凄い傑作だと絶賛したいけど、改めて観てもやっぱり哀しい作品でした。
いじめを題材にした、スティーヴン・キング原作、ブライアン・デ・パルマ監督の1976年の青春ホラー。原作は最後に読んだのも大分前でうろ覚えですが、ゆるーく語ります。
母の呪縛から逃れられない娘
主人公・キャリーが学校でいじめられているのは、気弱で風変わりだから…原因はそれだけではなくて、親が変だから、もう家庭ごと地域社会から孤立しているという感じ。
人間生まれ育った環境がすべて。念動力より、いじめより、まずここがホラーです。
それでもキャリーにはごく普通の子供と同じ面もあって、自分の環境を打破すべく立ち向かっていきます。
「私みんなともっと付き合うわ。」「普通になりたいの。」
結果敗れてしまうキャリーが哀しいです。
でも、昔は怖い&嫌な親としか思えなかったパイパー・ローリー演じる母親も、娘に全く愛がないわけではなかったのかな、と今回初めて思いました。
このシーンの独白から、キャリー母の信仰は、キャリーが生まれる前から持っていたのかな、と思う。
このお母さん自身もまた家庭環境から、歪んだ信仰を持たざるを得なかったのかもしれない。
さらに父親(恋人)に捨てられて、宗教に縋り付くしかなくなってしまった…。
ラスト、キャリーが母とともに小部屋に籠って死を迎えるところは、孤立した親子が社会と断絶したまま終わる…というなんとも切ない終わり方でした。
学校教育にも限界がある
キャリーのように家庭に問題のある子供が頼れるのは、結局学校や行政しかないのだと思う。
序盤、キャリーが初潮を知らなかった騒動で、校長室に呼ばれるシーン。
この校長は嫌なヤツだけど、「なんでそんなことも親から教わってないのよ。」という学校側の言い分も分かる気がするんですよね。 学校で教えられる範囲にも限界があるよ、と。
そんな中、キャリーを思いやってくれる、めっちゃ良い先生なコリンズ先生が現れる。
コリンズ先生も今みるとちょっと印象が違って、スーへの当たりが厳しすぎるなあと思ったり、キャリーをいじめた罰として居残りさせたことが結局憎しみの連鎖を生んでしまったなあと思ったり…
良い先生でも完璧な指導ができるわけではないのだと思い知らされる感じもします。
いじめっ子役ナンシー・アレンをぶつコリンズ先生。
「悪いことをした人間にはペナルティを与えるべき」…いじめをした人間にはそれ相応の罰を与えて欲しいと自分も思うのですが、「キャリー」という作品の中では罰がいじめの解決にはなってないんだなあ、とやるせない気持ちになります。
先生の罰によって悔い改めたのは、クラスの中で結局スー1人だと思うのですが、スーはその家庭環境、スー母のキャリー母への寛大ともいえる対応をみても、家庭教育の行き届いた家で育った子、弱者に優しくすることを学ぶ機会のある人間…という印象を受けます。
このカップルの未来を想像すると、アル中DV夫と浮気子供虐待嫁という嫌な未来しかみえてきませんが、本人たち自身そういう親に育てられてきたんじゃないか、だからモラルが欠除してるんじゃないかなんて思ってしまう。
環境ってやっぱりデカいんだよ…と、そんなことを考えてしまいますねー。
仲良くしたいと思わない人間と仲良くしなくてもいいけど、
「それでも人間絶対にやってはいけないことがある」というのを大人はどうやって教えればいいのか。
コリンズ先生の死は何度見ても痛ましいです。
スーの心境は? 原作との違い
映画「キャリー」で少し残念なのは、スーが自分の彼氏であるトミーをキャリーに貸し出す…という行為が、どんな心境だったのか理解しにくいというところ。
原作を読むと、度重なるいじめにスーが嫌悪感を持っていたことがしっかり語られていたと思います。
またこれが単なる善行とも言い難くて…
スーがトミーに自分の言うことをきかせたいという支配欲を持っていたこと、スーがプロムクイーンになったあと、ごく当たり前の結婚・出産をして街の中で人生が終わるのだろうと、自分の未来に危惧と絶望を抱いていたこと…などが描写されていたと思います。
