どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「ザ・ブルード/怒りのメタファー」…クローネンバーグの隙がない傑作家族ホラー

カルト宗教に入った妻の下から子供を連れ戻す…クローネンバーグの当時の実体験が色濃く反映された作品だそうで…

本監督の初期の傑作、肉体の変容という一貫したテーマも在りつつ明快な家族ホラーになっていていいですね。

神経症を患ったノーラは夫と親権を争いつつも精神科医・ラグランの管理下にあった。
博士の治療法は〝怒りを具現化して切り離す〟という画期的なものだったがそれが思わぬ事件を引き起こしてしまう…

 

とにかく顔の圧の強い人たちのオンパレード、クローネンバーグ作品の真骨頂ともいうべき奇人変人も続々と登場します。

そんな中でも際立つサマンサ・エッガーのメンヘラ女っぷり。

「どうせ私が悪いのよ」とブツブツ、宥めようとしたら「あんたそれホントに心から思ってんの?」とか言い出す…マジで勘弁してくれ(笑)。

↑身体を前後に揺らしながら話しかけてくんのめっちゃ怖い。

でもそんな彼女にもこうなるに至った原因があるようで、母親に虐待され父親はそれを見て見ぬふりしていたと。

ノーラの両親が孫娘のじいちゃん・ばあちゃんとしてサラッと登場するのも気味の悪いところで、ジジババともに「酒!飲まずにはいられないッ!」人っぽいのが不安定な感じしますね。

やった方にとっては取るに足らない/記憶に残らないものであっても、やられた方にはいつまでも傷になって残ってしまうものなのかもしれません。

 

「人間は生まれながらにして自分を守る機能を持っているのよ。」…

小さい頃には身体にデキモノが出来て入院していたというノーラ。

心の異変や消化できないストレスが身体に出てしまうことは現実にもあって、言葉に出来ない彼女のSOSのサインだったのでしょう。

ラグラン医師の研究によりこのデキモノが異形児の子宮外出産にまで昇華させられ、その子供たちが人を殺めるようになってしまいます。

荒唐無稽なようで妙なリアリティも感じてしまう秀逸な設定。

誰しも人間はストレスを抱えていて、スポーツででもお喋りででも何かでそれを発散しているものだと思いますが、到底消化できない大きな感情が本人が全くコントロールできないところで撒き散らされる…

他作品だと多重人格とか超能力とかに変換されることが多い気がしますが、科学要素を混ぜてくるのがこの監督ならではの表現ですね。

 

またこういうホラーでは怪物の正体をなかなか見せないパターンが多いように思われますが、本作は割と序盤から小人殺人鬼がバッチリ映る大胆さでビビります。

↑思わずドキーン!となるシーン。だけど皆スキーウェアみたいな繋ぎの服着てるのが妙にかわいかったりして^^

小学校で撲殺!!…の情け容赦のなさには絶句、時間外労働させられるわ、勝手に恨まれるわで担任の先生気の毒すぎる…

 

クローネンバーグ自身を投影したと思われる夫・フランクは終始暗澹たる表情を浮かべながらも娘・キャンディを助けようと必死ではあります。

医者の下を訪れ直接対決になりますが…
オリヴァー・リード演じる医者は娘救出に協力してはくれたけど、珍しい研究体のノーラに固執して残りの患者の治療を放り出すわ、明らかに手に負えないモンを放置してるわでヤブ医者もいいとこ。

「キャンディとブルードたちは同腹児だ」…違う、キャンディは普通の子なんやで!!と思ってたら暗雲漂うようなあのラスト。

子役の女の子の演技が上手で寡黙にじーっと耐えている様子がひたすら悲しいです。

暴力を受けた人間の負った心の傷は深い、虐待は連鎖する…ヘレディタリーなラストでとても綺麗にまとまった家族ホラーでした。

 

先月鑑賞したルチオ・フルチの「黒猫」の特典映像にて解説者の方が「ブルードの構想が入り込んでいるのでは」と指摘されていて久々に観てみたのですが…(「黒猫」は主人公の憎悪に同調したネコが人を殺すという内容)

トーンが全く違うからかあまり似てるとは思えず、イタリアンはパクるならもっと盛大にパクる気がしますがどうなんでしょう(笑)。

小人殺人鬼というところではニコラス・ローグ監督の「赤い影」が想起されます。

あちらも夫婦の不和を描いた作品、唐突なオチは「妻の意識下の怒りが夫を処刑した」とも読めなくもなくてこういう文学性漂うホラーはいいですね。

低予算をものともしないアイデアと緊迫感で完成度の高い作品でした。