生命保険会社で働く主人公・若槻はある日顧客の家に呼び出され、子供の死体の第一発見者となってしまう。
ほどなくして両親から保険金が請求されるも、発見時の不可解な点から、若槻は金目当てで継父が殺害したのではと疑い、独自の調査に乗り出す…。
〝保険金目当ての殺人〟という胸の悪くなる題材ですが、過去に保険会社に勤めていたという著者ならではのリアリティがあり、引き込まれて読んだサスペンス小説でした。
◆疲弊するサラリーマンが1番怖い
入社以来5年間外国債権を扱う部署に勤務していた若槻は、人事異動によって、初めて顧客と直で接する保険会社の現場で働くことになります。
やはり世の中には悪い人たちがいて、騙してゴネてお金をとろうという人たちも客としてやって来る。
接客業など、あらゆる人に応対しなければならない仕事…医療や行政関係の現場の人たちも同じかと思いますが、そういう仕事で感じ得る恐怖が身近なものとして描かれています。
半ば趣味のようにして、どうでもいいことで支社の窓口に難癖をつけに来る男だった。
いくら高姿勢で怒鳴られても、保険会社側はていねいな応対をせざるを得ない。それが病みつきになり、日頃自分が社会から疎外されている鬱憤をひそかに晴らしているのだ。
モンスタークレーマーの人たちにも「お客様は神様」という悪しき風習のもと、馬鹿丁寧に接しなければならない…脅迫まがいのことをいってくる人間もいる…そのストレスにこちらもキリキリしてしまいます。
しかし保険会社側を一方的な被害者とも描いてはいないのが面白いところ。
営業成績達成のため、理不尽なノルマを押し付けられた現場の人たちが、ろくに調査もせず、本来なら加入すべきでない条件の人も次々に引き入れてしまっていた…そういう蓄積が次世代の主人公の下に負の遺産となって押しつけられる…目先の利益だけを追いかけるずさんな会社の実態も描かれます。
しかし真面目な主人公は会社に弱音を吐かない。
遺族から早く金を払えとストーカーのように粘着され、メンタルを病んでもなお仕事を着々とこなす。
人事課は若槻のひ弱さを嗤い、到底激務には耐え得ないという評価を記録に残すだろう。
人事異動の季節でもない中途半端な時期に突然本社に帰ってきた人間の姿を思い出すと、たちまち気は萎んだ。
彼らは一様に背中を丸め、昼休みになると1人で昼食を食べに出ていくのだ。
一度でも弱音を吐けばそれが烙印となってしまう…同調圧力の強い会社の中で自分を壊しながら働かなければならない主人公の姿が何よりも恐ろしくうつります。
◆犯罪者は遺伝か環境か
お仕事ドラマとして陰鬱なリアリティを描き出しつつ、サイコスリラー要素、謎解き要素、スラッシャーものと複数のサスペンス要素が展開して緊張が途切れず、一気に読みたくなる小説です。
子供の親が殺人犯だと確信した若槻は、助言を求めて母校の心理学研究室を訪れるのですが、そこで持ち上げられるのが小学校の作文。
何か事件が起こると犯人像を掴もうと、「学生のときはこんな子だったらしい」などとニュースで下世話に報道されることがありますが、疑わしい人物の過去の作文を調べるんですね。
これがまたすごい不気味な文で、「羊たちの沈黙」的プロファイルが展開するのも面白いです。
心理学の専門家の1人が問う「サイコパスは遺伝か環境か」は暗く重たいテーマ。
本作では「こういう意見もある」と議論を抜粋しただけで、明確な答えを出しているわけではないのですが…
事件の真相としては「環境によって歪んだ人間の方が真犯人だった」というところに話が落ち着くので、後味が悪すぎないところも含めて上手いなあと思いました。
・「自分の欲求を満たすことだけに終始する人」が増えているという感覚
・そういう人たちを簡単に〝おかしな連中だ〟とレッテル貼りして切り捨てようとする姿勢
差別的に思える専門家の主張の中には、自分も似たようなことを思っているかも…と鏡をみたような嫌な気持ちにさせられます。
重要な役どころである主人公の彼女が強メンタルすぎるのと、警察が無能すぎるところがちょっと残念なのですが、「こんな未解決事件があるのかも」と思わせる怖さは充分でした。
1つ事件が解決してもモラルを喰いつくそうとする悪しき輩はどんどんやって来る…ラストはまさに「俺たちの戦いはこれからだ!」エンディング。
一応主人公は生命保険というシステムに再び希望を見出してもいるので、貴志祐介作品の中では意外と明るめな!?幕引きなのかなあと思いました。
話題になっていたらしい映画版ですが、こちらは全く面白くなかった…。
妙に演出だけに拘って、仕事ドラマの内容が全く響いてこない。俳優さんもみんな合ってなくて、若槻は抜けてるとこもあるけど優等生キャラなのが魅力なのに、映画だと間抜けにしかみえないのが残念でした。
大竹しのぶの怪演だけは見ものかもしれませんが、でも全く菰田幸子のイメージではなかったです…小説の彼女はあんなもんじゃないよ!!
バブル崩壊後の閉塞感、陰惨な殺人事件が話題になっていた90年代の空気。
当時を色濃く反映した作品かと思いますが、今読んでも古さを感じさせない面白さがありました。