どうながの映画読書ブログ

~自由気ままに好きなものを語る~

「ザ・ロック」…アルカトラズからの007が大暴れ!!

マイケル・ベイの監督第2作にして、プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーがドン・シンプソンと組んだ最後の作品となった1996年公開の「ザ・ロック」。

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子供の頃、友達のBちゃんと保護者同伴で映画館でみた作品なのですが、圧倒的ド派手アクションにウキウキ、しかし小学生がみてもツッコミたくなるありえない展開の連続に、見終わった後にはゲラゲラ笑って、その後「ザ・ロックごっこもして遊んだという思い出深い作品です。

 

ストーリーと見所を追うと…

アメリ海兵隊の伝説的英雄・ハメル准将は、かつて機密作戦に参加した際に部下を見殺しにされ、その後政府から勲章も恩給も支給されなかったことに腹を立てていました。

そこでハメルは14人の部下とともに化学兵器VXガスを強奪、観光地となったアルカトラズ島に人質をとって立てこもり、遺族への補償金として1億ドルを要求。のまなければ、VXガスを発射してサンフランシスコを壊滅すると脅しをかけます…。

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このエド・ハリス演じるハメルのキャラクターのドラマはすごくシリアス!!目的が私欲ではなく、民間人を殺す気は本当はさらさらないというところ、表にすら出ない軍人の犠牲の上で国が成っていたというところ…「新幹線大爆破」の高倉健のような生真面目さで敵ながら大変魅力的です。

 

この大事件を解決するため、FBI化学班から呼ばれたのが、ニコラス・ケイジ演じる、スタンリー・グッドスピードという縁起が良さそうな名前の化学オタク。

そしてもう1人、かつてアルカトラズを2度脱走したことがあるという謎の男メイソンが招集されますが…これがなんと元英国諜報員という設定で、演じるのがショーン・コネリー

国家機密を握って隠したため、裁判もされずに幽閉されてた男…という007がまさか…とファンに目配せしたようなキャスティングです。


政府を疑って協力を渋るメイソンの説得を、グッドスピードに全投げするという雑すぎるFBI。

隙をついてメイソンが脱走し、シスコの街を気前よく破壊するカーチェイスがいきなり勃発!

グッドスピードも黄色のフェラーリ&原付で街を疾走…あんた頭脳担当じゃなかったんかい!!

しかしここはさすがマイケル・ベイ、サンフランシスコの“坂道〟のロケーションを生かし、車や路面電車が転がり落ちるようにデストロイしていく様は実に迫力のある絵面でワクワク。

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メイソンを再度捕らえて説得し、海軍特殊部隊とともにいよいよアルカトラズに水面下から潜入することになりますが、この部隊のリーダーはどっかでみた顔、マイケル・ビーン

クリムゾン・タイドっぽいBGMとパイレーツ・オブ・カリビアンっぽいBGMが鳴り響く中、ひっそりと島に上陸…!!

入り口が封鎖されててどこからも入れん!!と困った一行…どういう用途でつくられたのかさっぱり分からない、謎の歯車行き交う炎にまみれた通り道を発見!!

火を噴くボイラーの中を転がっていくありえなさすぎるメイソンの姿にBちゃんと爆笑。

無事に向こう側にたどり着いたメイソン、反対側から扉を開けて、

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ここで決め台詞が炸裂!!

とても昨日まで幽閉されてたとは思えない俊敏さ。なんてカッコいいおじいちゃんなんだ!!

しかし、潜入部隊はハメル准将側が用意したトラップに引っかかり、間も無く包囲されてしまいます。

マイケル・ビーン隊長が、あなたの気持ちは分かりますがと言いつつ、ハメル准将に降伏を訴える…ここは本作屈指の名シーンです。

結果偶発的に撃ち合いになってしまい、部隊は全滅。残されたメイソンとグッドスピードのとんでもない猛攻撃がはじまります。

 

アクションでもさらっと敵兵の死に方が残酷極まっているのが実にマイケル・ベイ

喉にナイフが突き刺さる、重機が落下して潰される、ロケット発射された上に身体が電柱に突き刺さる…と芸が細かいです。

そもそもくだんの化学兵器がかなりヤバい代物で、少量散っただけで激痛とけいれん、皮膚がとけるという恐ろしすぎる1品で、ものすごい緊張感です。

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こんな形の高い入浴剤あるよね。

しかしさらに驚くべきはこの爆弾の解除方法が、「チップを取り外すだけ」という超簡単なもので、これ化学班いらなかったんじゃ、とツッコミたくなる…。

でも安全装置も外せなかったグッドスピードがなぜか後半射撃の達人ばりに大活躍!!本当にこの人をチームに加えてよかったね…!

 

そして…途中1基解除出来なかったガス爆弾が発射されてしまうというハラハラの場面がありますが、それを遠隔操作で海に落とすハメル准将。

やっぱり民間人を巻き込まない良い人でした。

しかし仲間であったはずの部下から「俺たちの取り分はどうするんだ?」と銃を向けられ、撃ち合いになって命を落としてしまいます。

銃を向けたメンバーは、ハメルと共に戦場を駆けた者ではなく、今回のミッションで初めてタッグを組んだ者だった…という人物配置もよく出来てる!!

ハメルとメイソンは、国から利用されて捨てられたという点で共通している2人なのですが、メイソンには娘がいて、いつか会えるというささやかな希望が国への恨みを消し去っていたかと思われます。

映画の冒頭が妻の墓にたたずむハメルで始まっているのは振り返ってみると素晴らしく、失うものが何も無くなったハメルの哀しみが際立っています。

 

そして…作戦失敗かと勘違いした政府が、人質もろとも島爆破のオーダーを下しますが、

グッドスピードがすんごい表情で発煙筒を焚いてミッション成功を知らせる…!!

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ここめっちゃ真似して遊んだ(笑)。

生き残った男2人のやりとりも粋で、エンディングがまた実に洒落ています。

 

マイケル・ベイらしさにあふれた、90年代ボンクラアクション大作のお手本のような作品かと思いますが、主演3人のバランスが絶妙で色褪せず面白い!!

大人になっても大いに笑ってスカっとさせてくれました。

 

「暗くなるまで待って」…中途視覚障害者の自立への厳しい道のり

盲目の女性が事件に巻き込まれ、襲撃者たちと対決する1967年公開の傑作サスペンス。

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主演のオードリー・ヘプバーンは、それまでの可憐なイメージを打ち破る迫真の演技でオスカーにもノミネート。終始地味な服装なのに、儚げかつ凛とした美しさが引き立っていてすごく綺麗!!