キャリーへの施しは、街や学校の変化のない価値観に対する一種の反抗ともいえる行為だったのかな…とここは原作の方が説得力のある描写だったかな、と思います。
また原作だと、ナンシー・アレンのキャラクター・クリスは、お金持ちのお嬢さんで、いじめを親が揉み消してるという超問題児だったと思います。こーいう奴、ホントにいそう。
でも映画のナンシー・アレンの、どうしようもない不良娘感は憎たらしいことこの上なく、これはこれですっごくいいなあ、と思います。
そして…
土から出てきたキャリーの手に腕を掴まれ、逃れられないスー…この映画オリジナルのラストも今みても迫力がありました。
高校時代は忘れられない思い出なのか、振り返ればなんて事はない人生のたった一幕なのか…その人がどんな青春を送ってきたかによると思うのですが、ラストのスーは、青春時代の傷、大きな挫折から延々と立ち直れない子供という感じがします。
単なるお化け屋敷みたいな怖さじゃなくて、ここもドラマ性を感じるエンディングになっているなあと思いました。
映像テクニックによる名シーン
タランティーノもオールタイムベストに何回か「キャリー」を選出していたと思うのですが、映画好き、映像の技術的な点にも詳しいという人がみれば、何回でも観たくなる、アイデアとテクニックの宝庫なんでしょうね。
最後に、個人的に印象に残った場面をいくつかあげておきたいと思います。
【バレーボールのカット】
シャワーシーンもスゴいけど、開始早々、俯瞰のカットからカメラが下がってキャリーに寄ってく映像もすごく印象的。
バレーボール自分も苦手だったー(笑)。高校でのキャリーの立ち位置を一瞬で明確に表現したかのような名シーンです。
【トミーとキャリーの教室でのカット】
国語の時間、トミーの詩が朗読されるシーン、それを聴くキャリー。
スプリットディオプターという技法により、前景にも背景にも焦点が合わさっている。前のトミーも後ろのキャリーも、くっきりと映って、人物の表情が丁寧に追える…何気ないけど、こういうシーンの1つ1つにも迫力があります。
【プロムでぐるぐるまわる】
円広志の♬飛んで飛んで、回って回って…の〝飛んで〟の部分くらい回っとるがな!とツッコミたくなる超回転(笑)。
でもプロムでのキャリーの高揚感、不安感、酔ったような感覚が伝わってくるすごい大胆な映像です。
【悲劇までのスローモーション】
キャリーがプロムクイーンに選ばれて壇上にあがるまで…まわりの様子を映しながらのスローモーション。
まるで夢の中、止められない悪夢という感じがして、ゆーったりした動きが逆にものすごい緊張感です。
【念力で車こわすところ】
キャリーの念動力発現時にかかる、キンキンという、金切り声みたいな独特の音楽!?もとても印象的ですが、バーナード・ハーマンの「サイコ」をイメージして作ってもらったのでしょうか。(本作の音楽はピノ・ドナッジオ)
終盤、車を大破させこの効果音が炸裂するところは、一瞬キャリーの目だけがクローズアップされるカットと重なって、大迫力です。
いじめっ子が復讐するドラマって多少なりともカタルシスがありそうなもんですが、キャリーのプロム崩壊にはスカッとした気分にはなれないんですよね。キャリーが可哀想すぎるし、巻き込まれた人も気の毒だし。
ただ改めて観て思ったのは、「映画の中でいじめのあった学校を崩壊させる」…というのは、タランティーノが「イングロリアス・バスターズ」や「ワンハリ」でやったことに近いのかも、と思いました。
以前、書いた記事。いじめられっ子を描いた「たたりちゃん」というホラー漫画について。
「それでも人間絶対にやってはいけないことがある」をどう教えればいいのか…
学校や家庭に課題もあるけど、もしかして隙間を埋めてくれるのは、こういうフィクション、映画、そして案外ホラーなのかもよ!?なんて。
そんなパワーも感じる作品でした。
そういえばリメイク版は完全にスルーしてたわー。
先日観た「フューリー」と比べてもドラマも映像もこっちがすごいなあ〜とは思いましたが、ボンクラ人間はやっぱ「フューリー」の方が好きかも(笑)。
他のデ・パルマ作品もちょこちょこ観返せると嬉しいです。