだけれど、自分はそんなふうに感じた。
原作「マリアンヌの夢」は児童文学
「ペーパーハウス」の原作は、イギリスの作家で精神科医・キャサリン・ストーが1950年代に書いた児童文学だという。
- 作者: キャサリンストー,マージョリ=アン・ウォッツ,Catherine Storr,猪熊葉子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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主人公の女の子が、絵にかいた世界にトリップするという設定は同じだが、かなり印象が違った。
自分は映画のアンナのことは”ごく普通の子供”と思ってみてしまったが、本の主人公・マリアンヌは明らかに、身体に病を抱えた、”闘病中”の子供である。
そのマリアンヌが、小児まひの男の子・マークと異世界で交流する…。
ここも映画と似ているが、原作では”恐ろしい父親”は登場せず、代わりにマリアンヌの描いた”岩”が敵として襲ってくる。この”岩”は、マリアンヌの怒りや嫉妬、負の感情そのものである。
「自分が描いたもの=自分の内面にある醜い部分に襲われるが、それに打ち勝つ」…という原作のストーリーも、「こんなん自分子供の時に読んでてわかるかな?」と思うくらい深かった。
子供の内面世界をあえて恐ろしいものとして描く…そこは共通しているけれど、映画は子供の恐怖の対象を”家族”としたところが大胆な脚色で、似て非なる、”別モノ”になっていると感じた。
個人的には、映画のアンナはどちらかといえば純な感じがして、原作のマリアンヌにはもう少し大人びた印象を受けた。どちらにも味があってそれぞれの良さがあると思う。
映画版のエンドロールでは、波打ち寄せる海岸が映っていく。荒波でもないし、ここちよい優しい波でもない。
「決して良いことばかりでない世界で生きていくことを決意した子供」……ハッピーエンドでもバッドエンドでもない感じに、また余韻があった。
タイトルに霊少女っている!?と思ってしまったけど、自分はこの映画、ホラー推ししてくれてないと手にとらなかったかもなので、感謝、感謝。
B級ホラーを期待していたら、意外な趣のある作品。大人になった今観ると余計に良さが伝わってくる1作だった。