密売人が用意したヘロインを隠し込んだお人形がふとしたことから何の関係もない写真家のサムの下に…。血眼になって人形を探す犯罪グループが自宅に押しかけ、サムの不在中、盲目の妻・スージーが彼らと相対することになる…。

元々は舞台劇だったそうで、低予算映画&密室劇と言っていいつくりの本作。

前半は、目の見えない主人公の障害を利用して家宅捜索しようとする悪人衆を〝みえる観客〟がヤキモキしながら見守り、後半は追い詰められたスージーが〝条件を同じにして〟(=部屋を真っ暗にして)敵を迎え撃つというスリル満点の展開…!!

 

よく出来たサスペンスとして楽しめるのですが、改めて観ると、後天的に障害を負った主人公の心の葛藤、妻を弱者にしないために厳しく接した夫の想い…細やかなドラマにも魅せられる作品でした。

 


◆スージーの夫、サムは冷たいのか?

オードリーが演じるスージーは元々は健常者であったものの、事故で視力を失い、全盲になったようです。

杖を使いつつも自力で歩き、一見不自由なく日常生活を送っている彼女のことを、すごい!と、安易な健常者の上から目線かもしれませんが、尊敬と驚嘆の目でみてしまいます。

これだけ適応力があるのは、彼女が「中途視覚障害者」で、見えていたときのイメージで生活を再構築しやすかったということ、またスージー自身ろう学校では優等生であり元来努力家気質だったのではないか…と色々伺わせます。

 

そんな彼女の夫が写真家のサム。スージー曰く、サムと付き合っていたのは事故に遭う1年前。

「退院してから道路で立ち往生していたときに、すぐにサムが助けてくれたのです。」

(サムは恩人だと語った人物に対し)「私もです。」

事故後も障害を負った恋人を捨てたりせず、精神的にもっとも辛かったであろう時を支えた男性。

 

しかし…!!劇中ではこのサムが中々キビしい、冷たい男にもみえてしまいます。

もし自分がスージーのそばにいたら、部屋で家事一切をしようとするスージーにあれこれ助け舟出しそうだけど、サムはそういうことを一切しない。

スージーが「近所で殺人事件があって怖いわ、もし自分が襲われたら…」と話しても、全く取り合わない。1人が寂しくて仕事場までついて行きたいと話すスージーに対し、「そんなことより、歩いて往復する練習をしなければならないね。」と突っぱねる。

もうちょっと優しくしてもいいんじゃない??なんて思ってたら案の定口論になり、
「私に盲目のチャンピオンになってほしいの?」涙ぐむスージーに対し、「そうだ。」と切り捨てるように答える。

 

この一見薄情にみえる旦那の態度ですが、彼のキビしいサポートがあったからこそ、スージーは事件を生き延びることができたのではないかと思います。

夫の庇護のもと、すべてを他人に助けてやってもらう生活を送っていたら、スージーはあんなに立ち向かえなかった…自立の訓練をひたすら積んできた女性だったからこそ、自分を守ることができたんじゃないかなあ、と。

 

物語のキーパーソンとして、同じアパートに住むグローリアという女の子が登場しますが、この子もサムの意向で家にやって来た子供で、買い物などスージーの日常生活を助けていたようです。

援助を受けるスージー本人は、「グローリアはいじわるな子で会うのはもう嫌だ」と途中サムにぼやいていました。

大人のように取り繕わず、ありのままぶつかってくる子供の態度に傷つくというスージーの気持ちも分かるような気がします。 

他者から100%の理解など到底得られない障害のある生活の中で、人とのつながりを拒みたくなる気持ち…しかしその妻の気持ちを察してこそ、1人きりで籠らせまいとサムが計ったのがグローリアとの繋がりだったのではないかと思います。

事件の中、スージーのピンチを何度も救ったのはこのグローリアでした。

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「この世間は悪党ばかり。悲しい話さ。」

・・・スージーを襲った悪党の1人、マイクの台詞が寂しく響く場面がありますが、この考え方では、人のサポートを必要として生きるスージーにとって大変生き難い世界です。

冒頭で殺人事件の話を受け流したサムは、悪意のある人間も確かにいるが、人の善意を信じず心を閉ざしていては生活できない…という想いだったのかもしれません。

皮肉めいた台詞をいったマイクも、スージーを殺せた/酷い目にも遭わせれたのに結局身を引くという、悪になりきれない悪役でしたが、ハンデがあっても懸命に生きようとするスージーへの敬意がそうさせたのだと思うし、またマイクの善意に賭けたスージーの勝利だったのではないかと思いました。

その一方…強烈な悪も確かに存在していて、最後のロート襲撃シーンは見えない主人公の恐怖感がこれでもかと伝わる緊迫感…座頭市のような超人ではない一般人の主人公が、勇気と知恵で立ち向かう姿に手に汗握ります。


そしてラスト、事件が発覚して警察とともに部屋に踏み込むサム…。しかしこの夫は妻に決して駆け寄らない…スージーが自力でこちらに来るのを待っている…。

あんな怖い目にあったんだからここは抱きしめにいったらどうなのよ!?なんて思ってしまうけど、でもこれが一貫したこの夫の姿勢、妻への愛なのですね。

障害を抱えた家族へのサポート姿勢は多様だと思いますし、スージーのような強い人ばかりでもないと思いますが、「他者の善意を信じつつ、自立に向けて最大限の努力をする」というこの夫婦の姿勢、困難を乗り越えたスージーの姿に感動します。

 


サスペンスとしてみても、一見地味ながら仕掛けが利いていて面白く、監督はコネリーボンドの007を手掛けた実績のあるテレンス・ヤング。冒頭からスパイもの感も漂い、アラン・アーキン演じる悪役の、キャラの立ちっぷりも見事です。

情緒的な感じのメインテーマだけでなく、恐怖を盛り立てるヘンリー・マンシーニの音楽にもドキドキ…!!

 

クライマックスの真っ暗な中での格闘は、本当に冷や冷やで、昔みたときと、全く同じシーンでギャァと大きな声をあげてしまいました(笑)。

しかしやはりオードリーがこの役にすごくハマっていて、弱さの中に感じる強さ、心の葛藤のドラマが丁寧に描かれていることで、一層サスペンス劇が盛り上がっているように改めて感じました。

 

「ダンシング・ヒーロー」…バズ・ラーマンのきらめく社交ダンス部!!

