どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

原作小説の方が面白かった「トレインスポッティング」

90年代を代表する映画作品の1つに入っていそうなダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」。

初めてみたときにはオシャレで演出が面白い映画くらいにしか思わなかったのですが、高校生のときに原作小説を読んだらすごく面白くて、そのあとで映画を再鑑賞するとずいぶん大胆に脚色したんだなーとびっくり。

ヘロイン中毒の25歳、マーク・レントンは大学を中退後就職せず、失業保険詐欺を行い、ときに窃盗に手を染める…とかなり〝クズ〟な主人公です。 

一見グレてるジャンキーにしか思えないレントンですが、小説を読むと、80年代後半のイギリスがかつてない〝落ち目〟を体験している…サッチャー政権の圧迫で地方は失業者で溢れかえっている…そういう背景が分かってまた印象が変わりました。

いい大学を出ても就職できない、社会全体が上向きだった頃を知ってる親世代との感覚のギャップがすごい、家庭が幸せなものと思えず結婚や子育てにも懐疑的…

作品を覆う無気力感は、90年代の日本、氷河期世代の感覚とすごく似ている気がします。

加えてスコットランド人のレントンは〝イギリスのいいなり〟な自分のアイデンティティに誇りを感じられず、静かな怒りを抱えている。

このあたりも敗戦国の日本が引きずる想いと通じるところがあるかもと親近感を抱きました。


さらに小説では、レントンには重い障害のある弟がいてそのことで差別を受けたこと、親に構ってもらえない子供時代を送っていたことなどが明かされます。

ハチャメチャなところがある一方、性根は家族想いで弱者に優しさをみせるという母性的な面のある主人公。そのギャップがとても面白いです。

仲の良かった友人たちとの関係に疑問を抱きはじめ、地元に居場所を感じられない…こういうところは若者あるあるで青春小説の王道っぽいですね。

映画は1歩ひいて主人公をみる感じでしたが、本を読むとなんか分かるーと共感したくなるキャラクターになっていました。

 

そしてこの原作小説、〝短編集の寄せ集め〟のような作りになっていて、レントン目線をメインとしながら脇キャラクター10人程の目線を混ぜつつ物語が綴られている…各人物の視点が交差するのがまた面白いです。

仲間内の馴れ合いの果てに増長した暴力男ベグビー、スマートなイケメンだけどどこか冷淡なシックボーイ、アホにみえて時々賢者なような達観をみせる心優しいスパッド…。

こいつら、博士号つきの野心家に食肉工場の掃除係の仕事をやるくらいなら、脳みそがいかれちまった商業高校出の若造を原子力発電所の技術者に任命する方がましとでも言い出しかねない。どうにかしないとやばいぞ。

池田真紀子さんの翻訳は各キャラクターの話し方それぞれに個性を出しつつ、言葉の言い回しがサブカル厨二心を絶妙にくすぐってきます。高校生の頃には「なんかカッコいいなー」と憧れていました(笑)。

 

人種差別や階級意識をさらっと描いているようなエピソードも多く、あまりにあけすけな描写にウッと驚かされます。

個人的には映画に登場しないキャラクター…唯一”堅気”な男が主人公の「汚れた血」というエピソードがすごく印象に残っているのですが、暴行にあった恋人を経由してHIVをうつされた男がキャリア元の犯人に復讐をしにいく…というすごく怖いお話。

当時のHIVに対する意識、闘病で感じる恐怖が淡々と伝わってきて、これだけで1本別の映画が出来そうな完成度でした。


最後にレントンが地元を捨てて自立のチャンスを掴むところで終わるのは映画と同じですが、爽快感あるハッピーエンドが救いです。

もうこれ以上の終わり方はないだろうと、数年前にリリースされた続編には手を出せずにいます。

 

映画ではドラッグ幻覚の描写もユニークで話題になっていたかと思いますが、確か淀川長治先生も絶賛しておられたドブトイレに落ちたアヘン座薬を取りに便器にダイブするシーン。

禁断症状から逃れるためならウンコの掃き溜めすら清らかな幻覚と化す…今みても斬新な映像です。

小説でも薬による判断力の低下っぷり、苦痛の禁ヤク生活の描写は鬼気迫っていて、この作品に触れて、ドラッグ=オシャレだなんて微塵も思わない。恐ろしさを感じるばかりでした。

 

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映画をあとから見ると、各エピソードを拾って原作の雰囲気を再現しながらコンパクトにまとめている手腕にびっくり。

映画は映画の魅力があると思いますが、息づくような生活のリアルさと主人公の深い内面を感じられたのは原作の方…色褪せずずっと大好きな青春小説です。