どうながの映画読書ブログ

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「メデューサ・タッチ 恐怖の魔力」…絶望した人間の裁き、70年代超能力ディザスタームービー

オーメン」「キャリー」が公開された翌々年の78年に制作された超能力ホラーですが…

殺人ミステリから始まってオカルトものへ、ラストはディザスタームービーへと化す脚本が見事。

現実の無差別殺人が頭をよぎったり、現代の閉塞感と重なるものを感じてしまう、エンタメ作品に留まらない重みのある作品でした。

不気味な絵画の並ぶ一室にて人気作家のモーラーリチャード・バートン)が何者かに殺害されます。

警察がそこに駆けつけますが、死体かと思われたモーラーはなぜか奇跡的に息を吹き返し人工呼吸器をつけられ一命を取り留めます。

医師曰く身体はほぼ死人だが脳波は活発だとのこと。

事件の担当になったフランス人刑事ブルネル(リノ・ヴァンチュラ)はモーラーの日記に記されていた精神科医ゾーンフェルド(リー・レミック)を訪ねます。

女医曰くモーラーは自らを「災いを招く人間」と思い込み被害妄想に取り憑かれていたとのこと。

しかし刑事がモーラーの過去を洗うと彼の身近な人間の多くが不審死を遂げていたのでした…

 

(以下ネタバレ)

ただ偶然に不幸が重なっていただけじゃないんだろうか、もし超能力で人を死に追いやっていたのだとしてもそれは故意じゃなく制御できないもので彼自身も被害者なのではないだろうか…

そんな想いでストーリーを見守りつつも、終盤モーラーがかなり凶悪な人間と化していたことが判明します。

自分が怒りを感じた相手を意図的に傷つけ、さらには無関係な人も平気で手にかけるまでになっていました。

 

モーラーの幼少期は決して幸福なものではありませんでした。

大病を患った際には看病係のメイドから地獄に堕ちると脅され、両親からは疎まれ下僕扱いされ、寄宿学校の教師からは陰湿なイジメを受けていました。

親や教師といった大人に子供は逆うことができず運の巡り合わせ次第で悲惨な目に遭ってしまう…厳しく辛い現実が描かれています。

しかし特別な力があったモーラーは彼らの死を願うとデスノートに名前を書くかの如く彼らを消し去ることが出来たのでした。

 

映画では結局モーラーがどの段階まで意図的だったのか、本人の発言も所々変わっていてハッキリとしません。

妻を殺したのはあの自白からして間違いなく意図的だったのでしょう。

けれど最初のメイドの死は力に無自覚なまま起きた事故のようなもので、寄宿学校で関係のない4人の生徒を巻き添えにしたのも不本意だったのかな、と思いました。

この映画で恐ろしいのはモーラーがしっかりと罪悪感を感じていたという点で、そしてその罪悪感を打ち消すためにモーラーは自己を正当化しはじめます。

愚かな人間を裁いて健全な社会をつくってやるんだ…モーラーの怒りはより大きな権力者、やがては社会そのものへと向かっていきます。

豊かさを求める人類(宇宙開発や原発)も敵視するようになりそれらを破壊するため無差別に人を殺めるようになっていきます。

怒りの感情は誰しも生きていれば当然あるもので、「不当な扱いを受けている」「これは間違っている」と声をあげることはとても重要なことでもあると思います。

対話や他者を介在させることで自分の状況を好転させていくのは容易なことではなくいつも報われるとも限りませんが、それらを一切放棄し人間社会を生きる上で超えてはならない一線をモーラーは確実に超えてしまいました。

現実の世界ではテロリストと呼ばれる存在でしょうか、物語では人間を超え最後には災害そのものと化してしまいます。

 

自らを神に重ねるモーラーでしたが誰よりも人間臭い奴でもあって、精神科医の女性の名前を何度もノートに書き彼女の下を何度も訪れていました。

「君にはまだ絶望していない」(なんて上から目線なんだ)…けれどSOSのサインは必死で出していました。

しかし女医が超常現象を信じなかったため誰かに理解してほしいという気持ちも消化されないまま、さらに孤立感を深めてしまう結果となってしまいました。

「災い(不幸)である自分」から抜け出せず「その自分を理解しない愚か者ども」を一層憎むようになってしまう…

自分の人生に希望が持てなくなったとき人は「世の中の全てが悪いのだ」と極端に悲観的な思想に走りがちになる…非常に説得力を感じる人物描写です。

また万能の力を得て全能感に浸り正しさを語って平然と他人を傷つけてしまうというのも今のネットなどで度々見られる光景のように思えます。

モーラーは誰しもなりうる、身近に感じられる人物像で、それだけに一層恐怖が感じられるキャラクターでした。

 

映画の冒頭はカラヴァッジョのメデューサによく似た絵を映して幕が開けていきました。

見たものを恐怖で硬直させ石に変える妖女…

モーラー演じるリチャード・バートンの目力も凄まじく思わず呑み込まれるような、深い哀しみと怒りを感じさせます。

メデューサには左側の血管から流れた血には人を殺す力が、右側の血管から流れた血には人を蘇生する力があったといわれているようです。

ノートに記されていた「Lの気配」という言葉は「レフトハンド」を指しているのでしょう。

この伏線が恐ろしいラストに繋がり戦慄しますが、巡り合わせ次第で人を癒すこともできたのではなどと思うと余計に悲しくなります。

 

刑事役のリノ・ヴァンチュラは温かみを感じさせる職業人でバートンと好対照、こういう職務に就く人たちの任の重さをひしひしと感じさせます。

終盤は最早パニックものと化しウェストミンスター寺院大崩壊の映像はミニチュアにはみえないクオリティで圧巻。

何かに追いたてられているような気分になる緊張感ある音楽も耳に残ります。

お願いだからたった一欠片、人の心が残っていてくれ…と祈るような気持ちになる映画のクライマックス…しかし最後の最後で圧倒的絶望に叩き落とされ、いつまでも余韻が残る作品でした。