バズ・ラーマン監督といえば…〝虚構〟をことさら強調したようなきらびやかな舞台、大げさと思えるほどに芝居がかった登場人物たち…と好みの分かれる監督かもしれませんが、自分はあのワールドが結構好きで…

ダンシング・ヒーロー [Blu-ray]

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ラーマン監督のデビュー作「ダンシング・ヒーロー」は、子供のころ親に連れられて映画館で観た作品で、ストーリーはきちんと理解できていなかった気がするのですが、主人公の男性が床を踏み鳴らし踊っている姿がただただ記憶に刻まれました。

大きくなってから「ムーラン・ルージュ!」をみた際に本作を観返したところ…これぞまさにラーマン劇場の原点!!話も含めて面白いし、ダンスシーンがこんなに魅力的な映画は滅多にないんじゃないかなーと改めて夢中になりました。

 

舞台はオーストラリアの社交ダンス大会。優勝最有力候補だったスコットは、オリジナルの派手なステップをみせて、保守的な大会側からひんしゅくを買って敗北してしまいます。

跳んで、跳んで、まわって、まわって…とにかく主役のポール・マーキュリオが輝いていて、「フラッシュ・ダンス」のクライマックスが最初に来たかのようなオープニングですが、採点者にダメ出しされてしまうんですね…。

パートナーにも逃げられてしまったスコットの下に、同じダンス教室の生徒で初心者のフランがやって来て、一緒に組まないかと誘います。

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ヒロインのフラン。地味ガールかと思いきや…

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最終的にはこうなります。

「優勝という肩書きに拘らず、自由に踊りたい。」そんな思いが一致して秘密の大特訓をする2人。

シンディ・ローパーの名曲「Time after time」のアレンジがBGMに流れる中、練習を重ねた2人の距離は縮まっていく…。

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ダンス教室の屋上で踊る2人。

このロケーションも「ムーラン・ルージュ!」とどこか重なりますが、コカ・コーラの看板が実におしゃれ!!ラーマン監督は演劇出身でこの「ダンシング・ヒーロー」も元は舞台作品だったそうですが、小さな町1つがステージのようにみえる空間づくりが美しいです。

 

そしてある日の練習帰り、スコットがフランを家に送り届けると、すごい怖そうなお父さんが…。悲惨な境遇のヒロインなのかと思いきや・・・

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なんとこのお父さんは、パソドブレの達人!!

ダンス対決で心を通わせるというまさかの展開に笑ってしまいます。

フラン一家はスペイン語圏をルーツに持つ一家のようで、自信なさげのヒロインが、フラメンコを踊るときだけ別人のように艶やかなのが何とも愛らしいです。


しかしスコットは母や叔父から、フランとのパートナーを解消するよう追い込まれ、優勝するために新しいパートナーと無難なダンスを踊ることになります。でもやはり気持ちに嘘はつけない…。


「制圧的な親世代の呪縛から解き放たれて、自由を得る」という、もうめちゃくちゃ古典的&シンプルなストーリーなのですが、ステージママみたいなお母さんや、出来レース仕込んでるダンス協会の黒幕のおじさんのキャラもどこかコミカルで、明るく観れてしまいます。
  
とにかく本作のクライマックス、フラメンコシーンは圧巻!!めちゃくちゃカッコいい!!

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ミュージカル映画ではないはずなのに、完全にミュージカルやろ!と言ってしまいたくなる独特の空気感が魅力的な本作。

たとえばスコットがケンカした元パートナーを引き止める場面では、いきなり2人がタンゴを踊りながら応酬するのですが、大胆な場面転換の仕方がいきなり歌って踊りだすミュージカルともう一緒だなあと。

言葉じゃなくて身体が動いちゃう!!というミュージカルな世界にぐいっと引き込まれてしまいます。


カメラワークにも拘りがあるようで、両親の真実を知って動揺したスコットが部屋をぐるーっと見渡す場面から一気にウィンナーワルツの回転のシーンに転換するところなんて実にダイナミック!!
デビュー作とは思えない冒険心、すごいテクニックです。


周りにどう思われるかを気にせず、自分のやりたいことをやってこそ観客がついてくる…というハッピーエンドな物語ですが、この超絶ポジティブな芸術賛歌こそバズ・ラーマンの映画作りの姿勢なのでしょうか。


ラーマンワールド、好き嫌いは分かれそうですが、「ダンシング・ヒーロー」は低予算作品だったからかそこまでハデハデしていなくて他の作品が苦手な人でも結構楽しめるかも!?

その分人物の魅力が際立っていて、95分という短さで疾走感もバツグン、とにかくダンスがかっこいい!!デビュー作だけど、1番好きな作品です。

 

「ジョーズ」…災厄と戦う大人の仕事人映画

先日「王様のブランチ」の映画コーナーにて、スピルバーグ映画特集が放送されていました。

スピルバーグ監督作品全32作品のなかから、20代〜50代が選んだベスト10を発表するという中々面白い企画。

個人的には「魔宮の伝説」が好きだけど、1位はやっぱり「ジョーズ」かな、いやそれとも「ET」とかになっちゃうのかな、と気になってみてたら…

 

なんと1位は…ジュラシック・パーク」!!!

ええー!?

ジュラシック・パーク」も十分面白いけど、パニックものなら「ジョーズ」の方がずっと上でしょ!!と腑に落ちないうるさいおばさん。(「ジョーズ」は4位)

しかし「ジョーズ」の映像紹介がネタバレを一切考慮しない超クライマックス部分だったので、「ジョーズ観たい!!」の思いが一気に沸き立ち、久々に鑑賞。

25年間殺人事件も何にもない平和すぎるアミティ・ヴィレッジに突如やってきたホオジロザメ

女性が1人亡くなり、死因はサメの襲撃と断定されるも、町は海開きの直前。遊泳禁止案は町の有力者たちに反対されてしまう…。

 

今みるとこの大人同士の対立のドラマってリアルなんだなーとしみじみ感じます。

分からず屋のろくでなしだと思ってみてたこの市長。

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「夏は稼ぎどきだ。」「海は島民の命綱だ。」

経済活動も市民にとって大事で、目の前で確認できたわけでもないサメのために全てを棒には振れない…この人の言っていることにも一理あるんだなあと。

しかしいざ海開きするとサメが現れ、今度は少年がその犠牲になってしまいます。

遺族のご両親からすればたまったもんじゃなく、「なんで海閉鎖してなかったんだー!!」と署長を平手打ち。

 

そのあと懸賞金が掛けられて、ハンターたちが大きなサメを捕らえますが、本当にこのサメが犯人なのか??

その後の再度の海開き…やっぱり皆んな恐れが残ってるのかなかなか海に入ろうとしない。市長が説得して1人の家族に先導して入ってもらうと、皆んながゾロゾロとそれに続いていく…。

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このへんの集団心理の描き方もすごいなー、と見入ってしまいます。

 

結局また犠牲者がでてしまって、宿敵のサメを狩るために3人の男が結託するわけですが、それぞれのキャラクターが本当に魅力的!!

まずは警察署長のブロディ。立場的にはリーダーのはずだけど、行政との窓口担当であり、板挟みにもなる心苦しいポジション。

海が苦手な上、街には今年来たばかりで市民とも馴染めていない。細マッチョで男っぽいのに暗い感じがするロイ・シャイダー

でもこの人の”得体の知れないものにはとりあえず用心しとけ”っていう姿勢には共感するし、勤務時間外に本読んでサメの勉強するところなんて実に真面目!!

