どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「指輪物語」/「ロード・オブ・ザ・リング」…ファラミアの改変の記憶

仕方がない、ファラミアは犠牲になったのだ…

自分がちょうど高校生の頃に公開され、70年代でいうところの「スターウォーズ」旧三部作のような興奮と熱気をリアルタイムで味わわせてくれた作品。

子供の頃に「ホビットの冒険」を読んでいたのもあって、映画公開の前に先に原作を読んでおきたいと思い「指輪物語」を読破。

原作ファンとはいえないまでも一応原作既読勢として鑑賞に臨みました。

1作目「旅の仲間」は文句のつけようなく素晴らしかったのですが(字幕は除く)、続く2作目「二つの塔」にはモヤモヤが残ってしまいました。

1作目地点でバッサリカットされたエピソードや原作からの人物改変はあったものの、2作目はオリジナル展開がより多く、中でもキャラクターの根本そのものがまるで異なっていたのがこのファラミアでした。

初見ではかなりショックを受けた憶えがあります。

映画ではボロミアの劣化版!?のような扱いだったファラミアですが、原作ではボロミアと正反対の気質を持った心穏やかな知性の人として描かれています。

多くを語れないフロドの状況を察しつつ少ない情報で旅の成り行きを推量してみせる。兄を心から愛するもその欠点も熟知しており、指輪の存在を知ってもそれを遠ざける。

戦の功績がひたすら求められるような時代においてこんな穏やかな性格をしてたらかなり生き辛かったのでは…とその心苦を想像させられるも、武人としての評価も決して低くはなく民からも認められている人格者。

めちゃくちゃカッコいいキャラで個人的にはアラゴルンより心惹かれた人物でした。

それが映画版では思慮深さゼロ、ゴクリとフロドの信頼関係を壊した戦犯のような扱い…とかなり雑な描かれ方で、「こんなのファラミアじゃねえ!」とモヤモヤが止まりませんでした。

 

しかしその後映画を複数回鑑賞するうち、映画という限られた尺でファラミアというキャラを描き切るのは難しかったのかも…と思いました。

「人間は心の弱い種族」と強調されている中で指輪を遠ざけられるファラミアの高潔さは異端に映ってしまうかも。

ただでさえ「フロドって1番何にもしてないよね」とか言われちゃう始末(笑)、原作ファラミアを短い時間で再現しようとすると指輪の存在が余計に軽いものだと誤解を与えてしまう…と制作陣が危惧したのかもしれません。

原作のフロドとファラミアの問答は映画にすると動きが全くなく、映画のヘルム峡谷の戦いは見応え抜群でしたし、活劇の方を優先して上手くまとめたといえるのかなあ…とも思いました。

 

そして続く3作目「王の帰還」が素晴らしく、3作観終えてからファラミアの改変を少しずつ許容できるようになりました。

王の帰還」にて予想を超えて驚かされたのはオスギリアス再出撃のシーン。

父の命令で理不尽な戦いに赴く兵士たちとピピンに歌を歌わせながら食事をとる執政…

このオトンの食べ方がなんだかゾンビ映画のようで(笑)、食(=生命)と死が強烈に対比されたような、どこかホラー映画のような恐ろしさを感じる個人的に突き刺さった名場面でした。

オリジナル要素を入れつつ原作と同じストーリー展開を短時間でみせる…という映像のパワーに圧倒されました。

映画「二つの塔」では小者にみえてしまったファラミアですが、このシーンの前後をみると父親に愛されなかった悲哀がしっかりと伝わってきて、映画ファラミアにもキャラクターの奥行きが与えられたように思えました。

 

さらにその後暫くたってから「二つの塔」エクステンデッド版を鑑賞。

ボロミアが登場する回想シーンが追加されており、こちらも思った以上によく出来ていました。

兄弟2人の仲の良い姿はファンにとってはサービスシーン。
「憧れの兄のようになれなかったコンプレックス、父に認められたかった想い」というファラミアの心情も描かれていて、原作とは全く別の人物像ではあるもののちゃんとドラマが感じられるシーンでした。(この場面だけは劇場公開時にも入っていて欲しかったです)

