先月フリードキン監督の「エクソシスト」を久々に鑑賞。改めてみても面白くてこの機に未見だった3も観てみようと思っていたのですが…
あまり好きじゃなかった2をもっかい見直すかどうしようかなーと二の足踏んでたのを再鑑賞。
やはり1の全てをなかったことにしたようなストーリーが受け入れ難く、原作者ブラッティが怒ったというのも納得。最後も???でした。
今作の主人公はリチャード・バートン演じるラモント神父。
生前メリン神父と親交があり、自らも悪魔祓いの経験があるが失敗して心折れた過去の持ち主。
彼がメリン神父の死の真相を探るため調査に乗り出す…というのが大筋ですが、1で最終的に悪魔を祓ったのはカラス神父なのにその存在については一切触れられないのが不思議に思えてしまう…
一方リーガンは事件から4年が経過してカウンセリングに通いつつ日常生活を送っていましたが、母親は仕事で不在。
代わりに登場するのが催眠研究家のタスケン医師ですが、信仰のない現代人&1人で子供を育てる働く女性…とクリスの穴を埋めるために練られたキャラクターって感じがしました。
(エレン・バースティンがオファー断ったのかな)
そして脳波を同調させて同じ夢をみるというトンデモ科学な機械が登場!!
ボワーン、ボワーンと鳴りながら光が点滅する映像はこっちの頭もボワーンとなってきます(笑)。
でも夢で意識共有っていう設定は「ザ・セル」とか「インセプション」みたいで面白いですね。
そしてここでハッキリと「メリン神父は悪魔に殺された」のだと明かされます。
1作目では、
・元から心臓を患っていて、たまたま対決中に力尽きた
・悪魔との戦いで多少の寿命が早まったかもしれないが本人は自分の死期を悟った上で戦いに挑んだ
という描かれ方をしていた(と自分は思っているのですが)、心臓を鷲掴みする悪魔が却って陳腐にみえてしまいました。
パズズが1作目終了後もずっとリーガンに取り憑いていたのか、力をつけて戻ったところを偶然ラモント神父が発見したのか…この辺りも分かりにくいです。
そもそも前作で悪魔倒せてなかったんかい!?という疑問も湧きますが、カラス神父がリーガンから追い出して祓いはしたものの、悪の存在自体が消滅するわけではなくまた出現する可能性はあるということだったんでしょう。(これは原作もそれを示唆した終わり方になってたように思う)
しかしまあこの悪魔との再対決、リーガンと精神同調することでその中にいるパズズと交信し過去のメリン神父とコンタクト…ってえらい複雑。
悪霊側としては自分と対話させることでラモント神父を取り込もうとしたのでしょうが、夢の中で都合よくメリン神父の過去を覗き見できるので悪霊がわざわざ自分を倒すヒントをガイドしてるようでチグハグに思えてしまいました。
そしてその結果、ラモント神父はメリン神父が過去に助けたコクモという少年の存在を知ります。
コクモもリーガンもなぜ悪魔に選ばれて取り憑かれてしまったのか??
この解釈も2は1と全く違う結論になっていて、なんとリーガンたちは選ばれた能力者。
「人々を良い方向に導くことのできる善なる力の持ち主だったので、その存在を消すためパズズが狙った」ということになってました。
前作の、何の因果もなくただ人を絶望させるために少女に取り憑いたというのが恐ろしく、「リーガンの思春期の迷い、暗い気持ちが悪魔を引き寄せた」と解釈できるところも奥深くてよかったと思うのですが…
夢意識に登場するジェームズ・アール・ジョーンズのイナゴの被り物をしたコクモは強そうでカッコよかったです。
大量のイナゴの映像も個人的には結構好きなので、アフリカを舞台にした全く別の作品として作ればよかったのになあと思ってしまいます。
最後には1の舞台であった家に登場人物が集結。
リーガンの姿を借りたパズズが顕現しラモント神父を誘惑して本物のリーガンを殺させようとしますが、イナゴの大群がどこからともなく現れ、神父の物理攻撃とイナゴのパワーで悪霊退散!?
文化の異なる土地からの助力と善良な少女の呼びかけで神父が自分の中の悪に打ち勝ってハッピーエンド!!ってことなのかね……肝心のラモント神父に感情移入できるドラマがなかったのでどうにも感動できずでした。
最後にタスケン医師が1人残され、選ばれたリーガンと神父だけが旅立つというのもモヤッとした物悲しさが残ります。
秘書シャロンが死んでしまうのも驚きでしたが、そもそも再登場自体が解せない感じでした。悪魔の影に触れてリーガン(の中にいたパズズ)に惹かれてしまいこの家族と離れがたかったのでしょうか。
1のラストでクリス親子に心を寄せつつもお別れする姿が切なくてよかったのに、前作のキャラクターの使い所を悉く外してるように思われました。
話が1の地続きとして作られてる以上、1と別物としてみるのは難しく、夢シーンでメリン神父にザ・説明な台詞回しをさせてるところなども粗として気になってしまいました。
映像的に惹かれる部分はあり、リーガンが屋上でふらーとしてるシーンはいいですね。
ごっついマンションだなあ。
モリコーネの音楽もよかったです。
改めてみると、ラモント神父を通して過去のメリン神父の信仰への迷いをテーマにしているようにも思えたのですが、どうせやるならやはりメリン神父自身で…信仰・文化の異なる土地で悩みながら奮闘する前日譚をマックス・フォン・シドーでやって欲しかったなあと思います。
1のときは老け顔メイク&ご本人の貫禄で老齢メリンを演じてましたがなんとあの時はまだ44歳。2ではそのままの姿で若メリンを演じられていたことだし…
時を経てそれを実現したのがビギニングってことなのかな。(そういやこれも観ていない)
個人的にはやはり消化不良、2にブラッティが激怒したということを確認させてもらいつつ、気を取り直して3を鑑賞したいと思います。