 

ブロディと対照的に明るさを感じるのはリチャード・ドレイファス演じる海洋学者のフーパー。

どことなく漂う坊ちゃんオーラ。でも知識に基づいた冷静な分析で警告してくれる。

 

しかし最も強い印象をのこすのは、やはりロバート・ショウ演じる漁師のクイントです。

いかつい強面おじさん、まさに頑固おやじ。フーパーとまた正反対なザ・労働者階級という感じで、圧倒的現場主義!!

 

各々に役割があり、気質も異なる人たちが1大プロジェクトに向かって協力していく…という仕事人映画になっているところがやっぱりオモロイですね。

 

後半50分かけての3人のサメ狩りはもう全編クライマックス!!

ジョーズ」、自分は子供の頃レンタルビデオでみたんだけど、鮮烈にのこってるのは、署長が撒き餌を投げてたらいきなりサメが出てくるというところ。

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署長、後ろ、後ろー!!

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一瞬で血の気のひいたこの顔。

映画館でみてたら叫んでそう…。それまでの登場シーンはあの音楽で、「くるぞ、くるぞー」だったのに、ここは本当に突然出てきて「うわあー!!」とこっちまで飛び起きそうになります。

「サメ(モンスター)の姿をあえて中々見せない」という演出は、今ではこういう映画での常套手段の1つかもしれませんが、「ジョーズ」は70分くらい出てこないから相当じらしてきますねー。

前半あれだけ人を襲いながら全容が掴めない正体不明感は不安を煽り、ここに来て「船が小さい。」と呟く署長の台詞にもう絶望しかありません。

 

そして、”樽の重しを引かせて動きを鈍くし浮かせて居場所特定”という、クイントのシンプルな作戦がまた分かりやすくて面白いのですが…

「また潜るぞ。」「嘘つけ。樽3個だぞ!」

バケモノすぎるサメにまさかの〝経験者〟であるクイントが最も冷静さを欠いてしまうというのがまたリアル。

3人が少し身を寄せて会話をした夜の場面…クイントが過去に壮絶な体験をしていたことが明らかになりますが、一度経験していたからこそ恐怖心が蘇り、闘志を失ってしまったのかと思わせます。

あれだけ強く見えた人が最期には恐怖に追いやられてしまう圧倒的敗北に、やるせない気持ちでいっぱいになる…。

クイントの死、ブランチでそのまま流してたけど、ここはみるの辛いシーンなのよね…。


しかしここからまさかの署長の逆転劇がはじまる!!

自信のない男が戦って男らしさを取り戻すというのは、「激突!」と重なりますが、最も臆病だった人が最後まで1番マイペース、ある意味冷静でした。

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もうここまでブランチで映してた(笑)。

ラストサメを吹き飛ばして声上げて笑う署長が何ともカタルシス。そして「フーパー生きとったんか、ワレ!!」で変な余韻をのこさず最後はスカッと終わってくれる。そこもまたいいですね。

 

昔テレビで芸能人の誰かが、「子供の頃にジョーズを観て、海やプールどころか水たまりも怖くなった」と話していました。水たまりって…そんなに!?と思ったけど、1975年当時としてはそれだけすごい衝撃の作品だったんだろうなあと思います。

サメに引きちぎられた手足が水中をプカーと漂うシーンなんか、スプラッタだなあと改めてみると思ったりして、今でこそこういう刺激の強い映画は多いけど、当時はかなりドキツイ表現だったのかな、と思いました。


これに続いて類似の多くの作品が作られた…スピルバーグアメリカン・ニューシネマを終わらせた人なんだ…と言われたりもしてたみたいだけど、それにしても圧倒的な完成度で、やっぱりこれだけ純粋に面白いものをつくれるのはすごいなーと。

今みると人間ドラマも沁みるし、スピルバーグの最高傑作といっていい作品なんじゃないかなー、「ジュラシック・パークじゃねえだろ!」と改めて呟きたくなりました(笑)。

 

ちなみに「王様のブランチ」でやっていたスピルバーグ・ベスト・ランキングは、

ジュラシック・パーク ②インディ・ジョーンズシリーズ ③ET  ④ジョーズ ⑤未知との遭遇 ⑥AI  ⑦シンドラーのリスト ⑧レディプレイヤー1  ⑨激突! ⑩宇宙戦争

でした。

インディがシリーズ合算って雑すぎない!?なんて思いつつ、トロッコの場面を流してて、これも観たくなっちゃうわー。


いつも録画して映画コーナーだけ観てた「ブランチ」、ここ暫くは自粛で最新映画紹介がおやすみになってしまってましたが、旧作の特集してくれるの、個人的には嬉しかったです。

 

映画と共にふり返る名作文学「ジェーン・エア」

中学の頃、国語の先生が”ロチェスター様萌え”的トークでアツく語っていて気になって読んだ「ジェーン・エア」。

女性の自立心を描きつつも基本はザ・メロドラマ、少女漫画のような世界観で読みやすい!!

とんでもなく我の強い主人公が、とんでもなく我の強い殿方たちと渡り合い、幸せをゲットするという青春ストーリーでもあり、好きな小説の1つでした。

映像化作品はこれまで観たことがなかったのですが、前から気になっていた2011年の映画版を先日鑑賞。

ジェーン・エア [Blu-ray]

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やっぱり上下巻併せて1000ページの本を2時間にまとめるというのはムリなようで、総集編をみている感じでまったくキャラクターに気持ちが入らない…

そもそも発行当時、美男美女を主人公にしなかったことが画期的だったというこの作品において、ミア・ワシコウスカマイケル・ファスベンダーというキャストの組み合わせはどうなんだ(笑)。

でも歴代キャストもなかなか見目麗しい人が揃っているようで、映画だと観るに楽しいですしね。

 

映画版の感想を書こうとしたら、「原作のアレが足りない」という想いしか湧いてこない有様なので、映画の場面を時折挟みつつ、「ジェーン・エア」という作品を、

・子供時代
・家庭教師時代(ロチェスターとの恋)
・村の教師時代(vsセント・ジョン)

の3パートに分けて、軽く振り返ってみたいと思います。

 

◆子供時代/聡明なヘレンに涙…!!

幼くして両親を亡くしたジェーン・エアは血縁のない叔母・リード夫人に引き取られていましたが、夫人はジェーンを全く可愛がらず、実の息子がジェーンに暴力を振るっていても見て見ぬフリ。

夫人の実子たちと違って内向的かつ激情型の性格のジェーンは周囲の理解を全く得られず、時に厳しい折檻をされることも…。

ハリー・ポッター1巻のような境遇のジェーンなのですが、虐待といえる過酷な環境、しかし食べ物にも困る貧困層の生活よりはマシだろうと周りの大人に諭される…何とも厳しい世界。

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原作より弱くて脆い印象のリード夫人、出番が少なくてもったいなかった…!