このシーンを経ると「憧れだった兄の過ちをも認めて同じ轍を踏まずフロドたちを送り出す」という姿がもっとドラマチックに受け取れたのではないかと思いました。

それにしてもボロミアがカッコよすぎで優遇されすぎだろ、デネソールはメンヘラ親父にしかみえないだろ、とファラミアに限らずゴンドール陣営は原作とイメージが離れてはいますが…

 

◆アルウェンよりエオウィンがみたかった

映画「王の帰還」の戴冠式の場面にて、ファラミアはエオウィンと2人並んで立っていて仲睦まじげな様子でした。

映画から初めて観た人にとっては唐突な印象だったと思うのですが、これも原作を読むとしっかり描写があってとても好きなカップルでした。

・武人としての功績(男の強さ)が求められるような世界で文人としての才があったファラミア
・女性だけどめちゃくちゃ武人の才があったエオウィン

…と正反対の2人(自分の適性と周囲が求める役割にギャップがあると言う点では共通した苦悩を抱えていた2人)が結ばれるっていうのがいいなーと思いました。

 

エオウィンも原作とはイメージが少し異なっています。

映画ではヒロイックな印象でしたが、原作では自分の功名心を満たすために出撃し野心に取り憑かれていたような印象です。(蛇舌に相当メンタルやられたのでしょう)

そんな彼女がアラゴルンへの恋を「ただの憧れだった」と気づき、異なるタイプの男性の魅力に気付く…っていう展開がとてもよかったと思います。

 

DVDの特典映像でアラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンが「アラゴルンにはエオウィンへの愛情があったと思う」と語っていた記憶があるのですが、アラゴルン×エオウィンは絶対にない。(←どこのカップル厨だ)

映画はロマンス要素を強めたいがためアラゴルンを2人の女性が取り囲む形にしたのかなあと思いますが、アルウェンのシーンがいらない、裂け谷と戴冠式に出てくるだけでよかったよ、と思っていました。

代わりに他のキャラの出番を増やしてほしかった。

王の帰還」エクステンテッド版ではファラミアとエオウィンが出会うシーンが追加されてましたが、申し訳程度な上やはりファラミアのキャラが原作と別人なのでなくてもどっちでもいいかな…という印象。

映画は分かりやすさ・動的なシーンを入れての盛り上がりを優先してファラミアまわりは割を喰らってしまったのかな…と思う構成でした。

 

◆それでも映画は素晴らしかった

二つの塔」鑑賞後はしばらくモヤモヤが残ったものの3作通してみると「よくあの原作をここまでまとめて映像にしたなあ」と感心するばかりでした。

原作ファンをある程度納得させた上、原作未読の人にもとっつきやすくしてきちんと映画として面白い作品に仕上がっていたのは凄いことなんじゃないでしょうか。

 

聴いているとそれが正しいと思ってしまうような魅力的なサルマンの声…クリストファー・リーの美声にこんなだったのかーと納得させられたり、その身を隠してくれるというエルフのマントがまさしく石と化す様をみて鳥肌が立ちました。

「原作ファンが想像していたみたいものをみせてくれた」というシーンがたくさんあったのではないかと思います。

原作より味わいが増したキャラクターもいて、ボロミアの最期のシーンは原作以上に涙が止まらず、道中ピピンとメリーと仲良く剣の稽古をしている場面の溢れ出るお兄ちゃんオーラには「こんな人だったんだ」と原作からさらに上書きされたような印象になりました。

烽火が灯っていく雄大な景色、ガンダルフがミナス・ティリスを駆け上がっていくときの高揚感など、劇場映画でしか味わえない素晴らしい映像が何より圧巻でした。

 

Amazonで配信されている「力の指輪」は今のところ観る予定はないのですが(ホビットの映画もまだみていない)原作ものの映像化は改変すると一定数不満に思う人が出てくるのは致し方ないことではないかと思います。

けれど原作を変えてもなおそれを上回る魅力や「ここの部分はあえて変えてもこの部分を生かそうとした」という作り手の熱意のようなものが伝われば、作品を愛するファンも出てくるのではないかと思いました。