リード夫人の立場でみると、夫から親戚の子を我が子と一緒に育てろといきなり死に際に託されて、それが相性の悪い子だったらシンドイよなーと、大人になるとこの人も気の毒だったのかなあと思います。

でも相手は子供なんだし、貴族の慈善だと思って偽善でもいいからもうちょっと優しくできなかったのかなーと思ってしまいますが…(のちに発覚するジェーンの親族からの便りを知らせなかった所とかやっぱり意地悪な人だなあと思う)

 

子供ながら堂々夫人に毒づき、寄宿学校に送られることになったジェーン。

慈善事業で運営されている学校なのに、偏狭な牧師が絶対権力を握り、食事量は少なく不衛生と、ここもまた過酷な環境でした。

 

そんな中ジェーンが知り合うのがヘレン。

2人とも10歳かそこらなのにめちゃくちゃ大人っぽいんですね。

学校の理不尽さについてグチグチとへレンに文句を垂れるジェーン。

「もし薄情で正しくない人に、いつも親切に、言う通りに従っていたら、その人たちは、したいほうだいのことをするわ。」

「なんの理由もなしに、わたしたちが打たれたときは、思い切り打ち返さなくてはいけないわ。」

せや、せや!!相槌を打ちたくなるジェーンの愚痴(笑)。さらには過去に夫人にされた仕打ちについても愚痴をたれまくるも、ヘレンはそれを静かに受け止め、そんなによく覚えてるなんてよっぽど嫌だったのね、と大人な返しをする。しかし…

「夫人のきびしい仕打ちを、それによって引き起こされた、あなたのはげしい、たかぶった気持ちといっしょに忘れてしまうようにつとめたら、あなたは、もっと幸福になれんじゃないかしら。」

「人に恨みを抱いたり、まちがった仕打ちを、いつまでも忘れずに過ごしていては、この人生はあまりにも短すぎるようにわたしには思えるのよ。」

ヘレンの言っていることは信仰心によるもので、要は「汝の敵を愛せ」というザ・宗教の教えが根幹にあるのですが、家族と離れた病弱な身体の小さな少女が、大人にも出来んような、よりよく生きようとする姿勢をみせるところに、何だかもう胸を打たれてしまいます。

 

「もし、ほかの人が私を愛してくれないなら、死んだ方がマシだわ。」

子供が/人が当然持つ〝他者から好かれたい〟というジェーンの気持ちに対してもヘレンは、自分の心が大事と訴える。

自分が嫌いな人にまで好かれたい?その人は大概の人に嫌われてるからその人に好かれたらかえって自分も嫌われるけど?みたいな、めっちゃ冷静な返しもしてくる(笑)。

 

ヘレンの言っていることはある種宗教の枠組みを超えた自己啓発的な内容でもあるし、本来の聖書の教えの核ではないかと思うのですが、「怒りをすてて執着せずゆるす」…物語を通して読むと心に迫ってくるものがあります。

ときに聖職者にも反抗的だったジェーンが、このヘレンの言葉を受け止めて、周囲に怒りを抱いていた姿勢を改める。ヘレンそのものになるわけではないけれど、友に学んで成長するところに感動します。


しかしこんなに優しい天使のようなヘレンが病気で幼くして亡くなってしまうんですね…でも天国を信じているから安らかな死を迎える…


このヘレンと、優しいテンプル先生との出会いによって、丸くなったジェーンは勉強に勤しみ、育ちの学校で教師になりましたが、より広い世界に出たいと願い、家庭教師の職に就くことになります。その屋敷の主人と恋に落ちるのですが…

 


◆偏屈男、ロチェスターとの恋

ツンデレロチェスター様に胸キュン!!と昔は思っていたけど、大人になると結構ヤバい男じゃないか??と思ったりして(笑)。

18歳のジェーンより2倍ほど年上、中肉中背、見た目が悪くどこかコンプレックスこじらせた感じのする男。しかし人をよく観察していて、ジェーンの内面の良さを見抜く。無愛想にみえて優しいところもある…

 

ギャップ萌えみたいなキャラクターですが、ジェーンを嫉妬させようとわざと貴族の女性たちとパーティーなどして婚約するフリをするところ…相手の女性も金目当ての大概な女とはいえ、いくらなんでも失礼じゃないだろうか…

パーティー中に占い師のおばあさんに変装して女性陣の本音をききだすところはちょっと覗き趣味が入っていないだろうか…

映画ではこのロチェスター様の変装シーンがなかったことにもガッカリですね。

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イケメンすぎてこじらせた男感が全く伝わってこない…!

ロチェスターとジェーンはやがて相思相愛になり、いざ結婚式となったところで、なんとロチェスターは既婚者!!という驚愕の事実が判明します。

「愛人でもいいから付き合ってくれ!!」と迫るロチェスターを退けて屋敷を飛び出すジェーン。(よくやった!)

ロチェスターの妻バーサは気が狂っていて屋敷に監禁状態。当時のこの社会の認識の限界というか、障害や病気に対して理解も配慮もなく「災い」として容赦なく描かれています。

一応ロチェスターは政略結婚の被害者でもあって、実家に利用されて精神障害のある妻を押し付けられた…そして離婚が許されない…と、気の毒な面もあるのですが、若い頃は見た目だけで女性を判断して遊んでた感がバリバリ。

そしてやっと内面で通じ合えるジェーンに会えた!一緒にいたい!!って一途に想う。

落ち着いた大人の男かと思いきや、かなり脆い人だったという…

 

でも自分もロチェスターなぜか好きでした。根はあったかくて悪くない人なのが伝わってくる。紳士な感じと翻弄してくる感じと、何より孤独だった主人公に理解しあえる人が…の恋の歓びには胸が高鳴ってしまいます。ツンデレ系同士の掛け合いみたいな会話が読んでいてとにかく楽しいですね。

 

 

◆冷血モラハラ男、セント・ジョン

重婚の事実が発覚後、ロチェスターの家を身一つで飛び出し行き倒れになりかけたジェーンを救ったのは牧師のセント・ジョンでした。

若くてイケメンで、頭もいいセント・ジョン。

これまでの「ジェーン・エア」映画化作品ではセント・ジョンは存在自体がカットされていて、2011年版だけが彼を描いたということですが、それにしても出番は少なかったー。

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セント・ジョン役はジェイミー・ベル

クリス・ヘムズワースみたいなガッチリしたイケメンを想像してたけど、神経質な感じが伝わってきて思ったよりよかったです。

 

小さな村でセント・ジョンとその妹たちと付き合ううち、なんと彼らはジェーンの従兄弟であることが判明!!

そしてジェーンはリード夫人のイジワルもあって受け取れていなかった伯父の遺産を突然手に入れます。

 

そんな中、従兄弟のはずのセント・ジョンからプロポーズされるジェーン。あらら、イケメンにも言い寄られちゃって…と思ったら、このセント・ジョンがとんでもない男で…

 「自分は宣教師としてインドに行きたいと思う。協力者が欲しいから結婚してくれ。あなたには一切女性としての魅力を感じないが、この激務に耐えられる人間だと思うからあなたを妻にしたい。」

大体こんな感じ…ロマンチックのかけらもないし、妻にした女性を利用することしか考えていないかなりの鬼畜っぷり。

何だコイツかなりヤバい男やな、と思うのですが、大人になって読むとこのセント・ジョンの方が先のロチェスターより深い人物像のような気もしました。

 

「この生活は、実にくだらない。変えなくてはならぬ。」

「何か牧師以外の運命を求めて、燃えていました。そうです。政治家の心、軍人の心、栄誉を渇望する人間の心、名声を愛する人間の心、精力に憧れる人間の心が、副牧師の白い法衣の下で、はげしく脈打っていたのです。」

「ああ、地元つまんないなー。どこかに行きたいなー。自分はもっと大きなことが出来るんじゃないかなー」なんて思いながら漠然と夢見るごく普通の若者でもあったのではないでしょうか。

この時代におらず生まれに囚われていなければもっと自由な選択肢があったかもしれないけど、牧師の家系を継ぐ義務感に囚われている。野心家の一面は権威主義的で人を見下したような性格に歪んでしまい、親愛に欠けた人物となってしまいます。

 

最後にジェーンとロチェスターが結ばれる「ジェーン・エア」という物語のラストが、遠い地にいるセント・ジョンを想うジェーンの言葉で締め括られているのも、大人になって読むとただならぬ趣があります。

「彼から受け取った最近の手紙は、わたしの目に人間としての涙を流させたが、しかしわたしの胸を聖なる喜びで満たした。」

ジェーンを妻にすることは叶わず、1人異国の地で死を迎えるセント・ジョンは果たして幸せだったのか…

信仰のない&凡人の自分としては、もうセント・ジョンは地元の名士の娘と結婚して、村の人たちの信仰を守る平凡な人生の方が幸せだったんじゃないかと思うし、宣教活動も当時は尊ばれるものだったのか知らんけど結局背景には植民地支配の策があったんじゃないのー!?なんて思ってしまうのだけれど…

でもセント・ジョンの尊大さ、向上心がそれを良しとしなかったわけで、愛をとらずに大志に振り切る…自分が本当に好きな人と結ばれる、自分の近くにいる人たちを愛することを選んだジェーンの生き様とは対照的であります。


セント・ジョンと、上巻にてソーンフィールド内を散歩する場面でのジェーンの独白は共通しているものがあるなーと思うのですが、

「人は平穏な生活に満足すべきである。と言ってみたところで、無益な話である。」

(女性たちも)「男たちとまったく同じように、あまりにも強すぎる束縛、あまりにも果てしない沈滞に苦しんでいるのだ。」

ジェーンももっと自由な、価値のある人生を!!と望んでいて、セント・ジョンとは似たものどうしでもあったのかなあ、そしてそういう思いは時代と場所を超えて若い時分に多くの人が馳せるものかと思うのですが、身分や生まれで固定された時代の中でこの2人は耐え難い束縛を感じていたのかなあと思います。

 

結局ジェーンの人生は「身体に障害を負ったロチェスターの世話に身を捧げ、結婚して子供を産む」という一見平凡なものにみえますが、自分の感情、愛で道を決めたジェーンの人生の方が、セント・ジョンよりも幸せに映りました。

(そもそも当時のイギリスでガヴァネスと呼ばれる家庭教師身分の女性が身分の差を超えての恋愛結婚すること自体、非凡なことなのかもしれませんが…)

 

 

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不美人なはずのジェーンも美人だった…!でも地味めの雰囲気はいい感じ。

 

小説のあとがきにて、作者シャーロット・ブロンテ自身も牧師の娘として生まれ、父親はかなり気難しい牧師さんだったと知ったのですが、ブロックルハーストやセント・ジョンは作者の父親がモデルなのかなあと思いました。

このお父さんだけが長生きして、ブロンテ一家の子供たちはシャーロットも含めてみな若くして亡くなってしまった…というのは何とも悲しい家族史。

 

キリスト教圏の人間じゃないからピンと来ないところは多々ありますが、「ジェーン・エア」という作品を通して感じるのは、信仰の多様性というか、同じキリスト教信者でも、権威を振りかざし本当の弱者を虐げるブロックルハーストみたいな奴もいれば、信じることで良心に生きたヘレンのような存在もいる。私欲に負けて重婚の罪を犯そうとしたけど、悔い改めて〝許された〟ロチェスターもいる。

キリスト教を自由に捉えているところが凄いのではないかと思うし、その中で己の道を突き進むジェーンの姿にエネルギーをもらえる作品だなあと思います。

 

映画の感想から大きく逸脱したけれど、今回観た映画も雰囲気は伝わってきたし、セント・ジョンとの出会いのシーンから話をスタートさせたのも面白かった…でも小説の内容を2時間でやるのは土台無理だなあという感想。

 

ちなみに過去の映画化は、

・1943年度版 オーソン・ウェルズジョーン・フォンテイン
・1996年度版 ウィリアム・ハートシャルロット・ゲンスブール

あたりが有名なようで気になります。BBCのテレビドラマなんかでガッツリ忠実にやってくれてるのがあればそっちを観たいなーなんて思いますが…機会があればまた鑑賞してみたいと思いました。

 

↓↓BBCのドラマ版を観てみました☆彡

dounagadachs.hatenablog.com

 

※引用部分は、「ジェーン・エアシャーロット・ブロンテ 大久保康雄訳 新潮社より抜粋しています

 

「蝋人形の館」…アメリカの田舎怖い系グロホラーの良作

2000年代のホラー映画作品の中で大満足だった1本。 

蝋人形の館 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2010/04/21
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タイトルだけで薄々伝わる〝生きた人間を蝋人形にしている〟というグロ全開のプロットは、元になった戯曲があるそうで、過去にも同じ題材で2度映画化されているようです。

本作が面白いのは、そのグロ要素に「若者が田舎に行って得体の知れない人に出会う」という「悪魔のいけにえ」的要素をふんだんに盛り込み、殺人鬼との対決ドラマにもさらに一味加えているところ。

 

舞台はアイオワ州フットボールの試合鑑賞のためスタジアムに向かっていた若者の男女6人は近道をしようとしたところ車が故障し、地元男性に近くまで送ってもらうことに。

無分別に女性をジロジロみる、動物の死臭が全く平気…と、同じ国、同じ言葉を話す者同士なのに、まったくコミュニケーションがとれない感じがなんとも不気味です。


そして主人公女性カーリー(ドラマ24のキム・バウアー)は恋人のニックと車の部品を買おうとカーナビにもない小さな町にたどり着きますが、人の気配がありません。

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この21世紀に「何がジェーンに起こったか?」を上映する激シブの映画館。

 

音のする教会の方へ行くと誰かのお葬式の最中で、時間潰しに近くにあった閉館中の蝋人形館へ行くと、なんと人形だけでなく建物全体が固めた蝋で出来ているというこだわりっぷり。

排他的な感じのする田舎の雰囲気もイヤだけど、主人公のボーイフレンドもたいがいな奴で、無人とはいえ人様のお宅を勝手に物色して触りまくるという失礼極まる態度。
コイツが最初に殺されるんやろなー、やむなし!!と思ってたら、案の定殺人鬼が現れ、予想以上に悲惨な死に様に。

熱い蝋を全身に吹き付けられ、蝋人形にされたあとも(鼻呼吸ができるからか)しばらく意識がある。仲間が助けに来て眼球だけが動き、涙がぽろっと流れてるところとかかなり残酷…!

 

館の人形の中身はやっぱり人間だったのかーに当然ゾゾーっとなりますが、教会でお葬式やってたというシーンも…

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祈りを捧げてる殺人鬼のボー以外はお人形だった…!

…と分かる場面は1番ゾゾーっとなりました。

助けに来た残りの仲間勢も1人ずつやられていきますが、素晴らしい死に様をみせてくれるのは、パリス・ヒルトン演じるビッチ。

嬉々と下着姿も披露、「このアホセレブめ!」というみんなのイメージを裏切らない役どころでグロ極まる凄惨な死に様をみせてくれます。気前いいなーと好感度UP。

 

スプラッタというより五感に訴えかける痛さが怖い本作。

叫ばないようにと口に接着剤をつけられる主人公。イタタタ…。

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しかしその後くちびるが真っ赤になったエリシャ・カスバートが妙にセクシーにみえてしまうという不思議(笑)。

続く指チョンパシーンもさることながら、殺人鬼との追いかけっこも「蝋人形たちの中に紛れ込んでやり過ごす」という隠れんぼを交えてのドキドキハラハラシーンが上手いです。


ここからはラストまでのネタバレになりますが…

登場する殺人鬼が2人なのもこの作品の面白いところになっています。

・一見フツーの人にみえたガソリンスタンドの男(ボー/お兄ちゃん)
・蝋人形をつくるアーティストなマスクをかぶった男(ヴィンセント/弟)

と双子の兄弟だったんですね。

 

子供が親に折檻されているような謎めいたシーンが映画の冒頭にありましたが、結合した双生児だった2人を外科医だったお父さんが切り離し、顔の部分がくっついていたヴィンセントは顔に傷を負ってしまった。

それを隠そうと蝋人形アーティストのお母さんがマスクをつくった。

顔に傷のあるヴィンセントの方が殺人鬼かと思いきや実は見た目の普通な兄の方が子供の頃から癇癪もちだったようで、暴れるのを両親が拘束していた模様。(大人になったボーの手にはその痕がついていました。)

一体兄と弟どちらが歪んでいたのか…姉妹の確執逆転ドラマ「何がジェーンに起こったか?」も実は見事な伏線となっていました。

 

都会から田舎に逃げるようにやってきたというこの一家ですが、この町でも生きにくかったのかなあ、お母さんが亡くなってからボーの暴走に歯止めが効かなくなって、お兄ちゃんしか拠り所のない弟は異常な人形づくりが趣味になってしまったのかなあ…と、説明らしい説明はないけど、断片的なドラマから色々想像させてくれます。

 

そしてこれに挑むことになる主人公勢も双子の兄妹というのがまたいい!!

いい子ちゃんの妹と、車泥棒で前科のあるワルぶった兄。

後半はこの兄妹が物理的にかなり強いので恐怖感は薄まりますが、息のあったコンビネーションで殺人鬼を追い詰める展開はみていてスカっとします。


最後はホラーの定番、全部焼けて崩れ落ちるという展開。

人形はもちろん壁や地面さえドロドロに溶けてくところは圧巻の迫力…!!ヌメヌメドロドロしながらの殺人鬼との死闘って斬新!!CGも使ってるだろうけど、ここにもまた離れられない兄弟の悲劇が演出されてラストもビシッと決まってました。

 

あとから警察が来て、「これだけの人が殺されてたの全く気付かんかった」というのは荒唐無稽な話と受け止めればいいのか…。

面積の広ーいアメリカの州の中で、ひっそりと殺されて気付かれない人たちがいる…というのは案外リアルな恐怖なのかなあと、ホラーに刷り込みされたイメージもあるかもだけどそんな風に思ってしまいます。

 

dounagadachs.hatenablog.com

 

監督はのちに「エスター」を手掛けるジャウム=コレット・セラ。

痛さも怖さもしっかり伝わる、個人的にはホラーとして、大変満足な1本でした。

 

「エルフェンリート」…アニメも素晴らしかったがラストは原作の方がよかった

原作は10年以上前に読んでいたのですが、評価が高いというアニメの方はずっと未見だったのを今更鑑賞。

エルフェンリート Blu-ray BOX

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圧倒的な音楽の素晴らしさ、鎌倉のロケーションを生かした演出、毎エピソードの終わりに〝引き〟を残した脚本の巧さ…なぜ今までみなかったー!!と大興奮。

漫画原作は2002年〜2005年に週刊ヤングジャンプで連載され全12巻で完結していますが、アニメの放送は2004年…と原作完結前の制作のようで、7巻までの内容を脚色しているんですね。

 

自分が漫画を読んだきっかけは冨樫義博が「HUNTER×HUNTER」のアリ編はこれに影響を受けているらしいと聞いたからなのですが、かっ飛ばしまくった第1話から心を鷲掴みにされてしまいました。

ジャンルとしてはSF要素のある物語で、主人公の女性・ルーシーは、人間の遺伝子の突然変異で生まれた新人類(ディクロニウス)で、頭に2本の角とベクターと呼ばれる透明な腕で物を動かせるという特殊能力を持っています。

旧人類を滅ぼすであろう新人類…いってみれば「X-MEN」のミュータントのような存在ですが、「一体1話で何人死ぬんだ!?」という大虐殺が冒頭から繰り広げられ、(何か事情があるにせよ)こんなに業の深い主人公が救われるのか??ものすごく引き込まれました。

 

そしてアクシデントからこの主人公の人格が分裂し、純粋無垢な人格へとバトンタッチしたところで第1話が終わります。

善の人格は極端に知能が低く、幼児返りしたような人物。

多重人格モノにもなっているストーリーですが、主人格が差別やいじめを受け孤立して生きてきて、どれだけ辛い目にあっても人と仲良くしたいという思いを捨てられなかった…それがこの赤子のような人格になって現れたのだと思うと切なさが込み上げてきます。

別人格になった主人公はある男の子のところに身を寄せ、人と関わりを持つことで自分の居場所を獲得していきますが、人類を脅かすウイルスの主でもあることが次第に判明し、異端な彼女を排除しようとする対立陣から追われます。

「異なる存在は共存できるのか」…萌え絵っぽい見た目からは想像できない重々しいテーマ(&スプラッタ描写)。


全体でみるとアニメの方がいいという点が多々ありつつ、ラストに関しては原作の方がよかったなあ…と、どちらも余韻の残るものでしたが、少し比較してみたいと思います。

 


◆アニメのラスト

漫画を先に読んで刷り込みもされてたからか、最終話で記憶を取り戻したコウタのルーシー受容が随分アッサリしているように感じました。

「カナエと父さんを殺した君を許せない。」(といいつつ)

「子供のときの寂しそうな女の子もにゅうも僕は大好きだから。」

「君だって、君だってさ、たくさん悲しい思いしてきたんじゃないのか。」

コウタの器がでかすぎる!!父親と妹が殺され、さらには他の人間も殺戮しているところを目撃しながらも、こんなにすぐ相手への理解が及ぶものかなあと思ってしまいました。話数の関係もあって仕方がないのでしょうが…

 

ただオープニングにもなっている「Lilium」の音楽が圧巻で、キス・抱擁・涙を伏線のように回収し、居場所のなかったルーシーを最後に受容してくれる存在がいた、ゆるしの願いが届いた、という救済感が押し寄せてきました。

 

そしてルーシーは死にに行くかのように去り、折れた角と弾丸の雨…。

原作でも角が折れた後はにゅう化していたこと、ナナには「私にできないことをお前にしてほしい」と言葉を遺していたこと、にゅうの直そうとしていた時計が最後に動き始めたこと…ルーシーだけが死んで、にゅうだけが戻ってきた…8巻以降のにゅうのように、これから「言葉も覚えて人として生きていく」…のかなあと思いました。

 

13話という短さで上手くまとめたと思う反面、コウタとの和解があっさりしすぎなのと、ルーシーが救われたようで人格が違えば罪はないっていう線引きが曖昧だなあ…と思ったりして、ちょっとスッキリしない感がのこりました。

 


◆原作のラスト

対して原作の方は…

「どんなに謝られてもカナエと父さんを殺したお前を許すことはできない。」

「お前がいなくなったらにゅうまでいなくなってしまう。」

 

まずコウタの態度がルーシーへの許しが一切がないという大変厳しいもので、こっちの方が俄然説得力がありました。

その後…コウタを庇い身を投げうって修復する選択をしたのはルーシーのはずなのに、ドロドロに溶けたあともコウタは彼女をにゅうとしか呼ばないし、にゅうの回想しか思い浮かべない。

「共存したいが相手の一部分しか認めない。」という頑なな姿勢は、アニメ版の全てを受容した姿勢と大きく異なっていると思いました。

 

そして暴走する本能からコウタたちを守ったルーシー(とにゅう)は身体が溶けて苦しみ、コウタに命を終わらせてもらいます。

「私がもし他の誰かをたくさん殺すようになったら私を殺してほしい」という台詞をきっちり回収しているところ、にゅうがコウタ1人だけでなく楓荘のみんなに看取られたところがやはりいいなと思います。

そして最後の最後、心の中で幼いころに戻ったルーシーとコウタが交わした対話のところで、ようやくコウタはルーシーの想いを受け止めることができたのだと思いました。(そのあとのごめんね…の台詞はルーシーに向けている気がしました。)

 

 

続く最終話「大団円」は、死んだと思っていたキャラクターが生きていたりして、幻のような不思議な空気の漂うエンディングです。

10年間、夏祭りの日はルーシーの最期にのこした言葉を思い出して約束の場所に出向いていたコウタ。

子供時代のコウタって…異性として好きだったのはユカで、ルーシーとはあくまで友達って認識だったんですよね…。 

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発端としては、同情心(優しさ)から付き合った感じがする。

 

友達(ルーシー=楓)と約束を果たせなかったこと、ルーシーに一緒に遊ぶ相手が男の子だと嘘をついたことが悲劇の発端になったことに心残りがあったのかなあと、10年のあいだのコウタの想いを色々と考えてしまいます。

 

「ずっと会いたかった友達に…やっと会えたんだ…」

 

ルーシーの手紙をみつけてさらにルーシーとにゅうの生まれ変わりのような双子が現れる。

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この双子の親が誰なのかは見当がつきませんが、角がリボンで隠れたディクロニウスなのだと思います。

最終話の冒頭で、「角の生えた子供が産まれる奇病が世界中で発生してWHOが出産禁止令を出した」の説明がほんの3コマほどありましたが、角沢が東京にウイルスを散布したのと、ルーシーの本能が暴走して世界を破滅してやる!!とベクターを伸ばしたときに、彼女自身も世界中にウイルスを散布させたのかなと思います。


ワクチンができてもその前に生まれてきたディクロニウスの子供たちはどういう処遇になったのか…殺されたのか、隔離されたのか、放置されたのか…。

希望的観測ですが、ルーシーとにゅうの意識が働いて生まれてきた子供たちは3歳になっても本能の声を発動せず、見た目の違いはあるけどうまく生活してる…だといいなーと思いました。

 

なんとなくコウタとあの双子の再会は、ルーシーとコウタの、そして新人類と旧人類の「和解」「共存」を感じるエンドで、憎しみが次の世代に残らないようにという、願いを感じさせるハッピーエンドのように思えました。

最後の最後にコウタがにゅうだけでなくルーシーのことも受け入れたというところは、結果的にはアニメと同じなのですが、やはり「あれだけの虐殺もしたルーシーがにゅうとともに一度死んでいる」ところが因果を終わらせていてスッキリしているように思います。

 「生まれ変わってまた好きな人に会いに行く」という輪廻転生の世界観は、個人的には好きなストーリーではないし、SFとしても荒唐無稽ですが、ボーイミーツガール的要素のこの漫画には、上手くハマっているように思いました。

 

 

ラストは原作の方がよかったけど、アニメの方がよかったー!!というところもたくさん。

蔵間室長の幕引きはマリコと一緒に散るアニメの方が感動的でした。

漫画はマリコのクローンが結局全員死んでしまうのも辛かったので、お父さんに抱きしめられたマリコの束の間の幸せをみれてよかったです。

 

原作最終回での「蔵間が絵描きの少女の生存で嘘をついていた」ことが分かる1コマは結構な衝撃でしたが、それだけ全ての元凶であるディクロニウスを憎んでいたんだなあ、憎しみが連鎖する、ルーシーの因縁の相手として蔵間は重要なキャラだったんだなあ、とアニメでも漫画でも魅力のあるキャラクターでした。

 

エルフェンリート」は海外でも評価が高く人種差別を描いているとも言われるみたいですが、生まれてきた子供に自分と異なるものがあったら…どちらかというと障害や病気のことが胸をよぎります。

こんなすごいドラマと女の子が胸を揉みまくる理解不能なエロシーンが同居しているというのが完全に狂気の沙汰ですが、刺さる人には刺さる…でもアニメの方が無意味なエロシーンなどは少なくとっつきやすい感じがしました。

 

それにしても賛美歌スタイルでせめた圧倒的オープニングの力…!

 


Elfen Lied Opening Lilium Official Audio

 

両方とも読んで&みれてよかったなあと深く余韻の残る作品でした。